喫茶店の常連客 ①
父の喫茶店で店番をしていた少女はタブレットの画面を消灯すると、「ふ~ぅ」と長い溜め息をついて、「ね~ねこみさん。ちょっと席、外していい?」と、憂鬱な声で尋ねた。
客のひとり、ねこみさんと呼ばれた女子校生は、店内を見回してから「うん」と声に出しながら頷いた。
ぱたぱたとスリッパの音が響き、2階をきしきしと歩く音がして、静かになった頃合いで、ねこみさん……行方枝折は、3人いる客のうち、離れて座っていた男に声をかけた。
「重症よ、先輩なんでしょ? なんとかしなさいよ!」
「ちょっ……行方さんっ!」
「モブ常連客に喧嘩売るな」
「モブ? あんたに言ってるのよ、ペンタルファさん」
喫茶店の隅、独り静かに珈琲をすすっていた常連客。
ガタッと椅子を鳴らしてから、左手のカップを見た。
落胆したような溜め息、紙ナプキンを数枚手に取る。
すこし珈琲の飛び跳ねたテーブルを乾拭きしていく。
それが済んでから、椅子に腰掛けて。
睨みつけていた女子校生を一瞥した。
「日本人です。そんな片仮名じゃない」
「まだ言うか。なろう民、これだから」
「誰がだ。仮想現実世界の正体を見分ける能力がJKにあるとは思えない。まして貴様の左眼は龍を封印した魔眼という妄想設定であって、鑑識眼ではないはずだ。悔しかったら黒龍でもなんでも召喚してみるがいい」
「なっ!」
「連載4年目で未だに完結しない。スキル・世迷言でな?」
「なんですってぇ~え?!」
「行方さん、ストッープ!」
大慌てしたのは隣の青年。
この3人、知り合いなのだが。
直接会話するのだけは初めてだった。
理由は簡単。
といっても、相反した表現になるが。
仮想空間で、疑似的に交流していた。
現実世界では『これが中の人』と……
お互い、ぼんやり確信していた程度。
その不文律を、前触れもなく破ったのだから。
「底辺作家・早弓もそうだ。喫茶店でモブキャラ3年やったらお見通しなんだよ。代表作に設定した魔法少女モノ。一度、検索除外して仕切り直したよな?」
「えっ?」
「運営削除不可避の内容、ねこみうろん氏がモデルだった」
「何卒、通報は御勘弁を!」
彼は人違いの可能性を危惧したが、杞憂に終わった。
ユーザ名:PENTALPHA⛥
仮想現実世界では、容姿はアバター。
実際会ってみたら想像どおりでした。
そんなことが、よくある。
今回のケースはさらに難易度が低い。
頻繁に見掛ける人に共通項を見出す。
これは簡単すぎるクイズ問題だった。
「わかっちゃいるんだ」
「わかってないよ!!」
「行方さん、聞いてあげて」
「連載の定期更新を4年続ける熱量。未熟な原稿を全て推敲し書き直した執着心。2人の御作品は目に留まったろうし、VR空間でも仲が良いからリアル友達以上の関係だと想像しただろう。もし喫茶店に通っていなくてもな」
これは『2人1セットで行動』の軽い意味だが……
「 「 友達、以上!! 」 」
しかし。
曖昧な距離を保つ2人には違う響きがあった。
近くの席に並んで座り「続きはよ」と言った。
「この席に座っていれば、さらに多くに気付く」
2人の心臓は心当たりに『ドクリ』と跳ねた。
今は見当はずれの甘酸っぱいエピソードだが。
男が呟いた「生成AIエンジン」という単語。
飛び跳ねた心臓を鷲掴みにされるような感覚。
額を冷たい汗が伝っていく。
「魔法少女ねこみうろん氏、喫茶店へ来店する子供。当初は血縁者だと思ったさ。3年前と変わらぬ容姿、伸び盛りのJSが成長していない。お前達は相当ヤバくて超常的な事件か都市伝説に巻き込まれた。AIイラストを忌諱するようになった、根本原因なら……AIが生成し出力した少女。図星か?」
「内緒にしてたはずよ?!」
「でも毎日そこで執筆してる。普通は気付きますね」
男は自虐的にうっすら笑った。
「当然、か。現実にはありえない突飛な話としても、3年あったら誰もが気付く。見抜けないのは筋金入りの鈍感系主人公、猫昆布茶さんくらいだろう」
女子校生は「たしかに」と、半笑いになった。
ぴんと張りつめた場の空気が、和らいでいく。
良くも悪くも、ざっくばらんに話をする知人。
仮想空間で、馬が合う。
現実世界でも意気投合することは、よくある。
ねこみさんは、カウンターを眺めた。
暗く沈んだタブレットが置いてある。
「その勘の良さ。ねこんぶちゃんに発揮してよ」
「彼女にとっては誰よりも頼りになる先輩です」
「始めたのが早い遅い、どんぐりの背比べだろ。情熱だけで書いてる素人作家で、スマホ入力の早さが自慢のサラリーマンなんだからな。 ……ハピエンのプロットなんて浮かんでこない」
「 「 は っ ... ぴ ぇ ん ? 」 」
伝票ホルダーに千円札を挟んで、カウンターに置いた。
「猫昆布茶さん小説が。俺は、未来が書けない」
ドアベルの余韻が、カランと2人の鼓膜を振動させる。
うらぶれた素人作家の背中は、すぐに見えなくなった。
階段を、きしきし降りてくる音。
戻ってきて「あれ?」と驚いた。
「スマホのお客さんがいない」
「支払い済ませて、帰ったよ」
「創作ノート、すごいですね」
「単なるネタ帳よ。やり方も人それぞれだと思うし」





