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精霊国物語

【精霊国物語番外編】君に宛てた手紙

作者: 夢野かなめ

 クッザールは、筆を手に頭を悩ませていた。


 どのように書き出して、話を展開し、逢瀬(おうせ)の誘いへと導くのか。


 かれこれ数日は悩み続けている。


 勿論、鍛錬中や警備の際には気を引き締めているが、ふとした瞬間にこの悩みは頭をもたげてくる。


 ──形勢不利なのは判ってはいるが……。


 溜め息をひとつ吐いたクッザールは筆を置き、紙を横に退けると、届いていた書簡を手に取った。


 セルジオからの手紙だ。


 彼は、エランの様子や大陸から仕入れた話など種々様々に書き連ねてはクッザールの許へと届けた。時折、エランの酒なども共に届き「本来はお前と楽しみたいものだが」と添えてくる。


 クッザールは警備の予定を確認してから、新たな紙を取り出すと、滑らかな手つきでセルジオ宛の手紙を書き始めた。


 特に気負う必要もなく、すらすらと筆は進む。エランとの境の警備予定に合わせて、合同鍛錬でもしないか、と書き添え、今回の贈答品に対しての礼とこちらから贈るものを考える。


 ──やはり、肉か。酒に合う肉にしよう。


 度々肉を贈るクッザールに、セルジオは「本当にお前は肉が好きだねぇ」と呆れたように言ったが、それでもエランで主に食されるのは海辺の町ということもあって魚が多いので、陸の肉を送ってやるとそれはそれで喜んでいるのを、クッザールは知っていた。


 なにより、セルジオはよく酒を飲む。


 クッザールとの仲が深まったのも、それがきっかけだった。


 ある程度長じて酒を(たしな)むようになったクッザールを面白がって、丁度グラウスを訪れていたセルジオが酒席を設けたのだ。涼しい顔で飲み続けるクッザールにセルジオも羽目を外し、その末に自然と腹を割って話すこととなって意気投合。その後セルジオがエラン領主となってからも、時を見つけては手紙のやり取りや、酒席を設けたりして交流を続けている。


 セルジオとは十程年が離れているが、まるで兄弟のように──実際に血縁ではあるのだが、それよりもっと近い意味で──互いのことを気に掛けている。


 勿論、実の兄であるカオルと溝があるという訳ではなく、カオルとはグラウスを、そしてこの精霊国を守る同志という気持ちが強く、セルジオとの何も考えずに気軽に話し合う関係とはまた別のものだった。


 ──そういう関係は、あるものだ。


 クッザールは、ふっとすみれ色の瞳を思い出した。


 妹であるマリーエルの世話役アメリア。クッザールの想い人だ。


 アメリアは、マリーエルが生まれてすぐに世話役として任じられた。彼女の資質のことで少しばかりごたごたとしていたようだが、今では彼女が世話役であることに文句をいう者は居ないだろう。


 そして、近付ける者もそう居ない。


 それは精霊姫の世話役という立場だけでなく、何処か彼女には人を惹き付けるわりには遠ざけるような、近付けさせない所がある。それは、手が届かないというような諦念(ていねん)ではなく、掴もうとしても掴めないというような類のものだ。


 ──それに翻弄されている訳だが。


 自身の今までの行いに失笑したクッザールは、セルジオへの手紙を書き終え封をすると、退けていた紙を引き寄せた。


 筆を取り、しかし筆は進まない。


 その時、呼び鈴が鳴った。


 世話役は付けていないから、「どうぞ」と声を掛けると、カルヴァスがひょこりと顔を覗かせた。


「隊長。とりあえず、明日の警備の準備は終わりました」


「あぁ、ご苦労だったな」


 そう言って、クッザールはセルジオから届いた箱から包みをいくつか取り出すとカルヴァスの前に置いた。いいんですか、とカルヴァスは瞳を輝かせる。


「これからマリーエルの所へ行くんだろう。皆で食べると良い。セルジオから届いたエランの菓子だ。他の箱は兵舎に運ばせたから、そちらの分配はお前に任せるよ」


 カルヴァスは中身を検めるように包みを開くと、菓子のひとつを取って口に放り込んだ。「旨い」と嬉しそうに言うのを、クッザールは微笑ましい気持ちで見やってから、カルヴァスが卓の上に視線を走らせたのに気が付いた。


「……今日は、ない」


「あれ、そうなんですか」


 カルヴァスは卓の隅に置かれた封のされた手紙に目をやって、納得したように頷いた。包みをひとつひとつ大切そうに抱えるのを見てから、クッザールは小さく息を吐いた。


 マリーエルの許には当然アメリアが居て、世話を焼いている。


 包みを抱えて出て行こうとしたカルヴァスに、クッザールがなかなか応えられずにいると、カルヴァスは問うような瞳を向けた。


 ふぅ、ともうひとつ息を吐いてから、クッザールは観念したように口を開いた。


「筆が進まないんだ」


「えっ、珍しい」


 カルヴァスが言う通り、クッザールが筆に迷うことは殆どない。カルヴァスや自身の隊の者達のように頻繁に顔を合わせる相手に手紙をしたためることはないが、何か祝い事等があれば、その都度その者に対して手紙を書いている。贈答品があればその礼を。何かを計画するならその伺いを。クッザールは精霊国内でも筆まめとして知られていた。そのせいか、紙や墨なども多く贈られることがあり、相手に合わせて選ぶのにも様々な選択肢があった。


 それだけ手紙というものを書いてきたクッザールでも、アメリアに対しての手紙だけはどうにも進まないことがある。今回は重症だった。


 うーんと悩んでいたカルヴァスが、ふと思いついたように声を上げた。


「手紙って結局、約束を取り付けるために書いてるんですよね? それだったら、この後オレと一緒にマリーの所に行って夕餉(ゆうげ)を食べればその時にこう……上手い具合に話したり出来ませんか」


 その言葉に、一瞬だけ活路が開けた気がしたが、しかしクッザールは首を横に振った。


「いや、流石にそれは……。妹の前では気が引けるだろう」


「そう、ですか……?」


 カルヴァスは釈然としないように首を傾げた。しかしすぐに思い直し、ひとつ頷いた。


「まぁ、確かにそういうものかも。それだったらオレがアメリアに言って……あぁ、でも手紙の内容は知らない体だから……うーん」


 そう言って考え込むカルヴァスを、クッザールは手で制した。


「いや、お前を悩ませるつもりはないんだ。これは私の……問題だからな。さぁ、もう行っていいぞ。マリーエルが待っているんじゃないか」


 クッザールの言葉に、カルヴァスは包みを持ち直し、ニッと笑った。


「じゃあ、書けたらいつでも届けるんで言って下さい」


「あぁ、いつも助かっている」


 カルヴァスを見送ったクッザールは、はぁと溜め息を吐いた。つい悩みを吐露してしまったことへの罪悪感、というよりも格好悪い所を見せてしまったという不甲斐なさに、もう一度息を吐く。


 アメリアの様子が変わったのはここ最近だ。


 以前は、クッザールの誘いにも時たま応えていたのだが、ここの所その成功率は大幅に下がっている。しかし、何が原因なのかさっぱり判らない……という訳でもなかった。


 三男とはいえ、グランディウスの子孫であるクッザールの相手に、力を一切持たない者が選ばれるのは如何なものか。そういう声が少数ではあるが聞こえているのである。


 次兄は十年も昔に大陸で命を失っているから、長兄のカオルの身に何か起これば、次にグランディウスの名を継ぐのはクッザールということになる。しかし、父王も健在の今、父王がその座を退くまでにカオルの許に子が産まれ、権利はその子へと移されていくだろう。


 ならば、クッザールが誰を相手に選ぼうとも関係はない。国の為に隊を動かし、そして自身の築く家族と共に生きる。クッザールの願いはそこにあった。


 ただ、相手が想いに応えてくれそうにない。


 アメリアとの出会いは、マリーエルの世話役に任命されたその時からだった。最初こそその麗しい容姿に目を引かれたのだが、しかし関わる内その聡明さや健気さ、ふっと灯るような微笑みに心を強く惹かれていった。


 年が近いこともあり、幼い頃はマリーエルの面倒を見るという体でアメリアの許を訪れたことが数え切れない程ある。それからもう十八年近くも経っているのだと気が付いたクッザールは、眉を寄せた。勿論、本当の意味で恋心というものを自覚したのは、ある程度長じてからだったが、それでも一体何年になる?


「改めて考えると……惨めだな」


 思わず出た言葉に、苦笑する。


 うっすらと敗戦の気配が漂い始めているのにも気が沈んでくる。


 クッザールの相手に相応しくない、という要らぬ気を揉ませてしまったかもしれないし、そもそも力を持たぬことを気に病んでいるのかもしれない。どうしたらそのようなことは気にしていないのだと伝えることが出来るだろうか。気にしていないと伝えることこそが、アメリアにとっての重荷とならないだろうか。


 そう考え込む内、クッザールは一度アメリア宛の手紙を仕舞うことにした。


 体を伸ばし、書き上げた手紙を纏めて書状役に渡すために廊へと出る。


 その先で、クッザールは月光に照らされる想い人の後ろ姿を見つけた。


「アメリア」


 つい、呼んでいた。


 ハッとしたように振り返ったその顔は、焦がれていたせいか普段よりもずっと美しく映った。


「クッザール様」


 アメリアはそっと微笑んでクッザールに歩み寄った。


「いい夜ですね」


「ええ」


 何処かぎこちなく交わす言葉に、しかしクッザールは必死に頭を動かした。


「もし良ければ、少しだけ息抜きにお付き合い頂いてもよろしいですか」


 クッザールの言葉に、僅かに視線を彷徨わせたアメリアは、じっとクッザールの顔を見てから頷いた。


「お顔が……お疲れのようですが」


 暫く廊を歩く内、アメリアが言った。月光で照らされるその姿を盗み見ていたクッザールは、目を瞬いてから微笑んだ。


「なんてことは、と言いたいところですが、ここの所色々と立て込んでいましたから。こうして息抜きでもしたくなってしまいます。貴女は? マリーエルの成人の儀の支度が始まっているでしょう」


「ええ。マリーも張り切っていますよ」


 クッザールはそこで言葉を継げなくなった。じっくり考えることの出来る手紙でさえ筆が止まっていたというのに、想い人を目の前にして、それも敗戦の気配が濃いとまで思っている相手を目の前にし、何を話したらいいのか判らない。焦れば焦る程、それは強くなっていく。


 ──戦地でこのような思考では隊を導けない。


 そう考えた途端、自身の思考に思わず笑ったクッザールは、表情を引き締めた。


 アメリアが心配そうに小首を傾げている。改めて作った微笑みをアメリアに向け、中庭を指さす。


「少しだけ」


 伺うように訊くと、アメリアはそっと頷いた。


 月光の降り注ぐ中を二人して歩く。実に満たされるような心地だった。


 ──何を焦る必要がある? ただこの時を喜び、楽しめばいい。


 クッザールはアメリアに手を差し出し、中庭に置かれた長椅子に腰を下ろした。風が吹き、そよぐ髪をアメリアが耳に掛けた。その美しさに内心で感嘆の息を吐きながら、クッザールは懐を探った。包みを取り出し、アメリアに差し出してから、しまったと思った。


「よければこちらを、と思いましたが、先程カルヴァスに持たせたものでした」


 アメリアは目を瞬き、ふっと笑みを零した。


「とても美味しかったですわ。有難うございます」


 頭を下げるアメリアに、クッザールはホッとして、包みをその手に渡した。


「お気に召したのなら、こちらもどうぞ」


 まぁ、と驚いて見せたアメリアに、促すように笑みを向けると、アメリアは嬉しそうに笑った。


「クッザール様はお召し上がりになりましたか?」


 包みを捧げ持つようにするアメリアに、クッザールはセルジオに味の感想も送ってやらねば、とひとつを取り上げ口に含んだ。それは(たちばな)を使った菓子だった。甘酸っぱい香りが口中に広がり、爽やかに抜けていく。


「うん、旨い」


 思わず出たクッザールの言葉に、アメリアがふふと小さく笑い、菓子のひとつを口に含む。


 クッザールは、己の内に愛おしさが湧き上がってくるのを悟られまいと、必死に抑えようとしたが、唇は自然と笑みを作った。


 好きだ、と口走ってしまいそうになる自分を追いやり、これ以上を求める自分を叱りつける。──無理強いはしたくない。


 そういえば、と口を開いたクッザールは、その瞬間あれこれと考えた末に、あることを思い出した。


「この近くに、すみれの花の咲く丘があるのをご存知ですか。アメリア、貴女はすみれの花がお好きでしょう?」


 ハッと息を飲んだアメリアが、膝の上の包みから目を上げクッザールを見つめた。


 その瞳を見た瞬間、クッザールの心の臓は跳ね上がった。胸の高鳴りが全身を駆け巡る。


 咄嗟にアメリアに触れようと伸ばした手に気が付き、クッザールは視線を彷徨わせてから、アメリアの瞳を示した。


「貴女の瞳にはすみれが宿っている」


 アメリアがくっと喉を鳴らして、目を伏せた。


 ──これは、不自然だったか。


 クッザールは自然を装いながら、言葉を続けた。


「もしよければ、今度すみれの丘まで行ってみませんか」


 アメリアは暫く黙り込んだ後、困ったようにそっと上目遣いにクッザールを見上げた。


「ですが……」


「あぁ、マリーエルにはこちらから……それか、このような夜に少しだけでも。きっと気に入って頂けるかと」


 ね、とクッザールが言うと、アメリアは少しだけ迷った後、小さく頷いた。


 僅かに恥じらいが浮かぶ表情がいじらしい。しかし、ふっとその表情が陰る。でも、と続けようとするアメリアの手を取り、クッザールはその瞳を見つめた。


「ただ、私の息抜きに付き合うだけ。そう考えて頂いても良いのです。もし、それが叶うなら……こんなに幸いなことはありません」


 クッザールがそう言うと、アメリアは再び黙り込んだ。


 ──これ以上躊躇(ためら)うようなら、引くべきだ。


 しかし、顔を上げたアメリアは、小さく頷いた。


「では、このような夜に、少しだけ」


 クッザールは、思わずアメリアの指先に口づけた。視線を揺らすアメリアに気が付き、ハッとしてその手をそっと離す。


 戸惑いに揺れる瞳を気遣いながら、クッザールは長椅子から立ち上がると、手を差し出した。


「お部屋まで送りましょう。私の我が儘にお付き合い頂いて恐縮です。満ち足りたひと時でした」


 アメリアはそっとクッザールの手を取ると、微笑んだ。


「ええ、こちらこそ」


 クッザールは名残惜しい気持ちを押しやり、アメリアの手を離して廊を歩き始めた。


 アメリアを送り、自室に戻ったクッザールは、仕舞っていた紙を取り出し、筆を走らせた。


 まずは共に過ごしてくれた礼と、すみれの丘への誘いと。悩んでいたのが嘘のように筆が進む。


「あとは、何かアメリアの喜ぶようなものを──」


 そういえばセルジオからの手紙に、髪飾りのよい職人の話が綴られていたような。仕舞っていた手紙を取り出し、再び目を通す。


 警備の時に寄れるだろうか。あれこれ考えながら、クッザールはアメリア宛の手紙をしたためた。



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