前書き ― 世界観・地図
昏暮、薄雲染める黄昏。
頬を撫でる涼風に一時の心地よさを覚えて、ふと、初秋の気候を今暫く味わおうと思いました。私は数冊の本を抱えて、バルコニーの椅子に腰掛けます。
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学術の都、キェルトゥール。
煉瓦造りの古風な街並みは、今、正に沈みゆく陽に照らされ、その色に染め上げられていました。
景観条例の恩恵でしょうか、それとも衰退の現出でしょうか。高層建造物の姿は見当たらず、まるで近代に時を遡ったかのような―――そう…何だかノスタルジックな気分へと誘って頂けます。
よく言えば、の話ですが。
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―――私の名前はシャ。族名はリュヴャル部のスキャ氏。
全名はリュヴャルシャスキャ。哲学者の端くれにございます。えぇ、未だ自称に過ぎませんが。
今日、お師匠様から小説のシリーズを頂きました。「ディシャレンディクの著書『晦冥の路』がお好きならば、この本も気に入るでしょう、読んでみては如何ですか。」と。曰く、ステュルヴャル地方出身の”旅学者”が記したファンタジー小説でありますとか。
…消灯の時刻まで時間がありますから、少し…読んでみましょうか。
古風な革製の表紙には華麗な装飾が施され、植物的な書体で〝咎人達の地 ― 天駆ける舟〟と―――そう記されています。
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編集者の前書きによると、執筆された時期はキュヌツァ暦911年―――私達の紀年法で言う所のクァティケリ11年の秋季から春季にかけて―――現在から数えて85年前。
エリュ族のクァドュラジ王による〝あまねきエリュカイ〟は凋落に至って久しく、かつての群雄は亡霊の如く舞い戻り、再び戦乱の世に包まれた暗黒時代。
相次ぐ紛争の末、国民の諸外国に対する排他的感情は酷となり、元来、多文化主義者かつ平和主義者であった筆者は―――排外主義・軍国主義への批判を込め―――この小説を執筆したのでありますとか―――。
…典型的な芸術家です。それで何かを変えられた事が―――果たしてあったでしょうか。物語の中で生きる人々が可哀想だと思いませんか、創造神の過度なメッセージ性が被造物の性格や行動を変えてしまうのです。
私も小説を執筆した事があります。今思えば可哀想な事をしたものですが、失恋が故に「恋愛なんてしちゃいけない」だなんてメッセージ性を込める為、登場人物を酷い極悪人に仕立て上げたのです。
…えぇ、若気の至りです。そう思って頂きたいのです。
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ページを捲ると、2つの挿絵がありました。片方は当時の世界地図、もう片方は〝あまねきエリュカイ〟―――もとい〝エリュカイ帝国〟の地図でしょうか。
高解像度:【https://www.pixiv.net/artworks/133301567】
作中の舞台はキュヌツァ暦860年代のセカイ―――長きに渡る密接な外交関係や通信伝達技術の発展によって、大陸の諸文明は遂に融合を始め、世界的な協調関係が形成されつつあった時代―――。
特に、〝エリュカイ〟、〝ゴリューシュキャ〟、〝シャキュミシャ〟、〝アシュツァツェルニェ〟、〝イェレ〟などの諸地域における〝統一国家の建設〟・〝列強国家の形成〟は、各勢力間における軍事的・経済的・技術的・政治的な拮抗状態を生じさせ、数十年に及ぶ「世界的」な戦争の空白期間を齎した―――。
―――勿論、ここで言う所の「世界」とは、諸列強の影響力が及ぶ「世界」にのみ限定されるものですが―――。
高解像度:【https://www.pixiv.net/artworks/134082272】
キュヌツァ暦にして863年。私達の紀年法ではクァドゥラジ13年。
未だ国境の概念が希薄で、現代的な「面」による領域では無く―――封主と封臣の従属関係に基づいた「点と点を結ぶ線」による領域が形成されていた時代―――。
―――故に、この地図における領域の表し方―――国境線を明確に定めるような形式は―――些か時代錯誤にも思えます。エリュカイの地図における伝統的な領域の示し方は―――こう―――塗料をまぶすような―――。
―――気付かなかった事に致しましょう。えぇ。
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さて、ページを捲りましょうか。