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第3話:高貴妃、倒れる

薄紅の花が咲き誇る中庭。暑気を逃れるように、妃嬪たちは木陰に集まり、涼やかな声を交わしていた。


その中心にいるのは、後宮で最も権勢を誇る存在──高貴妃・薛麗花だった。


「冷たいものばかり口にしていては、体に障るわよ、麗花様」


柔らかな声音をまといながらも、その言葉には毒が混じっている。涼やかな笑みを浮かべる妃たちの目には、互いを値踏みする光が宿る。


その中、シンファは香炉の灰を捨てに来ただけの下女として、頭を垂れて歩いていた。視線を上げることなど、許される身分ではない。


──と、そのとき。


「……麗花様?」


誰かの震える声が上がった。

次の瞬間、軽やかに響いていた笑い声が途切れ、ひときわ高貴な衣擦れの音とともに、薛麗花がぐらりと崩れ落ちた。


「麗花様!?」


悲鳴が上がる。扇子が飛び、女官が駆け寄り、あっという間に場は騒然とした。呼吸が浅く、唇は青白く、額には汗が滲む。


「すぐに侍医を呼んで!早く!」


だが侍医が駆けつけたときには、事態はすでに深刻だった。


「……毒では、ございません。だが……原因が……」


医師たちは顔を見合わせ、治療どころか診断すらできぬ始末。高貴妃の唇はますます青ざめてゆく。


その様子を、シンファは人垣の後ろから見つめていた。


(呼吸が苦しそう。脈も不規則……顔色が異様に白い。だとすると──)


だが、下女が口を挟むなどありえない。言葉にすれば、無礼打ちだ。


それでも、目の前で命が消えようとしている。


(祖父が言っていた……顔面蒼白、息苦しさ、脈の異常──心臓に何か問題が起きたときの兆候……)


気づけば、シンファは侍医の影から身をかがめ、素早く床に落ちていた小片の飴を拾っていた。毒味の痕跡ではない。代わりに、手早く袖に忍ばせていた細筆と紙を取り出す。


──「冷たい香と煎じ薬の併用によって、一時的な発作が軽減される」と、祖父から教わった方法を思い出しながら、簡単な処置と薬の処方を記した。


「……こんなところに、紙が……?」


巡回中の宦官が紙片を拾い上げる。誰が書いたのかも知らぬまま、医師たちの手に渡った。


「これは……確かに……試す価値が……!」


処方通り、香の種類を変え、冷却布と簡易的な心臓強壮薬を与えると、高貴妃の呼吸が少しずつ安定していった。


「……助かった……」


誰かがそう呟いた。妃たちは息をのみ、沈黙した。


その夜。


高貴妃の私的な侍女のひとりがひそかに命じられる。


「……あの紙を、誰が書いたのか。突き止めよ」


次の日、宦官たちが動き始めた。


使用人の筆跡を一人ずつ確かめるという前代未聞の調査が始まり、やがて、紙の端にあった「癖のある筆跡」と「筆の握り方」から、ある一人の下女の名前が浮上する。


──シンファ。


「お前か。お前が、麗花様を救ったのか……?」


そう問いただされたとき、彼女は首を横に振ることも、肯定することもできなかった。


けれど、宦官の目は笑っていなかった。


「ならば、妃殿下に直接会っていただこうか」


(終わった──)


そう思った。


しかし、運命は違う方へと回り始めていた。


それが、後宮の闇に挑む少女の物語の、本当の始まりだった。

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