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keyword  作者: 藤華 紫希
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2025/5/23_15:47:37

「おはよう。昨日飲み会だったんだって?」

「おはよう。お陰で家に仕事持ち帰ったわよ。」

 いつも通り信号で挨拶し、二人並んで歩く。

「おはようございます!」

 いつもと違う声に二人で驚いて振り向くと、自転車に乗った三鷹君だった。

「おはよう。自転車で来たの?」

「途中からですけどね。車知り合いの所に停めさせて貰って、そこから自転車です。」

 昨日の状態からよく復帰してきたものだ。強いんだか、弱いんだか。

 へぇ、と頷いていると、じゃ、お先に!と走り去る。

「わっかいねぇ。元気だわぁ」

 後ろから佐奈が来て呟いた。

「ね、びっくり。昨日かなり酔ってたのに。家にちゃんと帰り着くか心配するくらいだったのよ」

「憧れのおねー様としちゃ、放っておけなかった?」

「放っておいたわよ。仕事まで持ち帰ってたんだから、そんなのまで面倒見れません。」

 恭弥がやけに大人しくて、佐奈と二人で顔を見合せ見上げる。

「恭弥、どうしたの?」

「や、お前本当モテるよな。とか、思って。」

「は?何言い出したの?」

 佐奈も思いっきり嫌な顔をしている。

「えーと、先に行くわ。ちょっとよく二人で話して。」

「え、ちょっと!佐奈!」

 名前を呼んだ時にはもう背中が遠い。朝からなんなんだかもう…。

「あっれぇ。怒らせちゃったか?」

「怒らせちゃったじゃないわよ…ちゃんと考えるって言ったわよね?切り替えできてる?」

 酷なのは承知の上で。越えて行かなきゃ二人が幸せになれない。私もスッキリしない。

「あ、ダメなのか。でも、友達なんだぜ?お前の心配して悪いか?」

「心配?あの発言が?何勘ぐってんの。配属されたばっかりの部下よ。」

 あぁ違う。そんな事言いたいんじゃない。駄目だ。落ち着こう。自分でも、語気が荒くなっているのがわかる。

「何にしても、恭弥は気にする事じゃない。佐奈みたいにからかうくらいならいいけど。」

「あぁ俺、また残念な顔してたか」

 ホント今更だよなぁ。と呟きながら空を仰ぐ。つられて見た空は、雲一つ無いいい天気で、少し夏色を帯びた綺麗な青だった。


 昼休憩に、散々探し回ってやっと佐奈を見付け出した。

「ここに居たの。」

「うん。探したでしょ。見付け難い所をわざわざ選んだからね。」

 普通の顔をして拗ねている。私が探すのをわかっていて、こんな所―ロッカールームの一番奥、窓際に椅子を持ち込んで食べている。ご丁寧にわざわざもう一つ椅子を持ち込んでいる。

「食べたの?」

「探してたんだから、今からに決まってるでしょ」

 せっかくなので、準備してくれていた椅子に腰掛けて弁当を広げる。

「恭弥には会ったの?」

「あいつが私を探すと思う?アンタなら、探し回るんでしょうけど。」

 恭弥のヤツ、全部私任せか…まだ付き合ってる訳じゃないって言われるかな。

「朝ちゃんと話したからね。佐奈も恭弥が面倒臭いヤツだって事ぐらい知ってるでしょう」

「知らない。アンタしかあいつ見てない」

「違うって。女に甘いだけなんだって。ただの馬鹿よ。それ承知で付き合ってかないと保たないよ。」

「早まったかなぁ。煽ったんだから責任取ってよ。」

「責任取ってここまで探して来たんじゃない」

 返事を知ってるくせに。かなりの拗ね具合だ。

「じゃぁ仕方ないね。許してあげる」

「ありがとうございます。」

 丁寧にお辞儀をすると、流石に佐奈が吹き出した。

「こんなヤツの為にごめんねぇ。それでもアンタにしか当たれないし、言えないのよねぇ。」

「あんな奴好きになるからだよ。馬鹿さ加減は佐奈が一番知ってると思ってたのに。」

「アンタの隣りに居たからよ。アイツも私も。馬鹿なところもダメなところも見て、結構一途ないいヤツだってわかっちゃったら、好きになってたんだもん。」

「フリーなのも、私がヨリ戻さないのも知ってたしねー。無理もないかぁ。」

「…やっぱり未練があるんじゃ……。」

 縮こまって上目遣いで自信無さ気な……。

「佐奈らしく無いわねー。未練はないわよ。ヨリ戻さないって言ってるでしょ。有り得ないから。でも、私が一番恭弥がいい奴なのは知ってるし、だから佐奈に薦めてるのよ。」

 いい奴じゃなきゃ付き合ってなんかなかった。別れてからも友達でいられなかった。この親友達が二人で幸せになってくれるなら、いくらでも背中を押してやる。

「恭弥も佐奈のことは、好きなのよ。私との失敗があるから、気後れしてるのよ。で、今朝のはただの我儘。」

「我儘?アンタの部下に嫉妬するのが?」

「朝、声掛ける男は自分だけだと思ってたのよ。恭弥、私の虫除けでもしてるつもりだったんじゃないの?だから誰だって声が掛けられる事に気付いて我儘な顔したのよ」

「手放したつもり無いんじゃないの?」

「もう、割り切ってる筈なのに、なんだろねー。ホントただの我儘なのよ。」

 恭弥だって、今なら落ち着いている筈だ。切り替えが出来ているかどうかは、私には分からない。でも、私達が終わっている事は理解してたし、前向きに行く事も確認した。

「後は、佐奈が信じてやって。過剰に友達の心配する馬鹿を、佐奈が受け止めて、ライン越えてるよって戻してやって。あなた達なら、向き合えると思う」

 私ができずに、突き放した事。お互い、向き合ってなんてなかった。

 ただ、隣に並んでただけだった。でも、向かう先が同じで、それだけで楽しかった。

「分かった。アンタの大事な友達と向き合うわ。」

 佐奈なら大丈夫だ。

「幸せになってよねー。二人共私の大事な友達なんだからね。」

「うん、ゴメンね。子供みたいに拗ねちゃってさー。」

「佐奈だから許す。」

 最後は笑い話にして、終わらせた。


「チーフお帰りなさい。昼休憩から帰って来たら、中村さんからも追加のデータが届いてて、流石に手が回りそうに無いです。」

 今日は二人共手加減ナシだ。ユミちゃんは昨日調査したにも関わらず、データを送るのを止めていたと言って、朝から三鷹君にお土産〜。と言ってデータを置いて行った。その後マメにユミちゃんはデータを送り続けていた。

 そして中村君は昼休憩に入った所で纏めてデータを送って来たのだ。三鷹君が慣れる為に、それでいて上手く調整してくれている。

「明日までに回ればいいから、もう少し頑張ってみて。ネットなんかで名前の上がってなかった店まで出て来る頃だから、ちょっと大変でしょうけど」

 少し街の声が聴ける所に出れば、意外な店が出て来る。却ってそういう店が手強い競合店になる。隠れた名店というヤツだ。

 簡単に調べがつく店舗は、ある程度下地を完成させていた。入力だけで済んでいたものが、ベースを作る作業からになってくると、かなり仕事量が増える。

「わかりました。どこまで出来るか、やってみます。」

 返事はせず、ぽん、と肩を叩いて自分の仕事に戻る。まだ音を上げてもらっては困る。自分の仕事量を、丸一日やって把握して貰わないと。きっと、アルバイトでやっていた時に、手遅れにならないように、早めに声を掛けるように言われていたのだろう。でも、これからは社員としての仕事を覚える必要がある。自分で感覚を掴まなくてはいつまで経っても自立できない。育てる為に、手を出さずに我慢するのも必要なのだ。


 二時間もすると自分の仕事に目処がつき、隣りの三鷹君の仕事も中々捗っているのが見て取れたので、コーヒーを二つ淹れて休憩に誘った。

「でも、間に合うかどうか…ここで頂きます。」

「間に合うから。休憩するよ。」

 それだけ言って回れ右して部屋のドアへ向かう。流石に断われ無いと悟って追いかけて来る。

 休憩スペースに着くと、適当にコーヒーを置いて座る。コーヒーはカフェオレを飲みたくなかったから事務所から持って来た。三鷹君は仕方なくと言った感じで目の前に座る。

「デスクで休憩でも良かったのに」

「良く無いわよ。データが届いたら気になるじゃない。」

「だからこそ居ないと、間に合わないじゃないですか。」

 焦らないでいいよ、と言いながらコーヒーを啜る。三鷹君はまだ頑なにコーヒーに口を付けない。

「私の仕事の目処が付いたから、この後データ整理に私も回るし、間に合うわよ。ほら、コーヒー冷めちゃう」

「はい。」

 やっとコーヒーを手に取る。

「一人でやってしまいたかったかもしれないけど。無理だから。中村君の送って来たデータ残ってる分こっちに回して。ユミちゃんが送って来る分を三鷹君お願い。」

 中村君の一気に送って来たデータを必死に片付けている間に、ユミちゃんのコンスタンスに送って来ているデータが溜まっている筈だ。

「すみません。チーフの手を煩わせて」

「あら、随分助かってるわよ。使える新人が来てくれたから、自分の仕事がかなり捗ってる。半日くらいは思ってたより進んでるんじゃないかな。」

「ホントですか?」

「慰め言ったって今後の為にならないでしょ。実際このデータが手間取るのよね。そこまでしなくても、って思うでしょ?どこまで役に立ってんだろなぁとか思わない?」

 コーヒーを口に運びながらのんびりと話をする。

 三鷹君もコーヒーを飲みながら、黙ったままこちらへ耳を傾けている。話を聞く事に徹する構えのようだ。

「イメージのバッティングとかならネット情報で十分足りるからね。でも、街の好みとか、客層はやっぱり出て見るとかなり違うの。総合プロデュースをする会社としては、押さえておくとかなり重要な情報だったりするのよ。ここの部署だけじゃなくて、他部署でもっと有効利用されてるの。クライアントもね。」

 ウチの会社は、三鷹君がアルバイトしていたような小さなデザイン事務所ではない。その感覚を叩き込む必要がある。デザインの先、店の運営も視野に入れなければ内装もデザインもできない。

「作って、クライアントが満足すればいいってだけじゃなくて、その先、経営が上手く行く事まで責任がある。その分やり甲斐もあるわよ」

「そうですね。昨夜も経営の話までしてましたよね。デザインの事ばかり考えてました。チーフ候補生と言う立場を貰って、ちょっと考えが甘くなってました。」

 そこまで考えが及べば大丈夫。

 合格だ。

「わかってるじゃない。配属直後に怒涛の仕事で混乱して当たり前。休憩入れながら、先を考えて」

 飲み終えたカップを持って立ち上がる。慌てて立ち上がろうとした三鷹君を止める。

「休憩して。十分後に帰っておいで。」

「はい。」


 きっちり十分後に帰って来た三鷹君は任された仕事を黙々とこなし、予定通り、いや、予定より早いくらいに今日の分のデータを入力し終えた。

「ん〜。チェックは後回しで良さげだし、二人も今日は社に帰って来るって連絡だったから、コーヒーでも飲んで待ちますか」

 伸びをしながら、三鷹君に提案する。仕事が捗ったので安心したのか、今回は素直に頷いた。

「はい。……あ、他のチームにもコーヒー、持ってっていいですか?」

 早速昨日の助言を実行するらしい。

「大丈夫。いいと思うよ。じゃ、私淹れるから、持って行ってくれる?」

「はい。」

 コーヒーメーカーの横には、それぞれのマグカップが置いてある。記名がある物は少なく、グループ内でどれが誰の物か把握しているのも、各チーム数名だ。外回りが少ないメンバーの仕事になっているからだ。

 残っていたコーヒーを自分のマグと紙コップに分け、新たにコーヒーメーカーを作動させて、それぞれのチーム別にマグカップを分ける。

「三鷹君もマグ持って来てね。経費節約中だから。」

「はい。明日持って来るようにします」

 しばらくコーヒーの香りに浸りながら、自分達のコーヒーを先に頂く。カチッと言うコーヒーメーカーの終了の音を確認して、

「悠香…Aチームに先に持って行こうか」

 各チームの篭っている部屋の様子を覗いてそう告げると、三鷹君は納得の行かない様子で、

「Dチームじゃないんですか?Aチームの方が今大変そうじゃないですか」

「だから、Aチームの方が先。あの様子だと、煮詰まっちゃってるから。切り替えのタイミングをあげないと。」

「あぁ、なるほど」

 そう、つい二時間程前に、三鷹君自身が経験している。

「三鷹君は、ちょっと声掛け辛いかもだけどね。これも経験。見ておいで」

 丁度注ぎ終わったマグカップの入ったカゴを差し出して、行ってらっしゃい、と送り出す。若干緊張の面持ちで受け取り、はい、と頷いてAチームの部屋へ向かう。こちらは次のコーヒーの準備だ。きっと隣に届いたコーヒーに気付いて催促が入る筈だ。

「…よし。さて、三鷹君は、どうかな?」

 問題無さそうだ。チームの面々が三鷹君の持っているカゴに手を伸ばしている。悠香チーフがこちらに気付いて軽く手を上げた。こちらも手を振って応える。

「あ、いいなぁ。こっちもコーヒー淹れてよ!」

 ちゃんとタイミングを見計らったであろう、大里チーフの声が上がる。

「だと思って今準備中です。もうすぐ入りますから、待っててください」

 Dチームから歓声が上がる。とにかく和気あいあいとしている。

 それでもこちらへ手伝いが来ない……手を割けない、と言う事は、かなり手こずっていると言う事だろう。

 Dチームの方のカゴにはミルクと砂糖の準備もする。大里チーフは疲れた時、甘いコーヒーを好む。ここで二度目のカチッと言う音がやっと鳴り、ポットからマグにコーヒーを注ぐ。こちらにも気を向けていたらしい三鷹君がコーヒーを取りにやって来た。

「どう?少しだけど勉強になった?」

「Aチームの把握が少し。Dチームも見せて貰って来ます。」

「勉強熱心だね。……はい、持って行って下さい。」

 敢えて私はここから動かない。両チームとも、まだ応援要請はしていない。まだ帰って来ない我がチームの二人の為に、三度目のコーヒーの準備に取り掛かる。振り返ってDチームを覗くと、悠香チーフ同様に大里チーフが手を上げて礼をしている。シュガースティックを持ちながら。お疲れ様、と口を動かして大里チーフを労って、三鷹君の方へ目をやる。一つ多めに入っていたコーヒーが自分の物だと気付いたようだ。目が合うと、カップを持ってこちらに礼をしている。そこまで確認をして、自分の二杯目に口をつけた。しばらくは大里チーフが新人の面倒を見てくれるはずだ。そのままコーヒーを持って、デスクに戻る。

「さて、二人から連絡入ってるかなぁ……」

 呟きながらメールをチェックする。席を外してすぐに中村君から最後のデータと、今から戻ります、の文字が入っていた。データをこちらに送って来る辺り、流石だ。ユミちゃんからは連絡ナシ。そろそろ帰れそうです、と言うメールを最後に社に向かっているのだろう。

「20分もしたら帰って来るかな。」

 時計を見ながら帰社時刻を予測する。その間に中村君のデータを少し進めるとするか。


 二人が帰社したのは意外と早く、三鷹君はまだ大里チーフの講義中だった。

「早かったね。しかも二人一緒に帰って来るとは思わなかったなぁ。」

「エントランスでばったり会ったんすよー。愛ですかねー。コーヒーにも愛を注いでおきました!」

「最後のデータを送りますね。」

 マグを受け取りながらも、中村君の言葉はスルーだ。

「ご苦労様。三鷹君まだ大里チーフの講義続きそうだから、こっちに送ってくれる?」

「了解です」

「……二人とも、冷たいっす」

 座ったまま女子二人で中村君を見上げて笑う。入社はユミちゃんの方が二年先だが、ユミちゃんは短大出身、中村君は四大出身なので、年齢は同じだ。この二人もお似合いなんだけどなぁ、と思うが、ユミちゃんの社内恋愛拒否の姿勢も知っているので、こちらとしては楽しく観察させていただいている。

「私がデータ整理やってる間に、二人はデザインの確認をお願いね。」

 今日までに仕上げたCGパースを渡す。街の好みを肌で感じて来た二人に見て貰うのは、かなり意見として重要だ。

「うわー。また頑張りましたね。あ、これなんて、私の好みー」

「でも、それ女子限定かもね。色んなパターン考えて出してみたけど。二日分の私の仕事なんだから、心して見てよ。」

「了解です」

 ふざけて二人で敬礼している。パースは机に広げる事にしたらしく、ユミちゃんが早く片付けろと中村君を顎で使っている。無事片付け終えて、六枚のパースを並べてメモ片手に議論が始まった。二人のやり取りのテンポに思わず観察心が疼いたが、持ち帰って来たデータの量を思い出して、仕事に戻る。

「すみません。遅くなりました。」

 大里チーフに開放された三鷹君がそのタイミングでやってきて、少し悩んだけれどデザインの確認に合流して貰う事にした。

「中村君、悪いけど三鷹君もそっち合流して貰うね。」

「仕方ないっすね。仕事ですから。」

 気の回し方に少し照れながら、三鷹君を手招きして説明を始める。こういう時、ユミちゃんは知らないフリをする。また少し観察して、仕事に戻る。それにしても回り過ぎじゃないかと思う程データが集まっていた。


「今日はKeywordのデザインを決定したいと思いますので、よろしくお願いします。」

 クライアントとの打ち合わせが始まった。

 三種類のデザインに絞り込み、手を加えて、三人がプレゼンをする形で説明に入る。意見が三人共別れてしまったので、自分の意見を加えてプレゼンをしてみようと言う事になったのだ。

「ちなみに、チーフはどちらのデザインが気になってらっしゃいますか?」

「一応原案は全て私なので後は奈良井さんの気に入った物で良いと思っていたんですが……予算的に言えば三鷹君のが限りなく削ぎ落とされてます。中村君のが多分金額が上がりますね。」

「予算以外に注目したらどうですか?」

「中村君とユミちゃんーー田山さんの物が動線を良く考えてありますね。後は……お金をかけた分、中村君のは色々使える物が組み込まれています。田山さんのは後々変更がききます。三鷹君のは、後から色んな手を加える事を前提にした設計、予算設定ですね。」

 クライアントがどう、手を入れて行けるかにかかる三パターンのプレゼンになった。

「……まだ迷われるようでしたら、基本を田山さんか三鷹君のデザインにして中村君の気に入った部分を取り入れてもいいですよ。逆に中村君のを基本にして、要らない分を削ぎ落していくのも手ですね。」

「なるほど。これ、と決めてしまわなくても良いと。」

「はい。奈良井さんのお店ですから。来て下さるお客様以前に、奈良井さんが気に入ったお店にしてください」

 オーナーが愛する店は店員も愛する。そして、客もそれを感じて気に入るのだ。

「いいとこ取りをしても構いませんか。」

「もちろんです。イメージを掴み易くする為のデザインだと考えて頂ければ良いかと思います。」

「中村君、念の為に電気配線図と上下水道配管図をコピーして来て。三鷹君は自分のパソコン持って来てここで製図する準備をして。ユミちゃんは飲み物を。」

「はい。」

 三人が返事をして、それぞれに動き出す。

「では、まず気に入られた物を教えてください」


 一時間程聴き取りをして、結局ユミちゃんのパターンを基にして気に入った部分を足して行く形となった。

 三鷹君は手際よくパースを作成してみせ、中村君は建材、ユミちゃんはインテリア関係の候補をそれぞれカタログから見つけ出して、概算を打ち合わせ時間内で決定させた。

「まさかここまで決まるとは思ってなかったですよ。素晴らしいですね。」

「ありがとうございます。できるだけクライアントの手を煩わせる事のないように、大体の検討をつけて打ち合わせに臨んでいますので。もし変更があっても、ギリギリまで仰って下さい。対応出来るよう、発注はギリギリで行いますので。建材カタログも、二〜三日中に手配してお届けします。お手元でじっくりご検討下さい」


「打ち合わせ上手く行って良かったですね。」

「俺の手配が良かったんすよ。」

「お疲れ様。でもまだ始まったばかりよ。これから先クライアントを失望させる事のないようにね。」

「はい。」

 クライアントを送り出した後、コーヒーを片手に、会議室内で一息。プレゼン形式がイメージしやすくて良かった、とクライアントからお褒めの言葉を頂けた。まずは第一段階クリアだ。

「ユミちゃんはこの後打ち合わせの議事録を纏めてちょうだい。」

「はい。施工部にも一部回して日程を決めておきます。」

 返事の後すぐに資料を抱えて会議室を出て行く。

「中村君は現場の再確認をお願いね。」

「はい。」

「現場の確認をするんですか?」

「そうよ。配電だとか、以前入っていた店が図に記載しないまま変更したりしてるかもしれないし。三鷹君も行って来る?二人いた方が捗るし……。中村君教育系よろしくね。」

 急なフリに流石に文句を言いながらも、資料集めるの手伝えよーと言って三鷹君を連れて行く。

「さて。片付けますか。」

 トレイにディスポーザブルカップを集めてまずは隣の給湯室へ運ぶ。別会議の片付け中の秘書課の娘がついでに、と引き受けてくれ、有り難くお任せして会議室に戻り、テーブルと椅子を片付ける。

 佐奈辺りに言わせると、そんなのは若手の仕事だから押し付けるべきらしいが、仕事から離れてリセットしたくて、できるだけ片付けを引き受ける事にしている。ユミちゃんも中村君も、その辺りはよく知っているので、私と一緒の会議や打ち合わせの時は、余程大きな会議でもない限り声を掛けずに仕事に戻って行く。中村君が三鷹君をすぐに連れて行ったのも、三鷹君が片付けに気が付いて、残ると言い出さない内に連れ出してくれたのだ。つくづくいい部下達だ。


 すっきりと片付いた部屋を見回して、気持ちも切り替わる。よし、と指差し確認をして会議室をでる。ついでに他チームにコーヒーでも淹れるか。


「あれ?悠香チーフ自らコーヒー係ですか?」

 部署に戻るとコーヒーコーナーには先客が居て、眉間にシワが寄ったまま、黙々とマグを並べている。

「あ、おかえり。煮詰まり過ぎて上司逃亡中」

「あはは。ダメじゃないですか。じゃぁ私覗いて来よう。」

「よろしく。」

 ああ、これはかなりな感じだな。

 許可が降りたのをいい事に、Aチームへ向かう。空気を入れ替えなくては…。

 Aチームは、手作りアクセサリーのショップを兼ねた、こじんまりしたカフェを創っている。クライアントの思い入れが中々のもので、意向を摺り合わせるだけで、かなり苦労しながらなんとか最終段階にきていた。

「どうですかー?」

 ドアを開けたぐらいじゃ気づきもしない面々にちょっと大きいか?くらいの声をかける。

「Kチーフ……。Aチーフに逃げられました。」

 チーフ付きで、勉強中の神田君が泣き言を言う。

「神田君がそんな事でどうするのよ。チーフなら、コーヒーとにらめっこしてた」

 上に頼りっきりの彼は、時々こうして悠香チーフに放置される。

「何をこんなに煮詰まってるの?」

「えーとですね、クライアントからイメージの変更とテーブルの位置の変更の要望がありまして……」

 今にも泣き出しそうな神田君に変わって、ユミちゃんの同期の弥生ちゃんが答えてくれる。

 しかし……。ここへ来て変更って……クライアントもかなり無茶だな。

 弥生ちゃんが差し出してくれたこの一ヶ月半の経過を資料で確認する。……一ヶ月半前までは、ここで一緒に仕事をしていたので簡単な資料で大体把握できる。

「神田君変更の内容を説明して」

 隣に呼び寄せて図面上で変更を聞く。

 …想像以上に無茶な要求。

「クライアントにはこの壁がもう動かせないって伝えてるのよね?」

「……いえ。取って、とだけ言われて何も言えずにチームに持ち帰って来たので」

 何をやってるんだ!!怒鳴りたい気持ちを俯いて殺し、対応を考える……いや、考えさせるための考えを纏める。

「あ、あのぉ。Kチーフ?」

 黙ってろ、と思いつつ顔を上げて考えを口にする。

「壁自体は、まだ筋交いが見えてる状態なのよね?」

 こくん、と頼りない頷きが帰って来たので、弥生ちゃんを見て再確認する。

「じゃぁ、クライアントに木をもう少し綺麗に加工した現場を見せてみない?建築法的にも、壁を取っぱらうなんて無理なんだし、その説明もしなさいね。」

 意外とお洒落な感じになる筈だ。最初にご希望だった少女趣味からは離れられる筈だ。

 しかも、ここは必要な壁なのだ。お役所のチェックが入った時に、確実に営業が危うくなる。ウチも、この店も。

「後は使い方をその場でクライアントと責任持って打ち合わせしてらっしゃい。」

 神田君は、何とか先が見えたようで、力無いものの、はい、と返事が帰って来た。

 弥生ちゃんはまだ不安そうな顔で助けを求めてはいるが、私ができるのはここまでだ。

 コーヒーもそろそろだろう。

「現場の打ち合わせには、弥生ちゃんも行って見たら?女の子がいた方がこう言うショップは、意見が出るものだから。」

 弥生ちゃんもそろそろチーフ候補になる頃だ。勉強にもいいだろう。

「テーブルは、現場の打ち合わせの時に改めて確認。さぁ、もうひと頑張りしてね。」

 ドアに手を掛けると、ちょうど悠香チーフがコーヒーを抱えてこちらに来るところだった。

 一旦ドアを閉めて声をかける。

「悠香チーフ……」

「待って。先にこれ渡してくるから。二人の取ってくれる?」

 ちゃんと私の分まで準備されていたマグと、悠香チーフのマグを手に取る……まだ中に戻るまで回復していないのだろう。

 ドアは、中から開いた。悠香チーフに気付いた弥生ちゃんが慌てて開けたようだ。

「チーフ……ありがとうございます。あの、…」

「もう少し意見が纏まってからでいいから。Kチーフと話があるの。」

 こちらも相手の話を遮って、カゴをはい、と押し付けて背を向け、ドアを閉めた。

 眉間のシワは何とか無くなってはいるものの、十分に渋面だった。

「どうぞ、と言っても悠香チーフが淹れたんですけどね。」

 少しだけ微笑んで、マグを受け取る。

「ちょっとそこの応接セットまで移動しよう。」

「はい。」


 隣のグループと共有の応接スペースに空きを見つけて確保する。ちょっとした社員同士の打ち合わせの時などに使用する為に設けられている。もちろん、こういった話の時にも多用する。

「悪かったわね。あのまま居続けたらキレそうで、つい逃げてあなたにまで甘えちゃって」

「仕方無いですよ。神田君も頑張ってはいるんですけどね…方向がね…一応正してみましたけど、どうかなあ。弥生ちゃんも付くように指示しちゃいました。弥生ちゃんは大変かもしれないけど、いい勉強だろうと思って。勝手にすみません。」

 両手で包み込んだマグから口を離して、こちらを向く。

「弥生ちゃんが付くなら、それでいいと思う。私が言ったって反発心が出ちゃうだけだからねぇ、神田君は。私と組まない方がいいかもしれない。大里に押し付けよう。」

「グレてるなぁ。今の現場終わったら、押し付けられてやるから、眉間のシワ伸ばしとけ。」

 いつの間にかすぐ横に立って、会話に入ってくる。

「びっくりした。大里チーフやめてくださいよ、驚かすの。」

 近くの空いたデスクから、イスをコロコロさせて、すまんすまん、と言いながら立っていた場所まで来て座る。もちろん応接セットのソファに空きはある。以前どうしてそこなのか聞いたら、どちらかの隣なんて、怖くて座れるか、と言われた。

 そして、悠香チーフは、それはあなたが優柔不断なだけ、と返していた。

「でもさぁ、チーフ会ならオレも誘ってくれよな。んで、何やらかしたの、お坊っちゃん。」

 大里チーフは、神田君をからかってお坊っちゃんと呼ぶ。デザインや建築とは程遠い大学を出たものの、行き先がなかったらしく上の方のツテで入社して来たからだ。

「えーとですね……」

 仕方なく今聞いて来たAチームの内情を説明する。対応についても確認がしたかったので話す。

「やっぱりお坊っちゃんだねぇ。対応もそれしか無いだろうね。ご苦労様」

 ため息混じりで労われる。同情と提案は悠香チーフに向けて。

「眉間にシワも寄るよな、そんなんじゃ。こっちで預かるより、こりゃ部長預かりの方がいいかもしれないなぁ。チーフ会から進言するか。」

「ああ、そうね。音をあげちゃうのもアリかもしれない。」

「大里チーフに賛成です。今回の報告として、部長へお願いしちゃいましょう。」

 これ以上違うチームに関わって行くのも流石に憚る。こういう時ぐらいは、部長に頑張って貰うに限る。

「で、Kチームの新人はどうなの?」

「三鷹君はかなり使えますよ。学校も専門的にやって来てますし、設計事務所でバイトの経験も良い方に働いてますし。助かってます。熱心にこなしてくれてるのでユミちゃんも中村君も動きやすそうです。」

「それなら、ついでに部長預かりお願いしなくて済みそうだな。何か問題が出たら遠慮なく言えよ、二人共。」

「Dチームは、煮詰まってたのは解決したんですか?」

 先日の三鷹君からの情報だと、そんなにすぐに相談に乗るほどの時間ができるようには思えない。

「何、そっちも煮詰まってたの?」

「はっはっはー。や、煮詰まり過ぎてくたくた。とろける寸前。使える新人君が投下してった一言で、 問題が見え過ぎちゃってね。責任取りにきてよ、Kチーフ。」

 待て待て待て待て。投下って。責任って……。

「何も聞いてませんが。投下って何ですか。大里チーフは逃亡中なんですか」

「逃亡中。お願いできない?ヘルプ」

 いやいや……。

「先に状況説明してくださいよ。Aチームと違って、Dチームは一切関わって無いんですから。」

「関わった関わった。部下の三鷹君が投下してった」

「説明になって無いでしょう」

「十分だよ、それで。今から行って来てよ。」

「今からって……人使い荒いですね。」

 こうなると、もう何を言っても無理だ。行くしかない。

 コーヒーを飲み切って、わざとマグを置きっぱなしにして今度はDチームへ。今日はこんな予定じゃなかったんだけどな。

 Kチームの打ち合わせがすっきりして、ちょっと余裕ができるのを、ちゃっかりチーフ達に把握されている。

 Dチームのドアをどうですかー?と言いながら開ける。

「さては、Dチーフにそそのかされて来ました?」

 チーム二番目のお調子者の(一番は、言うまでもなく…)佐伯君がまず現実逃避してくる。

「うん。そそのかされて来た。三鷹君の投下してったモノを回収して来いだそうで。何落として行っちゃった?」

 Dチームらしい、軽口で、会話が始まる。

 こちらのチームはアパレル関係の店舗だというくらいの把握しかしていない。

「あ、じゃぁ纏め読んでください。その後三鷹君が投下して行ったんで。」

 三鷹君にまで纏めを渡したなんて、よっぽど行き詰まってたんだな、とちょっと首を出した事を後悔する。

 今までの纏め、つまり経過報告書を椅子に座ってじっくり読みにかかる。

 Dチームはデザイナーズブランドから独立して、マイブランドを立ち上げ、その第一号店となる店舗だった。要求も責任もかなりシビアで、また、今後がかかった重要なクライアントと言える。

 新しいモノを創り上げるには、生みの苦しみが付いてくる。

「デザインはある程度クライアントから出てたのね。」

「イメージというか、ラフ画を持参されて。物件的に無茶な所を直してゆく作業が多かったですね。」

 さっきの壁と同じだ。クライアントは、建築法には疎いものだから、仕方無いのだけれど。

「譲ってもらえたんなら良かったじゃないの。わかってくださるクライアントなんでしょう?」

 纏めのページを繰りながら話す。

「ん?何かおかしくない?何この違和感」

「あぁ、やっぱり。流石です。それですよ、回収してって欲しい問題。」

 違和感が問題?

「あっっっ!!なんで気付かなかったの?そうか。クライアントがイメージを持って来たからか。」

 クライアントが商売人じゃなくて、デザイナーだったから。

 気づいたら、とにかくおかしくて、大笑いした。……店なのに、レジが無い。

「酷いですよ、Kチーフ。そこまで笑わなくたって。置き場所が無いんです。予算もいっぱいいっぱいで、難しいんです。」

 流石のお調子者も大笑いされて、少ししょげている。

「ごめんごめん。で、またクライアントは、夢が壊れるから、レジ置くなみたいな感じなんでしょ」

「なんでそこまで見透かされてるかなぁ」

 ここまできて、困り果てているという事は、それくらいの事情があるに決まっている。

「まあ、そこまで落ち込まなくても。解決策は、簡単だから。」

「え?」

「百貨店みたいに、お金を預かってレジまで店員が行けばいいのよ。」

「だから、レジのスペースも、どころか、レジ買えないんですってば。」

「まあ、ちょっと落ち着いて聞きなさいって。」

 立ったままの佐伯君を隣に座らせる。

「休憩室がすぐ隣にあるじゃない。お誂え向きにパソコンまである。」

 言いながら、デスクのパソコンを立ち上げ、インターネット接続して目当てのサイトを開いて見せる。

「レジのカタログだけを見て、値段が高い、スペースを取るって思ってたんでしょう?こう言う時は、ネット検索が一番いいのよ。」

 こんな物は簡単に出て来るのだが、つい、値段とサイズ見ておいて、と指示を出し、出された方も素直にそれしか見ない。

 だいたい、改装だったりすると、レジの手配なんかしなくても大丈夫な時もあるので、発注が無くても気にならなかったりする。

「そうか。パソコン。今時タブレットでも、スマホでもレジのモニターになるのか。」

「これくらいなら、休憩室でなくても、御直しスペースのこの台の上だっていいと思うけど……クライアント次第かな。で、予算がこの周辺機器の分だけ捻出できれば大丈夫かな。まあ、レンタルって手もあるし。」

 佐伯君は食い入るようにモニターを眺め、連絡先をチェックしている。

「あとは、この後のバックアップ部隊に商品管理と経理のできる人をしっかり指定しておくのね。」

「どうしてですか?」

 まだ三年目の真弓ちゃんから質問があがる。流石に私から説明をしなくとも、佐伯君はもうわかっている。

「クライアントがデザイナーだから。多分、金勘定で仕事をして来てない人なんだよ。デザインに没頭して来てて、管理だとか、計算は人任せなんだ。そう言うスタッフを育てられる人を付けないと、せっかくの新ブランドがすぐ崩壊だ。それはそれでこっちも手痛いからね。」

 二号店、三号店、と続いて行く事を見越したクライアントだ。総合プロデュースの腕の見せ所だろう。

「よく出来ました。でも、パソコンでレジなんて皆知ってるもんだと思ってたんだけど。意外と盲点なのね。皆スマホでアプリとか、新しいの使ってるのにねー。」

「最先端にいるのは、若い人じゃなくて、Kチーフみたいな頭の柔らかい人なんですよ。」

「持ち上げたって、これ以上何も出ないからね、真弓ちゃん」

 そう言って、立ち上がり、小さく手を振って部屋を後にした。

 意外と早い応接スペースへの帰還に大里チーフが訝しむ。

「お前、ちゃんと解決して来てくれたんだろな……」

「しょーもないミスっといて逃亡中の大里チーフは、とっとと戻って仕事をする事をオススメします」

「しょーもないだぁ?クライアントが凝り過ぎて四苦八苦だったんだからしょーがないだろ。」

 いい大人が、豪快に不貞腐れている。クスクス笑っていると、黙って経過を聞いていた悠香チーフが我慢できずに尋ねてきた。

「ナニナニ。そんなに楽しいミスなの?教えてよ。」

「聞いてくださいよ。販売店舗なのに、レジ、忘れてたんですよ。しかもスペースも予算もなくて、クライアントも店舗内に置きたくないときた。」

「パソコンでやりゃいいじゃん。デザイナーさんでしょ?タブレットでも持ち歩いてんじゃないの。」

 あ!と叫んで大里チーフが立ち上がる。椅子がコロコロと後ろまで転がって行く。そのまましゃがみ込んでテーブルに突っ伏す。

「そうじゃん。パソコン。いかにも有りそう」

「有りそうじゃなくて、あるんです。今時」

 悠香チーフもあるある、と頷いてくれる。逆になんでDチームが誰も知らなかったのかと、思い始めた。

「Dチームって機械に疎い人が多かったりします?」

「疎いって言うか。アナログ派が多い。パソコンより手足、人脈で動き回る。要件しか言わないから、そう言う奥の手みたいな情報が来ない」

「これが面倒臭がりだから。色々調べずにピンポイントすぎるのよ。」

 悠香チーフのダメ押し。笑うしかないねー、と二人で笑って益々落ち込む大里チーフ。

「ほら、早く行きなさいよ。上司のハンコ待ち状態よ、きっと」

 悠香チーフが足で(!)つついて大里チーフを立たせる。

「えーと。笑ってくれてありがとう。」

 変な捨て台詞でチームに戻って行った。

「販売店でレジがそれぞれが持ってるタブレットとか、カッコいいですよね。今度機会があったら提案してみよう」

「そうね。Aチームにも提案してみよう。スペースができて何か変わるかもしれない。」

 良かった。Dチームのお陰で、悠香チーフが浮上できそうだ。


 終業時刻には、三チーム共に良い進捗状況を部長に報告できた。Dチームの報告中に、他チームのチーフ二人が笑い出して睨まれた。三鷹君は事情を知っているので、苦笑いしていた。

 そんな彼をさかなにすべく、大里チーフが、言い出した。

「落ち着いたから、Kチーフ昇任祝いと、三鷹君配属祝いを兼ねて今晩どうかな?」

「伸び伸びになっちゃってたからね。今日ならうちのチームもいいかな。一回ここらで気持ちを切り替えて、最後乗り切らないとね。」

 そこまで決まると、部長が率先して参加者を改めて確認する。チーフ陣は、仕事を片付けるべく、主だった者に指示をしていく。後にお楽しみが控えている分、疲れ切っている筈の皆の動きが良い。

「おいおい。普段からこの感じで動いてくれんかね」

「部長に一番言われたくないなぁ。」

「だよな」

 誰となくそんな声が漏れて、

「部長がいるからこのグループがあるんだからね。まあ、存在感はオレが上だけどねー。」

 戒めにも敬意にも程遠い部長への言葉に悠香チーフの言葉がのしかかる。

「そこの人。今日は二人分あなたの奢りだからね。」

「えー、お前も助けて貰ってたよね?」

「ウチは、元関係者だし、ミスにはすぐ気付いてたし」

「あーー!わかった。それ以上は、言わなくていい。」

 二人のやり取りにDチームが苦笑し、分からない面々は、この後大里チーフをからかうネタとばかりに、興味津々の顔になる。

「やったあ。私も奢ってもらえるんですねー。ごちそうさまです!」

 言い合いがエスカレートする前にそう言って二人の間に割り込む。

「店も押さえられたので、移動しませんかー?片付け担当も終わってるようですし。」

 更に宴会場所の確保係を任されていたユミちゃんがそう言って皆を見渡す。

「早かったねぇ。今日は外回りがいなくて、全員参加で人数も多かったのに、流石だねぇ」

 人数の把握をしていた部長が感心している。それにしても確かに早い決定だ。声を掛ける店を決めていた?

「ユミちゃん、どこに予約取ったの?」

「チーフが行きたいって言ってたから。フォレストです。」

「ええッ……!あっ!失礼しました。」

 誰よりも三鷹君の反応が早くて、これにはKチームが大笑いし、多少事情を把握しているであろう部長とチーフ陣が、にやにや笑う。

「良い反応じゃないの。覚悟して行くしか無さそうだねぇ」

 先にやられている大里チーフが、矛先が変わったのをいい事に、三鷹君の反応を誰よりも愉しんでいる。

「さぁさぁ、話しはフォレストで!行きますよ」

 ユミちゃんの一言で、それぞれが出かける準備に取り掛かった。


「いらっしゃいませ。」

「ご無沙汰してます。なかなか来れずにすみません。」

 本当に嬉しそうに出迎えてくれた高山店長に、こちらも思わず顔がほころぶ。

「いえ。皆さんお忙しいでしょう。こちらは担当の湯川さんに良くして頂いています。それに、創からも皆さんのご活躍は、伺ってます。」

「余計な事言うなよ」

「創って三鷹君の事か。従兄弟だったっけ?」

「はい。ご迷惑おかけしてませんか?私が東京では保護者がわりなので、何かあればいつでもおっしゃってください」

 テーブルへ案内してもらう間、中村君が高山店長とやり取りしながら、三鷹君をからかっている。最近は三鷹君も馴染んで来て、中村君とはいいコンビになっている。

「では、こちらのステップ階で皆さん寛いでください。」

「Kチーフがこだわったステップ階!」

 フォレストは広くて、入ってすぐ右手にオシャレな階段がある。くの字に折れて二階に行く構造になっている。ちょうど折れ曲がった奥にスペースを設け、中二階が設置されている。

 結婚式の二次会を開けるような店内と言う店長の希望に応えて、高砂をイメージして作った。一階からは、二階に続く階段の他にも、ちょうど中央に階段がある。

「二次会どころか、結婚式が出来そうですもんね。」

「有り難い事に、レストランウェディングが流行ってくれたので、毎年何件かステップ階を教会に見立てて、式を挙げるカップルがいらっしゃいますよ。」

「Kチーフ!凄いですね~。そうやって聞くと、何だか嬉しいですね!」

 ユミちゃんがウェディングの言葉にちょっとした憧れの眼差しになって、照れ隠しにオーバーに喜ぶ。

「私は、何度か湯川さんから聞いてるけど、高山店長に改めて聞くとやっぱり嬉しいわね。」

 かなり冷静な受け答えをして、言うなら今だぞと目で訴えながら中村君を見る。

「いいっすよね、ここ!どう、ユミさん、今から模擬挙式で階段上ってみない?」

 ちょっとカッコをつけて、ユミちゃんに手を差し伸べる。

「やってみたい!けど、相手は、選びたい……けどこの中じゃなぁ。仕方ない。今だけ許可してやろう。」

 そう言って手を取り、腕を組む。意外な反応に、周りが先に驚く。

「マジかっ!やったなぁ!中村ー。」

「よっ!ご両人!」

 反応が遅れていた中村君は、今頃

「ホント?ホントに?ユミさん。」

 と涙目になっている。

「泣く程じゃないでしょ。本番は、相手選ぶから。」

「それでもいいっす。腕組んで歩けるだけで幸せっす」

 一歩、ユミちゃんが歩み寄った感じが、たまらなく可愛い。

「ピアノ借りますね」

 階段下のスペースに置かれたピアノに向かう。久々だけど、大丈夫だろう。後輩二人に、今、贈りたい。

 結婚行進曲。ピアノの音に、後輩達が振り向いて、喜んでくれている。

「上手いもんだな。」

 弾き終えて最後尾のチーフ陣に追い付くと、大里チーフに驚かれた。

「ありがとうございます。」

「器用だからね。何でもこなしちゃうのよ。また惚れ直しちゃった?」

「お前なぁ。俺見くびり過ぎ。」

 今ならこんな事を言っても許されるか……。

「お二人も歩きます?ピアノ弾きますよ」

「模擬でも、今はパス」

「だそうだよ。」

 許されはしたが、軽く流されてしまった。

「うぉー。感激したっす。Kチーフありがとうございます!」

 上から見つけて派手に頭を下げる。

「Kチーフ、本番の時もお願いします!相手変わると思うけど!」

「ユミさん。それは無いですよ……」

 感激もどこへやら。周りも、それでもいいって言ったのお前だろう?と笑う。

「ほら、早く座って注文しなきゃお店に迷惑だよ。」

「大里さん大丈夫ですよ。予約いただいた時に田山さんから人数とコースのご注文もいただいてますから。」

「さすがユミちゃん。抜かり無しね。」

「仕事柄、お店の効率を考えちゃいますから。当然です。でも早めに着席しないと、乾杯の前に料理が出て来ちゃいますよ。それと、ドリンクは自分で決めてください」

 この卒なく取り仕切るのも彼女の才能だなぁと感心して観察していると、三鷹君がどこに座ればいいですか?と声を掛けてきた。

「多分チームで落ち着くんじゃない?」

 こう言う時は大概チームでまとまって座る。Kチーム同様、Aチーム、Dチーム共に四名編成になっている。

 プラス現場とチーム、他部署の絡みの補佐が、今一名ずつ付いている。彼らはチームが現場を掃けた後もしばらくの間店舗の補佐をする。部長も一応その位置でもあるのだが、よほどの事がない限り二人で回している。

 理由はもう、言うまでもあるまい……。

「と言う事は、俺はKチームに合流かな?」

「そうですね。で、真ん中のテーブルを空けてあるようなので、座りますか。」


 仕事が一段落した…Aチームは微妙だが…後の宴会の場は随分賑やかだった。半分以上が関わった現場だったのも、盛り上がった理由かもしれない。増して、主役と唱われた二人共が関係していれば尚更だろう。Kチームの飲み会よろしく、三鷹君は散々からかわれる。

「じゃぁ、三鷹君はKチーフと仕事したくてウチ志望したんだ。」

 知らなかった他チームメンバーにもバラされて、アルコールのせいなのか、照れのせいなのか、三鷹君は真っ赤になっていた。しかも従兄弟の店長までが追い打ちをかける。

「私より現場を見に行ってたんじゃないですか?ここが凄い、あそこが凄いってうるさかったですよ」

「だから!余分な事言うなって」

 他に食いかかれないだけに、高山店長には相当の勢いで食って掛かる。酔いも手伝ってか、若干イントネーションが変わっている。

「三鷹君、地方から来てるんだっけ?さっきも高山店長が東京では保護者代わりって言ってましたよね。」

「聞いてませんか?奈良出身で、大学からこっち出て来てるんですよ。大学じゃ気にしてなかったのに、会社じゃ方言気にしてるんだ」

「だっ…だから!余分な事言うなって言ってるやろ!」

 言語中枢完全崩壊だ。見事に関西弁のイントネーション。

「いいじゃない、関西弁!Kチーフも関西出身でしたよね?」

「えっ!そうなん?」

「チーフの事になると食い付きいいなあ、三鷹」

「高校からこっちだから、出身は関西でも、地元はこっちって感じかな。」

 日本の高校に通いたくて、両親の海外赴任に付いて行かずに祖父母宅に住む方を選択した。

「なんだなんだ、チーフがどうしたって?」

 Kチームの会話に、いい加減酔いの回った大里チーフが入ってきた。

「Kチーフの事ですよ。Dチーフと違って頼りになるって話してたんです。」

 弥生ちゃんからDチームの話しを聞いていたらしいユミちゃんの辛口にもめげず、大里チーフは返す。

「Kチーフが優秀なのは、知ってるさ。チーフ昇格は遅かったくらいだと思ってるよ。」

「随分と推してはいたんだけどねえ。不景気も影響したらしくてね。タイミングが悪かったね。力及ばずで申し訳無い。」

 こちらもかなり出来上がってきた部長が、泣き上戸発揮だ。

「はいはい。部長も馴れない部署でご苦労様。でも、ここを救ってくれたので、感謝してますよ。」

 悠香チーフが合流して、部長を慰めている。いつの間にか、上役とDチームという、変則テーブルになっている。

「そう言ってくれると有り難いねぇ。これからも頼むよぉ。」

 酔った時の決まり文句だ。人の丸さを買われて、かなりぎこちない、居心地の悪いグループを何とかして来いと営業畑から放り込まれた。当時もう一人居た元凶のチーフを上手く宥めて反省を促し、退社を決意させ、グループは丸く収まった。目の敵にされていた悠香チーフが壊れる寸前だっただけに、かなり現チーフ陣は感謝している。

 しかし、この酔っ払いは、何とかする必要有りだ。このままこの人は泣き続けるのだ、毎回。

「勿論ですよ。ところで、今奥様からもうすぐ迎えにいらっしゃるって連絡がありましたよ。ご家庭でも大事にされてらっしゃるんですね!」

 白々しい悠香チーフの言葉で、もう何とかされていると気付く。テーブル合流前に、元社員の部長夫人に連絡を取って、話し掛けてきたのだろう。夫人も件の異動でとばっちりを被っていて、退社して部長のサポートに回ることを選択した。悠香チーフとは同期で、女同士相談に乗った事もあったようで、プライベートでも未だ親しくしている。

「そうか、そうか。帰る準備をするか。」

「はい。」

 そう答えて部長の荷物をまとめる。少し早いかな、とも思ったが、今のうちに何とかしておきたい心境が勝った。迷いが顔に出ていたのか、悠香チーフに耳打ちされた。

「大丈夫よ。始まりの時間を連絡してこれくらいでお迎えよろしくねって言ってあったの。さっき確認したら、すぐ近くだって言ってたわ。このまま入り口まで連れてっちゃいましょ」

 悠香チーフにしても、夫人にしても、慣れたものなのだろう。さすがだ。

「部長、入り口までお見送りします。荷物は持ちましたから。歩けますか?」

 覚束ない足取りだったので、一応大里チーフが肩を貸し、悠香チーフが先導して歩いて行く。その後ろを荷物を持って付いて行った。チーフ三人に連れられ、グループメンバーからお休みなさい、お疲れ様でした、の声が飛ぶ。とにかく居心地の良いグループなのだ。

「ん、ん。お疲れ。」

 嬉しそうに見送りの言葉に応えて手を振りながら、よたよたと入り口に向かう。自ら築いたグループの居心地に満足している笑顔だった。早く、部長も希望の部署に戻れればいいが。

「部長も、営業に戻れるといいですね。」

 ぽろっと呟いた言葉に部長が立ち止まって答える。

「Kチーフは、部長が俺じゃ不満かぁ。俺は結構気に入ってるんだけどなあ。」

「あ、いやぁ、聞こえちゃいました?私は部長が営業に戻りたいと思ってましたから。結構気に入ってくれていて、嬉しいです。」

 率直な気持ちだった。この温和な部長は、ふらっとどこへ行こうとも、大事な存在なのだ。

「私も、部長が気に入ってるなんて言うと思わなかったから、びっくりしたなあ。」

「女性陣は、男性陣を少し見くびり過ぎだと思うよ。もっと信頼してくださいよ。」

 大里チーフに抗議を受けて、二人して笑いながら、済みませーんと反省色の無い返事を返した。と、ちょうど入り口に部長夫人が姿を現し、手を振って合図をし、合流、引き継ぎが始まる。

「お迎えご苦労様。今日はまだ四、五杯なんだけど、酔うの早かったみたい。この所忙しそうだったからね。まだ帰り道、話が続くんじゃないかな」

 悠香チーフの引き継ぎに、はい、了解、と部長の腕を取りながら答える。

「チーフさん達ありがとう。BGMが泣き言じゃない事を祈りながら帰るわ。これ、昇格祝いと、配属祝いと、今日の会費ね。」

 封筒に入れて準備して来るあたり、本当に頭が下がる。

「ありがとうございます。」

「頑張ってね。それじゃ連絡ありがとう。」

「ん、歩けるから、お前ら戻っていいぞー。」

 静かに引き継ぎを聞いていた部長がシッシッ、と手を振る。今日は案外酔ったフリをして、早めに抜ける算段だったのかもしれない。気を遣い過ぎる人の代表がここにいた。

「部長、お疲れ様でした。ご馳走様です。」

 色んな意味を込めて、御礼を言う。

「ん、Kチーフ頑張れよ。お疲れさん。」

 部長夫人も微笑んで、お疲れ様、とチーフ陣に挨拶をして仲良く帰って行った。

「なんか、素敵ですよね。」

「部長なのにねぇ。」

「部長なのにな。」

 珍しく大里チーフの同意が入って、悠香チーフと顔を見合わせて、うわっ!とだけ言ってテーブルに慌てて戻ろうとすると、大里チーフの嘆きが聞こえて来た。

「お前らはホント俺を見くびり過ぎだって」


「おっはよー。」

 景気良く、肩を叩かれ、頭がガンガンしている上に、肩までジンジンし始めた。ああ、最悪の朝だ……。

「おはよ……悪いけど声のトーンを下げてちょうだい……。」

「やだ、珍しい。あんたがまさかの二日酔い?」

「そのまさかだから、困ってるのよ。楽し過ぎて、ハメ外し過ぎたのかも。どれくらい呑んだか覚えて無いのよね。」

 不覚。昨夜は楽しく呑んで、機嫌よく帰ったのに(しかもちゃんと覚えている)二日酔いとは。

「本当に珍しいな。大学のいつぞやの新歓以来か。」

 ああ、恭弥もいたんだ。

「あったわね、幹事押し付けられて、呑まざるをえない状況で、グデグデになって記憶の無い新歓!あいつら絶対許さん。」

「私の知らないネタで楽しまないでちょうだい。」

 すかさず佐奈が彼女の主張を……。

「あれ。一緒に来た?」

 何気ない違和感。気付いて、上手く行ってる二人に安堵する。

「こんな二日酔い女、放っておいて二人で出勤すれば良かったのに。それとも何か報告でもあるの?」

「無い事も、無いかなぁ。」

 佐奈のはぐらかす言い方に、そわそわして恭弥が逃げ出す。

「俺、先に行ってるわ。」

 最後まで言い終わるかどうかのタイミングで、もう早足で去って行った。

「逃げたわね。」

「うん。逃げたね。まぁ、私から報告すれば良い事なんだけどねー。」

「何よ、一体。ってか、最近毎朝一緒に来てるの?」

「今朝が初めて。まぁ、そういう事。まさかの久々のあんたの出勤時間かぶりで、会っちゃうって言う……。」

 なるほど。そういう事。女同士ならそんな事でも、そこに男が入ると話し難くなる様な事があったと。でも気にする様な仲か?とも思うが……。

「恭弥って何気に恥ずかしがり屋さんなのかしら?」

 真顔で呟いたら、佐奈に爆笑されて、一瞬遠のいていた二日酔いの頭に響いた……。


「おはようございます。」

「おはよう。あら、ここにも二日酔い」

 佐奈の笑い声にかなりやられて、やつれ切った顔をしていたのだろう。一目で二日酔いだと悠香チーフにバレてしまった。

「そんなに呑んだとも思わなかったんですけどね。年かなぁ。で、他に誰が二日酔いなんですか?それこそ私が一番呑んでたと思うんですけど」

 グループで一番の呑兵衛が自分であることは周知の事実だ。昨日は更にペースが良くて、ついて来て呑んでいる人も無かったと思ったが。

「Dチーフが撃沈してます。三鷹君も微妙なところですね。」

 悠香チーフと軽く打ち合わせ中の弥生ちゃんが状況を報告してくれた。

 そういえば、新歓の話が出て、今日は新歓だったなー、と言われて呑まされていた。

「三鷹君やっぱりお酒弱そうだね。今度からは気をつけよう」

「Kチーフが呑むから、新人君も祝って貰えって、つい呑ませちゃったからなあ」

 撃沈のはずの大里チーフがいつの間にかやって来て、話に紛れる。

「そして、調子に乗ってちょっと付き合って呑んだだけで撃沈するんだから、いい加減年と酒の量を覚えなさい。」

「お酒はそんな事考えずに呑むから楽しいんです。」

「まるで夫婦の掛け合いですね~」

  弥生ちゃんが二人を茶化す。禁句なんだけどなーと思いながら、ホントだよねーと、この際乗っておく。

「さて、私は仕事始めようっと。お二人はごゆっくり。」

 大人の余裕を見せて、悠香チーフはにっこり笑って手を上げただけだった。大里チーフは聞いていたのかいないのか……既にテーブルに突っ伏していた。

 昨日何とかアポを取り付けたそれぞれ部下達が、今日はクライアントの所へ顔を出しに直行する為、両チーフはのんびり残務整理で暇なのだ。Kチームは一段落は着いたが、次の仕事が待っているので、一緒にのんびりとはゆかず、二日酔いの頭を振って、工程のチェックに取り掛かる事にして、デスクに向かう。見ればもう一人の二日酔いが突っ伏していた。

「あら。そういえば微妙なのが居るって言ってたわね。」

「おはようございます。すみません。何とかします。」

「しょうがないわねー、と言う私もかなりのもんだけど。」

 どうやら笑う余裕も無いらしい。かなり堅い顔で―しかも顔色も悪い―パソコンを眺めている。

「薬でも飲む?コーヒーがいい?」

「いや、えーと、自分で……」

 立ち上がりかけた三鷹君を手で制し、座らせる。

「あそこ行くまでに吐きそうな顔してるもの。その方が大変だから。こりゃ、両方ってとこね」

 鞄から取り出した薬を渡し、コーヒー用意して来ると言って立ち上がる。自分自身は、チーフ達とお喋りしている間にほぼ通常形態になっていた。

「コーヒーいる人!」

 声を上げ、殆ど手が上がったのをやっぱりかー、と眺めて笑い、準備に取り掛かる。

「俺にもくれ!!」

 廊下で声を聞いたらしい部長が隣まで来て注文していく。

「大丈夫ですよ。ちゃんと人数に入ってます」

 セットし終わったところで、マグ二つに水を汲み持って行く。

「はい、これで薬飲んで」

 三鷹君のデスクに置いて、薬をもう一つ取り出して大里チーフにマグと共に届ける。

「ほら、大里チーフも。薬飲んでください」

「うわ、気が利く。ありがとう。誰かさんとは大違いだ」

「残念ながら誰かさんはそういう呑み方をしないので、そもそも薬なんて持ち歩かない人でしょ。大体こんなもん、自分で用意して仕事に臨むべきなんじゃないですか?」

 誰かさんが答える前にこちらから非難の応酬をする。この人も甘え過ぎだ。

「悠香チーフ、甘やかしちゃダメですよ」

「甘やかしてるのは、あなたでしょう?」

「これは、甘やかしてるんじゃなくて、働け!って鞭を打ちに来てるんです。仕事させないと」

「ひっでぇー」

 自業自得の人が何を、と二人で笑う。

「コーヒーも持って来てあげますから、仕事してくださいね」

 薬を飲み終えたマグを回収してコーヒーコーナーへ戻る。

「相変わらず的確な判断ですね、Kチーフって。では、私も仕事に戻ります。お二人はごゆっくり」

 弥生ちゃんが素直じゃない二人にトドメを刺して行った。


 結局二日酔いの二人は使い物にならず、みんなでいじり倒して一日が終わった。三鷹君の恐縮っぷりがふてぶてしい大里チーフと比べて可愛くて、女性陣からモテモテだった。

「良く馴染んできたし、人気もそこそこ。上手くやってけそうで良かった」

 帰宅後チューハイを煽りながら、新人が上手く行っている様子にホッとする。

「あとは、あの二人が落ち着いてくれたら部長も安心するのにな…」

 自分もそれでようやく落ち着ける。

 悠香チーフが壊れかけた時、当時付き合っていた二人までぎくしゃくした。相談をして来た大里チーフに、しっかりしてください、あなたがそんなんでどうするんですか、あなたしかいないんですよ、と説得している様子を見掛けた悠香チーフが勘違いをして、色々こじれた。まだ社員だった悠香チーフの同期、部長夫人が中に入って助けてくれた。

 二人はその時のままだった。私自身尊敬している二人が、私が誤解を与えた結果でそのままだった。押し過ぎない程度に周りは促し続けている。

 そして、自分自身が壊れずに済んだのは、二人の友人のお陰だった。この二組は何が何でも幸せになって貰いたい。



 

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