タイトル未定2026/02/17 16:40
会社に着くと、チーフ達がバタバタと走り回っていた。
「珍しいですね。二人とも走り回っているなんて」
ユミちゃんがそう言うと、悠香チーフに聞こえたらしく、
「やっと帰ってきた!ごめん、手伝って!」
と応援要請が入った。
「まずは状況を説明してください!」
「お坊ちゃんが……」
神田君か……。
「とりあえず時間が無いんだ。数が両方の……PもRも足りないんだ。佐伯と弥生ちゃんに資料を見せて貰って確認してくれ」
発注ミス。多く発注してなかっただけマシと思うしかない。
「部長は?」
「社長に報告と、なんとかならないか直談判に行った」
こっちも全員の手を割くわけにはいかない。
「中村君と三鷹君はkeywordの方を任せた。できるだけ早く合流する。ユミちゃんはこっち手伝って」
「はい」
三人が一斉に返事を返してくれる。
「佐伯君、弥生ちゃん、足りないのは備品?」
PもRも小型店舗で、そこそこ進んでいるはずだ。
「それが大きいものもあって……」
手元の資料のチェック項目と赤字の数量をを見て一瞬クラっとする。
「……なんであんな子に任せてたん……」
「チーフ、それは今言っても……」
ユミちゃんにそう言われて気を取り直す。
「ごめん。えーと、どこまで手配進んだ?」
「小さな備品はなんとか手配間に合いそうです。問題はこの辺りの……特に床材が」
「工期は?床ならギリギリまで延ばせるから、施行順をうまく変えられるように現場監督捕まえて話そう」
「ああそうか、現場監督。Rチーフ!大里チーフ!」
Pチームの確認中で呼ばれても中々気付かない。大声を出しても無駄と悟って、側まで行く。
「大里チーフ。現場監督には連絡取りましたか?」
「うわぁ。そうか、監督。悠香は監督と連絡誰かとったか?」
悠香チーフも頭を振っている。
「現場監督誰ですか?私が連絡取っていいですか?」
「頼むわ。細々とした調整してるから」
パニクって、いつもならすぐ出来そうなことも手こずっているようだ。
「佐伯君、弥生ちゃん、現場監督に連絡を取ってくれる?」
「電話で話しますか?」
「直接会って話したいかな。来て頂けると有難いけど、無理なら行く」
他の現場に入っているなら、こちらから行くしかない。
「ユミちゃん、Pチームの施行予定確認してくれる?」
「了解です。で、順番を調整ですね?」
「うん、そう。お願い。私はRチーム調整してみる」
まさか最後の最後までトラブル処理になるとは……。神田君よ、この餞は無いよ……。
等と思っている暇は無い。備品の入荷予定と施行予定を照らし合わせていく。
「意外とR行けるかも。一日二日ズレる程度だわ。床材だけ監督に頭下げてラストでなんとかするしかないわね」
「Pは順番めちゃくちゃになりそうです。皆さん予定空いてるといいんだけど」
状況を目の前にして、さすがのユミちゃんも天を仰いでいる。
「さてと、監督連絡ついたかなぁ」
「その前にPとRで職人さん都合出来ないか確認しよう」
「そうか、その手があったか」
「怒られるのは覚悟だけどねー」
今度はそれぞれの施行予定と施行者を突き合わせていく。
「ここ、同じ職人さんだから予定をPとR入れ替えて貰おう」
「ここも。予定入れ替えで行けそう」
少しずつPチームの方も明るい兆しが見えてきた。
「両方の監督仕事終わりの18時頃なら行けるって連絡くださいました」
残業確定。
「監督達も仕事終わりに申し訳ないとしか言えないわね」
「Kチーフ、資料完了しました」
引き継ぎ作業をしてくれていた二人が資料を持って来た。
「ありがとう」
受け取って今度はこちらの確認作業。
「……OK。これで湯川さんに引き継ぎできるね。湯川さんにいつ頃になるか聞いておいて。状況もさらっと説明しておいてくれる?」
「その後こっちの手伝いをすればいいですか?」
「湯川さんの予定次第でこっちよりあっちの手伝いかな。まあ、先に会議室押さえて準備してからだけどね?」
「あ……そうですね」
「三鷹、チーフの手伝いしたいのはわかるけど、こっちもチーフの為に動いてんだからな?」
「わかってますよ!」
随分とイライラしてる。
「もしかしてコネの話を思い出してイラついてる?」
図星だったのか、黙り込んだ。
「コネだろうがなんだろうが、迷惑かけるかかけないか、そんな分別出来ないヤツと同じだとは思って無いわよ?」
背中をぽんぽんと叩いた後、グッと押して仕事に向かわせる。
「ほら、早く終わらせてこっち手伝ってよ!」
「はい」
素直に自分のデスクに向かう三鷹君を見送りながら、同じように嬉しそうな顔をしてついて行こうとする中村君に声をかける。
「中村君、後は頼んだよ」
「はい」
いつもに増して頼もしい返事が返ってきた。みんなの成長が嬉しすぎてにやけていると、それに気づいたユミちゃんにからかわれた。
「にやけ過ぎですよ、チーフ」
「嬉しいんだもの、仕方ないじゃない?そう言うユミちゃんもニヤけてるわよ?」
中村君の成長は間違いなくユミちゃんの影響だろう。そりゃ嬉しいよね、と二人でにやけていると、経過を伝えに来た悠香チーフに見られた。
「なに?こんな時に」
「こんな時じゃないと見られないものがあるんです」
珍しくユミちゃんが先に悠香チーフに言い返した。驚く悠香チーフに、
「ね?」
と言うと、笑いだした。
「そうね。このメンバーならこの先も安泰ね」
そう言って経過報告を始めた。
チーフ三人と監督達との緊急会議も済んで、変更点をまとめた資料作成も済んで、帰るでもなく、コーヒーメーカーに向かった。
「全部なんとか丸く収まって良かった」
「発覚した時はどうなる事かと思ったけどな」
チーフ二人並んで仲良くコーヒーを飲みながら、そう私に話しかけてくる。ついその距離の近さににやけると、二人に怪訝な顔をされた。
「すみません。二人の自然な距離に安心感が顔に出てしまいました」
そう言うと、二人はお互いの顔を見て苦笑して、こちらに向き直して笑った。
「そうか、今までの距離って傍から見たら不自然だったんだな」
「ごめんね。お互い意地っ張りだから、心配掛けちゃって」
「こんな時じゃないと見られないものがあるんです、てことで。怪我の功名かな。安心して関西支部に行けます」
少しの沈黙の後、二人は微笑んでいってらっしゃい、と言ってくれた。
翌日出社すると、エントランスで声を掛けられた。
「おはよう。昨日のトラブル対応お疲れ様」
「あ、湯川さん。おはようございます」
結局昨日の湯川さんとのやり取りを男二人に任せてしまった。
「keyword、後はよろしくお願いします。引き継ぎ顔出せなくてすみませんでした」
「仕方ないよ。緊急すぎたからね。さすがにさ。まあ、あの二人も見た目よりしっかり者だから心配いらないよ。じゃ、僕はこの後一日中現場だから。またね!」
そう言って颯爽と出かけて行った。
「それ伝えるためにわざわざ待っててくれたのかな」
どうしてこう、ここの人達は世話焼きなのか……。
「……私もか」
事務所に着くと、元KチームメンバーがRチームに合流していた。チーフとして、自分のチームをせっかく持てたのに、という思いが過ぎる。
「さて、片付けしなくちゃ」
大方の荷物は以前に送ったので、デスクに残っているのは、keywordに関する資料や、文房具、製図道具くらいだ。
「おはよう。明日やること無くて困りそうね」
そう言って悠香チーフが隣にやって来た。
「おはようございます。そうなんですよ。まあ、関西支部の仕事はあるんですけどね」
既に二つの案件を抱えている身としては、あまりのんびりともいかない。チーム発足までにやれる事はやっておかないと。
「そうだったわね。Keywordが終わってそれだけじゃ無かったわね」
そう言いながらも、やる事無くなるでしょ!と矛盾した事を言って、コーヒーコーナーへ引っ張って行かれた。
「まあ、明日まではコーヒーくらい淹れさせていただきますけどね」
「明日までと言わず、帰ってきたら毎回コーヒー係よろしくね」
ちょっとぶっきらぼうにそう言って、コーヒー豆を押し付けてくる。
「喜んでお引き受け致します」
笑ってくれるかと思ったら、すぐに後ろを向いて、
「トイレ行ってくる。コーヒーよろしく」
と、少しくぐもった声で言って逃げられた。
「何泣かせるようなこと言ったんだよ」
少し離れたところでこちらを窺っていた大里チーフに責められた。
「コーヒー係頑張りまーすって。ちなみに、本人泣いて無いことにしたいんだから、悠香チーフに泣いてたとか言っちゃダメですよ」
「わかってるよ」
「では、こちらは気にせずに仕事へどうぞ」
ご案内とばかりに手のひらでジェスチャーをしていると、それに気付いた真弓ちゃんが、
「大里チーフ、この後は私がご案内しますね?」
と言って引き継いでくれた。
コーヒーを淹れ終わる頃、落ち着いた様子で悠香チーフが戻って来た。
「もう手伝うほど残ってないか。ごめん、すっかり任せちゃったわね」
「これ渡して来たら、一緒にコーヒータイムしてくださいね?」
そう言って、そのままコーヒーコーナーに居るように伝えた。Pチームには先にコーヒーを渡した時にちゃんと許可は取っている。
「はい、部長。コーヒーどうぞ」
「お、サンキュ。Pチーフ機嫌取っといてくれよ」
先にそう言って、悠香チーフとゆっくりする時間を与えてくれる。
「はい。ありがとうございます」
家でも悠香チーフの事を気にかけている人が居て、散々言われてるのかもしれないが。
「お待たせしました。いっそ休憩スペース行っちゃいます?」
「さすがに私はチームが目の届く範囲に居ないとね」
「真面目だなぁ。でも、私もみんな見てるの楽しいかな」
悠香チーフの正面から隣に移動して、二人で部屋の皆を眺める。
「なんだかんだ、みんな仕事好きですよね」
「楽しそうよね」
「やっぱり関西支部行くの早まったかなぁ。大里チーフに押し付ければ良かったかなぁ」
ちょうどこちらに、マグカップを手に歩いて来るのを見つけてそう言うと、悠香チーフも、
「それが良かったかも?」
と同調して笑った。
「はいはい、どうせ関西支部に俺行かせときゃ良かったとか言ってんだろ?」
「あはは。バレてます?」
「バレてるね」
まあ、悠香チーフのことだ、散々そう言って大里チーフに文句を言っているのだろう。
「コーヒーのおかわりは?お嬢さん達」
自分のおかわりを注ぎながら、こちらにも気を遣ってくれる。
「お願いしまーす!」
「それじゃ、私も」
残りひと口を飲み干して、悠香チーフもカップを差し出す。
「かしこまりました」
そう言って二つのマグカップにコーヒーを注ぐと、じゃ!と言って、グループに戻って行った。
「心配して見に来るとか、愛されてますね」
「ただコーヒーが飲みたかっただけでしょ」
これくらいの茶化しには動揺もしない。
「片付けってそんなに残ってるの?」
「前に残業ついでにほとんどやったんで、やる事ほぼなしですね」
「あー、あのダンボール山積み」
「山ほどは積んでないです」
Kと記入していて、三鷹君がチームの荷物と間違えたあのダンボールは、既に関西支部に送ってもらった。
「デスクのあれこれと、たまにロッカーを使ってたので、少し私物があったかな?くらいかな」
「明日何するの?やる事無さすぎない?」
「各所挨拶回りが済んだら社長に呼ばれてるので、秘書課とランチです」
夜はグループに時間があるんだから、昼はこっちに来いとグループの皆には怒られそうな事を言われている。
「まあ、仕方ないわね。社長もホントは手放すの寂しいんじゃない?親代わり自負してそうだし」
「まぁ、保護者みたいなもんとか言いそうですけどね」
最近やっと社内ではできるだけ素っ気なくするようにしてくれてはいたけれど、湯川さんが言っていたように、入社したては何かと絡んで来られていた。
「今だから笑い話にできるけど、それなりに当たりキツイの居たよね」
コネ入社、贔屓されてる、そのおかけで言い寄る男もいるとか、言われ放題だったな。
「そのせいで揉め事も勘違いも発生したんですもんね。その節はすみませんでした」
全てがそこに起因がある限り、罪悪感しかない。社長もそう感じたからこそすぐに動いてくれたし、態度も改める事にしたのだろう。
「まぁ、お陰で嫌なヤツ追い出せたと今は有難く思ってるけどね」
これだけ前向きな発言が出来るまで、気苦労と努力が一体どれだけ要したことか……。
「あれから会社が大きくなるにつれて社長もその辺り気をつけてくれてますし」
「そうね。社長もさすがに反省したでしょうね。他の色々も考えて欲しいけどね」
基本無茶ぶりがすぎる性格だけに、言いたいことは山ほどある。異動も、とまた堂々巡りになりそうだ。
「何度でも言うけど。関西支部だろうが、同じグループだし、ずっと後輩なんだからね?」
「はい。ありがとうございます。まだまだ迷惑かけ足りないので、覚悟しておいて下さい」
「迷惑は要らないかな?」
そうして笑っていると、申し訳なさそうにPチームから呼び出しがかかった。
「じゃ、洗い物よろしく」
「はい」
マグカップを受け取り、チームに送り出した。
片付けと荷造りは着々と進み、デスクのダンボールを閉めると、ソワソワとこちらをチラ見していた三人が、大里チーフに追い出されてこちらに寄って来た。
「何やってるのよ。仕事ちゃんとしないと」
苦笑しながらそう言うと、彼らより先に大里チーフが答えた。
「そいつら仕事にならねーから、相手しといて」
「……だそうなので、これ、運ぶの手伝っていいですか?」
「この一人で運べる軽い箱を?」
そう言って笑うと、
「今から重くなるんです!」
と、三人が何やら引っ張り出した。
「何?」
「関西支部の案件の資料と、まあ、諸々です」
ユミちゃんがそう言って代表で差し出してきた。
「待って。忙しいのにそんなことまでやってたの?」
三鷹君に手伝わせたのが良くなかったか……。そう思っても後の祭りだけど。
「チーム、なんで」
中村君もいつに増してのドヤ顔だ。
「チーフの教育の成果を確認してください」
「三鷹君、頑張ったんですよ」
「嬉しいけど、やり過ぎ。」
それでなくても忙しかったはずなのに……。資料をパラパラと見ていると、所々にメモ書きで付け足されていたりする。
「……ありがとう。データの方も後で見せてもらうわ。ホント、いいチームね。ありがとう」
褒められてとにかく嬉しそうな三人に、頑張って来いよと、背中を押された気持ちになった。
「さあ、他にもあるんでちょっと持って来るっす」
中村君はそう言って、Rチームの方へ戻って行った。
「なに?」
「中身は関西支部で確認してください」
「俺らは先にこれ、運びましょう。どこにもってけばいいですか?」
二人がダンボールを抱えて案内しろと言うので、仕方なく手ぶらで行く事になってしまった。
「秘書課。そのまま少し打ち合わせがあるの」
打ち合わせという名のお喋りにいつもなるのだけれど。
「秘書課とも仲が良いですよね」
「社長のせいでね」
その一言で二人共納得してくれたようだ。
「相当過保護な感じですね」
「そうなのよね。自分じゃなきゃ問題ないだろうって」
なるほどと言って、顔を見合せて苦笑している。
「でも、秘書課のみんなが社長に何かと進言してくれるから、助かってるのもあるんだけどね。ワンクッション置いただけで。ホントの娘もいるから……」
「娘?」
驚いてエレベーター手前で三人とも立ち止まってしまった。まさか、それも知らない……。
「知らなかった?秘書長の山下薫さん。悠香チーフの同期の……」
「年齢的に合うとしても……名前違いますよね?全然似てませんよ?」
ユミちゃんは名前を知っているようだ。男二人は名前までは把握していないかもしれない。
「似てるかどうかはさて置いて。離婚して母方の苗字だからね」
驚きと気まずさが綯い交ぜになった顔をしている。
「隠してる訳じゃないけど、大っぴらに宣言することでも無いから、今は知らない社員の方が多いかもね。こうやってさりげなく伝わっていくと」
「えーと、良かったんすか?ほんとに隠してるんじゃないんすか?聞いてしまって良かったんすか?」
「本人達は隠してるかもしれないですよ?今ならまだ聞かなかったことにできますよ?いや、聞かなかったことにしましょう」
「え、なに?その信用の無さは……」
人のことを無神経な人みたいな言い方をする……。
「安心してください。ほんとに隠してないし、結構皆さん普通にご存知ですから」
「うわっ!本人!」
中村君がかなり失礼な反応をして、ユミちゃんに張り飛ばされた。
「驚かせてしまってごめんなさい。Kチーフに用事があってお伺いするところだったんですけど、お話中だったので……お声掛けを躊躇っていたら立ち聞きするような形になってしまって」
そんな二人を見ても、山下さんはいつものにこやかに話を続けた。
「丁寧な口調に慣れてないから固まっちゃった?」
「違いますよ!チーフとは違うな、とは思ったすけど……」
再びユミちゃんに張り飛ばされて、我慢できずに三鷹君が笑い出す。
「さすがに学習しましょうよ」
「三鷹!お前までそっちかよ!」
裏切り者ー!と、騒ぎ始めた。
「ちょっとちょっと、騒ぐなら外にでも行ってくれる?」
ユミちゃんが呆れながら声を張って制止しようとしていると、
「ほんとに良いチームなんですね。父の思いつきで本当にご迷惑をお掛けして申し訳ないです」
真顔でおっとりと山下さんがそう言う。
「この状況でそれは流石に面白いんだけど」
「山下さんって天然だったりします?」
かろうじてユミちゃんには彼女の発言が届いたらしく、顔が固まっている。
「天然というか……おっとりしすぎかな?薫ちゃん子供の頃からだし。子供らしくない子供だったから、このまま?」
「酷い!せっかくチームを褒めたのに!」
怒り方も小さい頃とかわっていない。怒っていると言うより、駄々っ子のような幼い言い方をする。「むしろ今の方が子供みたいに感じる」
そう言うと、それこそ子供のように口を尖らせた。
「山下さんって、こういう方だったんですね」
ユミちゃんが、知っていた印象と程遠い姿に驚いている。残り二人に関しては、初めからこの姿を覚えていつもの姿を見るのかと思うと、さすがにいたたまれなくなってきた。
「言っとくけど、こんな可愛い事するの私の前くらいだからね?いつものバリキャリが彼女本来よ?」
「今更繕ったって許さないから……」
静かにそう言われると、余計怖さが増す。
「薫ちゃんごめんってばー。この後ちゃんと付き合うから!さ、早く秘書室へ行きましょ?」
早めに機嫌を取っておかないと。
「チーフがご機嫌取りとか珍しい……」
「中村君何か言ったかしら?」
にこやかに睨みつけておく。
「でも、社長と知り合いしかも娘さんと幼なじみで、どうして情報遅いんですか?いくらでも教えてくれそうなのに」
「三鷹さんは鋭いですね。Kチーフはそういうのホントに嫌がってらしたので。私達親子にも凄く素っ気なくて」
十分付き合っているつもりでいたのだが……。
「あー、その代わりに佐奈さんが情報収集されてたと」
「なるほど!情報源っすね!」
「父のわがままを隠す必要は無いと思っておりますので、聞かれたら答えたまでですが。Kチーフは言おうとすると聞いてくださらないどころか逃げられるので……」
「まるで私が社長や秘書長(社長令嬢)の話を聞かない酷いヤツみたいじゃない」
本性をバラされたことをそんなに根に持つとは。
「ふふふ。私の方が、何かと立場は上なんですからね?」
「薫ちゃ……山下さん、よく分かりましたので!秘書室!行きましょう!」
「チーフが焦るのも珍しいですね」
「だよなー!こんなチーフ見られるなんて山下さんには感謝しないと」
三鷹君と中村君はここぞとばかりに色々言っているが、山下さんからの口撃がこれ以上こないように黙ってやり過ごす。ある意味、湿っぽかった空気がスッキリした方が、私にとっては有難かったのかもしれない。
「さあ、それでは御三方は荷物を置かれたら仕事に戻ってくださいね。荷物とチーフはこちらで丁重にお預かり致しますのでご心配なく」
私もついでに荷物扱いですか……。
「はい、よろしくお願いいたします」
三人共今までに無い丁寧なお辞儀をして帰って行った。
「ふふふ。貴方が関西支部に行っても楽しみができたわ!」
わざわざ事務所まで迎えに来たのは、それが目的だったのか……。
「それは良かったですね。彼らも喜ぶと思います。私の近況報告でもしてやってください」
「あら、許可が降りた」
よほど意外だったのか、キョトンとしている。
「可愛い後輩だもの。薫ちゃんが見てくれるなら安心」
「今日は薫ちゃんって呼んでくれるのね」
「幼なじみとしてお願いしたいから。業務だったら呼びませんよ、山下さん!」
荷物を送る手配書に記入しながら、山下さんはずっとご機嫌のようだ。
「近いうちにおじ様とおば様にもお会いしたいから、お伺いするわね」
「きっと喜びます。伝えておきます」
「では、本題の業務連絡に移りますね……」
「おかえり。なんだ、もう少しゆっくりしてくるのかと思ったのに、早いな?」
「いやぁ、何だか色々情報過多でついてけないっす。圧倒されてそのまま帰されました」
主語も何も無い発言に、大里チーフは困惑顔だ。
「すみません。でも俺もそんな感じかも」
「三鷹君まで珍しい。どうしたの?ユミちゃん?」
男二人では埒が明かないと踏んで、ユミちゃんに視線が集まる。
「あー、えーと。悠香チーフもご存知なんですよね?秘書長の山下さん……」
「ああ、社長令嬢?えっ、まさか知らなかった?」
「チーフが関西支部に異動の決定辺りから何も知らなかったって言うか、怒涛すぎて」
それを聞くとチーフ二人が顔を見合せて大笑いした。
「確かに。隠してないのに隠さなきゃいけないことのように扱われてるわね」
「んー、聞かれなきゃ言う必要の無い事だしなぁ。わざわざ言う必要も聞く必要も無くないか?」
「私達が面白がるような事も、あなた達後輩が聞いたら気後れしちゃう情報だったりするし、それをわざわざ言うことも無いかって自然となっていたのかもしれないわね」
悠香チーフの言葉は説得力があったようで、三人共頷く。
「Kチーフ特にそういうの嫌がりそうっすね」
「いいように使えばいいのにね。不器用というか意地っ張りっていうか」
「だからこそのKチーフですけどね。雑談はそろそろ終わりにして、仕事ですよ!流石にチーフが居ないと仕事が回りません」
弥生ちゃんが合流してそう言うと、五人ですみませんでした!の大合唱で、周りの部署にまで笑われていた。
「それでは荷物よろしくお願いします」
秘書室の扉を開けながら挨拶をすると、にこやかに山下さんが、
「はい、確かに預かりました。ではまた明日ですね。ランチ楽しみにしております」
と言って奥から手を振りながら見送ってくれた。秘書課のメンパーも山下さんに倣って手を振っている。
そこへ丁度役員が入れ違いに来たのを知らせるために、
「失礼致します」
と秘書課へ馬鹿丁寧に挨拶をして、中が通常に戻ったのを確認してからドアを開けてどうぞ、と中へ役員を誘導してから秘書課を後にした。
事務所に戻ると、どちらのチームも最終の打ち合わせに出掛けて静まり返っていた。
「人が居ないと静かだろ?」
珍しく事務所にいる部長がそう言う。
「昼間こんなに静かになる事があるんですね」
「各チームを順番に送り出した後はいつもこうだよ。Kチーフは先頭切って出ていくか、誰かがなんだかんだ周りにいるから知らなかっただろ?」
「そうかもしれませんね」
確かにいつもチームに入ってわいわいするか、一人でさっさと出かけるかしていた。かなり自由に動き回らせてもらっていた。
「留守番してくれる部長のお陰ですね」
「そんな大層なもんじゃ無いさ。こっちは自主的に動いてくれるから助かってるよ。営業で叩き込んだ知識だけで、専門外過ぎるからなあ」
まとめる能力を買われて、専門外にもかかわらずここに配属されてしまった。社長がどこまで考えていたのかは分からないが、かえって上からデザインについてガミガミ言われなかったのは良かったのかもしれない。前部長はそれなりに拘った部分を自分好みにしようと口を出すタイプで、かなり嫌われていた。自由にさせてくれて、仕事を上手く回してくれる部長の存在は、チーフにとってかなりありがたかった。
「やっぱり部長のお陰ですよ。これだけ仕事が回るのは、部長の采配あってこそです。関西支部でどこまで出来るやら……部長、落ち着いたら関西支部に来てくださいよ」
「落ち着いたら関西支部にはもっと良い人材が入るさ。変に社長に勧めたりするなよ?ここが居心地いいんだから」
居心地が良いなんて、嬉しいことを言ってくれる。
「そうでしたね。既に社長にわがまま言ってここに残ってくださったんですもんね」
「まあ、淋しくなったらいつでも連絡して来い。順番に出張に行かせてやる」
自分が、と言わない辺りが部長らしい。
「ありがとうございます。よし、手助けいつでも呼べる言質も取れたし、仕事しよーっと」
「そうしてくれ。俺はちょっと情報収集に行ってくるよ」
本当に情報収集しているなか、サボりなのかは知らないが、そう言っていつも通りに後は任せた、と言い残して事務所を出ていった。
「ほらほら、早く!」
「そんなに慌てなくても間に合いますよ?」
「男どもの計画の新情報が入ったのよ……」
……すっかり忘れていた。まだやる気だったんだ。
「伊織がね、家で聞いてくれたの。何かあるなら協力するよって言って」
なるほど。今度はそっち方面の情報か。アンテナを張りまくる悠香チーフには恐れ入る……。
そこへ出遅れて急いで追いついてきたユミちゃんが、
「大里チーフはプロポーズ計画継続ですか?」
と、息を切らせながら言った。
「中村君もかなり張り切ってるみたいよ」
「あぁぁ、やっぱり……。なんだか人の顔見てドヤ顔してると思ったんですよ」
目に浮かんで思わず笑ってしまった。
「笑い事じゃないわよ?それだけメインの三鷹君がやる気になってるって事なんだから」
今度は顔が引き攣ってしまう……。
「まさか。そんな素振り無かったですよね?三鷹君」
私よりも先にユミちゃんが驚いている。
「だよね?悠香チーフ、脅さないでくださいよ」
三鷹君は全くそんな素振りが無かった……はずだ。
「脅しじゃないわよ?伊織から聞いて頭抱えたんだから。とにかく!伊織が迎えに来てくれるから、先に着いて先に仕掛けるしかない!」
なんだかんだ、一番張り切って(?)悠香チーフは伊織さんの車を見つけて駆けて行った。
「あれ?随分と早いご到着ですね。ご予約までもう少しお時間がありますよ?」
にこやかに、でもかなり色々と含んだ言い方を高山店長がする。
「すみません。伊織が車で迎えに来てくれたので、少し早めに着いてしまいました」
ここでも率先して悠香チーフが話し出した。
「伊織さん……あぁ、部長の奥様ですね」
名前だけではピンと来なかったらしく、車を停めて後から歩いてくる伊織さんを見てわかったようだ。
「元同僚でして。社内結婚で退職したんです」
「なるほど、どうりで仲がよろしいわけだ」
確かに、部長夫人と親しいのは不思議に思うかもしれない。
「また男性陣の動きが怪しくて早くいらしたんでしょ?」
やっぱり見透かされている。
「高山店長にはバレバレでしたね」
「皆さんの味方ですから」
いつもの手馴れた感じの対応に苦笑する。
「ですが、残念ながら店で打ち合わせや何らかの問い合わせはあの後なかったんですよね」
力になれなくてすみません、と続けて既に確保済みの席まで案内してくれた。
「お客様の受付を三十分前に終了しているので、今いらっしゃるお客様で終わりですし、席はご用意してましたから、気にせず打ち合わせしてください。もちろん企画は受け付けますからご遠慮なくお申し付けください」
軽くウィンクまでして見せて、奥へと戻って行く。
「なんであれで彼女いないの?」
「あの軽さで逆にいたらひくかも」
悠香チーフと二人でつい苦笑しながらそんな話しを始めると、
「お二人とも、今はそんなのはどうでいいいです。この後の相談しないと時間ないですよ!」
ユミちゃんに怒られてしまった……。
悠香チーフはとにかく大里チーフの相変わらずの何とも言えない態度に苛立っている。どうやら結局送別会をちゃんとしようとなったのか、男性陣の変な動きがもう食事が終わろうとしているのに、全く無かった……!
「じゃあさ、一体私の事はどうなったの?」
無ければないで、プロポーズの一件が有耶無耶にされたようで、悠香チーフはモヤモヤしているようだ。
「わかるよ。わかるけども、変に茶化してこんな所でされるよりはいいんじゃない?」
そして伊織さんはそんな悠香チーフをなだめ続けている。
「大里チーフに注意しない方が良かったですか?」
そんな悠香チーフを見て、真弓ちゃんがオロオロしている。
「気にしないでいいわよ。本人ちゃんと考えあっての事でしょうから……無かったら別れるだけよ」
さすがにこの発言に周りが凍りついて、大里チーフを一斉に睨みつけたのは言うまでもない……。
「なんだろねー、視線を感じるんだけど?」
「ははは……あまり気にしない方がいいっすよ?」
中村君は明らかに一人自分に向いている視線を気にしながら、大里チーフをなだめる。
「バカな計画を立てなきゃ居心地の悪い会じゃなかったはずだろう?」
部長は少し呆れているようだ。伊織さんから聞いていたが、あまり乗り気で無かったのは本当なのだろう。今日大人しく送別会をするように説得してくれたのかもしれない。
「そろそろ最後のデザートお持ちしてよろしかったですか?」
高山店長にそう声を掛けられて、女性陣の顔が少し和らぐ。
「ウチのスイーツ担当が皆様に喜んで頂けるよう今日はスペシャルデザートです」
運ばれてきたデザートにみんなの顔が綻ぶ。ちょっと不穏だった空気も和らぐ。いいタイミングだな。経営者としての高山店長の腕を再確認する。
「見直してくださいました?」
わざわざ隣に来て耳打ちして、ウィンクまでするチャラ男っぷりも。
「おい!だから、そういうのやめろ言うてるやろ!」
それに三鷹君が苛ついた声で反応している。
「三鷹君、いちいち反応してたらキリが無いわよ?仕事柄というのもあるし」
悠香チーフが呆れてそう言うと、ユミちゃんと中村君が同時に、悠香チーフにまで言われてる、と笑う。
「……俺の知り合いに失礼なことをするのが嫌なだけです」
不貞腐れた顔でぼそぼそと三鷹君はそう言う。
「まあまあ、甘い物でも食べて機嫌直して!」
「だから!お前が言うな!」
もうこうなると漫才の掛け合いにしか見えない。全員が大笑いする。
「お飲み物、コーヒーはご一緒にお持ちいたしましたが、その他紅茶などご要望があれば準備いたしますが、いかがいたしますか?メニューからお選び頂ければどれでも」
ポットで用意してくれたコーヒーをスタッフが注いでくれている。
「紅茶がいい人!」
率先してユミちゃんがオーダーの手伝いをする。
「五名様……ですね」
高山店長は上がった手を数えて素早くオーダーシートに記入していく。
「オレンジジュース!カルピス!ジンジャーエール!……」
ユミちゃんは続けて次々とメニューを読み上げていく。
「頼んで無い人いない?」
「かしこまりました。残りはコーヒーですね」
スタッフに目配せでデザートとコーヒーをサーブするように指示して、高山店長は厨房へ戻って行った。
「Kチーフ珍しく紅茶なんですね」
「デザートが紅茶の方が合いそうかなと思って。まあ、気分的にって方が大きいかな。最近実家でしょ?紅茶の比率が高くて飲みたくなるのよね」
「そう言えばお母様イギリス……」
「そう言うユミちゃんはコーヒー派よね」
「会社ですっかりコーヒー派になりました。やたらおいしいですよね、会社のコーヒー」
手元に来たコーヒーの香りを楽しみながら、これもいい香り!とやっている。
「おいしいのがいいってお願いしたからね」
悠香チーフが大里チーフにそう言って同意を求める。
「そうそう。自販機だとモチベがーって言ってそれはそれ、これはこれでお願いしたんだよ。お客様に出すのもそっちのがいいだろうって」
社内の快適さは重視してくれる社長でほんとによかった。
「実家だとほぼ紅茶でしょ?コーヒーって苦手だったから、就職して初めてちゃんとしたのはおいしいんだって知ったのよねー」
そう言うと、みんなが驚いてざわついて、逆にこっちがびっくりする。
「え、そこまで驚く?」
「驚きますよ。毎日めちゃくちゃコーヒー飲んでるのに苦手だったとか」
三鷹君がそう言うと、中村君が、
「あ、そう言えば、自販機は苦手だとか言ってたっすね!」
と、思い出したようだ。
「贅沢よねー。紅茶もいいのしか飲めないとか言いそう」
「悠香チーフも変わらないでしょ!」
言い合いを楽しんでいると、大里チーフがどっちもどっちだろ、と言って悠香チーフに睨まれて、危機を察知した弥生ちゃんが
「まぁまぁ、デザート、食べましょうよ!」
と、甘いものに誘導した。デザートは、マカロンとシフォンケーキと、普段なら店に置いていないスイーツだった。
「うーん、おいしい!」
あちこちから幸せな声が上がる。
「ありがとうございます。これから少しデザートも種類を増やそうかと思いまして。試食がてら、皆さんに一足お先にご提供させて頂きました」
いつの間にか戻って来ていた高山店長が、ドリンクをスタッフと一緒にサーブしながらそう言って、いかがですか?と意見を聞いて回っている。なるほど、試食会を兼ねてしまえば貸し切りでも、と思ったわけか。
「味の違うものを何種類かご用意していますので、今回人気だったものを定番にします。お好きなのを教えてください」
やっぱり何かと食えない人だな。あまりにらしくて感心する。
「さすが高山店長ですね」
「こんなはっきり言ってくださる人が集まることなんてないですからね」
「なんかしてやられた気がしてムカつくなぁ」
三鷹君は何かとモヤモヤしているようだ。
「それじゃアンケートとりますか」
ここは担当の湯川さんがまとめ役を買って出る。
「これ選ぶの難しいなぁ。どれもうまいぞ」
部長はどれも気に入ったようだ。伊織さんと仲良くどっちがいい?とやっている。
「ご自分の好きなのを言ってもらえればいいですよ。上位三つをとりあえずのレギュラーにしますので」
「と、高山店長もおっしゃっているので、気軽に好きな味三つ投票してください」
湯川さんはどこからかホワイトボードを引っ張り出して来て、マカロンとシフォンケーキの味と決まった人から正の字で投票!と書いて、自分の席に戻ってデザートを堪能している。
「手慣れてますね。勉強になります」
真弓ちゃんがそう言って感心しているが、これって……。
「騙されちゃだめよ。アイツ絶対一枚噛んでる」
「ですよね」
同期の悠香チーフはさすがに勘づいているようだ。なんなら試食会にしようと言い出したのは湯川さんでは?そう思って湯川さんの方を見ると、視線に気付いて口元に人差し指を立てて、しーっとやっている。
「違う意味で勉強になります」
真弓ちゃんはまた更に感心したようだ……。三鷹君も気づいたらしく、
「そんなら仕方ないか」
とボソッと言っているのが聞こえてきて、悠香チーフも笑いながら、
「どれだけ高山店長に反抗的なの?」
と面白がっている。三鷹君の隣の中村君もさすがに、
「こどもかっ!」
と突っ込んでいた。
「まあそんなにいじめないで。ちゃんと仲良くやっていってよね。私がいなくなってもチームには違いないんだから」
軽い気持ちでそう言うと、急に静かになって周りからすごく注目されてしまった。
「どうしたの?」
「あなたねぇ……。わかってて避けてたのに」
悠香チーフが怒って?…呆れている。
「湯川もわかっててやってるんじゃないのか?本人が気にしてなさすぎてだめだな」
部長にまで残念がられている?
「現実突きつけるとかどんだけサドなんだよ」
大里チーフにまで!
「いや、だって送別会ですよ?声掛けくらいさせてくださいよ。もう終わるし、しばらくは忙しくてこっちには来られないし……」
「それ!それがダメなんです!わざわざ言わなくても!トドメ差しに来なくてもいいじゃないですかぁ……」
ユミちゃんには若干涙声でお叱りを受け……。
「あ、えーと、ごめんごめん。これ!ピスタチオ味のマカロンおいしかったよ!ユミちゃん食べた?」
「誤魔化し方が下手すぎっすよ」
「あははは……。中村君も言うようになったよねー。わかった」
誤魔化すからいけない。ちゃんと挨拶して終わろう。そう思い直して立ち上がる。
「皆さん楽しい送別会ありがとうございました!ちょっと関西支部に行くだけなので!まだまだお世話になりますので!よろしくお願いします!お手伝いお願いすることばかりだと思うので、いっぱい連絡しますね」
そう言うと、大人な同僚達からどれだけこき使うつもりだよ!こっちを手伝え!とヤジが飛んできた。グループのみんなもしょうがないなぁと、受け止めてくれた。
「それじゃお会計してきますね」
泣き出したユミちゃんの代わりに、弥生ちゃんがそう言って高山店長と店の入り口へと向かった。
「斎藤さん!」
「何?!」
会計が終了したところで三鷹君が突然立ち上がって名前を叫び出し、悠香チーフが驚いて返事をして、同じく驚いた顔の三鷹君と顔を突き合わせて、もう一度「なに?」と聞いた。
「え?あ、えと……え?」
戸惑う三鷹君に、慌てた大里チーフが、
「待て!待て待て待て!三鷹、まさか悠香のフルネーム知らなかったのか?!」
と言いだして、みんなが大笑いした。
「マジかー……三鷹、このグループで斎藤さんって言ったら悠香チーフなんだよ……」
中村君が説明を始める。
「部長がなんで担当店の頭文字でチーフ呼ぶのか教えてあげたら?」
さっきまで泣いていたユミちゃんまでが面白がって時間稼ぎとばかりにそう言う。
「みんなは同じ苗字の二人を呼び分けるのに大里チーフに倣ってファーストネーム呼び、部長はファーストネーム呼びは苦手だって言って担当店の頭文字呼びするんだよ」
「ちなみにチーフじゃなかったから、こっちは部長が勝手に作ったチーフ補呼びね」
と、補足しておく。意を決して立ち上がった三鷹君には悪いが、このままうやむやにしてしまいたい⋯⋯。
「いや、それでもずっとKチーフのままでみんな呼び続けているのはどうなんですか?」
「チーフがフルネーム呼び好きじゃないってのも知らなかったっけ?」
「そう言えば誰かが言ってらしたような……」
「私ちゃんと配属初日に伝えたからね!」
知らなかったように言われて、ユミちゃんが怒っている。
「チーフはフルネームで呼ばれたくないからKチーフって呼ぶようにって!」
「だからそれが……」
まだなにか言おうとする三鷹君を宥めるように今度は部長が説明を始める。
「まさかとは思うが、KはkeywordのKじゃないぞ?」
みんなそこで合点が行く。
「そういうこと……」
その誰かの一言でみんなが大笑いする。
「三鷹君、keywordのKだと思って怒ってたんだ!可愛いなぁー!」
真弓ちゃんや弥生ちゃんに可愛いを連発されて、真っ赤になっている。
「からかうのは程々にね」
見かねた悠香チーフがそう言うと、三鷹君が先に気を取り直してまた声を張って今度はフルネームで叫ばれた……。
「斎藤ケイトさん!」
「だから!チーフはフルネーム呼び嫌いだって言ってるだろ!」
今度は中村君が慌てて遮っているが、三鷹君は気にせず続ける。
「俺、絶対関西支部に行くんで!」
真剣な眼差しに、ついつい微笑んでしまう。
「久々に聞いたなぁ、自分の名前」
「……何言ってるの……」
悠香チーフにはすっかり呆れられている。
「相変わらず日本ではやっぱり呼ばれたくないかな、と改めて……」
でも、誠意を込めた呼び方は嫌ではないな、とも思ったり。
「ま、みんな頑張って関西においで」
と、嬉しくなってつい言ってしまう。……あぁ、そうか。私にとって名前はkeywordなんだ、と、奈良井さんの言葉を思い出していた。
でも、これ以上色々言われるつもりはない。
「でも!名前は呼ばないように。これからもケイでよろしく!じゃ、お開きね!」
と、真っ先に荷物を掴んで席を立った。
「ケイトチーフ!これ確認お願いします!」
「三鷹君悪い、時間無いから帰ってから観るわ。ユミちゃん、行ける?」
「はい!ケイトチーフ。中村君後よろしくね」
「まかせとけー」
2年後。本社採用が落ち着いたころ、Kグループ復活と言って社長がまさかの三人共関西支部に異動させて来た。
「で、チーフは三鷹君とどうなんですか?」
外に出ると真っ先にユミちゃんが聞いてきた。
「どうもしてへんよ」
「あれだけ毎日告白されてどうもないって」
「今やっと軌道に乗って仕事が楽しいの!みんないてくれるんがまた心強いし。嫌では無いから断りもせんけど」
「本社の頃に比べたら進展してるって感じかぁ」
「こんなんで進展って言う?」
「頑なに無し!って言ってましたからね。進展ですよ。ケイトチーフって呼ばれても怒らなくなったし」
「名前は私のkeywordだから!」
「……なるほど」
「なんか言うた?」
「いえ!なにも!」
時が流れて居場所は変わっても、空は青くて、風は心地よくみんなを包んでいる。
「よし、今日もがんばろ!」
END




