タイトル未定2025/10/31 01:16
月曜日に、凄い顔で明日ランチ付き合って、と悠香チーフに呼び出され、ゆっくり話せるからと、会社近くのあの喫茶店に来ていた。
「いらっしゃい。悠香さんいつもの席で待ってらっしゃいますよ」
奥さんが入口ですぐにそう声を掛けてくれる。
「ありがとうございます。注文済ませてました?」
「はい。もう伺ってますよ。あなたがいらしたらランチを、と」
「では、お願いします」
「はい。ごゆっくり」
いつもの奥の席まで行くと、頭を抱えた悠香チーフに出迎えられた。
「えーと。幸せ絶頂なのでは?」
「だったら呼び出さない」
「ですよね。何があったんですか」
何をやったんだ、大里チーフは、という怒りは抑えて、悠香チーフの正面に座る。
「相談じゃないから。とにかく聞いてくれたらいいから」
あー、ホントに拗らせてる。
「はい。どうぞ」
「まず結論から言うと、プロポーズは待ってくれと懇願された」
この後に及んで……。思わず溜息が出た。
「それはまあ、時間も無かったし?自分の思うような形でっていうのもあるかもしれないしいいんだけど」
「良いわけないよね」
ついつい呟いてしまう。
「……とりあえず聞いて?」
「すみません。どうぞ」
迂闊に相槌も出来ない。
「プロポーズは絶対するし、実家に挨拶も行くから、予定は立てようとか言うし」
訳が分からん……。もう、言ってるのに!
「とにかく、三鷹君の為に少しだけ、あなたの送別会が終わるまで待ってくれと」
ん?
「ちょっといいですか?」
挙手して、発言の許可を仰ぐ。
「どうぞ」
「三鷹君の為?」
「明らかに送別会で企んでるってことよね?」
「えーと、作戦練り直しですか?」
「逆に火がついたから、三鷹君の為にも、バカを反省させる為にもやる」
送別会、荒れそうだな……。
「もういっそ楽しそうなので、色々派手にやりますか」
「女子会には時間が無さすぎるので、ここに呼ぶか、会議室にでも仕事持ち込んで作戦練るか」
「とりあえずユミちゃんに連絡しますね」
喫茶店の位置情報を付けて連絡をしてみる。案外みんな手が空いているらしく、すぐに女子会メンバーが喫茶店に行くと返事が返ってきた。
「みんなここに来れるみたいですよ」
「OK。マスター!人数増えるから席替わりますね」
そう言うと、グラスを持って移動する……自由過ぎだな……。
「あら、珍しい。会社の方?」
「はい。声を掛けてみたら、後輩達が来れるようなので」
テーブルダスターを受け取って奥に行ってしまった悠香チーフの代わりに答えた。
「お二人のお料理はもう出来るから、皆さんいらっしゃる前にお出しするけど良かったかしら?」
「もちろんです。後輩達が食事をするかどうかまでは確認していないので」
テーブルの片付けを終えて戻ってきた悠香チーフがダスターを奥さんに渡しながら、
「この子が今週で異動だから、ここに連れてこれる後輩新しく作らなきゃいけないし」
と少し寂しいことを言う。
「あら、今週までなのね。こちらにいらしたらまた来てくださいね」
「はい。悠香チーフが嫌がっても来ますね」
「嫌がるわけないし」
そうか。機嫌が良くないのは、そっちもなのか。強がりな先輩にそんなふうに言われて、思わず嬉しくなる。
「引越しもまだ残ってますし、ちょいちょい帰って来ますから。予定決まり次第連絡します」
「仕事も手伝うから、無理しないで連絡してよね」
「はい。頼りにしてます。ちょっと離れた現場に居るだけですもんね」
と、そこへ店がよくわからないと、後輩達から連絡が入った。
「ユミちゃんからです。私ちょっと迎えに出ますね」
料理もまだのようなので、そう言いながら立ち上がって店の入り口に向かった。
「私が行くっていう隙もあたえないんだから」
「さすが悠香さんの後輩ね。……あら、料理が出来上がったみたいよ。運びますね」
「私も取りに行く!」
「ここが喫茶店の入り口だったとは思わなかったです。二回通り過ぎましたよ」
「住所合ってるんだから、素直に中覗いて見れば良かったのに」
後輩達とそんな会話をしながらお店に戻ると、ちょうど悠香チーフが料理を運んでいた。
「いらっしゃい。みんなお昼食べた?日替わりランチおすすめなんだけど?」
「悠香さん、それは私の仕事よ?」
奥さんよりも前にオーダーを取ろうとして、呆れられている。
「そうですよ、悠香チーフ。お料理食べないとマスターに怒られます」
「そうね。じゃ、三人も座って」
着席を促されて、三人とも唖然としたまま慌てて座った。
「お食事どうされますか?」
改めて奥さんがオーダーを確認してくれる。
「三人とも食事がまだなので、おすすめの日替わりランチを三つで」
弥生ちゃんがオーダーを済ませると、悠香チーフに、何をしていたのか改めて聞くと、
「お手伝いしただけよ……いただきまーす!」
と、そのまま流して、食事を始めた。
「そのうち教えてくれると思うよ。とりあえず、お先に……いただきます」
私も悠香チーフに倣って、食事を始めることにする。
「まあ、いいです。やっと悠香チーフの隠れ家突き止められたし」
「素敵なお店ですね」
真弓ちゃんが職業病を発揮してキョロキョロと店内を見回しながら言うと、
「日替わりランチって裏メニューですか?メニューに載ってない」
と、ユミちゃんは目を輝かせてメニュー表とにらめっこしている。
「……あっちもこっちも職業病だらけ」
ぼそっと言った悠香チーフの言葉に、弥生ちゃんがすぐに、
「お褒めいただきありがとうございます」
と言って応えた。
「あはは。弥生ちゃんさすが」
「弥生ちゃんに言ってないんだけどなぁ」
「三人の代表を買って出てみました。Pチームなので」
この中で一番口の上手い弥生ちゃんを相手にしてもきっと誰も敵わない。
「わかったわよ。時間が無いから本題どうぞ」
「私任せ?まぁいいですけど。……男子会のメインはどうも三鷹君みたいなの」
「あー、やっぱり。ここに来るまでに真弓ちゃんから新情報があって。それと一致しました」
ユミちゃんがそう言いながら、どうぞ、と、真弓ちゃんの発言を促す。
「分からないように言ってるつもりみたいなんですけど、三鷹君の青年の主張だとか言ってました。自分達でうまく誘導するって」
青年の主張って……。
「嫌な予感しか無いんだけど。こっちに帰って来ても会社には行けなくなりそう」
「出張なら出社はしないといけないでしょ」
いちいち突っかかってくる悠香チーフに気づいて、ユミちゃんがこそっと耳打ちをする
「悠香チーフ機嫌悪そうですね」
弥生ちゃんは若干呆れ顔だ。
「それを回避するための集まりですよね?」
「そうだった。いつまでも居心地のいいグループにしなくちゃ」
このグループの居心地はこうやって守られているんだろうな。
「Kチーフ、他人事じゃないですよ?何ニコニコしてるんですか?」
「何が起ころうと、私が関西支部に行くのは間違いないから他人事になっちゃうのはちょっと悲しいけど、頑張ってくれてる悠香チーフがいるのが嬉しくて」
「問題放棄していく気ですか?」
さすがにユミちゃんが怒りだした。
「そういうつもりじゃないのよ?私が居なくなれば三鷹君はきっと忘れてすぐに元通りのグループになるし、すぐに対処しようと頑張る人達ばかりだから大丈夫!って思うじゃない」
なぜかそれを聞いてみんなに溜息をつかれた。
「色々甘いし、なんだか、こんな考えのヤツの為に頑張るのも馬鹿馬鹿しくなってきたんだけど」
「同じくです。なんだか虚しさが……」
「二人共待ってください。三鷹君の為です。超他人事なのは、自身の送別会を違う会にしようとしてる私達に協力してくれてるからですよ」
真弓ちゃんが冷静に二人を諭す。それを聞いてやっぱり私が……と言い出したユミちゃんを制止する。
「ほら、堂々巡りになっちゃう。過ぎたことは考えない。金曜日のことを考えるよ……と、その前に食事ね」
奥さんがちょうどサラダとスープを手にやって来るのが見えた。
「さあさあ、まずは食事を楽しんでくださいね。きっとお腹が落ち着いたら良いアイデアも浮かびますよ」
「ありがとうございます。そうですね。まずはお腹を満たさなきゃ!」
ユミちゃんは頭を切り替えて、運ばれてきた料理に向きなおしたようだ。
「スープ美味しい。これ、何が入ってるの?」
奥さんの説明では確か、かぼちゃのスープだったはず。
「家で作っても絶対こうはならないよね」
「マスター、コンソメスープとかちやんと手作りだからなぁ。もう絶対そこで味が違う」
「そうだよね。手軽に作ってるモノと比べるのがそもそも間違い。スパイスとかもこだわってるでしょうしね」
深く頷きながら三人がスープを味わう姿が何とも可愛くて仕方ない。
「何ニヤニヤしてるの」
「見逃してくださいよ。後輩達が可愛くて仕方ないだけですから。なんなら拗ねてる先輩も可愛いです」
悠香チーフが大照れしたところで、みんなで盛大に笑って、美味しいランチを堪能した。
「ご馳走様でした。絶対また来ます!」
真弓ちゃんがすっかりお店のファンになって、個人的に通いつめるとマスターと奥さんに伝えていた。
「私の避難場所だったのになぁ」
呼んでおいて今更後悔してるのだろうか。
「みんな邪魔するつもりは無いですよ。呼ばれなかったら、きっと反対の端っこで食事します」
弥生ちゃんがそう言ってなだめている。ちゃんと悠香チーフの事をわかっていて安心する。
「いい後輩ばっかりですね」
「あなた以外はね!」
「はいはい」
午後からは、Kチームは明日の引渡しの準備に追われていた。
「備品の最終チェックにこの後行ってきます」
そう言うとすぐに出かける準備をし出す三人にちょっと待って、と声をかけた。
「さすがに私もそれは付き合うわ。最後くらいきっちり確認させて?すぐにこの仕事片付けるから」
手元の資料を一纏めにして、部長のデスクに付箋を付けて置く。もちろん確認期限を記入して。
「お待たせ致しました。行きましょうか」
カバンを手に取って、待ちながら雑用をしていたチームのみんなに声を掛けた。
「はい。こちらも雑用済ませてスッキリです」
三鷹君が爽やかにそう言うと、中村君が、
「これさ、帰ったらめっちゃ暇なやつだ」
と言って苦笑している。
「いい事じゃない。さあ、現場現場!」
そして、いつも通りユミちゃんに急かされていた。
行動予定表の名前を貼り直していると、悠香チーフが隣まで来て、
「それも置いて行きなさいね」
と、名前のマグネットを指した。
「はい……。それじゃ、現場に行ってきます」
「行ってらっしゃい」
「三人共Kチーフに良いとこ見せてこいよ!」
チーフ達に元気よく見送られてKチームもノリ良くいってきまーす!と応えて事務所を後にした。
「なんだか随分久しぶりな感じがする」
「実際あまり来てないっすからね、チーフ」
「おかしいな、チーフになって初めての店舗なんだけどな」
「Kチーフは肩書きが無かっただけですからね。私達も普通にチーフだと思って付いて仕事してましたから」
肩書きと呼び方が変わったくらいで本人も周りの誰も気にせずにやっているのもよく考えるとおかしなものだけど。
「チームもいつの間にか大里チームから分派したチームだもんね」
そう言いながら、ユミちゃんがkeywordの扉を開けた。
「うん、奥行の広がりいいね。あれ?テーブル位置少し変えた?」
図面で見ていたより中央に通路を広めに取っている。
「チーフ凄いですね。図面とそこまで大差もないし、最近図面もそんなに見てなかったのにわかるんですね」
三鷹君が多少困ったような、なんとも言えない表情をしている。
「やっぱりチーフの目は誤魔化せなかったかー。明日少し搬入があるんすよ。その作業の通路を確保してるっす」
「搬入?」
予定に無かった搬入ということか?
「チームの飲み会の話をしたら奈良井さんがここで、と仰って下さったんです」
「そういう事……」
最近の彼らの行動が腑に落ちた。奈良井さんと色々打ち合わせしてくれていたのだろう。急に現場に行くと言って悪かったかな。
「バレると思ってたんで、来て悪かったとか思わないで下さいね?」
……読まれてる。
「あはは。それなら気づかなかった事にして最終チェックに取り掛かる事にするわ」
「これで明日安心して奈良井さんに引渡しが出来るわ」
「色々目を細めて見て頂きありがとうございます」
「あら、なんの事かな?」
明日の準備の気配がそこかしこに存在して、全て見なかった事にしてチェックを終えた。
「それなら大丈夫っすね」
隠す気も無いやり取りに三鷹君が多少呆れた顔をしてなんだかなぁ、と呟いていた。
「三鷹君細かい事気にしすぎなのよ。こういう時は大人にならないとね?」
どこが大人、とツッコミが入りそうな事を言ってるな、と自分でも思いながら、それらしい顔をしておく。
「うん、三鷹君気にしすぎちゃダメ。実際よく詳細バレずにできたって方が奇跡」
「だよな」
「わかってますよ。あっさりしすぎでどっちかって言うと気が抜けた感と言うかなんというか。なんだかなぁが一番しっくりだっただけです」
三鷹君としてはもう少し驚くなり怒るなりの反応があると思っていたわけか。
「まだまだチーフの事分かってないよな。そんなんで……あー……」
「そんなんで?何?」
中村君が口を滑らせかけたのをユミちゃんは見逃さない。
「まあまあ。ユミちゃんそんな怖い顔で問い詰めないの」
「やっぱりなんだかなぁ……」
三鷹君が肩を落として力無くそう言うのを見て、ユミちゃんと二人でひとしきり笑い、中村君は必死に三鷹君をなだめていた。
ランチをどうしようと話している時に関西支部から呼び出しを食らい、一人仕方なく会社に急いだ。
「やっぱり楽しみは明日に取っておけってことかしらね」
「残念ですけどそうみたいですね」
「早くしないと遅れるっすよ」
「チーフほら、急いで!」
三人に急かされ、また後で!と言って駅へと急いだ。
「すまなかったね」
まさかの社長が関西支部の先輩と並んで謝ってくれている。
「社長直々の謝罪とか逆に怖すぎます」
Keywordの最終チェックに行っていた事や、関西支部への完全異動まで残り少ない事も把握していて急に呼び出したことをかなり気にしてくれていた。
「そこで気にされるくらいなら、急な異動は金輪際しないと誓ってください」
この際とばかりにそう言うと、先輩は青ざめ、社長は大笑いした。
「君は本当に面白いねぇ。二人共、関西支部は頼んだよ」
笑いを堪えながらそう言うと、社長はそのまま会議室を後にした。
「社長にそんな事言う人初めて見たよ」
「父親と社長が知り合いでして。就職してびっくりしたんですけどね」
父の後輩という事しか知らなかったので、名前を見てもピンと来ず、入社式で顔を見てどれだけ驚いた事か。父と結託して、知っていて黙っていたと言うから、ホントやってられない。
「実力で入れたんだと信じてたんですけどね。縁故入社ですよ」
手元の資料をまとめ、机と椅子を片付ける。
「これだけ頼りにされて何言ってるんだよ。でも、社長の中では関西支部へ行くのは予定通りだったのかもしれないね」
まあ、予想はしていただろう。大阪ではなく、神戸に支部を持って行ったのもそういう事なんだろうな。
「まんまと嵌められたんですかねー?まぁ、頑張りましょう、先輩」
そう言って会議室を出ようとすると、
「あのねぇ、そろそろ名前覚えてくれない?八代ね、八代!!自分が名前呼ばれるの嫌いだからって相手はそうじゃ無いんだからね?」
と、声が追いかけてきた。
「はーい、せんぱーい」
苦笑する八代先輩に手を振り、会議室の扉を閉めた。
すっかり食堂も周りのお店のランチタイムも終わっていたので、コンビニでお弁当をゲットして、ガラガラの食堂で窓際の特等席に座る。食べ始めると、つかつかと足音が近づいて来た。
「Kチームはもう少ししたら帰って来るって」
そう言いながら、悠香チーフが隣に座る。手には事務所で淹れたコーヒー。
「奈良井さんと打ち合わせでもしてたかな?」
「あぁ、やっぱりバレたんだ」
「悠香チーフ知ってたんだ」
「ちょっと相談されてたの。奈良井さんがお礼とお祝いが出来る、開店リハもできるって大張り切りらしいよ」
お店の為になるならいい企画なのかもしれない。
「それなら良かった。明日はお店の為に貢献してきます」
「そうしてちょうだい」
「それでは奈良井さん、この後は湯川が引き継ぎますので、何でも湯川に申し付けてください」
鍵と資料の束を手渡しながら、引渡しに続き、引き継ぎをしていく。
「おいおい、いくら関西支部に行くからって丸投げすぎだろ?」
フォレストと同じ湯川さんが今後の担当になってくれた。三鷹君とも顔見知りという事で、社長からも頼まれたらしい。
「そうですか?では、Kチームの三人差し出しておきます」
「そうきますか?」
ユミちゃんがすぐ反応する。
「あら、任せてとは言ってくれないのね?」
「任せてください。大丈夫っす。すぐにチーフに連絡します!」
中村君のノリの良い言い方に奈良井さんが大笑いしている。
「チーフさんもそう遠慮なさらずに、気軽に寄ってください」
「ありがとうございます」
「それでは、次はKチームの打ち上げ兼チーフの栄転祝いという事で、こちらにどうぞ」
奈良井さんが案内を始めると、奥から従業員の方が二人出て来て、
「いらっしゃいませ!」
と元気にキッチンも見えるテーブルに案内してくれた。すると、Kチームと湯川さんまでもが上着を脱いで腕まくりを始めた。
「ちょっと待って。チームメンバーはいいとして、湯川さんまでそっち側なのはどうなの?」
「すみませんね、Kチームの打ち上げなのに参加しちゃって」
「いや、そこじゃなくて!」
「開店リハーサルっていうなら、僕はこっち側なんで。スタッフの指導に入りますよ、もちろん」
まさかそこを巻き込んでいたとは。
「私達も開店のお手伝いをするので、色々確認しておきたくて。チェックお願いします」
つまり一人座っておけと。
「すみません。キッチンスタッフはみんな集まったんですけど、ホールスタッフが新人二人なので、ご協力して頂くことになりまして」
「奈良井さんにはキッチンをお任せして、僕達はホールを受け持たせて頂きます」
店舗運営をお手伝いする会社として、店舗スタッフの指導や人手が足りない時のお手伝いももちろんしている。担当部署の湯川さんはもちろん、私達も後のスケジュール次第でお手伝いすることもある。
「俺ら久々なんで、大目に見てくれると有り難いんすけどねー」
と言いながら席に着く。
「オーダーはスタッフさん達の仕事なので」
「いらっしゃいませ。メニューです。ご注文がお決まりになりましたらお呼びください」
一人がそう言ってキッチンへ向かうと、もう一人が水の入ったグラスとおしぼりを持って来る。そのスタッフに、
「あ、注文いいですか?」
と、作業が終わらないうちに声を掛ける。
「少々お待ちください。……お待たせ致しました。ご注文をどうぞ」
慌てず対応して湯川さんの注文を取っている。……飲食経験者なのかな。それならばと、少し意地悪な質問をしてみる。
「おすすめはありますか?」
「えーと……」
想定内だったと見え、すぐに注文を済ませた湯川さんが、
「では僕は今からスタッフ側なので」
と立ち上がり、指導を始める。
無事におすすめを伝え、全員の注文を取ってスタッフと湯川さんがキッチンへ向かうと、ユミちゃんに
「チーフ絶対やると思いましたよ」
と笑われた。
「練習なんだから、当然でしょ?」
「それじゃそろそろ俺らもお手伝いに行ってきます」
「はい、頑張って」
奥の方では次はこれ、その次はこれと、湯川さんの指導が続いていた。そこへ三人が合流して、キッチンとのやり取りも始め、カトラリーやお皿の準備がされていく。
準備のできたカトラリーは各テーブルへランダムに運んでいる。テーブルナンバーを確認しながら覚えさせているようだ。
「カトラリーはこちらからお使いください」
そう言ってカトラリーの入ったカゴをテーブルの真ん中に置いて、ユミちゃんは席に着く。
「あら、もうおしまい?」
「もうすぐ料理が出来上がるので、一つずつ運んできてみんな座ります。三鷹君が張り切って仕切ってるので、私が一番に座る事になったんです」
続いて中村君がサラダを運んで来て席に着く。
「すぐ湯川さんと三鷹がスープ運んで来るんで」
言葉通り、すぐに二人がスープを運んで来て席に着いた。
「後はスタッフさんが運んで接客の練習です」
「慣れてそうだったけどね」
「接客はしてたそうなんですが、飲食は初めてだそうです」
それは、注文の時悪いことをしたかな?
「多少意地悪かなと思うくらいの質問をしてください。対応を学ぶ良い機会なので」
しっかり心の中を読まれているようだ。
「色んな人がいるものね。少しでも慣れるといいけど」
「でも意地悪な質問って、言われると出てこないよね」
「俺たち善良な会社員には無理っすね」
「誰が善良?」
二人の掛け合いが楽しすぎて、大笑いしていると、メイン料理も運ばれて来た。
「サラダもスープも手を付けてなかったわ。全部置けるかしら?」
「大丈夫です。全部揃って食べてもらいたいっていうのが奈良井さんのこだわりなので、テーブルのサイズは大きめなんです」
「それを三鷹君が言っちゃうとダメじゃん」
ユミちゃんがすかさずつっこむ。
「あー!すみません。スタッフさんの……」
「という事で、他のお客様にはそう答えてくださいね」
にこやかに湯川さんがスタッフさんに伝える。スタッフの二人も三鷹君が頭を抱えて反省しているのを見て、クスクスと笑いながら返事をした。
「テーブルのサイズは奈良井さんと三鷹君がお皿のサイズまで計ってこだわったからね。思わず説明したくなったのわかる」
「そうだったんだ」
私のいない間に細かな調整をしてくれていたようだ。
「メイン料理もすぐ来ることをサラダやスープを持ってきた時に伝えておくといいかもしれませんね。後で提案してみます。では、頂きましょうか」
湯川さんがそう言って食事を促す。
「そうですね。頂きます!」
各々カトラリーを手に取り、料理を口に運ぶ。店舗が出来上がると引き継いでしまうので、内装グループが開店前に料理を頂くことは滅多にない。
「美味し〜い」
ユミちゃんはかなり好みの味のようだ。
「湯川さんはいつも味見されてお手伝いされてるんですか?味を知らないとおすすめとかわからないですよね」
三鷹君がそう質問すると、湯川さんは、
「そうでも無いですよ。フォレストではスタッフ研修にも同席してましたから、一緒に味見させていただきましたけど。まあ、半々ってとこですかね?メニューにできるだけわかりやすく料理の説明を書くように勧めてますから」
そう答えた。
「三鷹、お前メニューちゃんと見てないだろ?割と想像できるようにおすすめは詳しく説明書いてるぞ」
中村君にそう言われてメニューを手に取り確認している。
「味のポイントだけでも写真に添えてあると分かりやすいからね。そう言ったところは営業の段階で伝えてるから」
「ライバル店の情報を集めるのも同じ。経営していく上で必要なものを先を見据えて他の部署から提案していってる。チームはお客様がいらした時から始まってる」
「勉強になります」
新店運営の勉強会が終了すると、湯川さんがこちらの近況を尋ねてきた。
「ところで、関西支部はどう?チーフ。社長がまさか君を行かせるとはね」
「実家へ帰らせたかったんじゃ無いですか?」
「あー、そっち。入社当時の知ってるヤツらは、社長がとうとう会社を準備したって」
「そんなわけ無いでしょう。チーフにもやっと上げてくれたばっかりですよ」
周りが少し不穏な顔をしている。
「会社を準備って、社長とどんな関係……」
思い切って言い出した中村君の頭を、ユミちゃんが思い切り叩いた。
「え、ちょっと、喧嘩始めないで。湯川さんが余計な事言うから」
「あはは。ごめんごめん。聞いてるかと思ってたよ。大里とか部長も知ってる事だし、ネタにでもされてると思ってたよ」
「するわけありません。悠香チーフが黙ってません」
「ああ、斎藤がそういうの嫌うか」
湯川さんは大里チーフと同期で、悠香チーフを斎藤と珍しく苗字呼びする 。
「あのー、それで……」
もう一度我慢ならなかったらしく、中村君が聞いてくる……ユミちゃんに警戒しながら。
「ウチの父親と社長が知り合いなの。子供の頃から知ってるおじさん。入社するまで隠されてたのよ」
「あれ?採用試験、社長と面談もしませんでした?」
「ありえない事に、私の時だけ無かったの!面接にいなかったのよ。信じられる?」
そう言うと、みんなが大笑いした。
「いや、社長らしすぎる!会社を準備したかも?ってのも有り得そう〜!」
「ユミさん、チーフに睨まれてる……」
中村君が弱々しくユミちゃんに注意を促す。
「何とでも言ってちょうだい。どうせコネ入社だし」
「コネ入社にしたくなかったから面接に社長がいなかったんじゃないですか?」
三鷹君がコネ入社を否定する。
「さすがチーフ信奉者」
「中村君茶化さないの。でも、そうかもしれませんよ?」
「神田君の例はどう説明する?同じじゃない?」
実際コネ入社がいただけに、自分も同じだったと言わざるを得ない。
「さすがに違いすぎますよ。チーフはちゃんと大学で専門的に学んできてるじゃないですか」
「神田君は上層部と言いつつ、取り引き会社のゴリ押しでもあったみたいだから、断れなかったらしいよ」
「湯川さん詳しすぎません?」
「それがまた僕の担当でもあったんで、色々と耳に入って来てたんだよ。オフレコって言いながらね」
湯川さんはそう言いながら苦笑している。なるほど、なんらかに巻き込まれているということか。
「ま、そういう事だから、君の場合とは違うよ。だいたい、比べものにならないでしょ」
Kチームの面々もこちらを向いて深く頷いている。
「ありがとうございます。好きで続けている仕事なので、そう言って頂けて嬉しいです。みんなもありがとう。みんなが支えてくれてるからこそ、仕事が楽しいんだと思う」
「やめてくださいよ、そんなしみじみと」
「あら、今日はみんなに感謝を伝える会だと思ってたけど?」
「感謝とか、それは、嬉しいっすけど、そうじゃなくって……えーと」
考えのまとまらない中村君に痺れを切らして、ユミちゃんが続ける。
「今日は私たちが感謝を伝える会だし、Kチームで楽しむための会です!」
「いやぁ、ごめんね。なんだか僕が掻き回してるよね」
これには全員で全力で否定する。首をぶんぶん振りながら、三鷹君が言う。
「湯川さんはなにも悪くないですよ!ずっと計画の相談にも付き合って貰ってきたのに恐れ多い……」
「なるほど。湯川さんも」
「ちょっと!三鷹君ネタバレしないで!」
慌てるユミちゃんが三鷹君に今にもつかみかかりそうだ。
「もうそこまでネタバレ気にしないでも良くない?色んな人にお願いして、相談して、手を借りて。大切なことよ?頼れる人がたくさんいて良かった。安心した」
「………」
「経験上、自分だけでできる事って凄く少ないのよ。みんながいるからきっと何でもできるの。だから、どんどんみんなに甘えていいし、私も、頼って欲しい。関西支部に行ったって、私は私だから、いつでもみんなの仲間だから。私はこのチーム、解散だとは思って無いわよ?」
「チーフ〜」
「ちょっと大里チーフ預かりになるだけっすね」
「わかりました。それまで精進します」
「精進って……大袈裟な……」
三鷹君の言葉選びについ、そう言って笑ってしまう。すると我慢しきれなくなったのか、ユミちゃん、湯川さん、中村君と次々に笑いが連鎖していった。
「ダメっすよ!チーフ笑っちゃ!」
「中村君も笑ってるじゃない」
わいわいとしていると、奈良井さんがデザートを運んで来た。スタッフの二人は手早く空いた食器を片付けて行く。
「楽しそうでなによりです。さて!今日は特別にデザートをランクアップさせて頂きました。こちらは通常のソルベ。それと……」
「ご栄転とのことでお祝いのケーキをご用意させて頂きました」
奈良井さんの後ろから、コック帽を被ったパティシエであろうスタッフが、直接ホールケーキを運んで来てくれた。ケーキには“ご栄転おめでとうございます”の文字。そして、花火がパチパチと音を立てて煌めいている。
「わあ、凄い!」
ユミちゃんもこれは知らなかったらしく、感嘆の声を上げた。
「チーフになったばかりなのに肩書きだけ上げるとかなんだかね」
「新米チーフから本社のチーフ達と同じ肩書きになるんでしたっけ?」
やたらと詳しく知っている。湯川さんは一体どこから情報を集めてくるのだろう?
「そうなんすか?湯川さんどうしてそんなに詳しいんすか?」
おなじく不思議に思った中村君が湯川さんに詰め寄る。
「ちょうどこの間人事と色々話すことがあってね。その辺りの事も教えてくれたんだよ。その代わり大変みたいだぞってね」
「慣れない環境ですもんね」
「ごめんね、実家で地元で」
「そういう人もいないと回りませんよ。わかってて行くように仕向けたんですかね、社長」
若干恨めしそうな声と顔で三鷹君がそう言うと、湯川さんが笑いながら、
「ほんとに三鷹君はわかりやすいなぁ。Kチーフ愛されてるねぇ」
と言った。すると、三鷹君がまさかの反論。
「その言い方は誤解を招きそうなのでやめてください」
「えっ!三鷹大丈夫か?!」
まさかの言葉に中村君が三鷹君の肩を掴んで顔を覗き込んだ。
「いや、さすがに私もびっくり」
そう言ってユミちゃんは三鷹君と私の顔を交互に見て様子を伺っている。
「そりゃ三鷹君も学習するでしょ」
「でも三鷹っすよ?」
「いつまでもチーフを困らせるのは得策だとは思えないんで」
そんな事を言ってる時点でどうかとは思うけど……。
「それではケーキを切り分けさせて頂きますね」
花火が落ち着いたところで、待機してニコニコと話を聞いていたスタッフがケーキを切り分けてくれた。
「凄い凄い!萌え断!」
表面がシンプルな代わりに、中にフルーツをふんだんに使って、断面がとてもカラフルだ。
「スイーツに力を入れるとは聞いていましたが、これは凄い演出になりますね」
「チーフさんにそう言って頂けると自信になります」
奈良井さんが満足気にそう言いながら、ケーキを配膳していく。
「素敵なケーキをありがとうございます」
「いえ、こちらこそお世話になりました。お陰様でこんな素晴らしいお店になりました。関西支部に行かれてもご活躍を期待しております」
いつの間にかスタッフの皆さんが集まって、全員で挨拶をして下さった。
「ありがとうございます。keywordの成功をお祈りしています。お料理はもちろん、今日に至るまでの皆さんの言葉を胸に頑張ります」
奈良井さんに促され、皆がケーキに手を伸ばし、堪能しながらお喋りを愉しむ。
「色々ありましたよね。この短期間で大切な事を物凄くたくさん学んだ気がします」
ユミちゃんがそう言うと、中村君も続く。
「俺も環境も立場も変わってないようで変わってて、今の聞いて頑張んなきゃなあって改めて思ったっす」
そして三鷹君も。
「俺ももっと頑張ります。負けてらんないですよね」
そんな私たちを見ていた奈良井さんが、
「店名のkeywordには、そうやってたくさんおしゃべりして、人生のささやかな自分のキーワードに出会える場所になればいいなと思って付けたんです。誰かの言葉が誰かの心を動かすキーワードになる瞬間が生まれる場所になれるように日々頑張って行きたいと思います」
と、店名の由来を教えて下さった。
「素敵ですね!キーワードかぁ……」
ユミちゃんがなにやら、記憶の中のキーワードを探っているようだ。
「そんな想いがあったんですね」
「誰かの心を動かすキーワード……」
それぞれに思うところもあるようで、口々に感心の声を発している。
「Kチームの皆さん本当にお世話になりました。湯川さんこれからよろしくお願いいたします」
「こちらこそありがとうございました。湯川さん、後はよろしくお願いします」
「僕に言って頂ければ、いつでもこいつら呼び出しますから」
「だから、それやめてくださいってば!後は湯川さんの仕事ですってば」
本気で嫌がるユミちゃんに湯川さんが大笑いする。
「湯川さん、可愛いKチームのみんなをいじめないでもらえます?」
「いやぁ、楽しいね。そんなに構えなくても大丈夫だよ。チーフいなくても、変わっても、Kチームなら大丈夫。自信持って!」
そう言って思い切り肩を叩かれた中村君が、手にしていたコーヒーをこぼしそうになってみんなで慌てて、顔を見合わせて大笑いした。
「さあ、それではそろそろお開きにして仕事に戻らないとね。奈良井さん、長い時間付き合って頂いてありがとうございました」
改めて今日のお礼をする。
「いえ。お祝いできて良かったです。片付けはこちらでしますので、皆さんそのままお帰りくださいね。お会計の方も、事前に頂いてますから」
財布に手を伸ばしたのを目ざとく見つけられてしまった。
「ご馳走様でした。素敵な時間になりました。お料理もケーキもとても美味しかったです」
「ありがとうございました」
Kチームが挨拶を済ますと、湯川さんは打ち合わせにもう少し残ると言う。
「後でまた会社でね」
「はい、最終引き継ぎですね。では後ほど」
「失礼します」
店を出て歩き出すと、中村君が、
「湯川さん、気を使ってとかじゃないっすよね?」
と言い出した。
「ホントに打ち合わせだと思うわよ。気を遣うなら今日一緒に食事もしないわよ」
「全く、そういうとこだけ気弱よね」
女二人にそう言われ、頷いていた三鷹君もろとも打ちのめされて、
「女性陣の強さって一体どっからくるん」
つい関西弁で愚痴っている。
「頑張ってよね。本社盛り上げ頼んだわよ」
「うぃっす。チームごと関西支部に呼んで貰えるように頑張ります」
そう言って、少し慌てた様子で男二人顔を見合せている。ユミちゃんが気付いていないようなので、敢えてそこは流しておく。
「さあ、切り替えて仕事仕事!」
湯川さんがいてくれたお陰で、お別れ会にならずに、楽しく食事が出来た気がする。どちらかと言うと、そうならないように気を遣わせたのかもしれない。




