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keyword  作者: 藤華 紫希
1/6

2025/5/13_20:19:37

 五月末。ゴールデンウィークもそろそろ忘れ去りつつある頃。

  駅の改札を通り過ぎ、早足で出口に向かう。混雑した歩道をバッグを抱え直しながら進むと、恭弥(きょうや)が横断歩道を渡っておはよ、とやって来る。そして、少し遅れて佐奈(さな)が後ろから追いついて私に抱きつく。いつもの、よくある朝の光景。そして背の高い二人の会話は、いつも私の頭上でやり取りされる。

「おっはよー。相変わらず仲が良くて、いいわねえ」

「毎朝同じ時間に来るだけでしょ。とっくに恭弥とは終わってるって言ってるじゃない」

「そうそう。どんだけ言ったってなびいてなんてくんないんだから。オレはいつでもウエルカムなんだけどさぁ」

  大学から付き合って、上手い具合に同じ会社に就職したものの、それぞれの部署の忙しさにもまれているうちに、佐奈や、その他と変わらない”ただの同期“に自然となっていた。

  女友達と二人で平気で飲みに行くような、軽い恭弥の態度に一年と経たず私は自然消滅だと思っていたのに、二年目にしてオレ達って…と確認して来た恭弥を笑い飛ばしたのも、はや、八年前の話だ。

  それでも未だに佐奈がからかって来るのは、この恭弥の軽い受け答えと、何故かそのまま本命らしき彼女を作らずにフリーでいるからだ。

「あ、ヤベ。あんまチンタラ歩ってたら会議間に合わねぇんだった。じゃな!先行くわ」

  手をヒラヒラさせて駆けて行く恭弥を佐奈と二人で見送る。

「ほらー。急いでるのに健気にあんたに話しかけてたんじゃない」

「顔合わせて挨拶してただけなの毎朝見て知ってるくせに。やり直す気も今更私には無いわよ。それこそ狙ってんなら、早く告りなさいよ」

「ホンっとーにいいの?」

「私が許可する事でも無いでしょ。それなりに他部署でも恭弥モテてるらしいし」

   180センチの高身長で、見た目もそれなり、営業でも成績をあげてなかなかの有望株らしい。

 営業成績は、ただ調子が良くて口が上手いだけだろ、とツッコミを入れたいところだが。

  佐奈みたいにお伺いをたてて来るコが不定期にいるわよ、と友達のよしみで伝えると、

「やっぱり他にも狙ってるコいたかー。これはそろそろ行かなきゃかなぁ……ホンっとーにいいのね?私本気で行っちゃうよ?」

 再確認が入る。

「恭弥とはただの腐れ縁。今は本当に佐奈と同じで、同期の仲のイイ奴ってだけよ」

  私の中で一度切れた気持ちは二度と繋がる事はない。

 誰ソレが復縁したって話も聞くけれど、私には理解できないのよねぇ。と呟くと、

「あんた有望株にウエルカムとまで言わせといて勿体無いわねぇ」

 とため息混じりに返された。

「それでホントに私が戻ったら困るくせに」

  さらっと言ってやると胸を押えて、ううぅっと大袈裟に反応する。

  そうこうしているうちに、会社のフロントにたどり着き、同僚達に挨拶しながらロッカールームに向かう。制服に着替える部署が少数派の事務系だけで、ロッカールームは手荷物が多い時に利用する程度。早々に出て行く方が多いからか、いつもがらんとしている。

  少数派事務職、人事部所属の佐奈が着替える間お喋りに付き合うのも、すっかり日課になっていた。

「辞令出たよ、あんたの」

「辞令?」

「明日から新人配置だから、その前に各部署の昇格の辞令」

「そっかぁ。新人研修終わったんだぁ。また忙しくなるわねぇ」

  通常業務プラス新人指導は、直接指導役に付かなくても中々骨の折れる仕事だ。

「えーと、感想がおかしいよ?ポイントズレてる事ない?あんたの辞令が出たって言ってるのに」

「それは部長から聞くからいいわよ。元々打診があって、辞令待ちだったし?」

「うわ、そうか、コイツも有望株だった。あーやだやだエリートコースの女なんてッ!」

  しっかり社内掴める人事部に入り込んでいる佐奈の方がよっぽどエリートだ。

「働き蜂は大変なのよぉ。内勤事務の女王蜂と違って」

「やだー。クイーンだなんて…私未婚よぉ。プリンセスにしといて」

  両手でぶりっ子ポーズをとって、なかなかのボケっぷりである。

  ため息を吐いて脱力していると、

「さてと。お付き合いご苦労、働き蜂君。始業時間ですわ。参りましょうか」

  どこが姫だ。しっかり女王モードだ。

「はいはい。女王様」

 ……今日もがんばりますか。


  内装グループに着いて挨拶を交わし、自分のデスクに荷物を置くと、フラフラ歩き回っていた部長が隣で止まってA4の紙をヒラヒラさせ、私の頭上から目の前に差し出して来た。

「はい、辞令書。と、共に新店舗『keyword(キーワード)』の責任者をお願いします、チーフ」

  おおぉ、やっと出たかー。(ケー)チーフおめでとうございます。と、グループ内から声が上がる。

  内装グループ内では、面倒くさがり屋の部長の影響で、担当店舗名や頭文字でチーフを呼んでいる。

「わー、ありがとうございます!でももうちょっとちゃんと(・・・・)辞令受取りたかったなぁ」

  ちゃんと、にしっかりアクセントを付けて、少しいじけてみる。

  こういう部長がいるからか、グループ内はかなり砕けた喋り方が許される。私が既に勤続十年というのもあるが…。

「…いらんってことかなー?」

  と、辞令書に手を伸ばして来たので、ヒョイと背を向ける。

「有り難く承ります」

  そして、素早くデスクにしまう。代わりに肩をポンポンと叩いて、

「頼んだぞ。明日から新人も来るからな」

  と含みのあるお言葉が返ってくる。

「何気にしれーっとおっしゃいましたけど、まさか新店舗担当なのに、新人も私ですか?!」

  にっこり笑顔を作って

「当たり前じゃないかー」

  と言い置いて、自分のデスクに逃げた。

「さぁさぁ、辞令発表も済んだ事だし、仕事仕事」

  どんな辞令発表だっ!と噛み付きたかったものの、反論は受け付けそうにないので、せっかくの昇格辞令なのになぁと呟きながら、大人しくイスに座ってパソコンに向かう。


  『Keyword』は、小洒落たレストランだけど気軽に入れる店というのがクライアントの希望だ。ターゲットは二十〜四十代のオフィスワーカー、席数六十程度。オフィス街からも駅からも程近い、好条件の物件。もちろん競合店もそこそこある。それだけに、如何に客を呼び込めるか、競合店との差別化もしっかり図らなくてはいけない、気合いの入る物件だ。

  チーフとして、初めて手掛ける仕事に、これ程の物件を用意してくれた上司に本当に感謝だ。

「ユミちゃん。競合店の下調べに早速取り掛かってちょうだい。中村君はクライアントと打ち合わせのアポ取っておいて。」

  はーい。了解。と二人からの返事を聞いて、パソコンに改めて向かう。イメージは今3パターンくらい浮かんでいる。一旦画を起こしておくか。


  昼休み。お弁当を食べ終えて、自販機前の休憩スペースでカフェオレをすすっていると、恭弥が隣りにすとん、と座りに来た。

「佐奈に、付き合ってくれって言われた。」

「モテるねぇ。佐奈イイコだよ。」

「知ってる。お前と仲いいヤツだから。」

 恭弥を見上げると、少し難しい顔をしていた。微笑みながら言ってみる。

「知ってるなら、難しく考えることないじゃないの?」

「こんな事お前にしか相談できないなんてな……俺ってダメなヤツな。ダメさついでに聞いていいか?」

「どうぞ?」

「俺とはやり直してくれないんだよね?」

「私の性格知ってるくせに」

  答えなくても、恭弥は知ってる。

「だよな!今更いい女過ぎてさ。惜しくなった。」

 恭弥が立ち上がる。

「向き合わなかった俺ってホントダメなヤツ。……佐奈の事、ちゃんと考えるよ。ありがとう。」

 優しい、大きな手が肩に触れる。

「うん。ありがとう。」

 顔は見ずに、送り出す。知ってるから。恭弥がどんな顔なのか。私が、何をしたのか。

  ふと思い出して手の中のカフェオレを煽ってみたら、空だった。

 …仕事に戻りますか…


  怒涛のチーフ一日目。夕刻。

「Kチーフ今日の進捗状況の報告。」

「クライアントとの打ち合わせが二週間後の六月九日にセッティング。競合店のピックアップができたので、明日からチェックに入ります。イメージパースが三つ程できたので、部長のパソコンにデータ送ってあります」

「データ?」

「あぁ……やっぱり見てないんですね……明日朝イチでチェックしてくださいよ。新人も合流なんでしょ?説明も必要なんですよ。打ち合わせに間に合わなかったら責任取って貰いますからね。」

 グループ内で笑いがおきる。良くある事だが、それで遅れる事もあるだけに、ここでちゃんと言っておかないと。

「このくらいで、大した遅れにならん、ならん」

「…朝イチでミーティングできない時点で結構な遅れです。それとも新人、別グループか、別チーフに預けて下さいますか?」

「……悪かった!部内一口が上手いお前に勝てる訳がなかった」

「色々押し付けるからでしょう…。データチェック頼みましたからね。」

 そーだそーだ、とKチームから拍手までおきて、部長がうるさい!と一喝するものの、他チームにまで笑われて威嚇にもならない。

「Kチーム進捗報告は以上です。」

 他の二チームの報告も続き、全ての報告が済んだところで終業時刻になる。殆どがそのままデスクについた。外回りに出て直帰します、と言う報告が数名あったぐらいで、中々帰れる者は居ない。

「おいおい。残業ほどほどにしとけよ。俺は上に報告終わったら帰るからな。」

 了解です!と、各チーフが返答する。

 他チームは、もう大詰め追い込みで帰ってる場合じゃない、と言うところだろう。

 Kチームは、時間内に新店舗の仕事に走りまわり、終わってようやく、新人教育の資料作成に取り掛かれたところだ。チームが発足した以上この先早く帰れるとは思えないだけに、今日はできるだけ二人を早く帰したい。

「中村君、ユミちゃん、どうせ明日部長のチェック待ち時間があるから、キリのいいところで帰っていいよ。私の説明先にする予定だしね。」

「ありがとうございます!でも、部長、新人は完全にチーフに付かせるつもりみたいでしたよ。それだと、私達先に説明した方がいいし。」

「えー。」

  デスクに突っ伏す。

「どうも学生のうちからデザイン事務所とかで経験積んでたみたいで、チーフ候補で育てるからって事みたいっす」

 うわ、マジか…。

「なんか、めちゃくちゃ疲れが襲って来たわ」

「タイミング悪かったわねー。あたし達が追い込みじゃなきゃ3チームで回せたのに。」

「しんどい時は言ってよ。俺らもフォローするからさ」

「チーフ陣心強いです。ありがとうございます。」

  頼りになる人達だ。ほんの一ヶ月前まで、この二人に付いて、仕事を学ばせて貰っていた。

「それと、昇進祝いは追い込み終わってからで勘弁してねー。打ち上げついでに盛大に準備するからね!」

 追い込み中でも、これだけ気が回る悠香(はるか)チーフには、ホントに頭が上がらない。

「はい。ついでに、よろしくお願いします。」

「じゃ、チーフは今日は帰ってください。私達は明日から外回りで上司の顔見ないで済むので気楽ですし、適当に直帰しますので。」

 あぁ、部下もなんて心強いんだろ。本当に居心地の良いグループだ。ひとえに先輩チーフの教育の賜物だ。

「じゃ、今日は帰る!明日は競合店のデータ取れたらすぐこっちに送ってね。そしたら、教えながら仕事進められるし。」

「そうですね。新人に仕事ができればチーフも自分の仕事ができますね。了解です!」

「じゃ、お先に失礼します!」

 帰れー帰れーと、ぶっきらぼうで、優しい声があちらこちらから聞こえる。ステキな職場に、私は恵まれた。

 明日から、また、頑張ろう。


 電車を乗り継ぎマンションに辿り着くと、流石に気が張っていたのか、いつも以上に疲れている事に気付いた。ここ二年間程は新店舗も任され、ほぼチーフの状態だったが、上に一人付いてくれているのと、自分で回していくのとでは、やはり勝手が違う。

「チーフ達凄いよなぁ。」

 部屋着に着替えて、とりあえずチューハイ片手に座り込んで疲れを癒やす。

 明日の行動を考える為に今日一日を振り返っていたら、昼休みで思考が停止する。

 …良かったんだよね?アレで。

  自分の中でも、甘えられる恭弥の存在が、大きかった事に驚く。チーフとして独立し、甘えられる恭弥まで手放した事に気づいて不安がよぎる。

 …大丈夫。仕事が忙しくて、気になんてならないはずだから。

「明日から新人も来るしねぇ。使えるコだといいなぁ。……さて!グタグタ言ってても疲れるばっかりなんだから、とっとと風呂入って食って寝るぞ!」

 そう宣言して立ち上がる。

 後ろは、振り向かない。

 先輩チーフに教えて貰ったじゃないか。

 前向き、前向き。明日も頑張ろう。


「おはよー。」

「佐奈、おはよう。昨日早速告ったらしいじゃない?」

 相変わらず後ろから抱きついて来た佐奈に、先制攻撃。

「何それ。恭弥そんな事までアンタに報告したの?」

 攻撃方向間違えたかな…。

「報告って言うか、相談?アイツチャラ過ぎて友達いないから。」

「なるほどねー。」

 大丈夫。佐奈は、そんなヤツじゃない。

「ちゃんとオススメしといたわよ。恭弥もちゃんと考えるって。」

「ホントに?ありがとう。」

 更にぎゅーと……

「苦しいから離して〜。」

 朝っばらから往来で、コイツは……

「あ、ごめん。お詫びに新人情報。学生時代からデザイン事務所で勉強して来たエリート候補君だって。」

「あ、それ知ってる。部長がユミちゃん達には言ってたみたい。」

 あからさまにがっかり肩を落とす。

「じゃあ、アンタのファンだっていうのはー?」

「はぁ?」

 自分でも驚くくらい大きな声が出て口元を慌てて押さえる。案の定若干の注目を浴びていた。いや、その前からこの状況は注目されてたのかもしれない。

「そういうワケわかんない事言わないでよ。」

「何処だかのその子のとーっても好みの現場でアンタが仕切ってるのを見かけたんだって。」

「へぇ…何処だろ…」

 自分の現場を気に入ってくれた、というのはかなり嬉しい。


「おはようございます。」

 新人配置がある為、出社した者みんなが自分のデスクに着いている。……いつもグタグタなのにねー。

 デスクのパソコンを起動していると、お気楽部長が新人らしきを従えてやってきた。そのまま部長のデスク前まで進み、

「揃ってるな。ちーと早いが、急ぎの用事も抱えてるから始めるぞ。」

 グループ内にクスクスと笑い声が広がるが、無視して続ける。…もちろん新人は、不思議そうな不安顔で部長を眺める。

「新人の三鷹(みたか)君だ。」

三鷹創(みたかそう)です。よろしくお願いします。」

 若いなー。元気な挨拶に、グループ内も盛り上がる。

「Kチーフ、後は頼んだぞ。俺は急ぎの片付けてるからな。」

「はい。急ぎでお願いします。」

 今度は、遠慮無く笑いが起きる。

「三鷹君、チームの紹介するからこっちへ。」

「はい。」

 中々機敏な動きで、Kチームに合流する。

「Kチームの今取り掛かってる資料がこれ。昨日この二人が纏めてくれたの。まずは、これくらいの資料作成をする事が三鷹君の仕事になります。で、申し訳無いんだけど、時間がないので二人挨拶をしたら外回りよろしく。私は一旦部長見てくるから、終わったら三鷹君はそこのデスクで資料に目を通しておいて。」

「え、チーフ、自己紹介は?」

「Keyword担当のKチーフです。よろしく。ね、後はユミちゃん適当に!部長何気にデスク離れてるから捕まえないと!」

 あちゃー…と中村君とユミちゃんが頭を抱え、周りも状況把握して苦笑が漏れる。

 部長のパソコンを確認すると、案の定チェックされた形跡は無い。

「了解です!こっち何とかして外回り行って来ます。」

 よろしくー!と叫んで、部屋を飛び出す。多分喫煙室か営業課だろう。スマホを取り出して、恭弥を呼び出す。

「恭弥?ウチの部長来たら捕まえといて!!」

「了解。あの人も困ったもんだよなー。」

 恭弥も慣れたもので、詳しくも聞こうとしない。

「急ぎだから。来たら連絡お願い。」

 返答も待たずに通話を切る。これで向かう先は1つになる。……あっっれだけ急ぎだって言ってたのに!居心地の良さは部長が作ったのかもしれないが、仕事に関しては専門外の部署…営業からの異動だったからか、こちらの感覚と違う事が良くあるのだ。

 しかも営業職から外された感もあるせいか、フラッと部屋を抜け出す。そして、用事を忘れて他部署で他の用事を引っ掛けて来る。

「部長!良かった、ここに居た!」

「おう、Kチーフ。どうした?」

 脱力。

「どうした?じゃないですよ。朝イチだって言ったじゃないですか。休憩入れないでくださいよ。」

「悪い悪い。タバコ休憩くらい出来そうかと思ったんだけど。そんな急ぎなら、俺のチェック外してもいいんじゃないの?」

「見といてくれないと困るんです。戻りながら説明します。動いてください。」

 はいはい。と生返事をして、隣に並んで歩き出す。チェックの必要性を滾々と説明し、すぐに許可が出ないと他部署に迷惑が掛かる、新人も困る、果ては営業の方にまで影響が出て来る、と訴えてようやく済まないね。急ぐよ。と言う言葉が返ってくる。

「とりあえず、これがデザインです。プリントアウトしました。意見はデータの方に付けてください。そして経理の方にデータを送ってください。経費の試算が出て、ようやく私達は動けるので。お願いしますよ。」

 昨今の不景気で、経理から予算を取るのが会社の優先事項になり、取る為に部長の意見が重要になってくる。かえって素人目にどう映るか、が一般的な意見で説得力があるのだ。

 そこまで説明を終えると部屋に着き、他チームにお帰り、ご苦労様。と迎えられる。

 挨拶もそこそこに、そのまま部長のデスクに向かい、スリープ状態のパソコンを起こす。意見を書くのみ、の設定をして部長を座らせる。

「はい。どうぞ。」

 歩きながら考えは纏めてくれたらしく、キーボードをカタカタ鳴らして即経理に送ろうとしたところで待ったをかける。

「返答を私にも送るように指示を付け加えておいてください。そうすれば部長がまた私に転送する手間が省けます。」

 手間と言うよりは、またフラッと居なくなって探さなくても済む方が大きいが。

「なるほどねー。じゃ、俺はこれで次動けるね。」

「はい。ありがとうございました。」

 これで返答待ちをするだけだ。その間に新人に仕事を指示しなくては。

「三鷹君、資料に目、通せた?」

「はい。」

「今日は、二人が競合店巡ってデータを送ってくれるから、その資料作りをして欲しいの」

 以前作った資料と、昨日ピックアップしてくれた競合店データを見せる。

「データ入力の形態は、昨日の内に三鷹君のパソコンに入れてあるから。」

 そこまで説明したところで、つかつかとこちらへ寄って来る足音に気付いた。慌ててこちらから駆け寄る。

「恭弥!忘れてた。ゴメン。部長捕まった。…また消えてるけどね。…こっちまで足運ばせちゃって悪かったわね。」

「外回りに出るついでに来ただけだから気にすんな。ここ今かなり忙しいだろ。来た方が早い」

 さすが良く把握している。営業で取って来た仕事を回すタイミングも、恭弥はちゃんとわかっている。

「大丈夫かぁ?テンパってんじゃないの?」

「結構ねー。何だか三日分もう仕事した気分。」

「おいおい。まだ始まったばっかだぞ。ほら、新人も待たせてんじゃねーの?熱い視線を感じるぞ。」

「さては。佐奈からいらない情報聞いたわね…」

「ま、頑張れよ!」

 そう言って頭をノックするみたいにコツっと叩かれた。

「だね。ありがとう。」

 返事は無く、手をひらひらさせて歩いて行く。

「イイ男だねえ、相変わらず。」

 悠香チーフがいつの間にかやって来ていた。

「ホント出来るヤツですよ。ああいうのが同期に居てくれて助かります」

 彼女の下に長期間付いていた事もあり、恭弥との事もなんとなく知っている筈だ。

「さて、仕事しなきゃー。三鷹君にも配属初日からバタバタして申し訳無いったら」

「まぁ、無茶はしないでね。」

 はい、と答えてデスクまで戻る。

「ごめんね、三鷹君。同期に部長の捜索依頼してたの忘れてたら確認に来られちゃった。」

 もう、笑い話にするしかないよねー、と言いながらパソコンを操作する。

「ちょっと待ってね。メールだけ一つ入れておくから。」

 経理の同期に、さっきのデータを至急で回すように手配する。

「同期は大事よ。どれだけみんなに迷惑掛けてるやらって感じだけどね。」

「チーフの同期は何人くらいいらっしゃるんですか?」

「営業三人、経理二人、人事二人かな。今年は少ないんだっけ?」

 ここ三年程は二、三人しか採用していない筈だ。

「はい。営業に一人いるだけですね。」

「それじゃあんまり私の話は参考にならないかぁ。」

「いえ、参考にします。」

 真面目ねー。とからかって仕事に取り掛かる。

「さっきの資料のデータ入力出来そう?」

「はい。今ネットの口コミを少し入れてみました。」

 編集画面を覗いて確認する。

「うん。いいわね。そんな感じで続けて頂戴。もうそろそろ第一弾の報告が来るでしょうから、書き足していって。わからなければ聞いて頂戴」

「はい。」

 中々爽やかな青年だ。仕事も資料作成くらいなら難なくこなせそうだ。これなら安心して自分の仕事が出来そうだ。


 ユミちゃんと中村君はそれぞれ二軒のランチ営業の店をまわり、データを送信して気になったのか一度社に帰ってきた。

 ちょうど自販機で飲み物を買っているタイミングで、二人にブラックを買って差し入れる。

「チーフって、デスクで淹れるのはブラックなのに、ここで飲むのはカフェオレなんですね。」

「自販機本当は好きじゃないから、甘ーいのにいっちゃうのかも。冬場はココアも良く飲んでるかなぁ…で、どうしたの?ゆっくり外回りしてくると思ったのに」

「そのつもりだったんですけど、新人放り出したままも気になっちゃって。」

「俺もなーんか落ち着かなくって。いっそ帰るかーみたいな感じで見に来ました。」

 全く。この二人も気を回し過ぎる。

「前情報通りかなり出来るみたいよ。そうね…今晩一番良さそうなお店で合流しよう。三鷹君の配属祝い。」

「いいですね。一石二鳥」

「今日は定時で連れて出るわ。それまでに店決めておいて。」

「了解。向こう着くまでに相談します。じゃ、私達は少しグループに顔出したらまた外回り行って来ます。」

 二人はコーヒーを飲み切って早々に動き出す。見送ってから自分のカフェオレのプルタブを開ける。


 夕方、早々に部長に進捗状況を報告し、定時になってすぐに席を立った。三鷹君が忙しそうにしている他チームに気兼ねして、初日から先に帰るなんて…と言っていたが、競合店調査の勉強だと他チームの面々に諭されて昨日同様帰れコールで送り出された。


「手伝わなくて本当によかったんですか?」

 外回り組と合流する為、最寄り駅から歩き出した時、まだ納得のいかない様子で、問いかけて来た。

「いいのよ。あの段階になったらチーム外の人が入ったって邪魔になるだけなのよ。それよりは、次の仕事に向けて自分のチームの空気を整えて行く方が、後で他のチームに迷惑掛けないで済むしね。」

「チームの空気ですか…」

「明日余裕があったら、飲み物でも持って他のチームを少し見せて貰うといいかもね。同じ事やってるのに、空気が違うから。」

 納期が同じで、ほぼ同じ内容の事をしていても、部下一人違うだけで仕事は回らない。それぞれの空気を纏い、それぞれの形を作っている。

「飲み物とか、そういうお手伝いなら出来そうですね。」

「余裕があれば、ね。明日は多分遠慮なくデータ送ってくるわよ。」

 今日の仕事ぶりを見ればわかる。ユミちゃん達も今日はかなり手加減していた。

「チーフ!ここです!」

 大きく手を振る中村君が、夜の雑踏から現れた。

 思ってた以上に駅からのアクセスはいい。

「三鷹君、ここがKeyword。私達の担当店舗」

 ユミちゃんがカギを開け、中にはいる。

「広いですね。」

「何も無いからね。でも、この広さは忘れたく無いなあ。雑踏から入って、おっ、広いじゃん、て感じて欲しいっすよね。」

「都会の異空間へようこそ、みたいな。」

「いいじゃない。都会の異空間は提案してみるわ。」

 明日はそのテーマで新しいイメージと、訂正イメージ作成しよう。

「現場に来ると、色々浮かぶものですね。正直なところ、そこまで競合店チェックに手間かけなくてもって思ってました。ネットでもかなりの情報が集まったので。」

「ネットは宣伝だからねー。私達の欲しい情報とちょっとズレてるんだよね。」

 三鷹君がここへ来た理由を理解したらしいのを見て、ユミちゃんが嬉しそうに答えると、

「口コミよりも聞き込みだよ、三鷹君」

 と、先輩風を吹かせて中村君がつづけた。

「さて、お店行こうか。今日は予約したの?」

「してません。平日のこの時間はあまり混んでいないという情報だったので」

 彼女の情報は信用性が高い。まだ時間も余裕があるし、のんびり話ながら向かっても十分だろう。

「それじゃ施錠確認。」

「はい。」

 二人がぱっと奥へ向かい両側に散る。

「三鷹君右側をお願いね。」

 言いながら自分は左側の設備の確認に向かう。それぞれがテキパキと仕事をこなして、入り口に戻ると、ドアの施錠をして確認。

「では、案内お願いします。」

 大袈裟にお辞儀をして案内を頼むと、

「かしこまりました。」

 大袈裟に中村君が返してくれる。ユミちゃんが笑いながらこちらです、と案内を始めた。


 まだ開店三年目のその店は、シンプルな造りで、店構えも意外とひっそりしていた。立地条件が良いと、これだけシンプルでも客が集まると言う事だ。

 情報通りピークにはまだ早いらしく、空いていた席にすぐ通された。

「中もシンプルな造りですね。飾りたてない分客を選ばないんすかね。」

「そうねぇ…まだ三年だと、どうかなぁ。」

 調査員二人が真剣に店内を吟味している。

「見ようによっちゃシンプル過ぎて病院っぽいけどね。」

「わぁ、チーフ辛口ー。」

「この後どう変わって行くか、ってところかな。これだけシンプルなら、少しずつ変えて楽しめそう。」

 そこにどのくらいお金と時間をかけられるか。目新しい一、二年は客足はそこそこの筈だ。この三年目に考えないと競争で生き残るのは難しいだろう。

「私なら、もう手を打ち始めてるんだけどなぁ…」

「どうやってますか?チーフなら」

 かなり小声で言ったつもりが、聞こえたらしい。気になったのか、三鷹君が聞いてきた。

「あくまで個人的に、なんだけど。…データも無いからね…早い時間で雑誌片手に落ち着いている客が居るってことは、割りと静かな店なのかな、と。それなら、もう少しグリーンを入れたりして落ち着いて行った方がいいな、と、思う。」

 ウチの優秀な調査員が良さげな店と言っている、と言う事は、味、値段に良い所と言う事だろう。それが病院っぽい感じの内装では、少し寂しい。

「実際アンケート中美味しいんだけどね、と言う意見をちらほら聞きました。味はこの辺イチみたいですよ。」

「楽しみー!いろんなの頼んじゃお。」

「リサーチの一環ですか?」

 あまりにも真面目な質問に、三人が顔を合わせてキョトン、とした後に笑い出す。

「三鷹君真面目過ぎ!そりゃそれもあるけどさぁ。今日は配属祝いだって」

 中村君が三鷹君を諭し、ちょうどやって来た店員に食べ物を適当に頼む。その間に飲み物を決め各自注文する。

「乾杯したいから、飲み物早めにお願いします」

「はい。かしこまりました」

 戻ったその足で持って来たのだろう。飲み物は直ぐに持って来てくれた。

「それじゃ、Kチーム発足&三鷹君配属おめでとう!」

 中村君が音頭をとり、それぞれおめでとう、ありがとうと言い合ってグラスを鳴らす。

「三鷹君、今日一日チーム入って見てどうだった?」

「勉強になりました。以前バイトしてた所よりも効率もいいし、勉強してきた事を活かせる仕事をさせて頂いて有り難いな、と。」

「堅いよ!堅い堅い。私らがこんなんなんだからさぁ、もうちょっと砕けようか」

 大してまだ飲んでもいないのに、こういう会になると、ユミちゃんのテンションは一気に高くなる。

「流石に一日目でそのテンションにはなれないわよ。」

 中村君のユミさんは別格、と言う追い打ちもきて、そんな事ないっ、と二人じゃれ合う。

「ねぇねぇ、チーフに憧れて入社したって聞いたけど、ホント?」

「えぇっっ!」

 本人ではなく、中村君が驚いている。

「うるさい。こっちがびっくりするでしょー。ね、三鷹君、どうなの?」

「どこの現場で見かけたの?」

 既に情報収集済みの私も聞いて見たかったので、ユミちゃんに乗っかってみる。

「なんで僕だけ知らないんすかー。」

 中村君の愚痴は無視である。

「参ったなぁ。バレバレで恥ずかしいですね。」

 頭に手をやり、予想外の展開に流石に照れている。

「面談で語ったら、そりゃ人事で有名になるわよ。」

 この際からかってみる。今後ずっとからかわれるであろうネタだ。模範解答を今のうちに探しておいた方がいいだろう。

「人事…あぁ、同期の方に聞かれたんですね。そんなに語ったつもりはないんですけど。ここに配属って事は、そうだったんですかね。」

 まとめきれず、答えない訳にもゆかず、といったところか。

「ねぇねぇー。チーフをどこで見かけたの?」

「あ、えっと。フォレストって店なんですけど」

 なるほど。

「高山店長の。いとこ君だ。」

 三鷹君が、にこにこ笑いながら頷く。

「いとこ君って?」

「高山店長がよく話してたの。設計デザインやってるいとこが居るって。かなり店のデザインやりたがったけど、まだ学生だし任せられないから、断わったのに手書きパース渡されたって」

 思い出してカバンをごそごそし始めると、流石に出て来るモノに気付いたらしい三鷹君があわてる。

「まさか、出て来ないですよね?」

「そのまさか、があるんだな」

 昨日は最近の資料を参考にして貰うために、整理をしていた。その中にまだ手書きパースが残っていたのを今日資料と一緒に持ち帰って来たのだ。

「へぇー。学生の割にはしっかり考えられてますね。」

「うん、知識詰め込みましたーって感じ」

 二人の褒めてるんだか、貶してるんだか分からない感想が飛ぶ。

「学校以外の知識も入ってるなぁと思ってきいたら、案の定先輩の設計事務所に時々手伝いに行ってるって。」

「チーフその事務所に頼めば良かったのに、って言ってましたよね。」

 ユミちゃんが思い出したのか話し出す。

「でも高山店長が総合的にバックアップが欲しいからってウチに決めて下さったって言ってましたね。」

「いとこ君の意見も入れましょうよって、言ってできたのがこれだったのよね。」

 フォレストの完成形のCGパースを差し出す。

「これ、凄い衝撃を受けました。自分の意見がそこここにあるのに、全くの別物になっている。俺には思いつかないものが更に上乗せされて。」

「そりゃ憧れるわけだ。しかもあれだろ?できたら、これ以上の仕上がり。脱帽もんのデキだったもんなぁ。フォレストは。」

 懐かしそうにデザイン画を手に取り、ほれ、ここなんてスゴクね?などとやっている。

「内装グループどころか、デザイン部で絶賛でしたもんね。」

「このパースがあったから、負けられないって思ったのかもね。高山店長の好みを把握してるし、かなり頑張ってる絵だったから」

「うわー。もう、やめてください…勉強もして来て、それ、かなり恥ずかしいです。今見ると。」

 片付けて下さい、とテーブルに置かれた手書きパースをこちらへ渡す。くすくす笑いながらCGパースも回収してカバンにしまうと、

「実は内装始まってからも結構見に行ってたんです。どうやるんだろうって気になって。女性が取り仕切って、的確に指示を飛ばしているのも凄く衝撃だったので。」

「チーフまだチーフじゃかったから、デザインは女性だけど、現場は男性が出て来ると思ってたのね。」

「えーと、大里(おおざと)さん…Dチーフだって聞いていたので。」

 その頃は、大里チーフに付いて何件かに一件現場を任されていた。フォレストはデザインのデキも良く、上の方からもそのまま任せてみれば、と言われたらしい。

「フォレストも行ってないなぁ」

「こう競合店回りが多いと行けませんね。定期的に回るのは、別部署ですからね。」

 総合的にバックアップしている、と言う事は、それだけの部署があり、そこで適切に相談にのっている。それぞれがそれぞれ専門の仕事をするだけだ。

「あ、料理が来たみたいですよぉ」

 こちらへ向かってくるウエイトレスを目敏く見つけたユミちゃんが感嘆の声をあげる。

 見た目が綺麗で、メニューに見劣りしていない。

「美味しそう!」

 ユミちゃんは語尾にしっかりハートマークをいっぱい付けて、ここで完全に飲み会モードに突入した。


「ごちそうさまでした。すみません奢って頂いて……。」

 お祝いだからと、頑として三鷹君の支払いを拒否して、三人で割り勘で支払ったのをまだ気にかけている。会社方面までは同じ方向で、二人になってから、もう二駅もすぎた。しかも三度目の言葉だった。意外とお酒に弱いのかもしれない。

「何だか憧れの人が居るってだけで、あたふたして、すっごい呑んで、すみません。えーと、よろしくお願いします」

 言っている事もかなりめちゃくちゃだ。

「分かった分かった。次、私降りるから。ちゃんと帰ってよ。」

「大丈夫です!寝ないように、立って行きます!」

 寝なくても怪しいけど。

「それじゃお疲れ様」

 電車が止まると、挨拶をして、手を振った。

「お疲れ様でした!あぁ、好きな人が手を振ってくれてるー」

 いつの間にか憧れじゃなく、好きな人になっている。本人声を出しているつもりが無いのかもしれない。

 聞かなかった事にして電車を降り、乗り換えに急いだ。




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