第九話 目の前のあなたに見入る
翌日、私はジョーとマーゴットとともに第一訓練室へ向かう。シンクレア様に魔法を教えて貰えることにジョーは完全に浮かれていた。
「なぁなぁ、ほんまにシンクレア様に教えて貰えるん? 楽しみやわぁ」
「私もある意味楽しみで、ある意味では憂鬱かも」
「なんやそれ」
「早急にレイピアを出したいし、強い魔法を使えるようになりたい。だから魔力最強のシンクレア様から手ほどきを受けられるのは凄いありがたい。でもさ……」
「でもさ?」
「私……あの人苦手なんだよね」
「なんで? シンクレア様はめっちゃガートルード気に入ってるようだけどなあ」
「え゛、やめてよ」
「兄ちゃんが妹の面倒見てるって感じや」
「シンクレア様が兄とか……ムリ」
「あんな兄ちゃんおったら絶対ええに決まっとるやないか! こうして月門に入ったあとまで面倒みてくれるし、魔力は強いし、何より顔がええ。そういえばオシアノン王国の王太子様も、なんやシンクレア様みたいで素敵やったなあ」
「あの王太子様? シンクレア様になんて似てたかしら?」
私はどちらかというとクライヴに似てると思ったけど。
キャッキャしているジョーを見ながら、なんだかこの状況に笑ってしまった。彼女は本当に明るい。いつの間にか心は鬱々とした気持ちを抱かなくなっていた。出会って一週間の間だけでも、彼女は沢山笑わせてくれる。
ジョーは喜怒哀楽の喜楽で出来ているような子だ。まあ、まだ出会って一週間なのだから表面的な部分しか見えてはいないのだろうけど、いつか彼女の四つの感情の残り二つを見る日が来るのだろうか。怒りはなんだかんだすぐに見れそうだが、哀の感情だけは彼女には似合わなすぎて想像もつかない。そんな彼女がいつか哀しむ姿をみせた時は、彼女が私にしてくれたように、私も彼女の心の霧を晴らしてあげられるだろうか。
第一訓練室に着き扉を開けると、すでにシンクレア様とクライヴが部屋の中央で待っていた。天井の高い、広い室内空間は、壁に大きな国旗と月門旗が掛けられ、いくつか火のない松明台が置かれているだけで他には何もなかった。今はまだ朝なので、部屋の明かりは太陽光だけで十分だった。
シンクレア様が私達の方へ歩み寄って来ると、私の両サイドに立つジョーとマーゴットが緊張しはじめたのが、空気を伝わってわかった。
シンクレア様は私の前で止まり、両手を出して来た。
「ガートルード、さあ手を」
言われるまま私も両手を差し出すと、シンクレア様はそっと指先を掴み、目を瞑る。
目を閉じて何かを祈るような姿のシンクレア様は、神々しく、大神官らしい。思わず見入ってしまえば、段々とシンクレア様の触れる指先から、じんわりと温かさを感じ始めた。と思ったら、すぐにシンクレア様は手を離した。
「はい、これで終わりです。ガートルードはそのまま進んでクライヴ様に稽古をつけて貰ってください」
「え? これで終わりですか?」
廊下で憂鬱とか言ってたのがまさか聴こえてたのだろうか?
だがしかし、特にこの心の声にもシンクレア様は反応は示さず、淡々と説明してくれた。
「まだレイピアは出せませんが、問題はなさそうです。でも無理は出来ないので今日はここまでで、残りの時間は剣の稽古を」
シンクレア様は早く行けと言わんばかりに部屋の中央で待っているクライヴを指差す。
私は本当にこれで終わりなのかと困惑しつつ、クライヴのもとに向かう。ジョーとマーゴットはシンクレア様が魔法の訓練をしてくれることになり、部屋の中で二手に分かれての訓練が始まった。
「な、言った通り俺は月門の中でも聖女と会えるだろ?」
「……わかった! クライヴは宦官ね!」
「いやいや、そうじゃない。それより早速始めよう。まずは、そこに置いてあるレイピアを持って」
クライヴは今日はいつも腰に携えている剣ではなく、レイピアを持っていた。もちろん魔法で出すレイピアではなく、普通の武器であるレイピアだ。
クライヴは手に持つレイピアの剣先で、訓練用のレイピアが置かれた場所を指し示す。それを手に持つと、なかなかの重みがあった。
「シンクレアには特に魔法とか気にせず普通のレイピアの稽古でいいと言われてるから、そのようにする。さあ、背筋を伸ばしたアップライトで構えて」
「はい」
クライヴの稽古は厳しく、昼休憩など取る暇もなくどんどんと先に進んで行く。
「そうじゃない、手首を柔軟に返すんだ」
「まっすぐ突き進むんじゃなく、相手の側面を取るように回りながら」
どれくらい時間が過ぎただろう……ぜぇぜぇと息が上がる。
僅かに視界に入ったシンクレア様たちが訓練をしていたはずの場所には、すでに誰もいなくなっていた。思わず顔をそちらに向けてしまった瞬間、顔の横にヒュッと鋭く俊敏に風を切った音が聴こえて身が縮んだ。
ゆっくりと顔を前に戻せば、すぐ目の前にクライヴの真剣な顔があった。レイピアを突き伸ばした彼の右腕が、私の左耳の横にある。
互いに息が上がったまま、わけもわからず見つめ合っていた……。
なぜ、私はオシアノンの王太子がクライヴに見えたのだろうか……。
彼を見つめれば見つめるほど、王太子とクライヴはまったく似ていないことがわかるのに。
彼の瞳は、安らぎを与えてくれる深い夜空のように優しくて、息が止まりそうなほど綺麗で、誰にも似てなんかいなかった。
オシアノンの王太子やシンクレア様のような、強烈に人を惹きつける美形ではないかもしれないけど、クライヴにはクライヴらしい人間味溢れた男性としての魅力がある。
「そんなに見つめるなよ。俺に惚れたか?」
「聖女になる女に……そのセリフはタブーだから」
「それもそうだな」
クライヴは伸ばしていた腕を戻すと、私から視線を外してレイピアの手入れを始める。
「ガートルードはなかなか筋が良いな。正直レイピアは決闘以外では実戦向きじゃないが、ここまで出来るなら、魔法のレイピアなんて使ったら凄い事になるのかもな。ま、魔法が使えない俺にはわからないけど。でもまあ、シンクレアの考えたことなんだから、やってて損はない稽古なんだろう」
「シンクレア様のただの嫌がらせだったら悲惨だわ……」
「あはは、あいつツンケンしてるから疑う気持ちもわからなくもないが。でも、根は良い奴だから。きっとこれもお前のためだよ」
きっと、私を早く成長させるためにしてくれているのは間違いないのだろう。だけど、シンクレア様は私の為にしているのではない。すべては、イヴを見つけるためにしているのだと思う。