第五話 シンクレアの心の声
意味深な発言と表情を見せるシンクレア様に、私はひやりとした。
シンクレア様は、戦争でも起こると言いたいのだろうか?
「そこまでは言ってません」
シンクレア様はそう言って微笑んでから、また歩き出す。驚いて一歩出遅れていた私は、慌ててシンクレア様の後を追いかけた。
「シッ、シンクレア様!? やっぱり心の声が聞こえるんですよね???」
私の問いかけに、シンクレア様は笑うばかりで、こちらに振り向きもせず歩みを進める。
「そっ、そんなことして、そんな態度だと、友達いなくなっちゃいますよ!!」
「はは、もともと友達はいないので問題ないですね」
「イヴは? イヴは友達じゃなかったんですか? きっとイヴはシンクレア様を大神官様としてではなく、信頼できる友達だと思ったから私のことを話したんじゃないですか?」
私の言葉に、にこやかだったシンクレア様の口角が、ゆっくりと下がっていくのがわかった。そこから数歩歩いた部屋の前でシンクレア様は立ち止まり、黙ったまま扉を開けて私を中へ通してくれた。
部屋の中に一歩足を踏み入れれば、高い天井には古代神話のワンシーンである神々の戦いや、敗れた邪神が落ちてゆく姿が描かれており、その荘厳な天井に感動しながら視線を下げると、次に目に飛び込むのは立派な執務机の背後にある、大きな窓から差し込む美しい太陽の光。温かな陽射しと、神々で満たされた部屋は、太陽神殿の大神官に相応しい執務室だ。
「そこに座って。この書類を読んで納得したらサインを」
執務室のソファに座り、ドンッとテーブルの上に差し出された分厚い書類に目を通す。
これが、純潔の誓いか。
聖女になる者は、太陽神殿で純潔の誓いをするというのは有名な話だけど、想像していたのは大神官の前で胸に手をあてて宣誓をするとかだと思っていたのに、ちゃんとした書面契約だった。
内容も、魔力を失わないために男性との情交を禁止することや、魔法習得後は聖女となり国の為に戦うといった誓約内容から、国の契約として聖母年金や聖女に支給されるものなどお金に関する内容などなど……。
「これ……全部読むんですよね?」
書類をめくる途中で限界がきて、対面に座るシンクレア様を見て尋ねてしまう。
「はい」
シンクレア様の返事はそっけなかった。
なぜか張り詰めた空気が漂っており、意味の分からない圧を感じながら黙って書類を読み進めていると、突然キーンっと耳鳴りがする。
『イヴは私を友達だと思っていたのでしょうか……』
シンクレア様の声が私の身体の中に響いた。今の声は確実に声帯から出る声ではなく心の声だ。
私はまたも書類からシンクレア様に視線を戻してしまう。
「魔力をそうやって漏らすから、心の内にも侵入されるんです。だから、しっかりと学んで魔力をまずはコントロールしてください。それだけで、あなたの心に侵入するものはいなくなる」
「やはり、私の声が聞こえていたんですね」
「聞こうと思った時だけです。心を覗くにも魔力を消耗しますから。ただ、ガートルードの場合は、あまりに魔力の使い方をわかっていなくて、時々ガートルード自ら私に思念を送ってきていたんです。ちなみに心を読んだり、思念を送る魔法はかなりレベルが高いので、誰でもできるわけではないです」
「……じゃあ……えっと、つまり、私が勝手にペラペラ喋っていたようなものですかね……」
「まあ、ほとんどは」
なんだか急に恥ずかしくなって、まともに文字も読めなくなり、残りの書類はザッと読んでサインした。別にどんな内容だろうと、私にはもう月門に入るしか道がないのだから問題ない。
私はサインした書類をシンクレア様に差し出し、今さらながら真剣な表情で伝える。
「イヴは絶対にシンクレア様を大切な友達だと思っていたはずです。だって、あの堅物のイヴが私の秘密を打ち明けるくらいですから、相当シンクレア様を信頼していたと思います」
シンクレア様の心の声に対して励ますつもりで伝えたのだが、返って来た反応は私が期待していたものではなく、むしろ私の言葉で一層傷ついたかのような憂いを含んだ笑顔だった。
手続きが終わり、シンクレア様が太陽神殿と月門を繋ぐ渡り廊下の途中まで私を連れて行き、そこで待っていた初老の女性に私を引き渡した。
「それではガートルード、頑張ってください。また会いましょう」
シンクレア様がそう言って私の額に指先をあてると、先ほどの契約兼誓約書の内容がスルスルと頭の中に入って来る。
「え? こんな事できるんですか? じゃあ何で私、あんなに必死に読んだの???」
「イヴが私を友達だと思っていたとか言うからですよ」
「へ!?」
シンクレア様は片方の口角だけ上げて、悪そうな笑みをみせた。その瞬間、執務室では意地悪をされたのだと気づいた。
結局怒ってるの? 何なの?? 絶対性格悪いと思う、この大神官……。
初老の女性は私の腕を掴み、クイクイッと引っ張る。
「さあ、ガートルード、月門へ参りましょう」
「あ、は、はい。えぇー……?」
シンクレア様の真意に困惑してひきつった顔のまま、初老の女性に半ば無理矢理腕を引っ張られて月門へ引きずられて行く。
大神官シンクレア様はそんな私を笑顔で手を振って見送ってくれていた。