第四話 太陽神殿と王太子
馬車に揺られ、石畳を歩く馬の蹄の音と、回る車輪の音を聞きながら、私は対面に座るシンクレア様とクライヴが話している様子をぼーっと眺めていた。彼らは太陽神殿に着いた後の打ち合わせをしている。
……てか、この人……絶対、心の声が聞こえてるよね???
私は視線の先をシンクレア様に絞った。
なぜシンクレア様は私に二歳の弟がいることを知っていたんだろう? それもイヴが話した可能性は大きいけど、それにしても、時々シンクレア様は私の考えを見透かしたように物事を話す。神官には心の声が聴こえる能力があるとかだったら、一緒にいる時は気を付けなくてはならない。
試しに挑発して反応を見てみようか。
シンクレア様のあんぽんたん。
……。
シンクレア様は依然としてクライヴと真剣な表情で話している。
……お顔が殺風景になってますよ。
……。
シンクレア様が突如私の方に振り向き、穏やかな、それでいて冷ややかな大人の笑みを見せた。
「今大事な話をしています」
……!! 絶対聞こえてる!?
「なんでも聞こえるわけじゃないです」
聞こえてんじゃんッ!!
私は青ざめた顔を静かに横に向け、窓の外の移り変わる街の景色を見つめながら聖歌の歌詞を心の中で唱えた。心を無にして、シンクレア様に声を聞かれないようにしている。無我の境地で聖歌第三番『再生の光振るいて』まで唱え終える頃、向かいの二人は会話が終わっていたようで、クライヴが私に声を掛けて来た。
「ガートルード、太陽神殿に到着したら君と私はそこで一旦お別れだ」
「馬車を降りたらすぐ?」
「内神殿までは一緒だ。君はシンクレアと一緒に大神官の執務室へ行って誓約をし、そのまま月門へ。月門に入れば生活に必要な物はすべて支給されるから何も心配ない。実家への連絡や年金関係はシンクレアが滞りなく進めてくれるから、そこらへんも全て安心して大丈夫だ」
「そう……じゃあ、あの、これをクライヴに」
私はペティコートスカートのポケットから小袋を出し、腕を伸ばして対角線上に座るクライヴに差し出す。何を差し出しているかわかったクライヴは、視線を小袋から私の目に移し、受け取ろうとしなかった。
「なんだこれは?」
「私の全財産。昨日今日と心から感謝してる。元々これで護衛を頼むつもりだったけど、必要なくなったし、結果的に先に進めたのはあなたのおかげだから。対価としては少ないと思うけど、どうか受け取って」
クライヴは腕を動かす素振りも見せない。絶対に受け取る気はないときた。彼の視線は先ほどから私の目にしか向いていない。
「困窮した家で、この金をかき集めるのは大変だったろ? どうしたんだ?」
「……隠していた、祖母の形見だったムーンストーンの指輪を売ったの」
「じゃあ、これで買い戻せ」
「いいえ、これであなたに借りを返す」
「借りなんてない」
このやり取りに痺れを切らした私は、身を乗り出してクライヴの手元まで小袋をつき出した。大きく縦に揺れた馬車に体勢を崩してしまい、思わず小袋を落としてしまった。床に金貨が数枚散らばり、私はまだ揺れる馬車の床にしゃがみ込み、必死に落ちた金貨を拾い集める。そしてひざまずいたその状態で、かき集めた金貨をクライヴの手のひらに置いて握らせた。
「形見の指輪は、こんな額で取り戻してお終いに出来るような価値じゃないの。あの指輪を売った私は、イヴを見つけ、真実を知ることをしない限り、二度と指輪を手に出来ない。お願いだから受け取って。あなたに会えたからこそ、一歩先に進めたんだから」
クライヴは黙って私を見つめたまま、手の中の金貨をポケットに入れた。
「ありがとう、クライヴ。これはあくまで助けてくれた対価。あなたから貰った服や食事や一泊の寝床は、お言葉に甘えてありがたく受け取るわね」
クライヴはクスっと笑ってくれた。
「ああ、おごりはありがたく受け取っておくものだ」
「いつか私もおごりたいわ。……また会えること、願ってる」
「すぐにまた会える」
まっすぐにこちらを見てそんな事を言うクライヴに、私は思わず軽く笑ってしまった。
「純潔を誓って月門に入ったら、男性は神官くらいしか接触出来ないし、神官とも会うのは限られてるのよ。知ってるでしょ? それに、魔法を覚えたらきっとすぐに魔物との戦いに行くことになる。そうなればいつ死んでもおかしくない。神官でもないクライヴと会うのは、もしかしたらこれで最後かもしれないわ」
クライヴは私の両手を握り、にっこり微笑む。
「それは、聖女と間違いが起こってはいけないからで、間違いが起こらない相手なら、月門の中でも聖女と男でも会えるんだよ」
「間違いが起こらない? そりゃ、クライヴとどうこうなるつもりもないけど」
「おい、地味に傷つくな。これでも俺にすがる女は山ほどいるんだぞ?」
「は? どっちなの? すがってほしいの? 間違いが起きないって言ったり、意味がわからないんだけど」
「いや、もういいや。とにかく、俺と聖女が男女の関係になるなんてことはありえないんだよ。だから、きっとすぐに会えるさ」
「よくわからないけど……じゃあ、よろしく」
クライヴはやっと私の手を放してくれた。
いよいよ馬車が太陽神殿に到着し、私達は神殿内に入って行った。太陽神殿には一般の人々も礼拝や神官の治療を受けに来ていたり、神殿内で働いている人もいて、厳かな雰囲気のなかにも人通りは多かった。神官たちは治療室か内神殿にいるので、多くの人々が出入りする表拝殿にはほとんどいない。一般人が神官に会えるのは、治療室か、何かの祭事で神官が人前に出る時くらいだ。
だから、真っ白なローブを着た、威厳溢れるシンクレア様が表拝殿の中央を歩くと、誰もが注目し、その威光に息を呑んでいた。
内神殿に入るとすぐ、クライヴが私達に挨拶をする。
「じゃあ、俺はこっちだから。シンクレア、またのちほど」
「私も彼女を月門に送り次第すぐに向かいます。殿下は昼までには到着されると思いますから、それまでにはクライヴ様もお支度を」
「それにしても、何をそんなにしょっちゅう訪ねてくるやら……」
クライヴはかったるそうに天井を見上げてから、私達に手を振って反対方向に行ってしまった。
「シンクレア様、先ほど殿下っておっしゃいましたけど……」
「ええ、オシアノン王国の王太子殿下がいらっしゃるんですよ」
「おっ、王太子殿下!?」
「自国の太陽神殿と月門に行けばよいものを……わざわざ魔物の出る道を掻いくぐって、我が国まで来るんです」
「え……それは……」
シンクレア様は歩みを止め、涼し気な表情で私を見つめた。
「きな臭いでしょう?」