第三話 あなたは神官?
「私の母は、神官との儀式などしていません。それは調べて貰えばわかる事。だから、私が魔力を持つはずがないわ」
私は目の前に立つ美しい男の目を逸らさないよう、力を入れてそう言った。そんな私の目を、男はさらに強い圧を込めて見つめ返して来る。耐えきれず一瞬だけ目が泳いでしまった。しまったと思った時、男は口を開いた。
「でも私はあなたの魔力が視える。あなたが儀式を経ずに産まれたのなら……」
男の視線は私の頭に移った。そしてまた私と視線を交わすと、目つきが柔らかくなり、ふっと笑った。張り詰めていた空気が一気に緊張を解いた。
男は雨に濡れたローブを脱ぎ始め、下に着ている白いシャツとベージュのトラウザーズパンツの姿が現れる。幸いローブの下までは濡れずに済んだようだ。
ローブの下は庶民的なのだなと思って見ていれば、女将が慌てて戻って来るなり男の頭に大きなタオルを乗せてくしゃくしゃと拭き始める。
「まったく、宿の前で馬車を降りたからっていっても、この雨の中で立っていたら数分でも風邪を引くでしょ。突然帰って来るから驚いたじゃない」
「クライヴ様に急ぎの用事があって、ここにいると思ったんだ。今夜は泊めて貰って、明日朝一でクライヴ様と太陽神殿に戻る」
「久しぶりに会えたのに……そんなに早く戻っちゃうのね」
「急に実家に戻って母さんに会えるなんて、それだけでも特別なことだよ」
しょんぼりと眉尻を下げた女将を、神官は優しく抱きしめた。二人はどうやら親子の様だ。女将の髪が痛んでいるだけで、髪色は同じだし、目鼻立ちも似ていなくもない。
私は清潔だが侘しいキッチンを見回す。本当に彼が神官で、女将が聖母であるなら、祝金と年金があれば、それなりに修繕が出来るはず。なんなら、ランニングコストの方が多そうな宿屋なんてしなくてもいいくらいなのに……。
タオルで濡れた髪を拭いている男をまた見つめる。
ローブを脱げば、彼の服装は町人と何ら変わりない。彼が魔法を使わない限り、彼が神官だと証明するものはないが、ただ、彼の姿はやはり私達と同じ人類とは思えないほど美しい。それだけでも神懸かった神官であるという証明にも見える。
「あの……あなたは太陽神殿の神官様ですか?」
「そうです」
ああ、やはり。
「あの……じゃあ、女将さんは聖母様ですよね?」
「そうですね。なのに生活が厳しそうと、そう言いたいのでしょうか?」
「あ、いえ……はい、失礼ながら」
神官は人の心までも読めるのだろうか? それとも私があからさまな表情をしていただろうか。
私は申し訳なさげに、チラリと女将さんを見た。女将さんはそんな私に優しく微笑んでくれた。
「あはは、聖母年金には手を出していないんだよ。なんだか、悔しくて……」
女将さんは笑いながら、悲しそうな表情を見せていた。その姿をみれば、それ以上聞くのも野暮だと思ったが、神官もそれ以上追及させないためにか話に割って入って来た。
「ところで、あなたの名前を伺ってもいいかな?」
「ガートルード・ジェラドニーです」
私の名前を聞いて怒りを露わさなかった者がまたも目の前に現れた。しかも、この神官は怒りでも戸惑いでもなく、名前を聞いて微笑んだ。
「やはり、あなたはイヴの姪っ子だったか」
「え……」
「イヴは、妹の様に可愛い姪が月門に入り苦しむのを望んでいなかった。だから、あなたはイヴから魔力がある事を隠すように言われていたのですよね?」
「……はい。なぜ、それを?」
「イヴから聞いていたから」
「神官と聖女は接触が制限されているはずなのに、神官様はイヴと親しかったんですか?」
神官は視線を下げ、一呼吸おいてから頷く。
「聖女が負傷すれば、治癒魔法をかけるのは神官です。だから決闘の間では、神官がすぐに対応できるよう控えているでしょう? まったく接点がないわけじゃない」
「はあ、そうなんですね……」
では、イヴはこの神官に怪我の治療をしてもらっている時に、私のことを話したのだろうか?
私にあれだけきつく魔力のことは隠すよう言っていたのに……?
「さて、ガートルードはなぜ私の実家にいるんですか?」
「あ……」
神官の問いに答えようとした時、夕食の場でクライヴと女将さんにも話すつもりだったことを思い出す。私が言葉に詰まったのを見て、クライヴが先に神官に話した。
「彼女が道に迷ってたから、俺がここに連れて来たんだ。雨も降って来たから、今夜は泊ってもらってる」
「へえ……道に……」
神官は疑うような目で、私の手首に出来た痣に視線を送った。
「本当は、誰かに襲われていたのをクライヴ様が助けたとかではなくて?」
「シンクレア、お前何を言ってるのかわかってるのか?」
ずっと軽い調子だったクライヴから、初めて威圧的な空気を感じた。私が神官の問いに言葉が詰まったのを、昼間の出来事に傷ついて話したくないと思っているのだろう。それで、必死に私の尊厳を守ろうとしてくれている。
「クライヴ、大丈夫よ。神官様、その通りです。暴漢に襲われているところをクライヴが助けてくれました」
「ではなぜ、襲われたのですか?」
「おいっ、シンクレア! それ以上口を開いたら許さないぞ」
クライヴは鞘から剣を一息で引き抜き、シンクレアと呼ばれる神官の喉元にあてた。
「クライヴ!! 私は大丈夫だから、剣を収めて!!」
私がクライヴの腕に手を添えると、数十秒の間クライヴは目を合わせないシンクレアを睨みつけ、そしてクライヴは苛立ちながら剣を鞘に収めてくれた。
「神官様、私はイヴを探すために家出をしました。城壁を出るため、冒険者ギルドで誰か護衛をしてくれる人を探しに行ったところ、名前と出せるだけの金額を伝えた途端、彼らに襲われたんです」
私の返答に驚いた声を上げたのはクライヴだった。
「そうだったのか?」
私はクライヴと、そして少し離れた所でオロオロと見守ってくれていた女将さんに申し訳ない顔をして頭を下げた。
「こんなに良くしてくださって感謝しています。でも、家には送らないでください。明日私は一人でここを発ちます。手持ちのお金はどうしても冒険者を雇うのに必要で、今は1ゴールデナも使えません。でも、代金はいつか必ず払いに戻ってきます」
「代金なんていらないよ。旦那様だってそんなの求めていないさ」
「冒険者ギルドに行けばまた襲われるだけ。だからと言って一人で城壁を出たら即死でしょうに」
そう言い放った神官は、冷静な表情で私をまっすぐ見ていた。
「なら……私には魔力がある……魔法が使えるはず」
返事をするというよりも、自分に言い聞かせるように口にした。
私はもう家を出た。祖母の形見だったムーンストーンの指輪も売った。
あのまま家にいても、何も変わらないから。むしろ、事態は悪くなる。
蔑まれ、罵られ、飢えに苦しみ、まだ二歳の弟に十分な食事も与えられない。
何より、イヴはこの国の為に自分の全てを捧げて来た人で、万が一誰かと恋をして誓約を破ってしまったとしても、それは罵声を浴びるようなことだろうか?
魔力を保持するために、誰かと愛し合うことを禁止される方が、私は罵声を浴びせるべき非道だと思う。誰かを真に愛する気持ちが芽生えてしまったら、それは簡単にコントロールできるものでもないはず。子供を持ちたかった聖女だっているはずだ。
彼女達は魔力を持って生まれた時から愛を禁止され、自由意思を持つことも出来ず、ただ国のために命を捧げている。
そもそも、イヴは誓約を本当に破ったのだろうか?
私は彼女の本質を知っている……彼女は、たとえ誰かを愛したとしても、誰よりも使命感が強かった。
この国や家族を見捨てることなんて絶対にしない。
彼女がこうなったのには、必ず理由があるはず……それも自分のためではなく、使命のためだ。
「私は、絶対にイヴを見つけたいんですっ!!」
……つい、叫んでしまった。
興奮した心臓は早鐘を打ち、合わせるように呼吸も荒くなる。
「なら、月門に入りなさい。ちゃんと基礎から魔法を学ぶんです。きっとその青臭いだけの言葉も姿も成長することでしょう」
「え?」
私は神官の言葉に呆気にとられ、きょとんと彼を見た。
「独学で魔法修得は現実的ではない。それも、短期間に。明日、私達と一緒に太陽神殿に行くんです」
「でも、月門は……」
「入った方がいい。それだけで、あなたの希望がすぐに一つ叶う。聖母年金で家族は食事に困らなくなる。あなたの二歳の弟も」
「あ……」
神官は私に近づき、厳かな動作で私の額に指を軽くあてる。
「ああ……素晴らしい魔力だ。きっと、イヴを見つけられる」
その言葉に思わず目を見開き、神官を見てしまった。きっと彼も、イヴを信じている。
「私の事は、シンクレアと呼んでください。シンクレア・レイノルド。太陽神殿の大神官です」
私は驚きすぎて言葉を失った。