第二話 この世界は
大陸には四つの国があった。グレイド王国、オシアノン王国、サンディヒル王国、ホワイトマウンテン王国。
聖女の施す結界が届く範囲が一つの国。それぞれの国は結界城壁で守られ、その入口には月門があり、次に太陽神殿へと続き、その二つを越えてやっと入国できる。
月門には聖女とその候補生達が暮らし、外にはびこる魔物達から城郭国家を守っている。そして太陽神殿では、神官たちが聖なる魔法で人々の怪我や病気を治癒し、魔力を持つ魔法種と呼ばれる子供を生み出す力を、選ばれし女達へと注ぐ。
魔法種の女性は初潮を迎えると月門に入り聖女となる。そこからは国の為に命懸けで魔物と戦う人生になる。魔法種の男性は八つの年に太陽神殿に連れて行かれ、聖職者の教育が始まる。成長し、十八歳の成人を迎えると神官となり、そこからは人々を治癒するだけでなく、魔法種存続のための種馬とされた。
ちなみに聖女は純潔を誓わされる。理由は、男と交わった瞬間に魔力が消えるからだそうだ。そして魔法種の男は、魔法種の女よりも圧倒的に数が少ない。だから、彼らは危険な戦いには絶対に送られず、月門の後方で聖女達に守られている。
だけど、どちらにせよ、聖女も神官も称号を与えられた奴隷だ。
裕福で高貴な家の人間は奴隷を生み出さない。魔法種を産むために選ばれる女性——聖胎——は決まって生活苦にあえぐ者達。その中から、健康面や社会的評判など様々な条件を満たした者が神官との聖なる儀式を迎えられ、見事魔法種を産めば、生母の家には祝金とは別に、一生聖母年金が支払われる。その者が魔法種かどうかは、大聖女か大神官が見極める事が出来た。魔法種も、然るべき教育と訓練を受けなければちゃんとした魔法は使えない。だから、魔法が使えない時点では普通の人々と何も変わらない。
私の実家ジェラドニー家は、祖父母の代で爵位を売ることまで考えたほどの没落子爵家だった。祖母は子爵家を立て直す為、祖父を説得して聖胎申請をした。そして見事に選ばれ、産んだ娘は魔力を持って生まれた。この娘こそ、のちに大聖女ニンバスの地位まで上り詰めた、私の叔母であるイヴ・ジェラドニーである。
イヴが産まれた祝金で始めた投資事業は成功して、聖母年金も生活を潤わせた。おかげで父は適齢期を逃すことなく結婚が出来、私が生まれた。
子爵家を継いだ私の父はイヴとは十五歳も離れていて、私とイヴの方が十歳離れで父よりも年が近い。だから、イヴとは叔母と姪っ子の関係と言えど、イヴが月門に入った十五の年、私が五つの頃までは、少し歳の離れた姉妹といったような仲睦まじい関係で、同じ屋根の下で一緒に育った。
私は二年前までは何不自由なく暮らし、街を歩けば大聖女の血を引く娘ともてはやされていた。イヴと同じ水色の髪は私の自慢だった。
聖女の地位は候補生から始まり、一般的な聖女、指導役兼隊長補佐官、隊長、二座聖女は常時二名体制で左座と右座、そして最高位の大聖女となる。
聖女達は聖女同士の決闘でその地位を上げる。だが、大聖女だけは、二座聖女を倒しただけでは認められない。二人を倒したのち、背後に光輪——ニンバス——が現れた者のみが、神に認められし大聖女となる。
大聖女はどういう仕組みなのか、必ず各世代に一人だけ現れ、大聖女が亡くなるか、その地位を何かしらの理由で退けば、空位期間はそこまで開かずに次の大聖女が一人必ず現れていた。そこにはまるで、本当に神の意志があるかのようであった。
月門に入った聖女の家族は、年に一度だけ太陽神殿に招待され、神殿内の決闘の間で聖女達の地位を決める決闘を観戦させてもらえた。私も一度だけ、叔母が大聖女になった年に連れて行ってもらえた。
聖女達は魔法を使う際は必ず自分の手に、自分だけのレイピアを魔法で出現させる。そのレイピアを一振りすると、紅蓮の炎が舞い上がったり、激しい水流が飛び出したり、稲妻や、突風を起こし、相手を浮遊させたり、吹き飛ばしたりと、それぞれの魔法を発動させる。
大聖女だけはレイピアを使わない。
彼女が腕を真っ直ぐ前に伸ばすと、風が立ち、彼女の周りだけ空気が変わる。そしてその手に静かに大きな鎌が現れた。
大聖女が死神のようにその大鎌を一振りすれば、一瞬で勝敗は決まった。
その光景を私は一生忘れない。こんなにも素晴らしい力を持った人達が、私達の国を守ってくれているのだと胸を熱くし、その強い衝撃と震えが身体全体に刻み込まれた。
そして私の知る大聖女の地位にいたイヴは、背後に背負う輝く光輪に相応しいほど、誰よりも優しくて、強くて、気高い人物だった。
『売女の一族がっ!!』
そう、二年前から私達家族はそう呼ばれるようになり、後ろ指をさされ、聖母年金は打ち切られた。それだけでなく、財産は没収され、事業継続も断念せざるを得ず、一気に没落貴族、いや、それ以下の家庭となった。
祖母は私と街中を歩いている時に、投げつけられた石が頭にあたり亡くなった。
最初は卵が投げられた。その投げられた卵や人々の恐ろしい視線から私を守ろうと祖母は私の頭と目を覆うように抱きしめると、すぐに祖母の身体や頭に卵があたり割れる音がし、そして最後にとても鈍い音が鳴ると、祖母はそのまま崩れるように地面に倒れた。
——コンッ。
あの時の幻聴かと一瞬ヒヤリとした。
だけど、それにしてはあまりにも軽い音だ。
コンコンッ。
扉をノックする音だと気づいて、一気に現実に意識は向き、慌てて扉を開けに行く。
部屋の扉を開けると、夜道に火を灯したような柔らかく温かい女将の笑顔があった。
その温かな笑顔から、少し祖母を思い出してしまう。
女将の痛んだ髪や、苦労の刻まれたシワや、ふっくらとした体型が、顔の整ったパーツの存在をかすませているけど、きっと女将は若い時はとても美人だったに違いない。そしてこの笑顔と雰囲気に惹かれる男性は多かっただろう。
「気分はいかが? 旦那様はいつもキッチンで私と夕食を取るんだけど、お嬢さんも一緒にどう?」
私はまだ宿屋に留まっている。
女将が買って来てくれた町娘の普段着として良く着られているワンピースに袖を通した時、外は強い雨が降り出した。別に雨の中でも歩けるのだけど、二人に礼を伝えて宿を出ようとした時、クライヴが雨が止んだら家まで送り届けると言い張って帰してくれなかった。
クライヴがとても紳士的な気持ちで言ってくれているのはわかるのだけど、実は家まで送り届けられるのは困る。
私は……家出をしてきた身なのだ。
夕食の席で二人には伝えよう。明日の朝一人でここを出ると。そして、いつか必ず代金を払いに戻って来ると。
「ありがとうございます。では、お言葉に甘えて」
「よかった、一緒に食べてくれるんだね! ささ、行きましょ」
女将は私の腕を組み、ぐいぐいと一階のキッチンまで連れて行く。キッチンではすでにクライヴが夕食を食べ始めていた。
「ああ、やっと来たか。おごってやるから遠慮せずに食べろよ。俺のスープと違って、女将の料理は王宮料理レベルだから」
「そりゃだって、王宮で料理作ってたんですから、その味ですよ」
二人の掛け合いは温かく、心を和ませる。
私も席についた時、ちょうど同じタイミングで宿屋の扉をノックする音が聞こえた。
「こんな雨の日の夜に誰だろう。しかも外には満室の看板を掛けてるのに」
女将はいぶかしんで音のする方向を遠目で見ている。
「この大雨で困ってるのかもしれないわね。とりあえず見に行ってきますね」
「いや、ここは俺が行ってくるから、女将とガートルードはここに」
クライヴは帯剣している剣の柄頭を軽く触りながら立ち上がる。
「それはありがたいですけど、宿屋の女将は私ですから。お客様である旦那様でなく、私が対応しないと」
「じゃあ、一緒に行くとしよう。ガートルードはここで待っていて」
「え? あ、ちょっと」
私の返事も聞かずに、二人はいまだにドンドンと激しくノックされている宿屋入口へと向かって行ってしまった。
だがほどなくして、入口の方から何だか楽しそうな声が聞こえ始める。その声は段々とこちらに近づいて来ており、私は扉のないアーチ状のキッチンの入口を見つめていれば、そこに見知らぬ男性がクライヴと語らいながら入って来る姿が現れた。
その見知らぬ男性は、キッチンにいた私の存在に気づくとピタリと動きを止めて私を凝視した。
まじまじと見つめられれば私も彼を見つめざるを得ない。輝くような長いホワイトブロンドの濡れ髪、神々しいほど整った顔立ち、金の刺繍が施された真っ白い上質なローブを着た彼を見て、この男性が何者かわかり始める。
かつて太陽神殿で見たことのある神官たちは、遠目でもわかるほど、皆揃いも揃って彼の様に完璧に整った顔立ちで、白いローブを身に纏っていた。
彼は私を見つめたまま、口を開く。
「初潮などとっくに訪れているであろうに、魔力を持つ者が月門ではなくなぜここに?」
私は一瞬息を止め、血の気が引いた。