第十八話 執務室の天井画
クライヴに連れられ、辿り着いた先は見覚えのある扉の前だった。
「ここって……大神官の執務室? ここで会議をしているの?」
「ああ」
クライヴは扉をノックして中に入って行った。部屋の中のソファにはあのオシアノンの王太子と、どこかで見覚えのある紫色のローブ姿の中年男性が座っていた。
オシアノンのフェリシアン王太子は、日焼けした小麦色の肌に白い歯をのぞかせ、嬉しそうに両手を広げてクライヴを歓迎した。
「クライヴじゃないか! 今日は聖女の決闘観戦で来れないって聞いてたけど、来てくれて嬉しいよ!」
中年男性の方は眉根を潜めてクライヴに冷たく言い放つ。
「会議は終わりましたよ。そんな時に来られましてもねぇ」
「そうか、それはちょうど良かった。会議に来たのではなく、シンクレアに用事があって来たんだ」
「なるほど。お気楽なご身分ですね」
「ああ、国王の庶子とはなかなか良いものだな。こうしてこの部屋に堂々と乗り込める」
クライヴと中年男性のやり取りを見ていて、この男性が何者か段々思い出してきた。
紫色のローブは高官の服装。彼はグレイド王国の宰相であり、太陽神殿と月門を統括するルーマン司教だ。
国の宰相は太陽神殿と月門を統括する司教も兼任することになっている。そのため、司教といっても魔法種ではないので、神殿の実質的最高権力者は大神官であるシンクレアではある。
ルーマン司教に意識が集中しすぎて、いつの間にかフェリシアン王太子が私の肩を抱き寄せていた。
「また会えたね。ハイガーデンの聖女さん」
挨拶代わりのキスを頬にしてこようとした時、すかさずクライヴの手のひらがパチンとフェリシアン王太子の口に当たる。
「殿下、彼女は聖女ですので、挨拶でもキスはいけません」
クライヴは笑顔でそういうが、目は笑っていない。
「えー、そうなの? キスくらいじゃ誓約に触れないでしょ?」
「誓約に触れなくとも、聖女とキスは常識的にダメです」
「はいはい、わかったよ」
フェリシアン王太子はクライヴに降参し、私に向かってウインクをしてきた。
「それにしても、君からは相変わらず血の匂いがしないね」
「血の匂い?」
フェリシアン王太子の表情がみるみる変化し始め、ちゃらけた笑顔から歪な笑顔にゆっくりと変わる。
「……ああ。聖女も神官も、忌々しい血の匂いをぷんぷん漂わせてるじゃないか」
彼の全てに身体の芯までゾッとした。やはりこの男は苦手だ。
でも……似ているはずがないのに、なぜか、やっぱりクライヴに似ている気がする。それは以前会った時以上に強く感じてしまう。
「さあさあフェリシアン王太子殿下、宮廷にご案内致します。陛下が殿下とお食事を望んでおられますので」
「それは光栄だ、宰相閣下。では、聖女さん、また今度」
フェリシアン王太子は去り際に視線を斜め上に向け、執務室の天井を一瞥した気がした。それも、不愉快そうに。
一瞬の出来事だったので見間違いかもしれないが、私はそれが気になり、フェリシアン王太子が去った後に視線を向けたであろう方向を見上げる。そこには初めてこの部屋に入った時に感動したあの荘厳な天井がある。古代神話の神々の戦いと、敗れた邪神が落ち行く様を描いた天井画だ。
「クライヴ様、いくらなんでも聖女をともなってここまで来るなんて、正気ですか?」
シンクレア様が呆れた様子で私達に声を掛けた。クライヴは苦笑いしながら謝っている。
「すまないシンクレア。でも、聞いてくれ。ガートルードが興味深い話を持って来た」
「興味深い話?」
「ああ、サンディヒル王国の古の大聖女と聖女リョーコの話を聞いたんだ。シンクレアなら詳しいことを知っているかと思ったし、知らなければ尚更シンクレアには話すべきだと思って来たんだ」
クライヴの喜びようとは裏腹に、シンクレア様の表情は凍り付いていた。
「どうした……? シンクレア?」
シンクレア様は目を瞑りながら記憶を振り払うかのように頭を振る。
「いえ、なんでも」
「シンクレア様? もしかして、この話はやはりイヴとも関係が?」
先ほどからシンクレア様は私達と視線を合わせない。その姿は、私達に何かを言うべきか悩んでいるように見える。
シンクレア様は口元に手をあてながら、しばらく考え込んでいた。
「……サンディヒル王国の古の大聖女が消えた話は、あの国の大神官でも詳細は知らない。消えてしまったのだから、何があったのか誰も知る由もないのです」
「じゃあ、やっぱりサンディヒルに行ったとしても何もわからないのね……」
シンクレア様は私の声もよそに話を続けた。
「古のサンディヒル王国は、今のグレイド王国同様に魔物の襲撃を受けていたようです」
これは……シンクレア様はサンディヒル王国の昔話の詳細を知っているのだろうか?
「太陽神殿の神官たちが神に救いを求めると、見慣れない服装をした独特の言葉遣いの少女が召喚されたそうです。それが、聖女リョーコ。しかし、彼女はのちに大聖女とともにどこかに消えてしまいました」
「それで……終わり?」
「人々が知る話は」
「じゃあ、やっぱりシンクレア様はその先も知ってるんですね!」
「いえ、正確にはイヴが知っていたんです。イヴは生まれたばかりのあなたに触れた時、ヴィジョンが流れて来たと言っていました」
「私に触れた時?」
シンクレア様は私を見て頷いてから、天井画を眺めながら話した。
「神々の戦いは神話ではなく実話です」