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第一話 大聖女または売女の一族

 息が切れるほど走った。ふくらはぎは随分前から悲鳴を上げており、呼吸も酸欠寸前である。路地裏の木箱の後ろに身を隠し、息を殺して呼吸を整える。

 荒々しい足音がいくつも近づいてくるのがわかると、大きく膨らんだ胸は動きを止め、心臓は縮んだ。


「オラッどこ行った! 出てこいよ!! 可愛がってやるからよ!!」


 男達が乱暴に叫ぶ声が聞こえると、さらに小さく身体を丸めて、息が漏れ聞こえないよう両手で口を覆う。

 頭上に気配を感じて見上げると、木箱に乗り、私を覗き込む男のにやけ顔がそこにあった。


 恐怖の悲鳴を上げる前に、その男の仲間達にも見つかり、口を塞がれ、石畳の地面に押し倒された。両手両足は様々な男達に掴まれ、主犯格の男が馬乗りになり、私は身動きが取れない。そして私に馬乗りになった男は、思い切り私の頬を叩くと、乾いた音が狭い路地に反響して響き渡った。


「あのクソ大聖女様の姪っ子なんだろ? 俺達のお相手もしてくださいよ」


 男の手つきはいやらしく、その表情にも嫌悪感しかわかない。

 抑えられた口元に僅かな隙間が出来たのがわかり思い切り噛みつけば、男は悲鳴を上げた。感情的になった男は、先ほどよりももっと強く頬を叩いてきた。口の中は血の味が滲んだ。


「てめえんとこの大聖女様が、男に身体売ってこの国捨てたんだろうがっ!! おかげで街の外には魔物が以前より増えて商売上がったりなんだよ!!」


 安い生地で仕立てた服は破りやすいようで、いとも簡単にビリビリと破かれて行く。

 現実を見てはいけないと目を瞑ったその時、身体が急に軽くなった。目を開ければ、私の上に乗っていたはずの男はおらず、両手両足を掴む男達の手も次々と強い力で引き剥がされていく。


 顔を横に傾ければ、小汚いローブを着た背の高い男が、私から引き剥がして投げ捨てた野蛮な男達に、次々ととどめのパンチやキックを食らわせてから山積みに積み上げていくのが見えた。

 後ろ姿はがっしりとしており、真っ直ぐに伸びた背筋から若い男に思える。


「……だれ?」


 ローブの男は全て片付け終えると両手をパンパンと払い、すっぽりと被っていたフードを片手でおろしながらこちらに振り返る。


 現れたその姿は思った通り若く、思っていた以上に美しい端正な顔立ちだった。


 漆黒の短髪、男性らしい凛々しい眉と、理知的な切れ長の目が彼を冷たい男性に感じさせつつも、気高さをうかがわせる。身なりは汚いが、内側から溢れ出る気品は隠せていない。


「立てるか?」


 男性が近づいてきて、品良く手を差し伸べてくれた。さすがに私は俊敏には動けずゆっくりと起き上がろうとすると、彼はじれったそうにして私を抱き上げた。


「家は近くか?」

「いえ、中心街の方なので、歩いて四十分ほどです」

「そうか……。じゃあまずは俺の宿に寄って、手当と着替えが先だな」

「え?」

「安心しろ。宿には女将がいるから、キミのことは……えっと、君の名前は?」


 ふいに名前を聞かれた。

 私は目に力を入れて、彼の視線をしっかりと捉えてから答える。


「ガートルード、ジェラドニー」


 私はこの名を恥じてなどいない。

 案の定、男の目元がピクリと反応した。次に視線が向かうのは私の水色の長い髪。

 だけど、この名前を聞いて髪色を確認しても、表情を怒りに変えなかった人物は初めてである。


「ジェラドニー家の娘か……そうかそれで……」


 先ほど私が襲われていた事を言っているのだろう。私は唇を噛み、うつむく。


 男は私を抱きかかえたまま歩き出した。


「俺の事はクライヴと呼んでくれ」

「クライヴ……」


 ここグレイド王国では、子供の名付け方として、近年産まれた上位貴族や王族の名前を与えるのが人気である。彼くらいの年齢ならば、ちょうどクライヴという名を貰う子供が多かった。いわば、ありふれた名前だ。


 クライヴは私を抱きかかえたまま、路地裏近くにある満室の看板を掲げた安宿へと向かって行った。


 古びた木の扉をクライブが背中を使って押し開けると、扉の蝶番がギィーッときしむ音を鳴らす。カウンターの中にいた中年のふくよかな女性は蝶番の音に反応し、手に持っていた本のページをめくる動きを止めてこちらを見た。

 満室とは思えないくらい、宿屋の中は静まり返っている。建物もあちこちに補修が必要であり、ひとの行き交う温度などとても感じない。


「あらあら、なんて酷い格好だこと! どうしたんです、そのお嬢さん」


 目を見開いて立ち上がった女将は、小柄な丸いフォルムで、痛んだ白髪は中途半端な長さのショートカット。着ている服もなんだか少しくたびれていた。

 彼女は慌ててカウンターから出て駆け寄ってきてくれた。


「女将、すまないが彼女の手当を。街の暴漢に襲われていたんだ」

「やっぱりあのパチーンッと響いた音はそうだったんですね。痛々しい音だとは思ったけど、あの音で旦那様が駆けつけることが出来たから、不幸中の幸いといえば幸いね」

「幸いなわけないだろ。それと女将、手当が終わったら違う服を着せて欲しい。彼女のサイズに合うものはあるか?」

「私のじゃあ大きすぎるし、そうですねえ……仕立て屋に行けば返品されたものや、買い手のつかなかった服がいくつかはあるでしょうから、それを買ってきましょうか」


「待って! 服はこのまま、このままでいいですっ!!」


 私は慌ててクライヴの腕を強く掴んでしまい、クライヴは少しだけよろけた。


「おっ、おい、そんな破れた服で街の中を歩いたらまた襲われるぞ」

「私、服を買えるほど十分なお金を持っていないんです」


 真っ直ぐにクライヴの目を見てお願いすれば、彼はきょとんとしてから、次に吹き出して笑った。


「心配するな。俺は金だけは持ってるんだ」

「持ってるから何? お願いだから私に買って与えるとか言わないでよ」


 私の必死の願いを聞くクライヴの口角が段々つり上がっていく。


「俺に物をねだらない女なんて初めてだ。面白い奴だな」


 クライヴは不敵な笑みを浮かべると、歩幅を大きくして歩き出し、階段を上り部屋に向かって行く。女将も小走りで階段をかけ上り、私達についてきた。


 部屋に入ると、ベッドの上に私は降ろされた。そしてクライヴはローブのポケットから小袋を取り出して、部屋の扉の前に立った女将に向かって投げ渡す。弧を描いて宙を舞った小袋を、女将は手慣れた様子で両手を上げ、上手に「ほっ」と声を出してキャッチした。彼女の手の中にその小袋が収まる時、ジャリッと詰まった音がした。


「仕立て屋にあるドレスで一番いいやつを」

「ドレスで街を歩いたら目立つでしょうに。一番良いワンピースを買ってきます。ついでに私のも」


 女将はクライヴに向かってウインクをしてから、豪快に笑った。


「抜かりないな」


 クライヴは楽しそうにククッと笑った。


「女将、キッチンを借りるからな」

「ええ、どうぞお好きに。この宿はまるまる旦那様の貸切りですから、好きに使ってください」


 そんな会話をしながら、二人は部屋を出て行ってしまった。


「この宿まるまる……貸切りって……」


 私は呟きながら、静かになった部屋の中を見回した。粗末な宿だが、掃除は行き届いており、ベッドのシーツも洗いたての匂いがして気持ちが良かった。使い込まれたカケのある木のテーブルの上には一輪挿しがあり、生き生きとした可愛らしい野花がちょこんと飾られている。

 私が今日この部屋に来ることになったのは偶然であり、ここはクライヴの貸切りで、部屋は隣だと言っていた。もしかしたら仲間がいるかもしれないけど、それでも、ここは空いていたから私を通したはず。貸切りだろうと、いつ誰が来てもいいように、この部屋以外もすべて整えられているのだろう。

 クライヴが何者かはわからないけど、彼は大金を自由に使える男で、そういう男を満足させる宿だというのはわかった。


 扉の隙間から湯気に乗って良い匂いが入り込んでくると、部屋の中を漂い始めた。ほどなくしてクライヴが扉をノックしてから入って来る。その手には色々なものが乗せられたトレーがあり、匂いの正体もその上にあった。


「別に病気じゃないんだから食えるだろ?」


 そう言いながらクライヴはベッドの上に持っていたトレーを置き、まずはほかほかのタオルを掴むと、私の前で膝をつき、汚れた私の顔や手を優しくぬぐってくれた。


 温かいタオルの香りは、なんて心を落ち着かせるのだろう……。

 そして、私の手に添えられた大きな手のひらも、とても温かい。二年ぶりに感じる、他人から向けられる優しさだった。


「すまない、いやだったか? さっきあんな目に遭ったばかりだもんな」


 クライヴは私から手を離した。


「え?」


 私が彼の手を見つめすぎていたのだろう。クライヴは、私に触れることを言っていたようだった。


「ちがう、ごめんなさい。あまりに気持ちがよくて、ついボーっと眺めてしまってたの」

「そうか、気に入って貰えてたならよかった。食事をする前に顔と手だけは綺麗にした方が良いかと思って。ほかは女将が帰ってきたら綺麗にしてもらったらいい」

「ありがとう」


 クライヴはタオルをトレーに戻すと、スープの皿を取って私に渡してくれた。厚切りのベーコンや、じゃがいもや、人参がゴロゴロと入っていて、ベーコンから滲みだした油分が、美味しそうにスープの上澄みで揺れ動いている。温かな湯気にのったコンソメの良い香りが鼻をかすめれば、思わず喉もお腹も鳴らした。


「こんなものしか作れないが、身体は温まるはずだ」


 クライヴは私に気遣ってか、テーブルの椅子を少し距離を置いた場所に動かしてから、腰を掛けた。

 私はスプーンを持ち、一口スープを喉に流せば、胸を一気に温めてくれた。具のあるスープなど、久しぶりだった。もう一口、もう一口とスープを口に運べば、いつの間にか私は泣いていた。

 そんな私を見てクライヴが動揺するのは当たり前である。


「お、おい、大丈夫か?」

「うん……大丈夫……こんなに美味しいスープも、誰かに優しくされたのも、二年ぶりでつい……」


 クライヴの動揺が収まったのがわかった。彼は私を見ながら、どこか遠くを見ている。

 私の名前と、二年の月日に、かつての事件を思い出しているのだろう。



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