4 死に至るもの
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「治癒術が使えるとは。やはり君は魔術師なんだな」
手合わせで受けた足の傷を、それを付けたエンリェード本人に治してもらいながらフィンレーが意味ありげに呟く。
エンリェードは彼を一瞥しただけでそれには何も応えず、治療を終えると静かに椅子から立ち上がった。サイドテーブルに置かれた魔鉱ランプの青白い光が彼の陰にさえぎられ、一瞬の薄闇を作り出す。
エンリェードはフィンレーの怪我を治すついでに、少し話をしたいと言われ彼の部屋に来ていた。
ルクァイヤッドが空から降ってきた流枝の民の怪我人――どうやら王の捜索隊の一人で、報告に帰ってきたらしい――の治療にあたっているため、作戦会議は彼とその手伝いに行ったキナヤトエルが戻ってからということになっている。そのあいだに、多少の治癒術を使えるエンリェードがフィンレーの部屋で治療をすることになったのだった。
この館で自分の部屋を持っているのは、館の主である月夜の民の王を除けばフィンレーだけだ。月夜の民は人間ほど睡眠を必要としないため、ベッドのある部屋は病室のような扱いで、休養を必要とする者が交代で使うのが常だった。その一つに先ほどの怪我人も運び込まれている。
「ありがとう。うん、傷跡一つない。無残なのは服だけだな」
「それはお互い様だ」
裂けたズボンの裾を引っ張って言うフィンレーに、エンリェードが穴の開いた右腕の袖を見せる。彼の受けた傷自体は、すでに自己治癒力によって跡形もなく消えていた。
フィンレーは肩をすくめ、足を伸ばした状態で腰かけていたベッドから降りようとする。しかし、エンリェードがそれを制して言った。
「もう少しそのままにしておいてくれ」
「うん?」
「ご不満なようだから、責任を持って服も直そう」
それを聞いてフィンレーは不安そうな表情を浮かべた。
「このままで? 針で刺したり、服と一緒に俺の足も縫い付けたりしないだろうな」
「魔力の刃に切られても平然と走っていたくせに、針の何が怖いと言うんだ。心配しなくても、妖精族は一般的な家の仕事は誰でも一通りできる」
そう応えてエンリェードは持ち込んだ裁縫箱を開け、生地の色に合う糸を見つけ出すと、それを針に通して黙々と裂け目を繕い始める。
「何を持ってきたのかと思ったら……裁縫道具なんて誰に借りたんだ?」
「キナヤトエル。館にいくつかあるからと、そのうちの一つを貸してくれた」
「キニーが? いつも魔法で直してくれているのかと思っていたよ」
「夢を壊したのなら悪かったな」
感情の感じられない声音で返すエンリェードの言葉に、フィンレーは声をあげて笑った。
「君でもそんな冗談を言うんだな」
エンリェードが怪訝そうな表情を浮かべ、フィンレーに顔を向ける。
彼はそれを面白そうに見返しながら続けた。
「寡黙だから、必要なこと以外しゃべらないのかと思っていたよ。もし君が主人公の物語があったなら、あまりに君が無口なものだから読者がそわそわしていたと思うぜ」
フィンレーはそう言ってまた笑ったが、エンリェードはそれについて反論も肯定もしなかった。
針を動かす手元に視線を戻し、「それで」と、別のことを口にする。
「話というのは?」
単刀直入に切り出された疑問にフィンレーは「そうだった」という表情を浮かべ、手際よく生地を縫い合わせていくエンリェードの様子を見ながら言った。
「君が魔術師なら、何故さっきの戦いでもっと魔術を使わなかったんだ? ずっと上空から攻撃魔法を撃っていれば、俺に勝つ道筋はなかったのに」
その問いにエンリェードは顔をあげることもなく、淡々と応じる。
「確かに私は魔術師の端くれではあるが、魔導術が得意なわけじゃない。つまり、遠隔で魔力を飛ばしたり操ったりするのは不得手だ」
「ふむ。なら君の得意な魔術は何だ? 治癒術か?」
いくらか身を乗り出し、興味深そうにフィンレーは尋ねる。
対するエンリェードは先ほどから変わらぬ平板な口調でその問いに答えた。
「治癒術も君のさっきの怪我のような軽いものなら治せるが、深い傷となると応急処置程度のことしかできない。召喚術は多少使えるが、これも一流と呼ぶには程遠いだろう。唯一、私の専門と呼べるものがあるなら屍術だけだ」
「屍術? 死人使いの禁術じゃないか」
驚いた様子でフィンレーは声をあげるが、エンリェードは意にも介さず、針に視線と神経を傾けたまま言った。
「宗教的に異端や禁術と言われることはあるが、屍学自体は魔法学的にきちんと認められている分野だ」
「でも、確か屍学では死者の蘇生術を研究しているんだろう? 死者の蘇生は禁忌のはずだぞ」
フィンレーの指摘にエンリェードはようやく顔を上げ、真意を問うような彼の青い瞳を見やる。
針を持った手を止めて、エンリェードは穏やかに言葉を返した。
「死者の蘇生がこの世界で禁忌なのはその通り。だが、屍学は生きている限り決して究められない学問だと言われているから、生者が屍学を研究する分には問題ないとされている」
「俺にもわかるように教えてくれ」
謎かけでもされた気になり、ため息まじりの困惑顔でフィンレーが言う。
エンリェードはそれにうなずくように再び視線を下に落とすと、針仕事を再開しながらよどみなく答えた。
「屍学は死について研究する魔法学だ。その最終目標は死者の蘇生とされているが、蘇生術には魂の感知と死の体験が必須だということがほぼ判明している。目には見えない魂を知覚し、死のことを知った者だけが肉体から離れた魂を導き、元に戻すことができる、というものだ。だが、『死』というものは実際に死なない限り、決して体験することはできない。よって、生きている限り蘇生術は決して完成しない。だから研究しても問題ない、という話になる。過去に死霊となった魔術師が蘇生術を完成させ、他者に使用した例はあるが、死は生きている者に言葉で教えられるものではないから、生者には結局、再現することなどできはしないんだ」
エンリェードの説明を聞いて数秒の間をおいてから、フィンレーが戸惑いがちにさらに問いを重ねた。
「何となく言っていることはわかったが……それなら、決して完成しない学問を何故学ぼうと思ったんだ?」
その問いにもエンリェードはためらいなく答えた。
「この世界が時間に支配され、変わり続ける限り、そもそも学問に終わりというものはない。確かに屍学の最終目標は蘇生術の完成だが、それだけが屍学のすべてではないし、たとえすべてを知ったつもりになっても、何かを知れば知らない何かが現れ、知りたい別の疑問がわいてくる。そうして永遠に深めていくものが学問であり、最後に求めるものは永久にわからないのだとしても、そのあいだにいくつもある真実を知る価値はある、と考えるのが学者だ」
「つまり、屍学者である君も死や蘇生に至るまでのいろんなことを知りたいと」
エンリェードはそれに何も応えず、小さく肩をすくめてみせただけだった。
人間はとかく死を敬遠しがちだ。哲学者や宗教家、あるいは病気が重篤の者でもなければ、日常で死を意識する者は少ないだろう。十代のうちから戦場に出て戦ってきた騎士であるフィンレーでさえ、王の献身によって手に入れたこの五年の平和のあいだに死のことを忘れかけていた。
ましてや妖精族は、もっとも死から遠い種族と言えるほど長命だ。縁がないからこそ興味をそそられるのかもしれないが、専門と呼べるほど学ぶとなると相当のことに思える。
「何故そんなものを知りたがる?」
普段の軽い口調とは違う、どこか慎重な声音と面持ちで尋ねるフィンレーに、エンリェードもいつもの淡白さとは少し異なる曖昧な返答を口にした。
「わからない。生まれつきこうなんだ。花に惹かれる人がいるように、私は死に惹かれる」
「だから屍学を学んだのか?」
フィンレーの言葉にエンリェードはうなずく。
それをぼんやりと見ながら、彼は死にたいのだろうか、とフィンレーは思った。妖精族にしろ月夜の民にしろ、人間のフィンレーよりも死に縁遠いのは確かだ。だから勝つ見込みの薄いこの戦場に死を求めて来たのだろうか、と考える。
しかし、実際にそれを言葉にして尋ねる前に、エンリェードが先に口を開いた。
「屍学の分野で戦闘に使える魔術というのは、呪いと呼ぶに相応しい、たちの悪いものが多い。先ほどの勝負で君に使わなかったのは、君の生死に関わるからだ。命を奪う目的以外で使えるものはほぼないし、私はそのために屍学を学んだわけでもない。いつかこうして月夜の民の王の名の下に、戦に加わるよう要請が来ることはわかっていたが、戦いに役立つ屍術の研究ではなく別の研究を始めてしまったしな」
エンリェードは、最後は独り言のように呟く。
魔鉱ランプの青白い光に照らされ、やや人間離れして見える端正な彼の顔を見つめて、フィンレーは「何を研究していたんだ?」と尋ねた。
エンリェードはその問いには答えず、「終わった」と言って再び椅子から立ち上がる。見ると裂けていたズボンの裾がきれいに直っていた。キナヤトエルが直してくれる時と同様、まさに魔法のような仕上がりだ。
「すごいな、器用なもんだ!」
フィンレーは無邪気とも言えるほど純粋な賞賛の声をあげた。
その子供っぽささえ感じられる素直な言葉に、エンリェードは静かに微笑む。
彼が笑うところをフィンレーが見たのは、それが初めてだった。あまりに意外なことに、フィンレーは思わず呆然とエンリェードの顔を凝視する。
その様子を不思議に思い、エンリェードは小さく首をかしげた。
「何か?」
「いや……そうだ、次は君の服も直さないといけないんじゃないか? 俺が縫ってやることはできないが。何しろ俺は剣しか握ってこなかったんでね、針を持っても君を刺す自信しかない」
「これは魔法衣だから心配いらない」
無作法をごまかすため、適当なことを言ったフィンレーにエンリェードは平然と返し、破れた服の袖に触れると魔力を流し込む。するとちぎれた繊維が分かたれたもう片方へと手を伸ばし、音もなく絡まるとそのまま溶けて一本の糸となり、すべてが元通りにつながった。
「そんな便利なものを魔術師が独占しているのかと思うと許せないな」
あまりのあっけなさに思わず表情を変え、不満さえ感じられる声音でフィンレーは言ったが、エンリェードは相変わらず動じることなく冷静に反論した。
「魔法衣は君たち騎士で言えば鎧のようなものだ。鎧のように高価だし、魔力抵抗値の低い者が着たら魔力アレルギーを起こしかねない。それに魔力というのは基本的に暗い色にしか定着しないと言われている。よって、魔法繊維で作られる生地に明るい色のものは存在しない。一般に広く普及させようと思っても、彩のない素材など服飾業を営む者には不満だろう」
「魔術師が黒い服ばかり着ている理由がたった今わかったよ」
フィンレーはそう言ってため息をつく。
そんな彼の顔を見やり、エンリェードがおもむろに言った。
「私がわざと手を抜いて負けたわけではないと、納得してもらえただろうか?」
その言葉にフィンレーが表情を硬くする。
針や糸を裁縫箱にしまいながら、エンリェードはさらに言葉を継いだ。
「君が訊きたかったのは、そういうことだろう?」
「まあ、そうだが……君の返答に納得したわけじゃない。生死に関わる屍術を使うのはルール違反だったにしても、君は召喚術も使わなかったし」
「私個人の力量をはかる勝負だったのだから、召喚術で応援を呼ぶのも反則だろう。あれは間違いなく、私一人が出せる実力のすべてだ」
エンリェードはそう応えたが、フィンレーはまだ腑に落ちない様子だった。
「君の本当の実力を知るには、実戦しかなさそうだな」
「君と実戦で刃を交えるつもりはないよ」
「それは俺だってそうだが……」
エンリェードの穏やかな返答にフィンレーは言葉尻をにごし、視線を泳がせた。何となく、いいようにごまかされてしまった気がする、と心の中で呟く。
そんな彼にエンリェードはぽつりと、そして唐突に言った。
「君には感謝している」
「うん? 感謝されるようなことはしていないぞ」
不意に礼を言われ、フィンレーは不思議そうな表情を浮かべる。
エンリェードは裁縫箱をテーブルの上に置き、未だベッドの上にいるフィンレーのところへ戻ってくると、そばに置かれた椅子に座り直して言葉を継いだ。
「父の功績からして、その息子である私はおそらく多少なりとも期待されているだろうと思っていたし、私のあの姿は見かけだけは大仰だから――実際は父のように優れた戦士ではないことを皆にどう伝えようか、正直少し困っていたんだ。だから、ちょうどいい機会をもらえて良かった」
「君は別に弱くはないだろう。あれはいい勝負だった。それにあの姿――三対の翼と角だって、確かに少し驚いたが、二対以上の翼を持つ者も、角を持つ者もいないわけじゃない。ルクァイヤッドも確か角持ちだが、戦闘はからきしだしな。角持ちや多翼だから特別強いということもないさ」
フィンレーは励ますように力強くそう言ったが、エンリェードは彼にもう一度微笑んでみせた。
「君も私に少しがっかりしたはずだ」
「それは……」
エンリェードの言葉にフィンレーは気まずそうに言葉をつまらせる。
黒狼公の息子ならいい勝負どころか、自分を圧倒するものだとばかり彼が思っていたのは確かだ。魔術などなくても、身体能力、戦闘技術だけで人間の自分を上回ると――それが当然だとフィンレーは心のどこかで思っていた。
そしておそらく、そう考えていたのは彼だけではなかっただろう。エンリェードの言う通り、他の月夜の民にも同じように考えていた者はいたはずだ。
そのことに思い至らぬほどエンリェードは愚かではなかった。
だが、それを承知の上で彼は穏やかに、そしてどこか決意の感じられる声音で言う。
「そんなに気遣ってくれなくていい。私は自分を卑下するつもりはないし、己の力量もわきまえているつもりだ。その上で、できることはあると思ったからここへ来た。父のようにはいかないだろうが、私は私のできることに力を尽くすだけだ」
エンリェードのそんな言葉に、フィンレーは少しほっとした様子で「そうだな」と応えて笑った。
その時、扉の方からノックの音が軽く響く。
「フィンレー卿」
いくらか緊張感の混じる、せわしげなラトの声が扉越しに聞こえた。
エンリェードとフィンレーは顔を見合わせ、うなずく。
素早く椅子から立ち上がったエンリェードは扉の方へと向かい、フィンレーはベッドから足を下ろすと、自分の剣とエンリェードの杖に手を伸ばした。
「良かった、エンリェード卿もここにいたのか。二人とも一緒に来てよ。みんなを食堂に集めてるんだ」
部屋の扉を開けたエンリェードを見上げ、ラトが神妙な面持ちで言う。
「慌ててどうした、怪我人が目を覚ましたのか?」
傷を負って帰ってきた王の捜索隊のことを尋ねながら、フィンレーは足早に彼らの方へ歩み寄り、エンリェードに杖を手渡した。
そんな彼の問いにラトは少しきまり悪そうな表情を浮かべて答える。
「いや……死んだって」
彼らが食堂に戻ると、ほとんどの者が集まって思い思いに席に着き、深刻な表情を浮かべていた。そこには怪我人を治療をしていたはずのルクァイヤッドの姿も見える。彼の手伝いに行くと言っていたキナヤトエルも、うつむきがちにルクァイヤッドの隣の椅子に腰かけていた。その表情はいささか暗い。
何があったのかとフィンレーが尋ねようとした時、イドラスが大股に部屋へと入ってきて、彼よりも先に「どういうことだ?」と普段よりもいっそう険しい顔でルクァイヤッドに問い詰めるように訊いた。
そんなイドラスのあとからサムも息を切らせながらやってくる。
全員がそろったのを確認したルクァイヤッドは、傷を負って帰ってきた王の捜索隊の一人が死亡したことを静かに告げた。
「やはり肩の傷が原因ですか?」
妖精族の一人が不安そうに尋ねる。
しかし、ルクァイヤッドはそれに首を振って「いいえ」と答えた。
「おそらく彼の主であるヴェルナンド卿が亡くなられたからです」
その返答に一同が息をのむ。
報告に帰ってきた怪我人は、潜入や斥候任務を得意とするヴェルナンド卿の眷族であり、主であるヴェルナンド卿や他の眷族と共に、封印された王の居場所をつきとめるべく捜索に出ていた。
だが、帰ってきたのは彼一人だけだ。
「毒矢を受けたと思われる肩の傷は確かに深手でしたが、彼はヴェルナンド卿と血の契約を結んで眷族となった者です、純粋な月夜の民を殺害することに特化した毒は、眷族にはそこまで効かないはずですから、快復すれば目を覚ます見込みは充分にありました。ですが、突然彼は灰になったのです」
「彼を眷族にしたヴェルナンド卿が死んだってわけか……」
フィンレーの言葉にルクァイヤッドがうなずく。
「おそらく、他の眷族も同じ運命をたどったでしょう」
それは捜索隊の一つが全滅したことを意味していた。何があったのか尋ねようにも、答えられる者はもはやいない。
「彼は結局、目を覚まさなかったわ。だから詳しいことは何もわからないけど……」
そう呟くキナヤトエルに続いてルクァイヤッドが再び口を開く。
「灰になった彼の中から、これが出てきました」
ルクァイヤッドは懐から一枚の紙を取り出し、テーブルに広げてみせた。
誰かがそのそばに燭台を寄せる。
ゆらゆらと頼りなげに揺れるろうそくの炎の明かりに照らされた紙切れには、短い走り書きがいくつか記されていた。
「封印場所の可能性高し。警備あり。弩装備」
イドラスが読み上げ、眉をひそめる。
「あと、彼の傷口に残っていたものがこれ」
そう言ってキナヤトエルがガラス製の小瓶をテーブルの上に置いた。その底には黒い液が付着している。
「ロスレンディルが成分を調べてくれた結果、血液の混ざった薬品であることがわかりました。十中八九、エンリェード卿が仰った通り、狩人の使う死者の血を用いた毒でしょう」
「弩も狩人が好んで使う武器だ」
「警備に狩人がいると?」
ざわめくように口々に言う皆の顔を見渡し、ルクァイヤッドは「わかりません」と応えた。
「武器と毒を支給されているだけ、という可能性もあります」
「だが、何もなければそんな武装をして守る必要はあるまい。ましてや、狩人の使う毒を持っているなど、これまでの反変異種派の中ではなかったことだ。狩人と手を結んだセント・クロスフィールドの領主が置いた警備に違いない。ならば……」
イドラスの指摘にルクァイヤッドも首を縦に振ってみせる。
「このメモにある通り、陛下が封印されている場所である可能性は高いでしょう。少なくとも、これまでの調査の中でもっとも信憑性のある情報です」
ルクァイヤッドのその言葉に一同がうなずく。
その中で唯一、微動だにしなかったのはエンリェードだ。彼はひやりとした静かな声音で、ぽつりと呟くように尋ねた。
「そもそも、陛下がすでに亡くなっている可能性は?」
その問いは、ともするとこの場にいる全員を刺激しかねない危険なものだったが、誰よりも早くフィンレーがいつもの軽い口調で「それはない」と答える。
「何故なら、サムが生きているからだ」
フィンレーはそう言って若い料理人の方へと視線を向けた。それを追うように他の者たちも一斉にサムのことを見やる。エンリェードも驚いたようにわずかに目を見開きながら彼の方へ顔を向けた。
サムは急に自分が話題の中心になったことにどぎまぎした様子で、「ええと」と口ごもる。
そんな彼に代わり、イドラスが冷静に言葉を紡いだ。
「サムは陛下の眷族だ。陛下が亡くなっているなら、彼も灰になっていなければおかしい」
「そ、そうです。陛下は私を病気から解放するため、眷族にしてくださいました。それ以来、私の胸の内には冷ややかな――しかし何か勇気づけられるような、陛下の凛とした炎を感じます。それが消えない限り、陛下は無事にどこかで生きていらっしゃるはずですよ」
イドラスの言葉の助け舟に乗るようにして、サムもエンリェードの疑問を否定する。その口調には緊張の色がにじむものの、ゆるぎない確信を持っていることが感じられた。
「なるほど……失礼しました」
伏し目がちにうつむくようにして、エンリェードは小さく首肯する。
その様子を見やり、フィンレーが真剣な面持ちで口をはさんだ。
「君の言いたいことはわかるぞ、エンリェード。罠じゃないかと疑っているんだろう」
居もしない王がまだ生きているかのように見せかけ、捜索に来た者を吸血鬼殺しの武器で仕留める――そんなことが起きるのではないかとエンリェードが危惧したことにフィンレーは気が付いたのだ。
その言葉に一同がはっとしたような表情を浮かべる。王がまだ生きていることは、眷族のサムが生きているという事実からわかってはいるが、本当にそこに王が封印されているという保証はどこにもない。からっぽの棺の前で、狩人が手ぐすねを引いて待っている可能性は否定できないのだ。
ルクァイヤッドもうなずきながら慎重に言った。
「確かに罠である可能性もゼロではありません。ですが、そうだとしても再調査は必要でしょう。陛下が封印されてからというもの、契約に反しない範囲で方々を捜索しましたが、手がかりらしい手がかりは今回が初めてです。彼らが調べていたのは、戦火や移転によって現在は完全に放棄されている古い聖堂で、本来は警備を置くようなところではありません。実際、長いこと打ち捨てられていたようですしね。そこに武装した守りの者がいるというのは不自然です。セント・クロスフィールドの領主の性格からして、罠にはめるつもりならもっと派手に封印場所を宣伝しているようにも思いますし、他の捜索隊の報告待ちというところはありますが、これ以上の情報がないならば、罠であった時の対処および奪還のための戦闘も視野に入れた捜索隊を編成し直し、再調査に向かわせるべきかと思います」
「異論はありません」
エンリェードはそう応えてうなずく。他の者たちも同様に異議なしの意を示した。
「その件はそれでいいとして、狩人たちの使う毒についても対処が必要よ。今日の怪我人については時間がなかったし、主のヴェルナンド卿が亡くなってしまったから出番がなかったけれど、解毒薬の研究を早急に進めるべきだわ。エンリェード卿がくれた研究資料も役立つはず」
「研究資料?」
毒の入った小瓶を細くしなやかな指先で転がしながら言ったキナヤトエルに、フィンレーが不思議そうな顔をしてみせる。
「さっき裁縫道具を貸してほしいと言ってきた時に、怪我人を診るなら役に立つかもと私に預けてくれたの。薬の研究はロスレンディルが専門だから、今は彼が持っているわ」
そう応えてキナヤトエルは、ルクァイヤッドとは反対側の隣の席に座る気の弱そうな妖精族の青年、ロスレンディルに目を向けた。
その視線を受け、ロスレンディルはテーブルの上に置いていたエンリェードの研究資料を皆に見えるように広げる。
「内容は狩人の使う毒の成分調査と、その解毒薬の独自研究の結果です。非常に貴重な情報ばかりですよ。そもそも成分を調べようにも、狩人の毒自体が手に入りませんからね。彼らの『狩り』は基本的に暗殺です。それが明るみに出る頃には被害者が灰になっていて、矢も回収され、毒の採取は難しいはず。我々の解毒薬の研究が一向に進まなかったのもそのせいなのに」
ロスレンディルがそう言ってエンリェードへ問うような視線を向ける。それは「どうやって毒を手に入れたのか」と訊いていた。
それにエンリェードは淡々と言葉を返す。
「魔術学院の禁書庫に採取された毒が保管されていたので、学院で研究員をしている友人に無理を言って借りました」
「よく貸し出してくれましたね」
驚いた様子で声をあげるロスレンディルに、エンリェードは小さく肩をすくめて応えた。
「友人のおかげで禁書庫に入り、中を閲覧する許可は得ましたが、貸し出しの許可まで得たわけではありません」
「黙って持ち出したのか? やるじゃないか」
愉快そうに言ってフィンレーがにやりと笑う。
「狩人の毒は他でもない、月夜の民を殺すために作られたものだ。月夜の民が調べるのは当然の権利だろうさ」
それがエンリェードが先ほど言っていた『自分にできること』だったのだろう、とフィンレーは思った。武人だった父親のようにはなれないと悟り、エンリェードは自分の力でできる限りの調査や研究を行ったのだ。その研究資料を届けることも、彼がここへ来た目的の一つに違いない。
「私は薬学の専門家ではないので解毒薬の研究は不充分だろうし、調査に使えた毒は昔のものなので、今の毒とは成分が違うかもしれません。どこまで参考になるかわかりませんが、その資料はそのままお持ちください」
エンリェードがそう言うとロスレンディルは礼を言い、一同を見回すと、「解毒薬の研究は私にお任せください。戦闘は苦手ですが、薬なら得意分野です。どれだけやれるかわかりませんが、最善を尽くします」と緊張した面持ちで告げた。
「ぜひお願いします」
その場の一同を代表するように言って、ルクァイヤッドは穏やかに微笑む。
武器を振るい、魔術を使うだけが戦いではないことを、ここにいるすべての者が理解していた。戦いを有利に進めるための情報を集める者、薬の研究をする者、疲れを癒すおいしい食事やお茶を用意する者――そんな者たちも、彼らがこれから挑もうとしている戦いには必要なのだ。
「じゃあ次は、俺たちの得意分野の話だな。そろそろどこでどんな風に戦うのか、基本の方針を決めておくべきだろう」
椅子に腰かけたフィンレーが身を乗り出して言うと、誰かが手際よくテーブルの上に館周辺の地図を広げた。それと一緒にチェスの駒のような、手製と思われる木彫りの小さな人形が並べられる。
「端から籠城するのか、こちらからも打って出るのか、というところで意見が割れていましたね。エンリェード卿はご存知ないことですし、状況をまずはまとめておきましょう」
フィンレーの言葉にうなずきながら、ルクァイヤッドがそう前置きして説明を始めた。