第4話 恩人の剣士(仮)
――――どのくらい眠ったのか……?
シャッとカーテンが開けられる音と、顔全体に当たる陽の光の刺激で目を覚ました。
「…………ここは……?」
少し顔を傾けると、ベッドの脇にはカーテンを開けた人物がこちらを覗き込んでいる。
河原で最後に会ったエルフの少女だ。
彼女は目が合うと、心底嬉しそうな笑顔を彼に向けた。
――――本当に……キレイな子だな……。
部屋を照らす光も相まって、笑顔の彼女はこの世のものとは思えないほどの美少女だ。
「………………………………」
思わず見惚れて黙っていると、今度は心配そうな表情になって彼の顔へ両手を伸ばした。小さくてキレイな手が彼の頬を挟むように触っている。
「ーーー……?」
「え? あっ、だ、大丈夫っ……」
急に恥ずかしくなって慌てて伝えると、彼女は手を離して再びにっこりと笑った。
「あ、その……オレ、どのくらい寝て……」
ふかふかのベッドで身体を起こすのに苦戦しながら、彼は自分が置かれた状況を必死で思い出そうとした。
「お前は丸々三日間、ここで眠りこけてたんだよ」
「へ……?」
急に部屋に別の声が入ってきた。
この部屋のドアの所に薄い水色の髪の毛の少年が立っている。
「ここは俺たちの家だ。あの日、気を失ってたお前を、村の人間に頼んで運んでもらった」
「あの日……」
「この子を…………俺の妹を川で助けてくれただろう?」
「………………」
そう言って、少年は少女の隣りに立つ。
この二人は確かに兄妹なのだろう。
顔は彼女とよく似ていて、耳が長く中性的な容姿。前髪から赤い髪の毛の束が、一本の触角のようにぴょこんと伸びているところもそっくりだった。
「俺は『アロ』だ。この子は妹の『チェリ』。三日前、川で魔物に遭遇したチェリが、お前に助けられたと言っていた。起きたらすぐに礼を言おうと思ってた。でもなかなか起きないから、死ぬんじゃないかってハラハラしてたとこだ」
勝気な笑顔を向け、アロはそのまま彼に頭を下げる。隣にいるチェリも、一緒に深く礼をした。
「妹を助けてもらったことに感謝する。ついでに、お前があの魔物を倒してくれなかったら、近くにあるこの村も危なかった。ありがとう」
「え、いや、その……大したことはしてない、と思う…………います……」
アロの礼を述べる口調からは少年らしからぬ威厳が漂う。
ベッドで半身だけを起こしたままだが、彼は慌てて背筋を伸ばして応えた。
ビクッとした彼の様子がおかしかったのか、アロとチェリは顔を見合わせて笑う。
「悪い悪い、緊張させて。もっと気楽にしてて良いぜ。お前は俺らの恩人なんだから」
「ーーーー♪」
「す、すまない……」
おそらく歳下であろう彼らに気を遣われたと感じ、彼は照れながら下を向いた。
「……で?」
「え?」
「お前、なんて名前だ」
「へ?」
「え、じゃあねぇよ。名前、なんて呼べばいい? 自己紹介くらいはしろよ」
「あぁ、オレは……………………………………」
彼は照れ笑いをしながら口を開く。しかし、そのまま固まって沈黙が続いた。
「おい?」
「ーーー?」
「……………………………………………………」
次第に、彼の目が泳ぎ口元が引き攣る。そして、顔から血の気が引いていくのがわかった。
…………………………
………………
バターーーンッ!!
別の部屋の扉が思い切り開かれた。
「じいちゃんっ!! まだ医師は帰ってないよな!? もう一回、連れてきてくれっっ!!」
「ごほっっっ!? なんじゃ、どうしたアロ!?」
勢い良く叫んできたアロに、朝の一服をしていた老人は盛大に茶を吹いた。
「大変だっ!! あいつ、ベタベタの記憶喪失になってやがる!!」
「な、なにぃーーーっ!!」
まるで寸劇のような叫び声が、家中に響き渡った。
…………………………
………………
「うん……記憶喪失と言っても色々あってねぇ」
彼のベッドの傍、白衣の中年男性がため息をつく。
「記憶が無い、思い出せないと言うだけで、身に付いていることに対して身体が勝手に動くタイプもいる。君はそれだろうね」
「はぁ……」
彼に質問している男性はキリッとした犬頭であり、何かメモを取っている手はふさふさと毛の生えた五本指だ。【獣人族】の『人狼』である。
白衣の男性は隣町の医者であった。
彼を診断するために昨日から村に滞在しており、体は問題無しと判断して帰る直前だった。
医者の後ろでは心配するチェリと、怪訝そうな顔をするアロが彼を見ている。
「普通の会話の受け答えはできる。文字も読める。食事は…………まぁ、できているな」
検査の一種と言われて渡された水とパン粥を、彼は気まずそうにもごもごと頬張っている。
「軽い症状としては一日二日くらい前を忘れるもの。重い場合は、人間として食事や排泄さえもやり方を忘れるケースもある。彼の場合は人間生活に差し障りない程度の喪失…………自分の名前と、種族、家族構成など、身元に関するものが思い出せないということか」
「うっわぁ……ほんとベタな忘れ方したなぁ。こんなの、小説とか演劇でしか見たことねぇよ」
「…………ごめん」
パンを飲み込みながら、何故か申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
「いや、これだけ部分的に忘れているとなると、もしかしたら『魔法効果』によるものかもしれない。君の胸に、チェリの回復魔法が効きにくい箇所が見られたからね」
「魔法……?」
「あぁ。何か、魔法による攻撃や衝撃を受けたための後遺症だ。魔法を使う者なら分かると思うが、魔法というものは“使い手の精神”が魔力に乗りやすい。君はわかるかい?」
「………………いえ……」
「ふむ。見た感じだが、君は魔法を使う人間には見えないな。まぁ、軽く説明するとだな……」
この『魔法』は様々な種類が存在し、生活、学問、軍事、医療、美容、娯楽…………全ての人間が必ずどこかで魔法に触れている。
『魔法』は使える人間と使えない人間に分けられているが、使えるからと優遇されたり、使えないからと冷遇されるようなものではない。
全ての人間に身近な存在であり、使える者はそれを活かす仕事に就き、魔法を使うための道具も世の中に数多くある。
「私は【獣人族】だから、魔法も使えずあまり魔力も高くない。ここにいるアロとチェリは【精霊族】の『エルフ』で、種族としても魔力が高く魔法を常に使っている」
「確かに。魔法を使ってた……」
「ーーー」
河原でチェリは魔物を抑えるのに結界を張り、彼の身体の痛みを和らげるのにも魔法を使っていた。
「魔法というものは物理的な力よりも、精神的な干渉で威力や効果が断然に違う。“脅かすだけ”の攻撃と、“殺すつもり”の攻撃では相手への影響の差は大きい」
「…………オレは、どっちを受けたんですか?」
「言い難いが、後者だろうな。『君がどうなってもいい』……そのつもりで撃たれたものなら、助かったとしても良くない影響を君に及ぼすだろうから」
「………………………………」
微かに思い出すのは、誰かに突き飛ばされたこと。たぶん、それで自分は川にいた。
――――オレの死を、願った人がいる。
正直ショックが隠しきれない。黙っていると、医師は彼の肩を優しく叩いて「焦らなくていい」と笑いかけた。
…………………………
………………
「では、私は町へ帰るよ。何か気になることがあったら、遠慮なく診療所へ来なさい」
「ありがとうございます……」
人狼の医師は最後まで丁寧に彼に接してくれた。
ドアから出ていく医師を見送った後、隣りの部屋からアロが何かを担いで戻ってきた。大きな布の包みだ。
「よし、じゃあお前の名前でも決めよう。いつまでも呼べないの不便だし」
「あ…………うん……」
アロの言葉に自分が『名無し』であることを思い出す。さっきから不便を感じてはいなかったが、やはりこのままでは周りは迷惑だろう。
「ーーー?」
「いや、大丈夫。その方がいい」
チェリが首を傾げて心配してきたので、彼は苦笑いしながら応えた。それをアロが眉をひそめて見詰めている。
「…………お前……」
「え?」
「なんでもない。じゃ、どんな名前が良い? 言っていくから、気になるのがあったら教えろ」
「えーと…………」
アロが息を吸った後、彼の顔を正面から見据えた。
「ジョン、コロ、ポチ、タマ、ココ、ムギ、ソラ…………」
「…………………………………………………………」
犬の名前か? と思わず言いそうになったが、せっかく出してもらっているので黙って聴いている。
「モモ、リク、ムゥ、ピィ、レオ、パン、モチ、クッキー、トンヌラ、ランド、コナン…………」
どんどん深みに行っている気がしたが、考えてくれたのに悪いと思って文句を言うことも出来ずにいた。
「…………『ボウガ』……」
「ん?」
ある名前が言われ、顔を上げた彼はアロと視線が合う。その瞬間、アロがニヤリと口の端を上げた。
「『ボウガ』……やっぱり、お前の名前『ボウガ』だったな。無意識に聞き馴染みがあったはずだ」
「何で、それ……オレの名前……か?」
記憶にはなかったが、『ボウガ』と呼ばれたことに自分でも驚くほどしっくりきた。
アロはわざと他の名前を言ってから、本当の名前かもしれないものを混ぜて彼の反応を見たのだろう。
「ーーーっ」
先ほどアロが持ってきた荷物を、チェリが重そうに彼の前に置く。
「たぶんこの荷物、お前のなんだよ。川に散らばってたのをみんなで拾ってきた」
バサッと包みをベッドの上に広げた。そこにはナイフやらランプやら、キャンプで使うような道具があった。
「ほら、ここ。この道具にも。全部、律儀に『ボウガ』って名前が掘られてる」
「本当だ…………」
「お前、たぶん“クソ真面目”だな」
「………………………………」
自分自身のことだ。しかし記憶のない自分へ向けて、ボウガは恨めしい気分になった。




