第3話 流れ着いた先に
最後に彼の目に映った光景は、真っ暗な森と顔が見えない『誰か』が自分を思い切り突き飛ばすところだった。
彼の後ろは高い崖だということも知っている。
――――なぜ、こんなことを……!?
相手に対して怒りよりも悲しいという感情が溢れてくる。だが、それを噛み締める間もなく受ける浮遊感と、次の瞬間には大きな川の濁流に飲み込まれた。
「っ……!?」
急いで這い上がろうとしたが、嵐で荒れ狂った川は簡単に彼を飲み込んでいく。
――――痛い……苦しい……このまま死……
諦めと死の覚悟に支配されながら、意識は次第に薄れていった。
…………………………
………………
さらさらさら…………
穏やかな水の音が聞こえてくる。
――――水? 川の音?
まぶたに光を感じて、彼はゆっくりと目を開けた。
「…………………………」
すぐに頭が働かず、目の前の状況をしばらく呆然と眺めた。
うつ伏せに倒れている自分の頬に、丸い小石が当たっているのが判る。
今、倒れているのが川の浅瀬であることも解った。だから、全身が濡れていて寒いのも理解した。
今日の天気が良いということも、視界の隅に見える青空で判断できた。
――――体……痛い。自分は生きてる? あれ? オレは何で、自分が死ぬと思ったんだっけ?
自分がここに倒れている経緯だけが解らない。
「…………眠……」
身体の痛みのせいか、寒さのせいか、それとも疲労のせいなのか、彼はとても眠くて仕方なかった。
――――濡れたまま寝たら、風邪引くって怒られ…………えっと……誰に?
うつらうつらと取り留めのないことを考えながら、彼は再び目を閉じようとしていた。
だがその時。
リン……と鈴の音が聞こえる。同時に複数の叫び声が響いた。
――――悲鳴……? 近い……。
彼が少しだけ頭を上げると、再びリンと鈴の音が聞こえ…………
《この子たちを避難させないと》
「っ……!?」
まるで彼のすぐ側で発せられたように、その声は大きくはっきりと聞こえた。
「…………誰……?」
とても緊迫した声に身体が動いた。
「痛っ…………」
身体のあちこちから激痛が走ったが、それでも立ち上がろうとするのを止めない。すると、寒かった身体が段々と熱くなってくる。
気が付けば、いつの間にか握っていた長剣を杖代わりにして立ち上がっていた。
小さな悲鳴のような声が聞こえて、そこへ向けて足を引きずらせて歩き出す。目の前に大きな岩があり、そこから顔を出して辺りを伺う。
――――誰…………そこに……
状況が分からないままに見ていると、小さな子供が数人、その子らを護るように立ち塞がった少女が目に入った。
耳の長い『エルフ』の少女だ。
薄い緑がかった金髪がふわりと揺れる。
――――すごく、キレイな子だな……。
彼が少女を見てそう思った時、彼女は緑色の光の壁を自身の前に出現させているところだった。
《早く!! 今のうちに逃げなさいっ!!》
鈴の音と、聞こえたのが少女の声だと理解する。
緑色の壁に、黒い大きな魔物が体当たりするのが見えた。その後に彼女の後ろにいた子供たちが、泣きながら後ろの森の中へと走っていく。
《…………良かった》
安堵の声が聞こえたが、魔物が再び彼女へと突進していくのが見えて彼は剣を握り締めた。
――――ダメだ!! あの子が危ないっ!!
急に身体全体が熱くなって、彼は剣を構えて走り出す。
二度目の魔物の体当たりに緑色の結界がひび割れたが、それと同時に魔物を横から突き飛ばし、すぐに剣で魔物の身体を叩き斬る。
予想よりも簡単に、魔物の体は真っ二つになって地面に転がった。
「っ!?」
驚いた少女と目が合ったが、声を掛ける間もなく彼は彼女を背に隠して残りの魔物と対峙する。
――――あと、二匹……!!
彼の登場に、魔物たちは一瞬だけ怯んだが、すぐに少女から彼へと攻撃の的を変えた。
――――どうやって倒す?
頭にそんな疑問が浮かんでいたが、それを無視するように身体が勝手に魔物たちへと向かっていった。
『がぁああああっ!!』
躊躇なく近付く彼に、魔物二体が同時に飛び掛ってきた。
「っ……!!」
剣を片手に持ち、一体を蹴り飛ばして二体目の首を素手で掴んで地面に叩き伏せる。次に足元の魔物が起き上がる前に剣で首を落とし、蹴り飛ばした魔物へと駆け寄って斬り伏せていた。
ずるりと最後の魔物は地面に倒れ、河原には魔物の血が流れて広がった。
手に持っている剣からも、真っ黒な液体がポタポタと滴っているのを感じた。
「はぁ、はぁ…………やった……のか?」
肩で息をしながら、彼は転がる三体の魔物をじっと見詰め、それらがもう動かないことを確認する。
しかし安心するのと同時に、やはりこの状況に頭が追い付いてこない。
――――オレが、倒したんだよな…………そもそも、何で戦えると……?
この動作を彼は数分の間に、それもほとんど無意識に行った。だから、最初に何で自分が魔物を倒せると確信し、迷うことなく前に出てきたのかも理解出来ずに混乱し始めた。
身動きが取れなくなったその時、自分の腕を掴む小さな手があった。
エルフの少女が隣りに立って彼を見上げている。困惑の表情をしているが、どこにも怪我をしたような様子はない。
「…………無事……?」
「ーーっ……ーーー」
「良かっ…………オレは大丈夫……」
おそらく、彼を心配しているのだと解った途端、彼は身体の力が抜けてその場に倒れ込んだ。
「っっーー!?」
少女はすぐに彼の傍に座り、頭を膝へと乗せて彼の頬を軽く叩いて反応を確認する。しかし、目は開いているが、彼はボーッとした表情で返事をしない。
――――声、出ないな。身体もまた痛くなってきた。
先ほど、魔物を瞬殺できるほどに動けた身体は、指一本動かせない有り様になった。全身を覆った熱もどんどん下がって、凍えるような寒さに襲われた。
――――あ、また眠く…………これはまずいかも……
この眠気は良くない。
そう感じた時、彼の額と頬に温かい手の感触があった。
「ーーー、ーーー…………」
リン…………河原で聞こえた鈴の音がすると、ふわっと全身が浮くような、綿に包み込まれるような心地良さが巡った。よく見ると、体から淡い緑色の光が出ている。
「…………………………」
やがて光が収まると全身の痛みが和らぎ、寒気が引いていったように思う。
まだ強い眠気はあるが、少しまぶたが軽くなって目線を上に移した。そこには心配そうに彼を覗き込む、今にも泣きそうな少女の顔があった。
「ーーーー……?」
「…………あ……」
――――この子の泣き顔は見たくない……。
彼は無理やりにでも片手を動かして、彼女の頬を指で触れた。そして、笑顔を作ろうとして口を開く。
「大丈夫……ちょっ……と、眠いだけ…………」
伝えると、腕を上げているのも辛くなった。しかし彼の片手が落ちる前に、その手を彼女がしっかりと握る。
《あとで起こします……おやすみなさい》
「うん……ありがとう……」
“起こす”という言葉に妙な安心感を覚えて、彼は温かい膝の上で眠り始めた。
「ーーー、ーーー……」
ポンポンと彼の頭を撫でる手が温かい。
完全に眠る前に聞こえた鈴の音が、よく知っている子守り歌のように感じた。




