第1話 森のエルフ
数日前に嵐があったとは思えない、とても天気の良い穏やかな日。
“今日は運が良い”
少女の表情はそう告げていた。
森の中の背の低い茂みの前で彼女はかごを抱え、ホクホクとした笑顔を浮かべて目の前の野いちごを摘んでいた。帰ったらその野いちごで、ジャムを作るつもりである。
ひとつ、ふたつ、みっつ…………。
少し離れた場所で、彼女と同じ村の子供たちも野いちごを数えながら摘む。茂みに潜っているのか、体の一部が見えているだけだ。
「『チェリ』お姉ちゃん! こっちこっち、たくさんあるよー!!」
「ーーー」
『チェリ』という名で呼ばれた彼女は、年下の子供たちの方へ向かう。その場所は樹の枝が少しだけ間隔が空き、光が入り込んでいる。
森の木洩れ日に照らされた彼女は、誰が見ても『美少女』と呼ぶに充分すぎる容姿であった。
人形のように整った顔、明るい緑色の瞳と色白の肌、細く華奢な体つき。淡い緑がかった、ふわふわとした金髪が腰まで伸びている。
他に目につく特徴とすれば、横に細く長い両の耳と、一ヶ所だけ額の生え際から『真っ赤な髪の束』がピョンと、長く一本の触覚のように伸びていることだ。
彼女はこの世界では一般的な【精霊族】であり、その中では『花のエルフ』と呼ばれる種族であった。
「見て見てー! あたし、こんなに採れたんだよ!」
「ほら、ボクだって! イチゴの他にクルミも見付けたんだぞ!」
「アタシもー!!」
彼女の周りに集まってきた子供たちは、姿は同じエルフであったり、犬の耳と尻尾が付いたりとまちまちであった。
彼女……チェリはニコニコと子供たちが差し出した籠を覗く。
ウンウンと小さく頷くと、子供たちの頭を順番に優しく撫でていった。子供たちは照れながらも、目を閉じて頭を差し出し大人しく撫でられている。
「ーー、ーーー」
チェリは黙って森の一方を指差す。
その方角には川がある。
木の実採りに夢中になっている自分たちに、水を飲みに行こうと、チェリが云っていることに子供たちは気付いて歩きだした。
「うん、のど乾いたもんね」
「行こう行こう!」
「ーー♪」
ニコニコしながら、子供たちが彼女の手を引っ張っていく。
先ほどから、チェリは一言も言葉を発しない。
彼女は赤ん坊の頃から『声』というものを出したことがない。泣き声もヒューヒューと呼吸の音だけで声にならなかった。彼女が成長してどんなに他人の唇を真似ても、それは音として出ることはなかったのだ。
しかし、それを彼女自身はあまり悲観していない。日頃から周りに言いたいことは通じているし、誰からもそのことについてからかわれたりもしないからだ。
さらにチェリは【精霊族】の中でも、魔力が高いとされている『エルフ』である。
この国では魔力の高いエルフに対して敬意を払う者も多く、近隣の町へと出掛けた時も彼女は誰からも優しくされていた。
もちろん、彼女の容姿の良さも加わっているのだが。
ほどなくして、チェリと子供たちは森の奥にある河原に到着した。
子供たちが「魚も捕ろう」と、はしゃぎながら水を飲んだり、顔を洗ったりしている。
チェリはその姿を微笑ましく見ながら手を洗っていたが、ふと、彼女の鼻先が何かの匂いを捕えた。
「…………ーーー?」
「どうしたの? お姉ちゃん」
漂ってきた匂いは獣臭く、埃を含んだような振り払いたくなるような重いもの。
そよ風に混じったその匂いに、さらに絡み付いたのは“血の匂い”だった。
「―――っ!?」
チェリは立ち上がり周りを見回す。
すると、川の下流の方、岩の裏の方に何か動いているものがあった。
「お姉ちゃん、どうしたの?」
「ーーー…………」
しぃっ……と唇に指を当てて、チェリは子供たちをその場に待たせて、近くの岩陰から川下の様子を見る。
ザァ……パキッ……ザァ……クチャクチャ……
川音に紛れて、少し離れたその場所から湿ったような音がして、その方向に大きな黒い影の塊が見えた。
「――――!!」
河原にいたものは、大きな黒い狼のような『魔物』であった。
その魔物たちはチェリから見える限り三体もいる。彼らは森で捕まえたであろう、大きな鹿をガリガリと骨ごと噛み砕いていた。
パキ……ズル……
――――気付かれる前にこの場から立ち去る。
ここにいるのは、武器も持っていない非力な子供たちだらけだ。それしか選択肢はない。
湿った恐ろしい音を聞きながら、チェリはそっと子供たちの元へ戻る。
身振り手振りを加えて静かに移動するように伝え、子供たちの一番後ろについて歩きだした。
そろそろと足音をたてないようにと進んでいたが――――――、
「きゃあっ!?」
子供の一人が河原の大きな石に躓いて、悲鳴と共に転んでしまった。
……パキ……………………………………
魔物たちの咀嚼音が止んだ。
代わりに『グルルル……』と唸り声が近付いてくる。
「っっっ!!」
パチンッ!!
チェリはすぐに子供たちを森へ走らようと手を打ち鳴らした。
『『『ガァアアアアア!!』』』
「「「きゃあああっ!!」」」
子供たちが走り出すと、岩陰から三体の黒い魔物も飛び出した。
「――――『ーーーーー』っ!!」
チェリは子供たちを背に、魔物に向かって両手を突き出す。
リィィィン……
何処からか鈴の音が響いた。
同時に掲げたチェリの両手の前に、緑色に光る壁が現れて魔物たちの足を止める。
エルフの魔法による結界だ。この隙に子供たちを逃がそうとしているのだが……
「チェリお姉ちゃん!?」
「お姉ちゃん!!」
子供たちはガクガクと震えて、チェリの服の裾から手を放さない。
「……ーーっ……!!」
チェリはそんな子供たちの方を向くことなく、大きく息を吸って口を上下に動かした。
辺りにリィンッと鈴の音が鳴る。
《早く!! 今のうちに逃げなさいっ!!》
突如、子供たちの頭の中に直接、緊張気味に叫ぶ声が響いた。ドンッと黒い魔物が一匹、結界の壁に体当たりをしてくる。
「ち、チェリおねぇちゃん……!!」
「行くよ!! みんな!!」
子供たちの中でも年長である、獣人の女の子が叫んだ。
「で、でもっ……!!」
「早く!! 村に行って、アロ兄ちゃんを連れてくるの!! お姉ちゃんの声聞いたでしょ!?」
「わかった!!」
涙をボロボロと流しながら、子供たちは森へ、村のある方向へと全力で走る。
「………………」
子供たちが見えなくなって、チェリはほんの一瞬だけ気が抜けてしまった。
ドンッ!! バリッ……!
その途端、さらに魔物が体当たりをしてきて緑色の壁に大きな亀裂が入った。




