96話 外伝『あなたの腕の中で34』アデルの寝室
「エド・・・?」
じっと考え込んでいるエドワードに、アデルが声をかけた。
「ああ、少し考え事をしてしまった。ともかく、俺の情報網を使えば、地の果てまでも探し出すことができるのだ。」
「地の果てまでも?」
「ああ・・・。」
アデルは、どんなに逃げても結局はエドワードに見つけ出されてしまうのだと、今さらながら思うのだった。
「アデル、あなたは王太子妃になるのが嫌だから俺から離れたと言ったが、理由をあなたの口からききたい。今まで、身分の差を気にしていたことはわかっているが、妃そのものを嫌がってはいなかったから。」
「それは・・・。」
アデルはしばし考えて、適当な答えを見繕う。
「王太子妃の仕事が難しいと感じたからなのです。」
「難しいだって?」
エドワードはその答えに意外そうな顔をする。
「アデル、あなたは職業の中でも最も難しいと言われる医師の試験に合格した。仕事ぶりもとても真面目で人々からの信頼も厚い。そんなあなただからこそ、妃の仕事も滞りなくできると思う。それに、アデルの良さは・・・」
エドワードは、いかにアデルが王太子妃にふさわしいかを力説し始めた。
次から次へと繰り出されるアデルの長所は、聞いていて恥ずかしくなるほどなのだが、当のアデルはエドワードの動く唇を見ているだけで、まったく心には響いていなかった。
エドは、私が王太子妃に相応しいと言うけれど、それは男爵令嬢という身分があってのこと。
私が奴隷の子どもだとわかったら、もうそんなことは言えなくなってしまうのだろう・・・。
アデルには、エドの説得がとても虚しく感じられた。
もうそんなに一生懸命に言わなくてもいいのに・・・。
何を言っても表情一つ変えないアデルを見て、エドワードは別の方向から説得を始めた。
「アデル、これだけ言っても、自分が妃に向かないと思っているのなら、どうしても妃になりたくないと言うのなら、それなら、俺は王太子の座をレオナルドに譲ろう。そうすれば、あなたは王太子妃にならなくてもすむだろう?」
アデルの目がぴくっと動いた。
虚ろだった瞳に力が入り、拳をぎゅっと握りしめ、視線を自分の拳に移す。
「・・・です。」
「ん? アデル?」
「だから嫌なんです。」
「アデル、何を言って・・・」
「あ、あなたが、私のために全てを捨ててしまうような人だから、だから、私はあなたから離れないといけない!」
アデルの言葉が、部屋の中に響いた。
「ア、アデル、よくわかるように言ってくれないか?」
ああ、この人は・・・、私が何を言っても離れてくれない。
どこに逃げても見つけ出してしまう。
本当のことを言いたくなかったのに、男爵令嬢のまま、離れたいと思っていたのに・・・。
やっぱり、本当のことを言わないといけないの?
でも、でも、本当のことを言ったら、エドは私を軽蔑し、二度と指一本すら触れなくなる・・・。
だったら・・・、だったら、男爵令嬢のまま、最後の思い出を作りたい。
エドに愛された記憶を抱いて、・・・そして、エドの前から消えてしまいたい・・・。
アデルはすくっと立ち上がり、エドワードの手を掴んだ。
「エド、こっちに来て。」
「アデル、急にどうしたんだ?」
「いいから、早く。」
エドワードはアデルに引っ張られるように椅子から立ち上がり、アデルに付いて行く。
アデルは隣の部屋に続くドアを開けて、エドワードを中に入れるとドアをパタンと閉めた。
その部屋はアデルの寝室で、エドワードの目に、真新しいベッドとドレッサーが飛び込んできた。
ふんわりとアデルの香りがするこの部屋に、エドワードの心臓が大きく跳ねる。
「ア、アデル、ここは・・・」
「見ての通り、私の寝室です。」
「いや、それはわかっているが・・・。」
エドワードの身体は熱を帯び、顔は既に真っ赤になっていた。
覚悟を決めて勢いよくこの部屋に入ったアデルであったが、エドワードと向き合ったとたんに、恥ずかしくなり目をそらし俯いた。
だけど・・・、私から・・・、私から、言わなくては・・・。
「あの・・・、エ、エド・・・、わ、私を・・・、私を抱いてください・・・。」
俯いたまま、消え入りそうな声がアデルから聞こえた。
「えっ?今、何て?」
聞き間違いだろうか?
アデルがこんなことを言うなんて・・・。
俺の願望のせいなのか?
だが、エドワードは聞き間違いではなかったことをすぐに知る。
アデルは顔を上げ、エドの青い瞳を見つめてはっきりと言ったのだ。
「エド、お願いです。私を抱いてください。」
そこには甘い感情は見られず、まるで決死の覚悟が伴っているように見えた。
「アデル? 何を言ってるのかわかっているのか?」
「わかっています。私は子どもではありません。あなたに愛されたい、ただそれだけなのです。」
「いや、だが・・・。」
おかしい、アデルがこんなことを言うはずがない。
まるで、抱いてしまったらいなくなるような口ぶりだ。
だめだ、ダメだダメだ!
今ここで、アデルを抱いてはいけない。
エドワードは、理性で沸々と湧き上がる欲情を押し込めようと必死になる。
いつまでたっても行動を起こさないエドワードを見て、アデルはブラウスのボタンを外し始めた。
「えっ? ア、アデル、何をして・・・」
ブラウスはあっという間に床に落とされ、下着姿の胸が露わになった。
次にアデルはスカートも脱いだ。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。アデル!」
下着姿になったアデルは、次にその下着も脱いだ。
エドワードの目の前に、一糸まとわぬ姿のアデルがいた。
「エド!」
アデルはエドワードに飛び込むように抱きつき、背中に腕を回した。
若い女性の張りのある柔らかな乳房が、エドワードの胸を激しく刺激する。
「ア、アデル、だ、だめだ!」
エドワードの広げた二本の腕が、アデルを抱き締めたい欲望と、それを否とする理性がせめぎ合い、行き場を失い震えている。
だがエドワードは、縋りつくアデルの心を感じ取っていた。
アデルは、俺に抱かれた後、絶対に俺の前から消えるつもりだ・・・。
エドワードは必死の思いでアデルの肩を掴んで身体を引きはがし、くるりと反転させて目を閉じた。
アデルの裸を見てしまったら、もう、理性で欲望を押さえられなくなる・・・。
「アデル、こんな形であなたを抱きたくない。」
そして落ちていたブラウスを拾い、できるだけアデルの裸を見ないようにして肩越しに着せた。
「どうして・・・、どうして抱いてくれないの? ここまでしたのに、どうして・・・。ううっ・・・」
アデルはエドに背を向けたまま、嗚咽をもらした。
顔を覆っている両手から、ぽろぽろと涙が零れ、床を濡らす。
ブラウスで隠された背中は、アデルの悲しみで震えている。
「アデル、服を着てくれ・・・。俺は目を瞑っているから・・・。」
「ううっ・・・、どうして抱いてくれないの? あなたの腕の中で、最後の幸せを感じたかっただけなのに・・・。真実を告げる前に、抱いて欲しかったのに・・・。」
背中を向けたまま放たれたアデルの言葉に、エドワードはドキリとした。
「真実? やはり、アデルは何かを隠していたんだね。アデル、お願いだから、俺に話してくれないか?」
「ううっ・・・」
アデルの嗚咽はさらに大きくなり、立っていられなくなって、泣きながらその場にしゃがみ込んだ。
「ううっ・・・、私は・・・、私は、両親の子ではなかったの。赤ちゃんのときに拾われた捨て子だったのよ。ううっ・・・」
「捨て子だった? それの何がいけないのだ? あなたは立派な男爵令嬢ではないか?」
「ううっ、違うの、違うのよ。私は男爵令嬢なんかじゃない。私は・・・、私は、奴隷の子かもしれないのよ・・・。」
アデルは泣きながら、とうとう自分の秘密を打ち明けた。
しかしエドワードは、不思議なほど冷静だった。
きっと何か大きな秘密があるのだろうと、予想していたからかもしれない。
「アデル・・・、両親に拾われた子だったと言うことはわかった。だからと言って、何故奴隷の子だと言うのだ? そんなことは、誰にも分らないではないか・・・。」
「私が拾われる少し前に、赤ちゃんを連れた奴隷が逃げ出したの。私はその奴隷の子かもしれないのよ・・・ううっ・・・」
「アデル、私から逃げ出したのは、それが原因だったのか?」
アデルは顔を両手で覆ったまま、こくりと頷いた。
涙は止まることなく、指の間からぽたぽたと零れ落ちている。
「アデル、十八年も前のことなのに、それがあなたを苦しめていたのだな。だが、アデル、あなたが奴隷だという証拠なんて、今さらどこにもないではないか。」
アデルはビクっと身体を振るわせて、首を振った。
「も、もしも、奴隷商人が、私と両親しか知らないあのことを明らかにしたら、それが動かぬ証拠となるのです。」




