93話 外伝『あなたの腕の中で31』最終患者
えっ、今なんて?
真剣に見つめてくるディランの言葉に、アデルは激しい違和感を覚えた。
こんなところ?
何不自由ない暮らしをさせてあげる?
私は本来働くことが好きで、この町なら、自分一人でも十分に暮らしていけると思っているのに・・・
「あ、あの・・・、ディランさんは何か思い違いをしているようです。私は男性に囲われて暮らしたいなどとは思っておりません。」
「ほら、またそうやって強がっているではありませんか。」
だめだ、この人、話が通じない・・・。
アデルは大きなため息をついた。
ディランに対して失礼だとはわかっているが、その気持ちもわかって欲しかった。
「ディランさん、信じてもらえないのかもしれませんが、私は強がってなどいないのです。私は医師の仕事に誇りを持っています。私の気持ちをわかっていただけないようでしたら、今後、会わない方がよろしいかと思います。」
アデルの強い口調にディランは一瞬驚きとまどったが、すぐに商用スマイルに切り替えた。
「そうですか・・・。アデルさんは、王都にいるときから、仕事熱心でしたからね。この話はこれくらいにして、気をとりなおして、美味しい料理をいただきましょう。」
この後、ディランは話題を変えて、ノースロップの法律の話など、アデルが興味を引きそうな話をして過ごした。
そして別れ際「では、また。」とにっこりと微笑んで去って行った。
その微笑みが本心からなのか商用スマイルなのか、アデルにはわからなかったが、心の中で、もう来ないで欲しいと願った。
幸いなことに、翌日もその次の日も、ディランは病院に来なかった。
ほっと安心しながら、もうすぐ閉業時間だわと、時計を見ているときのこと。
診察室にいるアデルに、カノンが次の患者のカルテを持って来た。
「アデル様、今日の最終の患者です。」
診察前に予め作成した問診票とカルテを持って来ることが、今のカノンの仕事である。
「ありがとう。これで最終ですね。」
アデルが問診票とカルテを受け取って名前を確認すると、初めて見る名前だった。
「あら、珍しいわね。新規の患者だわ。まあ、症状は胸が痛くて苦しいですって? これは大変ね。お薬は何がいいかしら・・・。」
少し考えてから、アデルは最終の患者に声をかけた。
「どうぞ、お入りください。」
カーテンをシャッと開けて、中に入ってきたのは・・・
「エ、エ、エド・・・?」
一日も思わぬことがなかった愛しいエドだった。
この国では変装をする必要がないからか、本来の金髪が眩しく輝いている。
「ど、ど、どうしてここに・・・?」
驚くアデルに、エドは苦しそうに言う。
「アデル、俺は胸が痛くて苦しいのです。この苦しみを取り除くには、アデル、あなたが必要なんです。」
「あ、あ、あの・・・」
言葉を失い、ただただ目を大きく開けてエドワードを見つめるアデルに、エドワードは手を差し伸べる。
「アデル、一緒に帰ろう。」
目の前に差し出された手は、大きく力強く、指にはペンだこがある懐かしいエドワードの手だった。
何度もこの手を握り、何度もこの手で抱きしめられた。
エド・・・、この手を取って、一緒に帰りたい・・・。
またあなたと一緒に愛し合いたい・・・。
しばらく呆然とエドワードを見つめていたアデルであったが、自分の思いを否定するように首を振る。
だめよ。この手を取ることはできない・・・。
「エド・・・、両親から聞いたと思いますが、私は王太子妃になるのが嫌で逃げ出したのです。だから・・・、私は、あなたと一緒に・・・、帰りません。」
言いながら涙が込み上げてくるのを、アデルはぐっと我慢した。
ここで泣いてはいけない。平静を装わなくては・・・。
「あなたの両親からではなく、あなたから直接理由が聞きたいんだ。もうすぐ病院は終わるのだろう? 俺は待ってるから、病院が終わってから、ゆっくり話し合おう。」
エドに見つかってしまった以上、もう逃げることはできない。
なんとか説得して、エドに一人で帰ってもらわなくては・・・。
アデルは諦めて、エドと話し合うことを承諾する。
「わかりました。私は帰る支度をしますから、しばらく、待合室で待っていてください。」
「できれば、あなたから目を離したくないのだが・・・。」
「ふふっ、私は逃げませんよ。この病院は今の私の大切な職場なんですから・・・。」
結局アデルはエドワードに監視をされながら、否、見守られながら帰る支度をし、後のことはカノンに任せてエドワードと一緒に病院を出た。
「アデル、夕食はまだなのだろう? 何か食べに行くか?」
「私は、今は何も欲しくはありません。でも、エドはお腹が空いているのでしょう? レストランにでも行きますか?」
「いや、俺も胸がいっぱいで、食べられそうにない。」
「では、私の家に来ますか? つまむものなら何かありますから。」
「家に入れてくれるのか?」
「落ち着いたところで話すのなら、私の家が一番良いような気がします。」
アデルはできるだけ冷静に淡々と話すように心がけた。
しかし本当は、アデルの心臓はバクバクと激しく音を立てていた。
毎日思い続けていたエドワードと、短い時間であるけれど一つ屋根の下にいることになるのだ。
そう思うと緊張で倒れそうになる。
顔は赤くなっていないだろうか?
私の様子はおかしくないだろうか?
そんなことを考えながらも、常に冷静に振る舞わなければと自分に言い聞かせる。
ディアンは私のことを強がっていると言ってたけれど、それを言うなら、今のこの状態こそが強がっていると言えるのだろう・・・。
病院の近所にあるアデルの家にはすぐに着いた。
古く小さく何の飾りもない家は、若い娘が住むにはずいぶんと殺風景に見える。
「ここがアデルの家なのだな。」
「はい。前任の医師が住んでいた家を、そのままお借りしました。どうぞお入りください。」
外観は古くても、家の中はきちんと片づけられており、家具が少ないせいか、思ったよりも広く感じられた。
アデルはリビングの椅子にエドを座らせると、お茶とお菓子、軽くつまめそうなものをテーブルの上に置き、エドの向かいに座った。
「エド、私がここにいることが、どうしてわかったのですか? ビクター様に聞いたのですか?」
どことなく怒ったような口調に、エドワードはドキリとする。
「いや、ビクターに聞いたのではない。俺の情報網を使って探し出したのだ。だから、こんなに遅くなってしまった。」
「そうですか・・・。」
「ああ、そうだ・・・。」
嘘だけど・・・
本当は、この町までビクターに案内してもらった。
だが、ビクターの名前を出さない条件だったので、本当のことは言えないのだ。
エドワードは嘘をついているうしろめたさを感じながら、幸せの絶頂から奈落の底に突き落とされたあの日の絶望を思い出していた。
二人で行った洒落たレストランで、ワインで乾杯した日は幸せを噛みしめていた。
これから始まる未来には、夢と希望が満ち溢れているのだと思っていた。
エドワードは明日にでもアデルに会いに行きたかったのだが、仕事が忙しく、なかなか行けずにいた。
恋にかまけて仕事が疎かになったなどとは、言われたくない。
たまった仕事を片付けて、やっと余裕ができたのは、乾杯をした日の五日後だった。
アデルの仕事が終わる夕方、エドワードは意気揚々とアデルを迎えに行った。
今日は王都の中でも美味しいと評判のレストランで食事をしようと思い、予約もすでに済ませている。
アデルの屋敷の使用人にアデルに会いに来たと告げると、何故か顔色が青くなり、エドワードと目を合わそうとしなかった。
それでもエドワードを屋敷の中に入れてくれたが、「少々お待ちくださいませ」と言って、逃げるように慌てて奥に引っ込んだ。
しばらく待っていると、アデルではなく、ランドンとマーゴットが現れた。
アデルに会いに来たことを告げると、ランドンはいつになく苦しそうな顔をした。
なんだか様子がおかしい・・・、いったいどうしたんだ?
エドワードがその意味を考えていると、ランドンの口から、思ってもいなかった言葉が飛び出した。
「アデルはこの家から出て行きました。もう、殿下には会いたくないそうです。」
エドワードにとってその言葉は、晴天の霹靂だった。




