91話 外伝『あなたの腕の中で29』アデルと妊婦
見知らぬ土地での開業に、不安も多かったのだが、新参者のアデルに対して、町の人々はとても優しかった。
何か必要な物はないかと、わざわざ聞いてくれるほどであり、アデルの不安が杞憂であることがすぐにわかった。
病院の開業前の準備中は、近所の人々がアデルに声をかけてくれたが、開業後の数日間は、町の多くの人々があいさつに来てくれた。
王都の病院では毎日たくさんの患者が病院に押しかけていたが、ここスペロタウンは人口が少なく、患者の数は疎らであった。
その分、アデルは患者とゆっくり向き合うことができ、その病状の対処法も時間をかけて説明することができた。
前任の医師が残してくれたカルテも大いに役立ち、アデルにとっては初めての患者であっても、過去の病歴から患者に合う薬がすぐわかり、適切な薬の処方ができた。
その積み重ねの結果、アデルの病院はとても評判がよく、町の人々は良い医者が来てくれたと、皆喜んでいた。
アデルは日中、仕事に没頭し、辛いことも悲しいことも考えないようにしていた。
だが、仕事が終わり、一人自宅に帰ると寂しさが込み上げてくる。
窓の外の月を眺めては、エドは今頃どうしているのだろうか・・・
星を眺めては、私のことを探しているのだろうか・・・
暗闇の夜空を眺めては、私のことを恨んでいるのだろうか・・・
と、エドワードのことを思い出しては毎夜涙を流していた。
エド・・・、会いたい・・・。
でも・・・、そんなことを考えちゃダメ・・・。
そして夜が更けると、アデルは悲しみを抱えて眠りにつくのだった。
アデルの開業から二ヶ月が経ったある日、病院に産気づいた妊婦が運ばれてきた。
王都で働いていた頃は、妊婦の出産は自宅で行われており、専門の助産師が家まで呼ばれて赤ん坊を取り上げるのが常であった。
しかし、時には道端や職場で産気づいた妊婦が病院に運ばれてくることがある。
そのときは、父であるランドンが出産に立ち会い、赤ん坊を取り上げる。
アデルは医師になる前の修行時代から、何度もランドンと一緒に出産に立ち会い、父の助手を務めていた。
アデルはカノンにお湯を用意するように指示を出し、妊婦の出産に立ち会った。
通常分娩なら自信はある。
だが、逆子だったら・・・、それだけが心配であった。
どうか逆子ではありませんように・・・。
祈る気持ちで出産に立ち会う。
「うううっ・・・、あああああっ・・・」
妊婦は出産の痛みに耐えきれず、大きなうめき声をあげている。
「大丈夫ですよ。お産は順調ですよ。もうすぐですよ。」
アデルは妊婦を励ましながら子宮口が開くのを待った。
開いた子宮口から赤ん坊の頭が見えた。
「良かった。逆子じゃなかった! 頭が見えましたよ。もう少しです。頑張って。」
ほどなくして病院内に赤ん坊の泣き声が響き渡った。
おぎゃーおぎゃーと元気よく泣く赤ん坊は、まるで病院に舞い降りた天使のようだ。
「おめでとうございます。元気な男の子ですよ。」
アデルは赤ん坊をお湯で洗い、清潔なおくるみで包んで妊婦にそっと手渡した。
「ああ、良かった・・・。先生、ありがとうございます。」
妊婦は涙を流して我が子を抱いた。
妊婦の名は二コルと言い、町の青果市場で働いているのだが、店主が休んだ方が良いと言っても、出産ぎりぎりまで働いていたらしい。
「二コルさん、ご主人に連絡したいのですが、どちらにお勤めですか?」
アデルが尋ねると、二コルは小さく首を振る。
「先生、私の夫はこの世にはいないんです。半年前に事故で亡くなりました。」
二コルの夫は大工だったが、高所作業中に足場が崩れて転落死したのである。
「この子がお腹にできたとき、とっても喜んでくれたんですよ。二人でこの子の誕生を祝いたかった・・・。」
二コルの瞳からポロリと涙が零れた。
アデルは何と言って声をかけたら良いのかわからず、戸惑っていたら、二コルはアデルに向かってにっこりと微笑んだ。
「先生、そんな悲しそうな顔、しないでくださいな。夫は死んでしまいましたが、私はこの子のお陰で今まで強く生きて来れたんです。あの人と私の愛の結晶なんですから、絶対に生んで育てたい。そう思ったら、悲しみから立ち直ることができました。」
「・・・そうなんですね。」
「はい。だから私はこれからも、この子と一緒に明るく生きていくつもりです。」
二コルは力強い笑顔をアデルに向けた。
悲しみから立ち直った二コルの笑顔は、アデルにはとても眩しく見えた。
「あの・・・、女手一つで子どもを育てるのは大変だと思いますが、どうか頑張ってくださいね。」
「はい。先生、ありがとうございます。でもね、この国は私のような女性には、とても暮らしやすい国なんですよ。」
そう言えば、ビクターが以前、この国の女性の社会制度が充実していることを自慢していた。
産休も育休もあるとか言ってたっけ・・・。
「私は少しでもたくさんお金を稼ぎたくて、産前休暇を取らずにぎりぎりまで働いていましたが、産後休暇はしっかりとって、育児支援金も申請して、しばらくは子育てに専念するつもりです。それに、この町の人はみんな優しくて・・・、だから大丈夫なんです。」
二コルの言う通り、二コルが働いている青果市場の人たちが、閉店後、二コルを祝いに病院に訪れた。
皆が心の底から二コルを祝福し、店主は、身体が回復するまで店主の家で過ごしなさいと言って、まだ上手く歩けぬ二コルを、借りてきた車いすに乗せた。
別れ際、二コルも祝いに来た人々も、全員がアデルに感謝を述べて去って行った。
この夜、アデルは星を眺めながらエドを思った。
悲しくて涙が零れそうなとき、二コルの言葉がアデルの脳裏に浮かんだ。
―この子のお陰で強く生きて来れた・・・、絶対に生んで育てたいと思ったら悲しみから立ち直ることができた・・・―
私にもエドの子どもがいたら、強く生きることができるのだろうか・・・?
この悲しみから、立ち直ることができるのだろうか・・・?
そして思い出す。
雨に打たれた王家の森での出来事を・・・。
あの日、もしも、熱情の赴くままに身体を重ねていたら、私にもエドとの愛の結晶が芽生えていたかもしれない・・・。
愛情深く育ててくれた両親を見て、自分もいつかは我が子に深い愛情を注いで育てたいと思っていた。
ああ、願いが叶うのなら、愛するエドと私の子をこの手に抱きしめたい・・・。
だが、アデルは自分の願望が、いかに虚しいものであるのかを知っている。
王族が奴隷の子を娶ることなどできない。
奴隷の子だとわかれば、指一本でも触れることを拒むだろう。
もう、二人は愛し合うことなど、できないのだ・・・。
アデルは机の引き出しから、サファイヤのネックレスを取り出した。
エドに買ってもらった初めてのプレゼント。
エドの瞳のようだと見入っていたら、エドが買ってくれたのだ。
アデルはサファイヤをぎゅっと握りしめ、指を開くと、そっとその宝石にキスをした。
こんなことなら、あの日、何も知らないまま、エドに抱かれたら良かった・・・。
そうすれば、エドに愛された思い出を胸に生きられるのに・・・。
アデルの瞳からぽたぽたと零れ落ちる涙が、サファイヤを濡らした。
それから数日後、アデルが薬草の点検をしていると、数種類の薬草が残り少なくなっていることに気付いた。
完全になくなる前に、早めに補充した方が良いだろう。
アデルは昼休憩の時間を利用して、市場に薬草を買いに出かけた。
田舎町ではあるが、市場に行くと人が多い。
アデルが人の隙間を縫いながら薬草店に向かっていると、急に声をかけられた。
「アデル嬢!」
どこか聞いたことのある声に、アデルは足をとめ、周りを見回す。
するとそこには、懐かしい人の顔があった。




