89話 外伝『あなたの腕の中で27』アデルの秘密
休日でランドンが屋敷にいたとき、アデルが泣き出した。
「あなた、ミルクを作ってくるから、アデルを抱っこしててちょうだい。」
ランドンは、アデルを抱っこしてあやしたが、なかなか泣き止まない。
少し外の空気にでも触れさせた方が良いと思ったランドンは、アデルを連れて庭に出た。
小さな屋敷の小さな庭は、外からでも簡単に中を覗くことができる。
アデルを抱いているランドンに、見知らぬ男が話しかけてきた。
「すみませんが、その子はあなたのお子さんですか?」
ランドンは、ドキリとしたが、平静を装って男に尋ねた。
「そうだが。なぜそんなことを?」
「気を悪くさせたら申し訳ないが、その子があなたに似てないものでね。ちょっと聞いてみたのですよ。」
男はニヤリと気味の悪い笑みを浮かべている。
「似てなくても私の子だ。」
「いえね、最近奴隷が集団脱走したんですが、その中に、ちょうどそれくらいの赤ん坊を抱えた女がいたんですよ。もし、その子が逃げた奴隷の子どもなら、十分な謝礼をさせていただきますよ。」
「失敬な!君たちはこんな赤ん坊も奴隷にするのか?だが、残念だったな。この子は正真正銘私の子で、奴隷の烙印などないぞ。」
「ああ、逃げた赤ん坊は、大きくなったら幼女趣味の貴族に売ることになっているんでね。傷者にしたくないと言う依頼主の要望で、烙印は押してないんですよ。本当にあなたの子ですか? ウソをついたら罪になりますよ。」
「本当に失礼な人だな。何度も言うが、この子は私の子だ。」
「あなた、どうしたの?」
庭に出てきたマーゴットが、不穏な空気を感じて心配げに聞いてきた。
男はマーゴットを見ると、チッと舌打ちをする。
「おや、母親と髪色が同じでしたか・・・。これは残念だ。では、私は失礼しますよ。」
男は去って行ったが、ランドンの心臓はドキドキと激しく鼓動していた。
「マーゴット、あいつらが、諦めてこの地を去るまで、絶対にアデルを外に出すな。」
キョトンとした顔でランドンを見つめるマーゴットに、ランドンは奴隷商人との経緯を話したが、マーゴットの心が動じることはなかった。
「あなた、何を言っているのです? この子は神様が私たちにくださった子どもなんですよ。奴隷商人が言うことなんて気にしてはいけません。でも・・・、しばらく外に出ないことにしますね。」
その後、奴隷商人たちを見ることはなくなったが、赤ん坊が見つかったのかどうかはわかっていない。
そしてアデルが奴隷の子どもであるのかどうかも、わからないまま年月が過ぎて行った。
ランドンの長い沈黙が終るのを、アデルはずっと待っていた。
ランドンが意を決したように顔を上げた。
「お父様?」
「アデル、これから話すことは、お前を大きく傷つけることになるだろう。」
「は、はい・・・。」
アデルは大きな不安を抱えながら、ランドンの次の言葉を待った。
「アデル、お前が捨てられる少し前のことだ。奴隷商人が伯爵領で宿泊し、その際、奴隷たちの集団脱走があったのだ。逃げた者の中に、赤ん坊を抱いていた女性がいたそうだ。」
ここまで話して、ランドンはまた大きなため息をついた。
「お、お父様・・・、も、もしかして・・・、私がその奴隷の赤ん坊だったと・・・?」
アデルの心は、雷に打たれたようだった。
身体全身が痛さでつぶれてしまいそうな感覚だった。
両親の子どもではないと知っただけでも大きな衝撃だったのに、まさか、奴隷の子どもだったとは・・・。
だが、ランドンは小さく首を振った。
「わからないのだ。奴隷の子だという証拠はないから・・・。奴隷商人は、赤ん坊が大きくなったら、幼女趣味の男に売るつもりだったらしい。だから烙印は押さなかったと言っていた。」
「そ、そんな・・・。なんて酷い・・・。」
「本当に酷いことを考える。ああ言うヤツをケダモノと言うのだろう。」
アデルの瞳から、ぽろぽろと涙が零れた。
「私はもしかしたら、耐えがたい人生を送っていたのかもしれなかったのですね。私は、お父様とお母様に救われたのですね。」
「私もマーゴットも、お前と親子であることを誰にも疑われたくなかった。だから、マーゴットは髪をお前と同じ色に染め続け、ずっと隠してきたのだ。」
ふと、アデルに小さな疑問が浮かぶ。
「お母様のご両親はどう思っていらっしゃったのですか?」
マーゴットの両親なら、髪の色の違いがわかるはず・・・。
「マーゴットの両親は、マーゴットが結婚してから八年間、子ができずにずっと苦しく辛い思いをしていることを知っていた。だから、赤ん坊のことも、髪を染めることも、何も言わずに受け入れていたよ。」
マーゴットの両親は受け入れていたと言うが、マーゴットを知る人が、全てそうだとは限らない。
十六年前にアデルが王都に来てから、一度もマーゴットの実家に行ったことはなかった。
ただ単に、遠いから行かないのだと思っていた。
本当はそうではなく、アデルに真実がばれることを恐れていたからなのだと、今初めて知った。
「お前が男爵や子爵の令息と結婚するなら、この秘密は墓場まで持って行くつもりだった。だが、王太子と婚約すれば、話は違う。全国中にお前のことが知れ渡るだろう。お前の身分や生い立ちも含めて、新聞に書きたてられることになる。そうなれば、お前が捨て子であったことも、マーゴットが髪を染めていたことも、奴隷の子どもかもしれないことも・・・、世間は面白おかしく騒ぎ立てることだろう。お前も殿下も、もっとも辛い立場に立たされることは目に見えている。」
「私がエドと婚約したら・・・、エドを苦しめることになる・・・。」
「ああ、そうだ。真実はわからなくても、奴隷の子かもしれないという噂は死ぬまで付きまとうだろう。」
「お父様・・・、話してくださってありがとうございます。私はエドと結婚できないことが、よくわかりました。今は、一人になってよく考えたいと思います・・・。」
二人の前では気丈に振舞ったが、一人になって自室に入ると、アデルはベッドに倒れ込んだ。
足に力が入らず、立っていることなどできない。
ベッドに顔を伏せたまま、目から涙が溢れだした。
溢れだした涙は止まることを知らず、一生分の涙が流れたのではないかと思うほど、枕は涙でビショビショになっていた。
泣きながら、アデルは一つの決心をした。
エドと別れるために、この国を出ると言うことを・・・。
ここにいれば、エドを苦しめることになる。
結婚できないと言っても、エドが離してくれるとは思えない。
奴隷の子どもかもしれないと正直に話したら、もっともっとエドを苦しめることになる。
おそらく、真実がわからないのなら大丈夫だなんて言うだろう・・・。
けれど、もしも、もしも、あのことが明らかにされたら・・・
翌朝、泣きはらした目で、アデルはランドンとマーゴットに国を出ることを告げた。
行き先は、もう決めている。
ノースロップ王国だ。
アデルは仕事を休み、アカデミーの講師をしているビクターを訪ねた。




