83話 外伝『あなたの腕の中で21』レオとフィオナ
レオナルドは、フィオナが読んでいた本を本棚に返そうとした瞬間を見計らって、彼女のそばに歩み寄った。
「ご令嬢、その本はもう読み終わったのですか? 僕も読みたかったのですが、次は僕が借りても?」
「まあ、申し訳ございません。昼休みの度に、私が独り占めしてしまったようですね。読み終わりましたので、どうぞお読みになってください。」
初めて聞くフィオナの声は、レオナルドには鈴の音のように可愛らしく、カナリヤのように美しく聞こえた。
もっと、彼女の声が聞きたい・・・。
レオナルドは、さらに話しかける。
「あなたは、この本がお好きなようですね。」
「ええ。私はこの本の著者である経済学者アダムス・シブザー博士が好きなのです。難しい内容もわかりやすく書いているので、本当に良い勉強になりますわ。」
わかりやすいだって? 僕には難しすぎてよく理解できなかったのに・・・。
「そ、そうですね。アダムス・シブザー博士、確かにこの著者の本はわかりやすい・・・。」
「まあ、あなたもそう思われるのですね。なかなか賛同していただける方にお会いできなくて・・・。」
フィオナの嬉しそうな顔を見て、咄嗟に嘘をついてしまったレオナルドは、少し後ろめたさを感じてしまう。
そして、もう一つ、大切なことを思い出した。
あれを実行しなくては・・・。
エドワードにはフィオナという婚約者がいるのにも関わらず、まったくその影が見えないと、ずうずうしくも王太子の恋人になってやろうと思う不届き者が現れる。
レオナルドはそういう令嬢を目ざとく見つけては、その気持ちを自分に向けさせた。
これまでレオナルドが不届き者だと判断した全ての令嬢が、気難しくとっつきにくいエドワードよりも、見目麗しく優しいレオナルドに方向転換し、夢中になった。
その度にレオナルドはうんざりしてしまうのだが、兄上を下らぬ女から守れたと、自負もしていた。
そんなわけで、エドワードを守るために、レオナルドは自分の婚約者選びは後回しにしてもらっているのである。
さて、フィオナ嬢はどうなのだろう?
誘惑したら、兄上よりも僕に夢中になるのだろうか・・・?
「ご令嬢、本が取り持つ不思議な縁を感じます。よろしかったら、学校が終わってから一緒にお茶でもいかがですか?」
レオナルドは最高の笑顔でフィオナを誘う。
この笑顔を見せられて、断ることができる令嬢なんて見たことがない・・・。
だが、フィオナは違った。
「・・・」
沈黙し、少し顔を曇らせた後、
「ごめんなさい。せっかくお誘いいただいたのですが、私、個人的なお誘いはお断りしておりますの。」
嘘だろ! この僕を断るだなんて・・・。
レオナルドは思わず叫びたくなったが、ぐっと我慢した。
フィオナ嬢は、兄上の婚約者として、自分の貞節を守ろうとしている。
こんなに素晴らしい女性がこの世にいたとは・・・。
兄上、あなたは嫌われてなどいません!
心の中で叫んでいたレオナルドは、なんとか平静を装い「そうですか。お心を煩わせてしまって申し訳ございません。」と丁重に謝罪し、この場を閉めた。
そんなことがあってからも、レオナルドは図書館に通い、少し離れた所からフィオナを眺めることを繰り返した。
バレないように難しい本を読むフリをして・・・。
フィオナのピンクの瞳を、より一層美しく見せる長いまつ毛、額にかかった水色の髪、読書中に時折り見せるふとした微笑み、よほど難解な文章に出会ったのか、時折り見せる気難しそうな顔・・・。会話のない短い逢瀬を、いつしかレオナルドは、密かな楽しみとするようになった。
ところが、その宝物の時間を邪魔する者も少なからずいる。
「レオナルド様、よろしかったらお茶でもいかがですか?」
昼休みに少しでも近づきたい思いで、話しかけてくる令嬢がいる。
皆、頬を染め、期待を込めて声をかけてくる。
「ごめんね。今僕は読書中なんだ。」
にこりと微笑み丁寧に断ると、たいていの令嬢はごめんなさいと去っていくのだが、中にはしつこい令嬢もいる。
そんなときは、「今からこの本の内容について論じ合うかい?僕が満足できる話を、君はできるのかな?」と、いかにも難しそうなタイトルの本を見せることにしている。
これは効果絶大で、しつこかった令嬢が、皆青くなって去って行く。
だいたい、こんな難しい本を論じ合える令嬢は、フィオナ嬢くらいのものだろう。
いや、僕もはっきり言って無理だと思う。
フィオナ嬢と互角にやり合えるのは、兄上くらいだ・・・。
ここまで考えて、レオナルドの気持ちは落ち込んでしまう。
僕がどうあがいても、フィオナ嬢にふさわしい男にはなれない。
兄上こそがフィオナ嬢にふさわしいのだ・・・
レオナルドは、フィオナに話しかけることなく時を過ごしていたが、どうしても我慢ができなくなると、声をかけることがあった。
「今日は良いお天気ですね。」
「ええ、気持ちの良い天気ですね。」
たったこれだけの会話であったが、レオナルドは、飛び上がるほどの高揚感に浸れた。
だが、レオナルドの密かな楽しみは、そう長くは続かない。
レオナルドが十六歳になり、フィオナが十七歳になった十二月にフィオナは卒業し、それとともに楽しい時間は消えてしまったのだ。
卒業前の唯一思い出は、図書館で花束を渡したことである。
「図書館の友であるあなたに、この花束を捧げます。卒業おめでとう。」
「まあ、ありがとう。」
たったこれだけの言葉の交換であったが、レオナルドには美しい思い出として今も心に残っている。
あれからフィオナには一度も会っていない。
三年生になって、隣国に半年間留学したのだから、会えなくても当然のことなのだが、帰ってきたからと言って、フィオナに帰国を伝える気もなかった。
だって、フィオナ嬢は兄上のものなのだから・・・。
帰国する日まで、フィオナはエドワードの婚約者であり、家門同士の取り決めは絶対的で、それが覆されることなどないと思い込んでいた。
だがそれが、いとも簡単に覆されるとは・・・。
兄上の気持ちはわかった。
だが、フィオナ嬢の気持ちは?
彼女は未来の王妃になるために、ずっと努力し続けていたのではなかったのか?
ああ、彼女の本心が知りたい。
知りたくて知りたくてたまらない。
知らなければ、僕は、一歩も前へ進めない!
レオナルドは悩んだ末に決心した。
僕は、フィオナ嬢の本心を知る!
兄上のことを本当はどう思っているのか?
王太子妃になりたかったのではなかったのか?
こうと決めたら、レオナルドは動かずにはいられなかった。
日はまだ暮れていない。
今ならまだ間に合う。
レオナルドは、その高ぶる思いのままフィオナに会いに行った。
先ぶれもなく、男性が女性を訪ねるなど、失礼極まりないことなのだが、今のレオナルドには、ゆっくり待つ余裕などなかった。
護衛もつけずに、フィオナがいるラードナー侯爵家に向かった。




