64話 外伝『あなたの腕の中で2』エドの一目惚れ
太った男は、看護師が止めるのも聞かずに、アデルがいる場所までつかつかとやって来て、パーテーションを払いのけた。
その拍子で一枚パーテーションがバタンと倒れ、中が丸見えになる。
「なんだ、こんなところにいるじゃないか。わしは子爵だぞ、そんな平民の治療をするより、早くわしの治療をするのだ。」
アデルは包帯を巻き始めたばかりなので、その手を休めることなく、視線も包帯に向けたまま男に言う。
「患者様、ただいま治療中ですので、しばらくお待ちください。」
その声には若干怒りが含まれているようだ。
「何を言う。そんな奴よりわしが先だ!」
男はアデルの腕に手を伸ばそうとした。
が、その男の腕をエドワードがガシッと掴んだ。
「今は治療中ですよ。」
エドワードは男の腕を掴んだまま睨んだ。
「き、貴様・・・」
男もエドワードを睨み返す。
今にも殴り合いが始まりそうな雰囲気の中・・・
「終わりましたよ。」
アデルがすくっと立ち上がり、エドワードの手を掴んで、男の腕から離した。
きりりとした表情でアデルは男に問う。
「で、どこが悪いのですか?」
アデルの問いに、男は手の甲をぐいっとアデルの目の前に突き出した。
「ほら、これを見てわからぬか? そこの通りで柱にぶつけて擦りむいたのだ。」
よく見ると、少しの擦り傷とうっすら浮かぶ血の跡が見える。
「それでは治療しましょう。」
アデルは傷を消毒し、薬を塗って、包帯でその手をぐるぐる巻きにした。
少しの傷にしては大げさな処置であったが、男は満足したようだ。
「さっさとやれば良いものを。ところで、今日は男の医者はおらぬのか。お前しかいなかったから、治療をさせてやったが、女なんぞに治療をしてもらうとは、情けない・・・。」
男の言葉にエドワードはムッとして口を開きかけたが、それよりも先にアデルが声を出した。
「患者様、お代は受付にてお支払いください。ミリー、患者様がお帰りよ。」
ミリーと呼ばれた中年女性の看護師は男を受付に誘導し、やっとこの場は静かになった。
アデルの表情が柔らかくなり、微笑みを浮かべてフレッドに向き直る。
「今日の治療はこれで終わりですよ。」
アデルはまるで何事もなかったかのように、フレッドに話しかけた。
話す口調は、さっきの男に対する冷ややかな物言いと違って優しく柔らかだ。
「傷口の消毒は続けた方が良いのですが、明日も来れますか?」
椅子に座ったフレッドは、上目遣いにエドワードを見る。
フレッドの代わりにエドワードが答えた。
「そうですね。明日も来ましょう。」
「では、明日も今日と同じ治療をしますね。それから、お代のことですが、薬代、治療代含めて五百ピーナですが、払えますか?」
五百ピーナと言えば、ほぼ平民の一食分の額である。
貴族が払う医療費に比べると大幅に安い。
平民用に作られたこの病院は、公費による援助があるので、安い金額で治療を受けることができるのである。
「ああ、大丈夫です。払えます。」
これにはフレッドが答えた。
「では、あちらの会計でお支払いください。」
エドワードとフレッドが、指示された方向に進もうとした瞬間、アデルがエドワードの服の裾をつまんで止めた。
「あの、さっきは助けてくれてありがとうございます。でも・・・、助けてもらってこんなことを言うのは、おかしいのかもしれませんが、平民が貴族に手を出してはいけません。さっきは、何事もなかったから良かったものの、下手をしたら、あなたが罰せられてしまいます。」
エドワードは自分の顔を見つめてそう話すアデルの緑の瞳が、とても美しいと思った。
「あなたは、私のことを心配してくれるのですね。」
「ええ。明らかにあちらの方が悪いのに、あなたが罰せられないかと、一瞬ヒヤッとしました。」
アデルが俺の手を掴んでアイツの腕から離したあのとき、そんなことを考えてくれていたのか・・・
アデルを見つめるエドワードの心が、何故か熱くなる。
「心配してくれてありがとう。では、また明日来ます。」
ちょうどそのとき、カイルが病院に到着し、エドワードは二人と一緒に王宮に帰った。
王宮に戻ると、書類の山がエドを待っていた。
エドワードが手掛けている政策についての報告書だけでなく、各地から送られてくる報告書の数も相当な量を占めている。
エドワードは王都のことなら隅々まで熟知しているが、国土全域となるとそうはいかない。
それを補うために、独自の情報網を構築し、国の隅々まで網羅しているのだ。
そこから送られてくる報告書の数は膨大な量であるが、エドワードはそれを毎日チェックし政策に生かしている。
だからこの夜も、いつものように集中して報告書を読もうとしたのだが、何故か目の前に浮かんでくるのは文字の羅列ではなく、アデルの顔だった。
首を振りアデルの顔を消しながら、何とか報告書を読み終わり、やっとのことでベッドに横になったのだが、その夜、エドワードは眠れぬ夜を過ごした。
目を閉じれば、アデルの姿がふわりと浮かんで来る。
きりりとした眼差しで、てきぱきと治療し包帯を巻く姿。
自分を見つめる輝く水色の瞳。
頭から振り払おうと首を振っても、今度はまったく消えることはなく、包帯を巻く白い指先までも、まざまざと目の前に浮かんで来る。
アデルに掴まれた右手をじっと見ると、また胸が熱くなる・・・。
熱い胸のままアデルの顔を思い出すと、この国には珍しいピンクブロンドの髪色も、湖のような水色の瞳も、全てが可愛らしく思えてくる。
平民だからと心配してくれたさくらんぼのような唇を思い出した瞬間、ボッと火がついたように顔が火照った。
この気持ちはいったい何なのだ?
俺はどうかしてしまったのか?
今日会ったばかりの女性のことが、心からこんなにも離れないなんて・・・。
もしかして、新種の病なのか・・・?
エドワードは、一晩中考え続けた結果、夜明け頃になって、ようやくこれが一目惚れなのだと理解した。
他の言葉も考えてみたが、この症状にぴったりな言葉は、一目惚れ以外には見つからない。
話には聞いていたが、まさか俺がそのようなことに陥ろうとは・・・。
翌日、約束通りにフレッドを連れて病院に向かったが、その道中も心がざわつき、ドキドキしていた。
「エド、顔が赤いですが、調子が悪いのですか?」
カイルが心配して声をかける。
「い、いや・・・、何でもない、気にしないでくれ。」
フレッドはそんなエドワードを心配そうに見ていた。
病院に着くと、看護師のミリーが受け付けてくれたが、アデルはちょうど今、別の患者の治療に当たっているそうで、しばらく待つように言われる。
エドワードは奥に見えるパーテーションの中で働いているアデルを想像し、また胸が熱くなった。
エドワードは、今朝、城を出るまでに、アデルのことを調べた。
この病院はブルクハルト男爵が経営している病院であることはわかっている。
だから貴族名鑑を見れば、アデルのことを簡単に調べることができるのである。
アデル・ブルクハルトは、現在十八歳、ランドン・ブルクハルト男爵の長女であり、他に兄弟姉妹はいない。
母の名はマーゴット、共に男爵家同士の婚姻である。
アデルは、もともと母の里の北部の生まれであるが、十六年前に王都に住むランドンの兄の死去に伴い、爵位を継承したランドンが妻子を連れて王都に戻って来た。
それ以来、兄の病院を引き継ぎ、現在に至っている。
ランドン男爵も医者であるが、昨日はたまたまあの場にいなかったようだ。
あの粗暴な子爵は、男の医者のことを知っていたところを見るに、何度か、ここで治療を受けたことがあるのだろう。
それにしても嫌な男だった。
もしもどこかで顔を見たら、何かしらの罰を与えてやりたい・・・
そんなことを考えていたら、フレッドの名前が呼ばれた。
フレッドと一緒に、エドワードもパーテーションの中に入る。
カイルまで入ると中が狭くなるので、パーテーションの外で待たせた。
エドワードは、できるだけ意識しないように努めたが、アデルの顔を見ると、とたんに胸が熱くなるのを感じ、同時に顔が少し火照って来た。
顔が赤くなっていなければ良いのだが・・・。
アデルはフレッドの傷を確認することに集中しているので、後ろに立つエドワードのことは見ていない。
そのことにほっとすると同時に、なんだか寂しい気持ちも湧いてくる。
「もう出血はしていませんが、無理をすると傷口が開くことがありますので、気をつけてくださいね。」
治療を終え、新しく包帯を巻きなおしたアデルはそう伝えた後、ふとエドワードを見た。
ドキン!
エドワードの心臓が跳ねあがる。
「あの・・・、そちら様の顔が赤いですが、もしかして体調が悪くありませんか? 熱があるかもしれませんね。」
アデルは熱の有無を調べようと、エドワードの額に手を当てた。
ドキン!ドキン!
エドワードの顔が増々熱くなる。
「そうですね・・・。少し熱があるようですので、熱冷ましの薬を出しましょうか?」
「い、いえ、大丈夫です。おそらく病気ではありません。」
エドワードは慌てて否定する。
とてもじゃないが、一目ぼれの病ですとは、本人に向かって言えない。
フレッドがアデルに「明日も来た方が良いですか?」と尋ねると、「そうですね。あなたも仕事があるでしょうから・・・。」と、来なくても良いと言われてしまった。
傷口に薬を塗るのも包帯を巻くのも、家族にしてもらえば良いと言う。
その言葉に、とても残念な気持ちを抱いたエドワードであったが、ここに来れば会えるのだから、時々顔を見に来ようと、気持ちを切り替えて帰路についた。




