39話 動かないジェフ
スザンヌは馬に揺られながら、激しく葛藤していた。
アーサーにキスして良いかと聞かれたとき、断ることもできた。
アーサーに頬を両手で挟まれたとき、その手を払いのけることもできた。
だけど、それをしなかった・・・。
それは私も望んでいたから?
アーサーと結婚なんて、断った方が良いと頭ではわかっているけど、心の奥底では本当は望んでいる?
私はアールのことが好きだった。
じゃあ、アーサーは?
スザンヌの思考はここで止まる。
答えを出してしまったら、もう後には引けなくなってしまうような気がするから・・・。
スザンヌの隣で並走しているアーサーは、黙ってスザンヌを見ていた。
ずっと無言で、伏し目がちに考え事をしているスザンヌの横顔が、とても美しいと思う。
否定されなかったから、勢いでスザンヌの唇を奪った。
キスの後に抱きしめたが、彼女はそのまま黙って抱かれていた。
プロポーズの返事はまだもらっていないが、スザンヌも、俺と同じ気持ちだと思ってもいいのか?
このまま馬に乗って、二人だけの世界に駆けて行けたら・・・と思うのだが、現実はもうすぐ皆のいる場所に到着する。
まだスザンヌとローズが襲われた理由を掴めていない今は、皆の前では距離を置いた方が良いのだろう。
「スザンヌ、もっと一緒にいたいけど、俺には仕事があるから、ここで失礼する。また後で会おう。」
そう言うと、アーサーは一人スピードを上げてスザンヌから離れた。
メイン会場に近づくと、ローズと一緒に乗馬を楽しんでいるジェフに出会った。
二人とも、馬の上でとても幸せそうな顔をしている。
ったく、この二人は、いつもいつも・・・。
ジェフがアーサーに気が付いて話しかけてきた。
「殿下、良いところでお会いしました。実は、興味深い情報を得たのです。」
「ほう、興味深いとは?」
「ゴールドクラウン関連なのですが、今お話しするのは何ですので、後ほどご報告に参ります。」
「そうか、では楽しみにしている。」
話が終わりアーサーから離れると、ローズがジェフに問いかけた。
「何のお話だったの?」
「ローズは理由を知りたいって言ってただろう? 今、俺はその理由を探っているんだ。もうすぐ答えが見つかると思うよ。」
「ジェフ・・・、お願いだから、危険なことはしないでね。」
理由を知りたいと思ったのは自分で、そのために頑張ってくれるジェフのことを嬉しいと思うけれど、もし、ジェフが危険な目に遭ってしまったら・・・
そうなるくらいなら、理由なんて探らなくてもいい。
ローズはジェフの顔を見上げながら、一抹の不安を感じるのだった。
馬を返しに行くと、スザンヌもちょうど帰って来たところだった。
だが、雰囲気が行く前とは少し違っている。
顔もなんだか赤くなっている。
「スザンヌ、顔が赤いけど・・・、何かあった?」
スザンヌは図星を刺されて一瞬ギョっとしたが、なんとか平静を装いごまかそうとする。
「えっ?な、何もないわよ。ちょっと馬に乗りすぎて疲れたみたい。」
「そうね。ずいぶん遠くまで走ってたものね。ちょっと休憩しない?」
ローズは近くにある木陰にシートを敷いて、スザンヌにも座るように言う。
「じゃあ、俺は飲み物でももらって来るよ。」
ジェフは二人から離れた。
アーサーは、ジェフと別れた後、馬を降りて手綱を引きながら歩いていた。
スザンヌを追いかけているときは一人にさせてもらったが、今は護衛のジョンとケイレブがそばについている。
目の前にメリッサが現れた。
馬の品評会に来るには煌びやかすぎるドレスを身にまとい、アクセサリーもまるで夜会に行くかのように派手に飾り付けている。
「我が国の光であらせられる王太子殿下に、ご挨拶申し上げます。」
「ああ、メリッサ、そなたも来ていたのだな。」
「はい。このような場所で殿下にお会いできて光栄でございます。」
メリッサは、持ち前の天使の笑顔をアーサーに向ける。
周りの人々が、メリッサの美しさにため息を漏らすのだが、アーサーは美しい笑顔の裏に秘める邪悪さを感じてしまう。
メリッサは婚約者の第一候補であるが、何とかして候補を外してもらいたい。
だが、これはアーサーの一存で決められることではない。
国王を含め、周りを納得させられるだけの条件が必要なのである。
たった一度だけ、ドレスを汚した子どもを突き飛ばしたことがあるというだけでは、おそらく認められないだろう。
アーサーはふうと小さなため息をついた。
「せっかく来たのだ。そなたも友人と楽しんでくれたまえ。私は仕事があるのでこれで失礼する。」
アーサーはメリッサを残してこの場を去った。
友人と楽しめですって?
どうして私と一緒に歩いてくださらないの?
私は婚約者候補なのよ。それなのに、何故?
やっぱりあの男爵令嬢がお気に入りなの?
メリッサの美しい顔の裏に、スザンヌに対する憎悪が燃え上がる。
ねえフランツ、早くあの女を消してよ。
消すことが無理なら、せめてあのきれいな顔に一生消えないような傷をつけて・・・
メリッサは、そばにいないフランツに、邪悪な念を飛ばした・・・。
ローズとスザンヌは、シートの上でそよ風を受けながら気持ちの良い時間を過ごしていた。
スザンヌのさっきまで火照っていた心と身体は時間の経過と共に冷め、やっと冷静になれたような気がする。
「ねえローズ、あなたの好きなクッキー、持って来たのよ。食べない?」
スザンヌはカバンの中から箱を取り出してローズに見せた。
ふたを開けると美味しそうな甘い香りが鼻をくすぐる。
「わあ、嬉しい! スザンヌのクッキー、大好きよ。ありがとう。」
ローズは早速、箱の中からクッキーを一枚取り出して、スザンヌに礼を言ってたべようと・・・
「えっ?」
後方から、馬が狂ったように走って来る。
「大変だ!馬が暴走したぞ!」
誰かが大声で叫んでいる。
気が付いたときにはもう遅く、暴走馬は避けられない距離にまで迫っていた。
このままでは馬にぶつかる!
「スザンヌ、危ない!」
ローズは思いっきり力を込めてスザンヌを突き飛ばした。
「キャアー!!」
スザンヌの悲鳴と近くにいた人たちの悲鳴が同時に響く。
「ローズ!」
馬にぶつかると思った瞬間、ローズは恐怖で身動きできないまま、誰かに押し倒され、そのまま抱きしめられた。
馬は方向を変えることなく、暴走したまま走り抜けていく。
しんと静まり返る中、ローズは抱きしめられている腕をほどいて覆いかぶさる身体から抜け出した。
ローズを助けてくれたのは、ジェフだった。
ジェフがギリギリのところで間に合い、ローズを押し倒し、その身体で守ってくれたのだ。
「・・・ジェフ・・・ありがとう。すごく怖かった・・・。」
だが、ジェフは倒れたまま身動きせず、返事もしない。
「ジェフ、ジェフ、どうしたの? 動けないの?」
ローズがジェフの身体を揺すってみても、ピクリとも動かない。
「ジェフ、何があったの?」
事故を目撃していた婦人が、泣きそうな顔で教えてくれた。
「お嬢さん、その方は、あなたを自分の身体で守ってくれたのよ。そのとき、馬の蹄で、背中を踏まれたわ。だから・・・、その・・・」
婦人はそれ以上の言葉を口にすることができなかった。
「えっ? ジェフ・・・馬に踏まれたの? ジェフ、返事して、お願いだから返事をしてよ。」
ローズの横で、スザンヌは真っ青になって言葉を失っていた。
ジェフが、息をしているように見えない・・・。
医者だと名乗る男性がやって来て、ジェフの脈を測った。
心臓にも耳を当ててみた。
「お嬢さん、本当に残念なことですが、この方の心臓は、もう・・・、止まっています。」
「えっ、そ、そんな・・・、うそ、うそでしょ。ねえ、違うと言って。お願いだから違うって・・・。」
医者は静かに首を振る。
「・・・ジェフ、ジェフ・・・、イヤアーーーー!!」
ローズの泣き叫ぶ声が、美しい牧草地に響き渡った。




