38話 乗馬
スザンヌは気持ちよく馬を走らせていたが、この広い牧草地に多くの護衛騎士が立っていることに気が付いた。
きっとアーサーの指示なのだろう。
これだけたくさんの護衛がいるのだから、不審者が近づくこともできないし、もし現れたとしても、すぐに捕まえてくれるだろうと安心した気持ちになる。
スザンヌは止まることなく走り続け、メイン会場から遠く離れた場所まで来た。
とは言っても、牧場内に遮るものがないので、メイン会場で馬を囲んでいる人の塊が、とても小さくではあるが見ることはできる。
馬に試乗している者はそれなりにいるのだが、さすがにここまで来ると、走っているのはスザンヌだけだった。
一人で走るのも気持ちいいけど、誰かと一緒に走ったら、もっと楽しいのに・・・。
ふと、アールのことが心に浮かぶ。
アールとだったら、ずっと一緒に走っていたいのに・・・。
走っているのは自分だけだと思っていたのだが、後ろから馬の地を蹴る音が聞こえてきた。
よほど速く走っているのか、どんどんスザンヌに近づいてくる。
えっ?どうしよう・・・まさか不審者?
そう思って速度を上げたが、その音はあっという間に真横まで来た。
「やっと追いついた!」
ドキっとして振り向けば、声の主はアーサーだった。
「ア、アール・・・じゃない殿下!」
「スザンヌが一人で走り出したのを見て追いかけてきたんだ。せっかくだから、一緒に走りたいと思ってね。」
アールと一緒に走りたいと思っていたけど、まさか殿下が現れるとは・・・。
スザンヌは、速度を緩めてアーサーと並んで馬を歩かせる。
「スザンヌ、あなたは乗馬が上手なんだな。知らなかったよ。」
「はい。領地にいた頃、退役軍人の方に教えてもらったんです。乗馬服なら、もっと早く走れますよ。」
「なるほど・・・。もしそうだったら、追いつけなかったかもしれないんだな。今日はドレスで良かった。それに、髪飾り、つけてくれているんだな。嬉しいよ。」
あっ・・・とスザンヌは言われて気が付いた。
馬に乗る際は、落としたらいけないから外しておこうと思っていたのに・・・
うっかり髪飾りを付けたまま、ここまで走ってしまった。
「あ、あの・・・馬にのるときは外そうと思っていたんですが・・・。」
ぷっとアーサーは吹き出した。
「もし落としたら、また買ってあげるから、いつもつけてくれると嬉しいな。」
「えっ、そ、そんなわけには・・・」
スザンヌの顔がぽっと赤くなるのを、アーサーは嬉しそうに見ている。
「ところで、俺のプロポーズの返事、考えてくれた?」
「えっ?あ、あ、あの・・・」
ますますスザンヌの顔が真っ赤になる。
「急がなくてもいいって・・・」
「そうだな。急がなくてもいいって言った。だけど、良い返事ならできるだけ早く欲しいな。その方が俺も安心する。二十五歳までは、まだまだ長いからな・・・。」
アーサーが父親との間で、二十五歳までに婚約者を決めると約束したのには、彼なりの理由があった。
アーサーが十歳だった頃は、十五歳になったら正式な婚約者を決めることが決まっていた。
アーサーと年が合う令嬢がいる家門の中で、もっとも爵位が高く、かつ財力もある家門はメリッサがいるシャロン侯爵家である。
だから、アーサーも漠然と、自分はメリッサと婚約をするのだろうと思っていた。
美人だし、笑顔もとても愛らしい。
それに、アーサーに対しては、とても優しい・・・。
ところが十四歳の誕生日を過ぎたあたりで、フランツとエリオットの本性を知ることになる。
友だと信じていたのは自分だけだったのだと、激しいショックを受けたのだが、この人間不信はメリッサにも言及する。
メリッサのあの優しさは、本当の優しさなのか?
王太子妃になりたいがための演技ではないのか?
メリッサがフランツと仲が良いことは知っていた。
だからこそ、フランツがやたらとメリッサを褒めそやし、未来の王妃にふさわしいと絶賛することも怪しく思えてくる。
アーサーは恐くなった。
このままでは十五歳の誕生日を過ぎると、メリッサと婚約することになる・・・。
アーサーは、父を説得することにした。
十五歳で婚約者を決めるのは、早すぎるから止めて欲しいと。
だが、婚約者を早く決めることは、無用な婚約者争いを防ぐことになり、王室の安定にもつながると父は言う。
それならばと、アーサーは二十五歳までには必ず婚約者を決めて結婚するから、それまでは婚約者候補という立場でいて欲しい。
それに加えて、メリッサ一人に限定するのではなく、第三候補まで決めてもらう方が良いと主張した。
父と息子は長い時間話し合い、結局父は息子の案を採用することにしたのだった。
その後、アーサーはトリーに頼んでメリッサの本性を調べてもらったところ、アーサーに向ける顔と他人に向ける顔では違いがあり、メリッサより身分の低い者には蔑んだ目で冷たい態度をとると報告を受けた。
ついには孤児院で、その冷たさをアーサー自身が目の当たりにしたのである。
とてもじゃないが、メリッサと一緒になるなんて、こちらから願い下げだ。
それに、今はスザンヌがいる。
平民だと名乗る自分に対して、スザンヌは身分の違いなど関係なく優しく接してくれた。
屈託なく笑う姿、子どもの世話をするかいがいしさも愛しい。
ミスをした際に、厳しく叱られたこともあったが、それさえも、平民のアールのことを思っての愛情のこもった叱り方で、叱られたことすらとても嬉しく感じた。
初めは祖母のために始めた孤児院の訪問であったが、いつしか目的が、スザンヌに会うことに変わっていた。
「スザンヌ、少し休憩しないか?」
「えっ、は、はい。」
スザンヌは、アーサーの提案を受け入れて馬を降りた。
馬の手綱は低木の枝に括り付け、アーサーは近くの大きな木の下にスザンヌの手を握ってエスコートする。
手を握られたスザンヌは真っ赤になって俯き、半ばアーサーに引っ張られるように後に続いた。
アーサーが選んだ大木は、幹が太く葉が生い茂り、二人を誰の目からも隠してくれる。
「スザンヌ、もしも、俺の両親の反対を恐れて返事を渋っているのなら、どうか俺を信じて欲しい。必ず両親を説得する。」
「で、でも・・・」
プロポーズされたときも、アーサーは必ず両親を説得すると言ってくれた。
その気持ちはとても嬉しかった。
だが、どうしても自分が男爵令嬢であることと、アーサーにはその身分に相応しい婚約者候補がいるということが頭から離れない。
アーサーは、自分の上着を脱いで木の下に広げた。
「さあ、ここに座って。」
「えっ? でも、そんなところに座ったら、殿下の服が汚れてしまいます。」
王族の衣服なのだから、相当高価なものに違いない。
恐れ多くてとてもじゃないが座れない。
ふう・・・
アーサーは小さなため息をついた。
「スザンヌ、二人でいるときはアールのように接して欲しいって言ってるのに・・・。」
アーサーは太い幹に右手をドンとつき、顔をスザンヌに近づける。
「それとも立ったまま休憩する?」
「で、殿下・・・、顔、近いです。」
「俺はこの方がいい。スザンヌの顔をもっと近くで見たいから・・・。」
スザンヌの顔が、ぼっと火がついたように真っ赤になった。
「で、殿下・・・」
「殿下じゃなくて、アーサー、今だけでもいいからアーサーと呼んでくれ。」
「で、でも・・・」
アーサーはじっとスザンヌの目を見つめ、再度促す。
「アーサーと呼んでくれるまで、このまま動かないよ。」
「・・・んんん・・・ア、アーサー・・・」
スザンヌは真っ赤になってアーサーの名前を呼んだ。
「ああ、なんて嬉しいんだ。スザンヌの可愛い唇が俺の名前を呼んでくれた。」
スザンヌはますます赤くなり、まともにアーサーの顔を見ることができない。
「せっかく、名前を呼んでくれたのに、目を合わせてくれないの?」
「で、でも・・・」
下を向くスザンヌの頬に、アーサーはチュッとキスをした。
「えっ?」
驚いてスザンヌは顔を上げる。
「ふふっ、やっと顔を上げてくれた。真っ赤な顔も可愛いよ。スザンヌ、キスしていい?」
「えっ、・・・」
スザンヌは何と言って良いのかわからず、次の言葉が出てこない。
「良かった。拒否されなくて・・・。」
アーサーは半ば強引にスザンヌの両頬に手を添えると、スザンヌの唇を奪った。
「愛している。この気持ちはいつまでも変わらない。あなたがアールではなくて俺自身を愛してくれることを、いつまでも待つよ。」
アーサーはスザンヌを優しく抱き締めるのだった。
さて、その頃ローズはジェフに手綱を引いてもらって、のんびりと乗馬を楽しんでいた。
「ねえ、ジェフ、私ばっかり馬に乗ってるけど、良いのかしら。あなたも乗りたくない?」
「いや、俺はいいよ。」
ジェフの答えを聞いたとき、ローズはハッと気が付いた。
ジェフは長い間の闘病生活で、馬に乗ったことがないんだわ・・・。
男性が、私みたいに手綱を引いてもらうなんて恥ずかしいことなのに、無神経なことを聞いてしまったわ。
「ごめんなさい。私、余計なことを聞いてしまったわね。」
「どうして謝るの?」
「だって・・・、ジェフは馬に乗ったことがないのに・・・。」
しょぼんとして話すローズの顔を、ジェフはじっと見ている。
―ローズの表情解析中・・・ローズは俺が馬に乗らないことを気にしている―
「ローズ、俺は馬に乗れるよ。一緒に乗ろうか?」
「えっ?乗ったことがないんじゃ・・・。無理したら危ないわ。」
「ふふ、無理なんかしてないよ。」
ジェフは笑いながら答えた。
乗馬の経験はないが、乗馬をしている男性の姿は既に入力済みである。
足腰の位置、手綱の持ち方、重心のかけ方、馬の速度に対応する身体の動き、どれも完璧にコピーできる。
ジェフは、係の者に二人乗り用の鞍にかえてもらって乗ることにした。
「ジェフ、本当にいいの?」
「大丈夫だから、安心して。」
ジェフの腕の中にすっぽりと納まったローズは、嬉しい反面、少しの不安を抱えてドキドキしていた。
だが、心配をよそに、ジェフは不思議と慣れた手綱さばきで、ゆっくりと馬を歩かせる。
「すごい!ジェフは何でもできるのね。」
「じゃあ、少し早くしてみようか?」
ジェフが馬の速度を上げると、ローズは「キャッ!」と小さな叫び声を上げてジェフにしがみつく。
走りながら、ジェフの胸の中でローズは幸せに浸っていた。
ああ、私は何て幸せなのかしら・・・。
こんなに幸せを感じることができるのも、全部ジェフのお陰だわ。
このとき、ローズは迫りくる恐怖のことなど、まったく想像すらしていなかった。




