35話 怒り
恐怖で目を瞑っているローズの耳に、骨が砕けるような音が聞こえた。
バキッ!
刃物で刺されることを覚悟していたローズであったが、身体は痛さを感じることはなく、目を開けると、顔の横っ面を殴られた男が、吹っ飛ばされて宙を舞っている。
ドサッと男は音を立てて地面に倒れ伏した。
目の前で倒れた男の上に、ジェフが瞬時に馬乗りになり、怒りを込めた目で男を睨むと、襟首をグイッと掴んだ。
「ジェ、ジェフ・・・来てくれたのね・・・。」
ほっとしたとたん、ローズは身体の力が抜けてしまった。
立ち上がることができず、その場にしゃがんだままジェフを見ていると、ジェフは男の襟首をぐいぐいと掴んで締めあげている。
「いったい、誰に命令された? 早く言え!」
顔面の横っ面を思い切り殴られ、口の中が切れたのか、はたまた歯が折れたのか、男はうめき声を漏らしながら口から血を流している。
それでもジェフは、男を力任せに締め続ける。
「誰に命令されたんだ? 早く言わないか!」
「うっ、ううっ」
男は締め続けられて、体がビクビクと小刻みに震え出した。
「ジェフ、ダメよ。それ以上したら、死んでしまうわ!」
「えっ?」
ローズの言葉で、ようやくジェフは締めあげている力を緩めた。
―バク発生:必要以上の暴力・原因は不明―
尽くし型ロボットは、管理者を守るために攻撃者に暴力を振るうことがあるが、後々に裁判で不利にならないように、攻撃者が戦闘不能に陥った場合は、それ以上の暴力を振るわないようにプログラミングされている。
ローズはやっと動けるようになり、ジェフに寄り添い背中を撫でた。
「ジェフ、助けてくれてありがとう。それから、私のために怒ってくれてありがとう。でも、ここからは警察の仕事よ。後は警察に任せましょう。」
「怒る?」
「この男に怒ってたから、こんなになるまで締め上げたんでしょ?」
男は口から血に染まった泡を吹いて、既に意識を失っていた。
「・・・怒る・・・そうか、俺は怒っていたんだ・・・。」
―バグの原因発見:原因は怒り―
ジェフは怒りの感情を理解した。
怒りの感情は、時として行動の制御ができなくなる事も学んだ。
「ところでローズ、ケガはなかった?」
「ええ、ジェフのお陰で刺されずにすんだもの。ジェフが来てくれて本当に良かった・・・。」
ジェフが男を締め上げている間に、スザンヌがロープを持って来たので、男を縛り、不審者の連絡を受けてやってきた警察官に引き渡した。
事情聴取のためにローズ、スザンヌ、ジェフの三人は警察署に行くことになり、予定していたクッキー作りは、残念なことにできなくなってしまった。
事情聴取が終わった後も、ローズの不安は続いていた。
「いったいどうしてこんなことが・・・。見つけたって・・・、まずはお前からだって・・・。これって私とスザンヌを殺そうとしたってこと?」
あの恐怖を思い出すと、時間が経ったにも関わらず、また身体が震えてくる。
ジェフは震えるローズの肩を抱き寄せた。
「ローズ、何があっても俺がローズを守るから心配しないで・・・。」
「でも・・・、もしかしたら、また襲われるかもしれない・・・。いったい何故あの男は私たちを襲ってきたの・・・?」
「ローズは、理由を知りたいんだね。」
ローズは泣きそうな顔で、こくんと頷いた。
警察署から出て馬車に向かう途中、慌てた顔で走ってくるアーサーに出会った。
「ス、スザンヌ、話は聞いた。ケガはなかったのか?」
「はい。私は無事でした。ジェフリー様が不審者をやっつけてくれたので、助かったのです。」
「そうか。無事で良かった。」
アーサーはほっとした顔でジェフに向き直ると、その手を両手でガッツリと掴んだ。
「ジェフ、本当にありがとう。何とお礼を言って良いものか・・・。」
アーサーの目には、涙が少し滲んでいる。
「いえ、殿下。当然のことをしたまでです。ローズに危害を加えようとしたのですから・・・。犯人はおそらく歯と、あごの骨が折れたと思います。」
「そ、そうか・・・」
アーサーは先ほどまで王宮の執務室で仕事をしていたのだが、孤児院が不審者に襲われたという報告を受けて、真っ青になった。
祖母である王太后の福祉事業が襲われたのだから、王族代表として、私が話を聞きに行くと言って、慌ててこの場にやって来たのだ。
「俺は今から、犯人に会ってくる。」
アーサーがそう言うと、ジェフも行きたいと言い出した。
「殿下、犯人について調べたいことがあるので、一緒に会いに行ってもかまいませんか?」
「ああ、良いだろう。俺から頼んでやろう。」
ジェフ、ローズ、スザンヌの三人は犯人を警察官に引き渡した後は、事情聴取だけで、男に会うことはなかった。
ジェフは男と対峙した時に感じた違和感を探るためにも、会うことが必要だったのだ。
いったん出た警察署の建物に引き返し、ローズとスザンヌを休憩所で座らせた後、ジェフとアーサーは、犯人の面会を求めた。
王族が来たとわかると、警察署長が自ら案内を買って出て、アーサーたちを犯人の元へと案内した。
男は留置所の牢屋の中で蹲っていたが、ジェフの姿に気が付くと興奮しだし、鉄格子を掴んで暴れ出した。
何やら叫んでいるのだが、あごの骨が折れているからか、何を言っているのかよくわからない。
だが、言いたいことは何となくわかる。
直訳すると、こう叫んでいる。
「おい、お前、早くここから出してくれ!早くピンクと栗色を殺さないと、世界は破滅する!破滅するんだ!!」
アーサーは驚いて署長に問う。
「この男は何故このような・・・?」
「殿下、この男は目が覚めてから、ずっとこの調子です。気が狂っていると思われるのですが・・・」
ジェフは、じっと男の行動と言動を観察している。
そして鉄格子を掴んで喚いている男の服の血で汚れた部分を指先で摘まんだ。
―血液の成分分析中・・・薬物反応有り―
「殿下、この男は薬物中毒による幻覚と妄想が考えられます。おそらく、その状態で暗示をかけられたのかと・・・。」
「薬物!?」
この国では覚せい剤などの中毒性が高い薬物の使用は禁止されている。
もちろん製造も販売も禁止されており、関われば重罪だ。
「いったい誰が、薬物をこの男に渡したんだ?」
アーサーの問いに、そばにいた署長が慌てた。
「とにかく取り調べをしようにも、世界が破滅すると叫んでばかりで、何も聞けない状態なのです。」
署長は自分に非がないことをアーサーに訴える。
「殿下、尋問するのは、薬物の影響が切れるまでしばらく待ってからの方が良いと思われます。」
ジェフの言葉にアーサーは頷いた。
「そうだな。では、しばらく様子を見てからだな。」
アーサーは署長に男の状態を逐一報告するように伝えると、この場を去った。
「殿下、既に警察には話していますが、あの男は、単なる通り魔ではなく、初めからローズとスザンヌを殺すつもりで来たようなのです。」
「何だって? 何故二人が狙われる?」
「理由はわかりませんが、孤児院でローズが襲われたとき、あの男は、見つけたと言ってナイフで刺そうとしたのです。それに、牢屋の中でも、ピンクと栗色を殺すと言っていた。」
「つまり、誰かが、二人を殺さないと世界は破滅すると、暗示をかけたと言うことか・・・」
「おそらく。」
アーサーはスザンヌとダンスをしている際に、背中に感じたどす黒い視線を思い出した。
だが、いくら何でも、メリッサがそこまでするだろうか・・・?
ただ、ダンスを一度踊っただけで?
それに、何故ローズも?
メリッサ以外に考えられるヤツはいないのか?
アーサーの思考はぐるぐる回るだけで、結論には至らない。
どんなに考えたところで、まだ何もわかっていないのだ。
あの男が正気に戻れば、糸口が見つかるかもしれない・・・。
「とりあえずは、二人に護衛を付けよう。まずはそこからだ。」
アーサーは孤児院と、クレマリー伯爵家に護衛騎士を配属した。
これで、ひとまずは安心だと思っていたのだが、二日後、アーサーに思いがけない報告がもたらされた。




