3話
「俺が他の女と遊んでるからって、俺への当てつけか?」
悪びれもせず意地悪くローズに話しかけるオルソンに、ローズは一つため息をついてから、冷ややかな目でオルソンに向き直る。
「はあ? 他の女と遊んでいるあなたと一緒にしないでくださる?」
「そんな女みたいなヤツより俺の方が良いんじゃないのか? お前、俺の男らしいところが好きだって言ってたよな。」
わざとらしく、ジェフに聞こえるようにオルソンは言った。
確かにローズは、オルソンの男らしいところが好きだった。
伯爵の令息であったが、ちょっとワイルドなところが、とてもカッコ良く見えた。
彼の持つ黒髪と黒い瞳も、野性っぽくて男らしくて素敵だと思っていた。
だが、付き合い始めてからオルソンは変わった。
釣った魚にエサはやらない主義なのだろう。
付き合い始めた頃は優しかったが、飽きてくると優しさの欠片もなくなり、他の女と遊び始めた。
止めて欲しいと泣いて訴えたこともあったが、聞く耳を持たない。
そして極めつけはあの舞踏会だった。
エスコートをすると約束してくれたのに、迎えにも来ず、他の女をエスコートした。
会場で会っても無視され、他の女とイチャイチャする姿を見せつけられた。
舞踏会を逃げるように去ったあの日、ローズは泣きながら思った。
オルソンに振り回されることに疲れてしまった。
もう終わりにしたい・・・。
「オルソン、まだあなたに言ってなかったけど、私たち、もう終わりだと思うの。だから、別れましょう。」
「おい、お前、何言ってんだ。俺がお前ごときに振られるって? 馬鹿にしてんのか?」
ジェフは、二人のやり取りをじっと黙って見ていた。
―解析完了:管理者はこの男を本気で嫌っている―
「行きましょ。ジェフ。」
「おい、待て!」
ローズがオルソンから離れようと歩き始めた瞬間、オルソンにガシッと腕を掴まれた。
「ちょっと、離してよ。」
―緊急事態モードにチェンジ―
ジェフはオルソンの腕を掴んでねじり上げ、ローズの腕から外した。
「いてて、何するんだ。」
「ローズが嫌がっている。」
「はあ? 貴様、やるのか?」
オルソンはいきなりジェフに殴りかかったが、すっと顔を動かしかわされてしまった。
「ちくしょう!」
その後も何度も殴りかかったが、ジェフには一撃も当たらない。
二人の喧嘩をハラハラしながら見ていたローズだが、オルソンが一向に止める気配がないので、とうとう大声で怒鳴った。
「オルソン、もう止めて! あなたはもう負けてるわ!」
「はあ、何言ってやがる。まだ負けてないだろ。」
―管理者は止めさせることを望んでいる―
「ローズ、殴っても良いか?」
「ジェフ、思いっきりやってちょうだい。」
―出力パワー20%の攻撃に設定―
ジェフはオルソンの拳を避けると同時に、彼の腹を殴った。
「ウッ・・・」
ドスンとパンチが効いたオルソンは、腹を抱えてその場に崩れ落ち、これで喧嘩は終了となった。
「ジェフ、もう行きましょう。」
「ああ、そうしよう。」
ローズはこれ以上買い物をする気にもなれず、二人は屋敷へと帰ったのだった。
この一部始終を、ずっと馬車の中から見ていた白髪の老人がいた。
最近息子を亡くしたマチス・グローリー侯爵と、その執事フランボアである。
初めは息子のジェフリーに似ている男を見つけて馬車を止めさせたのだが、そこに別の男がやって来て、女の取り合いの喧嘩が始まった。
私の息子も元気で生きていたならば、こんな風に女性を巡って取り合いの喧嘩をしたのだろうか・・・。
涙ぐみながら見ていると、女が男をジェフと呼んだ。
その名前に驚いた。
「これは・・・、もしかしたら運命の出会いかもしれない。よく見たら、あの子は近所に住む伯爵の娘のローズじゃないか。ジェフリーの誕生日パーティーに招待した子どもたちの一人じゃよ。身体が弱い息子を気遣って、優しく接してくれたお嬢さんじゃった。フランボア、クレマリー伯爵家に行って、あのお嬢さんとジェフと呼ばれている男のことを調べてきておくれ。」
翌日、グローリー侯爵家の執事フランボアは、調査結果を侯爵に報告した。
「旦那様、やはりこれは運命なのかもしれません。ジェフ様は最近、何らかの事故に合われたそうで、記憶喪失になっているそうです。身元がわからないので、今はクレマリー家で保護しているそうです。」
「なんと、それなら都合が良い。フランボア、私の一世一代の芝居に付き合ってくれるか?」
「旦那様、もちろんでございます。このフランボア、死ぬまで旦那様に忠誠をお誓いいたします。」
翌日、グローリー侯爵はフランボアを連れてクレマリー家を訪問した。
応接室で、ローズの両親が対応する。
父親はローズと同じ栗色の髪と緑色の瞳を持ち、母親は茶色の髪と茶色の瞳であるが、面立ちはローズによく似ていて、三人の血の繋がりがよくわかる。
「グローリー侯爵様、ようこそおいでくださいました。」
「昨日、いきなり手紙で連絡したにも関わらず、会ってもらえて感謝する。手紙に書いたように、私の息子ジェフリーのことで話しに来たのじゃ。」
「はい。似ているとは思っていたのですが、まさか本当に侯爵様のご子息だとは思っていませんでした。こちらこそ連絡をするべきだったのに申し訳ございません。」
「いやいや、そんなことは気にしないでおくれ。」
「もうすぐここに来ると思いますので、しばらくお待ちください。」
ドアを開けて、ジェフとローズが入って来た。
「おおお、ジェフリー、よくぞ無事でいてくれた。我が息子よ。」
グローリー侯爵は椅子から立ち上がり、ジェフを抱きしめた。
「クレマリー伯爵、本当に感謝する。こうやって行方不明の息子に会えたのはあなたのお陰じゃ。このお礼は後日届けさせていただこう。」
ジェフは急に増えた新しい情報を入力・解析中で、無言で立ったままである。
「侯爵様、ジェフリー様は記憶を失っておりまして、侯爵様のことを覚えていないようなのです。」
ジェフリーはグローリー侯爵の入力・解析が終り、話しかけた。
「私はあなたのことを何と呼べば良いですか?」
「そうかそうか。記憶を失っているのなら仕方がない。ジェフリーや、私のことはいつも通りに、お父さんと呼んでおくれ。」
「お父さん・・・ですね。」
「ああ、そうじゃ。」
「それから、私の名前は、ジェフです。」
「そうかそうか。ジェフと呼べば良いのだな。さあ、もう家に帰ろう。」
「お父さん、私の家はここです。」
ジェフはそう言ってローズを見た。
ジェフと一緒に、夢のように楽しい時間を過ごしたローズであったが、本物の父親が迎えに来たのなら、ジェフを送り出さなければならない。
悲しいけれど、さよならを言わなければ・・・。
「ジェフ、あなたが本当にジェフリー様だったなんて驚いたけど、お父様が迎えにきてくださって良かったじゃない。あなたの家はここじゃない。グローリー侯爵家なの。だから、侯爵様と一緒に帰ってね。」
「わかったよ。ローズが言うのならそうする。だけど、俺にして欲しいことがあったら何でも言ってくれ。いつでも飛んでくるから。」
「ジェフ・・・」
ローズは涙を堪えて、侯爵と一緒に屋敷を去るジェフに、さようならの挨拶をした。
「旦那様、ようございましたね。誰にも疑われずにジェフ様をお迎えすることができました。」
「ああ、本当じゃ。性格も良さそうだし、後継者として育てるのも良いじゃろう。ジェフがここに慣れたら、使用人も呼び戻そう。また賑やかになるだろうて。」
一晩侯爵家で過ごしたジェフであったが、翌日、朝食がすむと、ジェフはローズのところに行くと言って出かけてしまった。
「ローズ、会いに来たよ。俺にして欲しいことはないかい? お前が喜んでくれる顔が見たいんだ。」
昨日、屋敷を去ったジェフが、こんなにも早く会いに来てくれるとは思っていなかったので、ローズはとても嬉しかったが、これで良いのかと疑問にも思う。
「ジェフ、あっ、もうジェフは侯爵家のご子息だものね。いつまでもタメ口ではいけないわね。」
今までローズは、ジェフはどこかの貴族か平民の金持ちの子息だと思っていたのだが、侯爵家の中でも最も位が高いグローリー侯爵家の子息だとわかったのだ。
今までのような話し方では不敬に当たる。
「ジェフリー様、そう言っていただけるのは嬉しいのですが・・・」
「ちょっと待って、ローズ。ローズは管理者なのだから、俺に敬語は必要ない。俺に敬語を禁止したように、ローズも敬語を使わず、今まで通りに話して欲しい。それから俺の名前はジェフだよ。」
管理者? 何それ? またジェフは意味の分からないことを言ってる・・・。
でも、今まで通りを望んでいるのだったら、それに従うべきよね。
「わかりました。では、今まで通りに・・・。」
ローズは頭を切り替えて、一旦敬語で話そうとしたことをタメ口で話すことにする。
「ジェフ、そういってくれることは嬉しいんだけど、あなたはグローリー侯爵家の跡取りなの。だから、侯爵家の仕事を学んでちょうだい。どうしても私に会いに来たかったら、侯爵家の仕事が終わってからにして。わかった?」
「それが、ローズの望むこと?」
「そうよ。だから、もう帰って。」
ローズだって、本当はジェフにこの場にいて欲しかった。
でも、甘えてばかりではいられない。
ジェフのためには、こうすることが一番良いのだと自分に言い聞かせる。
ジェフはローズの命令を実行するために、急いで侯爵家に帰った。
「お父さん、侯爵家の仕事を教えてください。」
「おや、帰ってくるなりどうしたんだい。仕事に興味を持ったのか?」
「ローズに、会いたかったら侯爵家の仕事が終わってから来るようにと言われました。」
「そうか。よくできたお嬢さんじゃ。私の仕事は領地の管理が主でな。現地では弟のアロンが直接管理しておるが、報告書を見て金の配分や税金のことなど何かとすることは多い。どれ、報告書を見てみるかい?」
グローリー侯爵は領地収入の一部ではあるが、過去五年分の報告書、帳簿、人員配置などを書いた資料をジェフに見せた。
「私は執務室で仕事をしているから、見るのに飽きたら言ってくれ。」
ジェフは書斎で一人になると、パラパラと資料をめくりながら全てを入力した。
そして執務室にいる侯爵に会いに行った。
「お父さん、この帳簿に書かれている金額と生産物の量を比較すると計算が合わない年があります。二年前と四年前ですが、明らかに他の年とは違っています。たぶん、生産物を倉庫に置いている間に、何かが起こったのだと思います。」
「何だって。わずかな時間でそんなことがわかるのか。さっそく調べてみよう。」
「他に仕事はありませんか?」
「今日はこれで十分じゃ。もう好きにしていいぞ。」
「それならローズのところに行ってきます。」
ローズは、わずか数時間でもどって来たジェフに呆れたものの、嬉しさは隠せなかった。
―解析完了:管理者は喜んでいる―
「ローズ、お父さんから好きにして良いと言われたのでまた来たよ。何かしてほしことはないかい?」
「もう、ジェフったら・・・。正直、来てくれて嬉しいわ。これからも、仕事が終ってから来てね。」
次の日も、その次の日も、毎日ジェフはローズに会いに来た。
もちろん午前中に仕事を終えてからのことなので、誰にも文句は言われなかった。
ジェフは、周囲の者が驚くほど博識だった。
この国の歴史、経済から、花言葉に至るまで、尋ねたことには何でも的確に答えてくれる。
話題も豊富で、一緒に過ごしている間に飽きることがない。
ローズは、ジェフと一緒にいることがとても嬉しく、いつも楽しく語り合って二人の時間を過ごしていた。
「ねえ、ジェフ、何でも知ってるってことは、記憶がもとに戻ったのよね。あなたのお誕生日パーティーのことも思い出した?」
「俺の誕生日パーティー?・・・・未入力だからわからない。」
「記憶にないってこと? そう、それは残念ね。」
―管理者の残念に思う表情・入力完了:管理者は残念に思っている―
その日、ジェフは屋敷に戻るとグローリー侯爵に尋ねた。
「私の誕生日パーティーの記録はありませんか? ローズに聞かれたけど、答えられませんでした。」
「ああ、それならフランボワが毎日業務日誌を書いているから、そこに記録されていると思うよ。」
ジェフは執事のフランボワに業務日誌を見せてもらい、二十年分の記録全てを入力した。
「ローズ、思い出したよ。誕生日パーティーに君は来てくれたんだね。それから他の参加者は・・・」
翌日ローズに会いに来たジェフが、いきなりパーティーの話を始めたので驚いた。
ローズが忘れていた子どもたちの名前を全員フルネームで言えたので、その記憶力に感動すら覚える。
「良かった。もう記憶は完全に戻ったのね。」
グローリー侯爵は、ジェフが仕事を始めたのも、過去の記録を覚えたことも、全てローズが導いてくれたことなので、彼女とその家族に感謝していた。
ローズの父親であるクレマリー伯爵とは身分は違うが、感謝の気持ちで接するものだから父親同士の仲もとても良好だった。
ある日、グローリー侯爵からジェフの仕事ぶりを聞いたローズの父は、それなら我が家のことも診断してもらおうと、ジェフに帳簿を見せた。
するとジェフは、すぐに帳簿からわかる問題点と改善方法を教えてくれた。
これは大いに役立ち、ローズの父は、家族にも使用人にもジェフの能力を称賛して聞かせた。
「お嬢様、ジェフ様はお嬢様に夢中ですね。」
「お嬢様は愛されて幸せですね。」
「ジェフ様は愛情深いだけでなく、仕事もできる本当に素晴らしい方ですね。」
「お嬢様がうらやましいですわ。」
使用人たちは口々に二人のことを、楽しそうに羨ましそうに話すのだが、その話を聞くローズの顔が、曇り始めた。
毎日私に会いに来てくれるけど、私のために嬉しい言葉をかけてくれるけど、まだ、一度も愛していると言われたことがない・・・。
私はジェフが好き、愛してる。
幼い頃の初恋の男の子だったけど、大人になったジェフに会って、もっと好きになった。
だけど、ジェフは私を本当に愛しているの?
その不安は表情に出てしまった。
―管理者の表情解析中・・・解析完了:管理者は不安70%―