26話 ゴルムルの木
「あのこととは?」
スザンヌの意味深な言葉に、ローズはつい尋ねてしまった。
「とある令嬢の話ですわ。」
名前を出さずに冷たく放たれた言葉の裏に、何となく、メリッサの影を感じたのだが、ローズは、それ以上聞くことを躊躇った。
名前を出さないつもりなら、これ以上追及するのは止めた方が良いのだろう。
「あのこと」は、スザンヌにとっても、アーサーにとっても、良い思い出とは言えない出来事なのである。
一年ほど前のこと、アーサーはいつものように変装して、孤児院に必要な物資を届けに来た。
荷物を運び入れて園庭に出ると、何やら騒がしくなっている。
何事かと思っていたら、聞き覚えのある甲高い声が聞こえてきた。
「殿下はいらっしゃらないの?」
アーサーは慌てて身を潜め、隠れて声のする方を見ると、視線の先には、護衛を数人連れたメリッサがいた。
何故かずいぶん怒っているようで、メリッサはスザンヌに詰め寄っている。
「殿下が孤児院に視察に来るって聞いたから来たのよ。いるんでしょ。」
「いえ、殿下はこちらに来ておりません。」
「そんなはずないわ。確かに聞いたんだから!」
「使用人の方が、必要な物資を届けに来てくれただけですわ。よろしかったら、使用人を連れてきましょうか?」
スザンヌが半ば呆れたように話すのを聞いて、ドキっとしたアーサーは、さらに小さくなって隠れた。
「使用人になんて会いたくないわよ。本当にいないの? まさか、あなた、殿下を隠しているんじゃないでしょうね。」
「まさか・・・、隠す道理がございません。」
スザンヌとメリッサが言い争いをしているところに、ボールがコロコロと転がって来た。
子どもが遊んでいたボールが転がって来ただけなのだが、ボールと一緒にそれを追いかける子どもも付いてくる。
ドン!
ボールしか見ていない子どもは、うっかりメリッサにぶつかってしまった。
「キャー、何するのよ。」
メリッサは、その子を突き飛ばし、子どもは尻もちをついてしまった。
ドレスには、その子の泥の手形がはっきりとついている。
子どもは痛い痛いとギャンギャン泣くし、メリッサはドレスが汚れたと激しく怒りをぶつけるし、その場は騒然となってしまった。
結局、メリッサは子どもを突き飛ばしたことを謝りもせずに、プンプン怒って帰ってしまったのだが、アーサーが原因で起きてしまったことなので、アーサーは非常にいたたまれない思いをしたのだった。
このことがあってから、孤児院に行くときは、もっと慎重にならねばと思い、できるだけこっそりと動くようにしている。
ジェフとローズに、予めどこに行くかを伝えていなかったのも、これが理由だった。
「ローズが、心の広い人で良かったですわ。」
スザンヌが、場を切り替えるように明るい声を出した。
「そ、そうですよね。ローズ様は心が広い。」
アーサーも、スザンヌに合せて感心したような声を出す。
「お茶とお菓子をお持ちしました。」
マーガレットが、ティーセットとお菓子を持ってきてくれた。
お菓子を載せた皿が、テーブルの上に二つ並ぶ。
「マーガレット、ありがとう。お茶は私がいれるから、あなたは子どもたちのお世話をお願いね。」
マーガレットが去ると、スザンヌは、慣れた手つきでティーカップにお茶を注ぐ。
「さあ、どうぞ皆さん、召し上がってくださいね。」
スカートの騒動で、まだお菓子に手を付けていなかったローズは、食べるタイミングを失ってしまっていた。
だから、実はその言葉を待っていた。
嬉しそうににっこりと微笑み、ハートの形のクッキーを一つ手に取った。
「まあ、可愛い。」
食べてみると、サクッとした口当たりと口の中でほろほろとほどける食感が絶妙なバランスで、味はバターの風味が効いていてとても美味しい。
食べている顔が、自然と笑顔になる。
「お味はどうですか?」
「すごく美味しいです。」
ほっぺを押さえながら、ローズが満足そうに答える。
「このクッキー、私が作ったんですよ。美味しいと言ってもらえて光栄ですわ。」
「すごい!スザンヌの手作りだなんて。」
ローズが感動して言うと、スザンヌもとても嬉しそうだ。
「本当に美味しいです。スザンヌ様のクッキーはいつ食べても上手いです。」
アーサーも大絶賛している。
「ふふっ、そう言ってもらえると嬉しいわ。」
「スザンヌ様が淹れてくれたお茶も、最高に美味しいです!」
アーサーの機嫌がすこぶる良い。
にこにこ笑顔でスザンヌと言葉を交わしている。
今までアーサーを見てきた中で、こんなに機嫌が良いのは初めてだ。
それに、アーサーのスザンヌを見つめる目が、他人を見る目と明らかに違う・・・。
もしかして・・・、これって・・・?
そう言えば、護衛の二人が帰ってこない。
だけど目の前の二人は、気にしている様子もない。
これって、たぶん・・・、護衛がいなくなるのはいつものことなんだわ。
護衛が任務を放棄するなんてありえないから、きっとどこかで目を光らせているはず・・・。
アーサーの邪魔をしないように・・・。
ローズの「もしかして・・・」は、確信に変わった。
ああ、これは・・・、王子様と男爵令嬢の身分違いの恋!
なんてロマンチックなの!
最近読んだ小説、「あなたの腕の中で」と同じだわ・・・。
そう思ってアーサーを見ると、アーサーは全身から好き好きオーラを放出している。
だけど・・・、スザンヌの気持ちはどうなのかしら?
ずっと笑顔で話しているけれど・・・、この笑顔は、他の人に向ける笑顔とそう変わらない・・・。
私にも、子どもたちにも、同じ笑顔で接している。
しばらくローズはアーサーとスザンヌの会話を聞きながら、スザンヌの気持ちを探ろうとしたけれど、結局、よくわからないまま終わった。
「まあ、もう、こんな時間。お話はまだまだ尽きませんが、そろそろ施設の中を見学していただきましょう。」
思い出したかのようにスザンヌが慌てて立ち上がると、皆もそれに従った。
「私もローズ様と一緒に見学してもよろしいですか?」
ジェフが尋ねると、スザンヌは笑顔で「どうぞ」と答える。
「アールも一緒に行きますか?」
スザンヌがアーサーを誘うと、「もちろん、私も一緒に行きます。」とアーサーは喜んで答えた。
園庭を歩いている間、ローズはスザンヌを見て、歩く姿も美しいと思った。
彼女の姿勢の良さもそうだが、動作一つ一つが洗練されているように感じる。
「さあ、どうぞ中にお入りください。」
スザンヌに促されて施設内に入ると、部屋も廊下も、掃除が行き届き清潔が保たれている。
遊んでいる子どもたちは、皆血色が良く健康的だ。
子どもたちが遊んでいるおもちゃも、種類が豊富で美しい色の物が多く、本棚にはずらりと絵本や子ども向けの小説が並んでいる。
子どもたちの世話をする職員たちも、皆優しそうで、子どもたちと穏やかに関わっている。
ドレスを買うお金を、子どもたちのために使っているのは本当なんだなとローズは思った。
「いらっしゃいませ。ようこそ我が孤児院へ。私がここの院長ヘンリー・メイブリックです。」
中年男性がローズたちに挨拶しにきた。
「お父様、こちらはクレマリー伯爵家のご令嬢のローズ様ですわ。今日は、ここの見学にいらっしゃったの。」
「そうですか。それでは私が案内しましょう。どうぞごゆっくり見学してください。」
「では、私は子どもたちのお世話をすることにします。」
スザンヌは、皆から離れて子どもたちが遊んでいる部屋へと去っていった。
スザンヌを目で追うアーサーが、どことなく残念そうだ。
にこにこと優しそうな笑顔で話す院長は、スザンヌと同じ淡いピンクブロンドの髪色で、目元の雰囲気もよく似ている。
ただ、瞳の色はスザンヌと違って茶色だから、スザンヌの水色の瞳はきっと母親に似たのだろう。
院長はゆっくりと歩きながら、施設の内部を説明してくれた。
給食を作る大きな調理場、子どもたちが入るお風呂もピカピカで、衛生管理は十分だ。
施設内で働いている職員の数も多く、子どもたちに目が行き届いているのがわかる。
「本当に立派な施設ですね。」
ローズが感心して院長に話しかけた。
「はい。王室からいただいている予算、篤志家の皆さんからいただいている寄付のお陰ではありますが、スザンヌの助けがあってこそなのだと思います。スザンヌは一切贅沢をせず、娘らしい社交もせずに、孤児院のために本当によく働いてくれます。私では気が付かないところでも、あの子はよく気がついて改善してくれるのですよ。」
ローズは感心して院長の話を聞いていたが、ふと目をやった先に、変わった植物を見つけた。
施設の南側の日当たりの良い場所に、見たことがない赤い葉っぱの低木が植えられている。
ローズは、初めて見るその赤い葉っぱに、吸い寄せられるように近づいた。
「変わった葉っぱですね。初めて見ました。」
「ああ、それは、私の領地に群生しているゴルムルという木なのですが、どうも王都の土には合わないようで、植えてもすぐに枯れるのですよ。せっかくきれいな葉っぱをしているのに、誰にも見せられないのはもったいないと思って、領地の土を使って鉢植えにして育てています。」
木の下を見ると、大きな鉢に植えられている。
「ああ、それから、この木は葉っぱだけじゃなくて、幹も変わっているんですよ。」
院長はポケットから折り畳みナイフを取り出して、幹に傷を付けた。
すると、白い樹液がとろりと流れ出す。
「わあ、不思議!なんだかミルクみたいですね。」
するとそれまで黙っていたジェフが「ちょっと失礼します」と樹液を指ですくって、ほんの少し口に含んだ。
「えっ? いったい何を?」
驚く院長に、ジェフは顔色一つ変えずに答える。
「この樹液の分子構造を調べています。」
「ブンシコーゾー?」
院長が不思議そうな顔をしたので、ローズは少し焦る。
「院長先生、ジェフは時々、訳のわからないこと言いますが、気にしないでくださいね。」
一通り見学が終ったので、ローズたちは帰ることにした。
帰り際、スザンヌはきちんと見学者への言葉を付けて送り出す。
「ローズ、この孤児院は王室からの予算と、篤志家の皆様からの寄付で成り立っています。もし、私たちの運営にご協力いただけるなら、寄付をよろしくお願いしますね。」
言うべきことを、きちんと言える天使・・・
ローズはスザンヌのことを、素敵な女性だなと思う。
馬車付き場まで歩いているとき、仕事が終わった開放感からか、アーサーもローズも、使用人と貴族令嬢の関係であることをすっかり忘れていた。
「ローズ、楽しかったか?」
「はい。とても楽しかったです。」
馬車を見送ろうと思って、皆の後ろを歩いていたスザンヌが、少し驚いた顔をしたことに誰も気づかなかった。
ローズが馬車に乗り込もうとした際に、スザンヌがローズの袖を引っ張った。
「あ、あの・・・ローズ、寄付金のことで・・・、す、少しだけ・・・いいですか?」
何でもはっきりと言うスザンヌが、何故か少し躊躇っている。




