2話
ジェフにいきなり「して欲しいことはないか?」と眩しすぎる笑顔で聞かれてローズは固まってしまった。
まるで王子様のようなイケメンに、そんなことを言われると破壊力がすさまじい。
何も言えずに黙っていると、さらにジェフは追い打ちをかける。
「ローズ、俺はローズの役に立ちたいんだ。」
ズッキューン!!!
ローズの心臓が跳ねあがる。
あああ、もう無理!誰かたすけて!
「ローズ、俺はお前に喜んでもらえることが最大の喜びなんだ。」
使用人たちの、キャーという悲鳴が部屋中にこだまする。
皆、頬を染めて熱くなっている。
ローズは心臓が止まるかと思ったが、なんとか耐えた。
「つまり、あなたを助けた私に何かお礼がしたいってことね。これは騎士道の精神に基づく言葉なのかしら。きっとそうよね。」
熱くなった頬を手でパタパタと扇ぎながら、ローズは一人納得していた。
「私がジェフにお願いしたいこと・・・。そうね、今はジェフに必要な物が何なのかを、私に話して欲しいわ。うん、それをお願いするわ。」
「俺が必要な物を伝えて、ローズに許可をもらえばいいんだね。」
「うん? 何だか堅苦しい言い方になっちゃってるけど、そう言うことね。で、何が必要なのかしら?」
「もっと多くの言語入力が必要なんだ。図鑑とか、あるかな?」
「ゲンゴニューリョク? なんかよくわからないけど、図鑑なら図書室にあるわ。じゃあ、私が案内するわ。」
二人は図書室に入った。
クレマリー伯爵家の図書室は、さほど大きくはないものの、蔵書は多く、壁一面にぎっしり本が並べられている。
「道具図鑑のようなものがあれば良いのだが、見てもいいかい?」
「ふふっ、いちいち許可を求めるのね。道具図鑑ならこれがいいかしら。」
ローズは図鑑コーナーから、ちょうど良さそうなものを選んでジェフに渡した。
「ありがとう。すまないが、ローズが声を出して読んでくれないか。」
「えっ、私がですか?」
「そう。文字と発音の関係を分析・解析しなくてはいけないんだ。」
「もう、何を言ってるのかわからないわ。」
そう言いながらも、ローズは一つひとつの道具を指さしながら名前を読み上げた。
「ちりとり、ほうき、ごみばこ、かっぷ、さら、ぽっと・・・」
きっと記憶喪失になったから、普段使う道具のことまで忘れてしまったんだわ。
少しでも思い出してくれたらいいんだけど・・・。
―文字と発音の関係分析・解析中・・・解析完了―
「ローズ、ありがとう。君の声は素敵だったよ。」
「い、いえ、そんなことは・・・」
誉め言葉にローズはポッと赤くなる。
「何を言う。ローズの声ほどこの世に素敵な声はないよ。」
さらに赤くなって頬が熱くなるローズであるが、ごまかすようにジェフに話しかける。
「他には何が読みたいの?」
「辞書の入力が必要なんだが、許可してもらえる? データの多い方が、なお良いな。」
「出たの多い方? なんか変な言葉ね。うーん、つまり出てる言葉が多いのが良いってことかしら。」
ローズは辞書コーナーから一番分厚い辞書を渡した。
普段使われていないのか、うっすらと埃がついている。
それを受け取ると、ジェフはパラパラとページをめくり、データ入力を続ける。
そばで見ていると、あまりにもページをめくるのが早すぎて、まるで辞書の中に隠されているへそくりを探しているように見える。
もしも見つけたら、そのへそくり、私がもらえないかしら・・・。
―データ入力完了―
ジェフは分厚い辞書を最後まで入力するのに三分ほどかかった。
とても読んでいるとは思えない行動を、不思議に思いローズは尋ねる。
「いったい辞書を使って何をしていたの?」
「言語の意味と汎用例の分析と解析及び全言語のデータ入力だよ。」
「また変な言葉。あんなにパラパラとページをめくっていたんだから・・・、そうか、辞書についている埃をはらってきれいにしてくれたのね。ジェフ、ありがとう。」
ジェフの行動の意味がやっとわかったような気がして、ローズはなんだか嬉しくなった。
「ローズ、お前は何がしたい?」
まあ、またその質問? でも、次は私からお願いしてもいいわよね。
「ジェフ、あなたと町に買い物に行きたいわ。あなたの服をいろいろ買いたいの。」
「ああ、わかった。一緒に行こう。」
「本当? 嬉しい。」
ローズは手を叩いて喜んだ。
―管理者の表情解析中・・・解析完了:喜びの表情入力―
今より、数日前のこと。グローリー侯爵家の当主、マチス・グローリーは息子ジェフリーの部屋で泣き濡れていた。
普段きちんとまとめている白髪は乱れ、青い目から流れる涙は、顔の幾筋ものしわを濡らしては、ぽたぽたと落ちていく。
「ああ、ジェフリー、とうとうお前は逝ってしまったのか・・・。どうか生き返っておくれ。うううっ、こんな願いを言っても虚しいだけじゃな。せめて天国では、幸せに暮らすんじゃよ・・・。」
グローリー侯爵はなかなか子宝に恵まれず、四十八の歳に、やっと生まれたジェフリーは子どもの頃から体が弱かった。
年の離れた妻は、ジェフリーを生んだ三年後、まだ三十三歳という若さで、病気で死んでしまった。
妻は亡くなる直前まで、ジェフリーの将来を心配していた。
残された一人息子は目の中に入れても痛くないほどに可愛がったが、ジェフリーは病気を何度も繰り返し、医者からは長く生きても二十歳までだろうと言われていた。
覚悟はしていたものの、二十歳の若さで、とうとう病気に負けてあっけなく死んでしまった。
子どものころ、体調の良い日が続いたので、ささやかな誕生日パーティーを開いたことがあった。
近所の貴族の子どもを招待して、皆でお祝いをしたことが懐かしい。
病気がちのジェフリーは舞踏会に参加したこともなければ、恋人も、友達さえもいなかった。
グローリー侯爵は、こんなことなら、無理にでも友人や恋人を作ってやりたかったと、今更ながら思うのだった。
侯爵は執事のフランボアを呼んだ。
白髪交じりのグレーの髪と茶色い瞳を持つ執事は、グローリー侯爵の前に跪く。
「フランボア、前から話していたことを実行するときが来た。一緒に手伝ってくれるか。」
「もちろんでございます。旦那様。私は旦那様に忠誠を誓った執事です。どんな秘密も死ぬまで守り抜くとお誓いいたします。」
二人はジェフリーの身体を棺に納めると、庭に運び穴を掘って埋めた。
近々来るであろうこの日のために、使用人たちには全員有給休暇をとらせている。
この所業を見る者は、二人以外に誰もいない。
「息子よ。安らかに眠っておくれ。私が死んだら必ずお前の隣で眠るから、それまで寂しいだろうが我慢するんじゃよ。」
「お坊ちゃま、どうぞ安らかにお眠りください。」
何故、二人が息子の死を隠さなければならなかったのかと言うと、グローリー侯爵の年の離れた弟アロンが原因だった。
アロンは前侯爵の後妻が生んだ弟だったので、年は親子ほど離れている。
そこまで離れていると兄弟げんかがあるわけではなく、後継者争いも無縁の存在だった。
アロンが大人になった頃には、前侯爵も後妻も病で亡くなっており、弟を後継者にと推す者もいなかった。
それだから、アロンも自分の立場をわきまえて、弟としておとなしくしていたのだが、侯爵の息子ジェフリーの身体が弱いことがわかると、アロンは態度を変え始めた。
今は領地の管理をしているのでこの屋敷にはいないが、ジェフリーの身体が弱いことをいいことに、次期当主になるのは自分だと言い始めたのだ。
一人息子が死んでしまえば、当主の弟が後継者になるのは仕方がないことなのだが、ジェフリーが生きているのに、まるで死んだ者のような話し方をする。
今までの心無い言動に、どれほど心を痛めたことか。
それはジェフリーも同じだった。
アロンの言葉に傷つき、口にこそ出さなかったが、きっと心は暗く沈んでいたことだろう。
アロンのことだから、きっとジェフリーの死を知れば、喜び勇んでやって来て、葬儀の際にも嬉しさで顔をほころばせるに違いない。
だから、ジェフリーの死を知らせたくはなかった。
もしアロンに聞かれたら、息子は遠い地に療養に出たと伝え、自分が死ぬその日まで、ジェフリーの死を隠し続けようと思った。
ジェフとローズは馬車に乗って町に繰り出した。
馬車の乗り降りの際、ジェフはきれいな所作でローズをエスコートしてくれる。
「記憶を失っても、こういうことは覚えているのね。」
「もちろんだよ。」
馬車から降りる美しいジェフを見かけた令嬢も婦人も、皆足を止めてジェフに魅入った。
そのジェフにエスコートされて馬車を降りるローズを、皆羨ましそうに見ている。
ローズは、これが恥ずかしくもあったが、嬉しくもあった。
二人はジェフの服を見るために、何軒か店を回り買い物をした。
その間、町のざわめきも、人々の交わす言葉も、匂いも、コロコロ変わるローズの表情も、全てジェフは入力していた。
「ジェフ、お腹が空いてない?」
「いや、俺は別に空いてないが。」
その答えにローズの表情が少し変化した。
―管理者の表情解析中・・・解析完了:管理者は同調を求めている―
「実は、本当はお腹が空いているんだ。」
「やっぱり? 私も空いているの。だから何か食べに行きましょう。」
「ああ、そうしよう。」
二人はおしゃれなカフェに入り、コーヒーとサンドイッチを注文する。
尽くし型ロボットにもピンからキリまであって、安い商品の場合は一緒に食べることなどできない。
しかし、ジェフのような超ハイスペック機能搭載の尽くし型ロボットは、管理者が望めば飲食を共にすることができる。
食べたものは身体の中ですり潰され、最後はまとめて尻に作られた穴を通してトイレで排出されることになっている。
また、ろ過され不純物を取り除いた水分は、人工皮膚の水分補給や口腔内の水分など、身体の必要箇所に応じて使われるようになっている。
実によくできた構造であった。
「うふふ、ここのサンドイッチとっても美味しいわね。」
「ああ、そうだね。美味しいよ。」
―美味しい味の分析完了―
食事が終わり、二人が通りを歩きながらウインドウショッピングを楽しんでいると、一人の黒髪の男が近づいてきた。
黒い瞳を細めてニヤリと笑い、ローズに声をかける。
「おい、ローズ、やけに楽しそうじゃないか。」
振り向くと、ローズの恋人オルソンだった。