18話 マチスとウイリアム
マチスは、己の八歳とウイリアムの八歳を思い比べてみる。
マチスが八歳の少年の頃、国一番の騎士になりたいと言う夢を叶えるために、日々剣術の訓練に明け暮れていた。
父に無理を言って、当時もっとも強いと言われた騎士に指導してもらったこともあり、子どもにしては、かなり厳しい訓練であったが、自分で望んだことだからと耐えた。
それに日々上達する剣術が嬉しくて、表情は生き生きとしていたように思う。
また、国一番の騎士には教養が必要だと言う持論を持つマチスは、勉学にも励んだ。
もちろん、これも父に頼んで、国で最も賢者であると評判の学者を、師として迎えたことは言うまでもない。
厳しい鍛錬も勉学も、騎士を夢見ていたからこそ頑張れたのだと思う。
道半ばにして騎士の道を諦めざるを得なかったが、今の自分がこうしていられるのも、当時の努力があってこそだ。
だが、殿下を見ていると、とても夢があるようには見えなかった。
覇気がなく萎縮し、子どもらしさが微塵も感じられない。
こんなことが許されるはずがない。
子どもは、もっと子どもらしくあるべきだ!
翌日、マチスは父親のコネを使い、ウイリアムの教育係を願い出た。
マチスの師匠は常々言っていた。
「戦を有利に進めたかったら、利用できるものは全て利用しろ!」と。
父親のコネはまさしくそれだった。
マチスの肩書も大いに役立った。
剣術では、十五歳で未成年の部ではあるが剣術大会で優勝している実績を持つ。
現在、新人騎士に剣術と教養を指導しており、教育者としての経験も豊富。
父親は侯爵位序列一位のグローリー侯爵である。
マチスの願いは、いとも簡単に受理された。
新人騎士の指導に関しては、これまで助手を務めていた優秀な人材が後を引き継いでくれたので、マチスは心置きなく次に進めることができる。
ウイリアム王太子殿下のために!
マチスは教育係という戦場に出陣した。
教育係の役を担っている人物は、バッカス侯爵を含め主な人物は五人。
特別な講師を合わせると十人程である。
中に入ってわかったことだが、バッカス侯爵のスパルタ式に心から追随している者はいなかった。
皆、バッカス侯爵に睨まれることが怖くて、彼の教育方針に合わせている。
それがわかれば答えは簡単。
周りを味方に引き入れ、バッカス侯爵を孤立させれば良い。
ここでも、マチスは身分という権力を駆使し、自分を有利に進めた。
バッカスも同じ侯爵位であるが、序列はグローリー侯爵家が一位、バッカス侯爵家は五位なのだ。
伝統と規律を重んじるバッカス侯爵にとって、マチスの存在は脅威となった。
今までバッカス侯爵に従っていた者も、マチスの人柄に惹かれ、マチスの意見を重んじるようになっていった。
マチスはウイリアムに剣術と教養を指導することを宣言し、時間も大幅に自分のものとした。
反対するのはバッカス侯爵だけで、他の指導者は、マチスの実力を知っているだけに反対する者はいない。
それからと言うもの、マチスは剣術の稽古だと言っては、ウイリアムを外に連れ出すことが多くなった。
これも鍛錬の一つだと、昆虫採集や魚釣りを教えた。
「殿下、剣術に必要な集中力や洞察力を鍛えるのには、これがちょうど良いのです。」
ウイリアムは初めて体験する昆虫採集に夢中になり、魚釣りでは、喜んで水しぶきを浴びた。
広場で虫を追いかけて全速力で走り回ることも覚えた。
ウイリアムの表情に、いつしか子どもらしさが戻って来た。
だが、バッカス侯爵はマチスの方針が気に入らない。
「グローリー小侯爵、あなたのやり方は甘すぎるのではありませんか? そんなことでは、厳しい世の中に耐えられない王になってしまいます。」
バッカス侯爵の言い分に、マチスはふんと鼻を鳴らす。
「教育に厳しさが必要であることは否定しません。ですが、物事には限度と言うものがあるのです。心を潰してしまったら、たとえどんなに素晴らしい教えでも、心に届かなくなってしまいますよ。」
「貴様は何もわかっとらん!」
バッカス侯爵は真っ赤になって怒るのだが、マチスはどこ吹く風で、受け流す。
マチスが新しく作った教師の時間配分で、バッカスの時間は大いに減らされたことも怒りの原因であった。
ウイリアムの剣術の稽古の休憩時間、ウイリアムはボソッと胸の内を明かした。
「グローリー先生、バッカス先生が、未来の王がこれぐらいできないでどうするのだと叱るのですが・・・、実は・・・、僕はそれがとても辛かったのです・・・。」
今まで誰にも本心を伝えることができなかったウイリアムが、やっと自分の気持ちを伝えることができたのだ。
マチスはウイリアムの心の成長に安堵を覚えた。
「殿下、よくぞ言ってくれました。それでは、頑固ジジイの対処方法を教えましょう。」
「頑固ジジイ?ですか? 先生に対してそんなことを言って良いのですか?」
ウイリアムは目を丸くして驚いた。
「ははは、良いのです。バッカス侯爵は頑固ジジイなのですから。」
ふふふっとウイリアムも笑う。
「バッカス侯爵が、殿下が嫌がることを言ったなら、心の中で、頑固ジジイなんて糞くらえ!と呟いてください。心の中だけですよ。口に出してしまったら、頑固ジジイは血が昇って卒倒してしまうかもしれませんからね。」
あはははっ、とウイリアムは大きな声を出して笑った。
その顔は、いたずら好きのごく普通の少年の顔だった。
マチスは、時々、ウイリアムを城外に連れ出した。
王子だとばれないように、服装に気をつけることも教える。
「民の暮らしぶりを見ることも大事な勉強ですよ。」
町は色とりどりに物があふれ、あちこちから美味しそうな匂いが漂って来る。
ウイリアムと同年代らしき子どもたちが、買ったばかりの串刺し肉を美味しそうに頬張っている。
欲しそうに眺めているが、欲しいと言わないウイリアムに「食べたいですか?」とマチスが問う。
「食べていいの?」
とたんにウイリアムの表情がぱあっと明るくなった。
毒見役がいない場所で、食事をすることが許されないウイリアムは、町で食べることなどできるとは思っていなかったのだ。
「じゃあ、殿下ご自身でお金を払って買いましょう。毒見は私がしますから大丈夫ですよ。」
ウイリアムは、このとき、生まれて初めて町で金を払い、目の前で調理された焼き立ての香ばしい串刺し肉を食べた。
ウイリアムは、今まで食べた料理の中で、この肉が一番美味しかったと、後々まで語っている。
「先生、私が王位を継いで八年になりますが、私は国王の椅子に相応しい王となっているでしょうか?」
ああ、陛下はあの日の言葉を覚えていてくれたのだ・・・
マチスの胸が、ポッと熱くなる。
ウイリアムが十八歳になった年に、マチスの教育係の仕事は終わった。
最後の日、ウイリアムは別れを惜しみながらマチスに問うた。
「バッカス先生は、殿下は未来の王なのだから・・・とよく叱ったり、押し付けたりしましたが、先生は一度もその言葉で私にプレッシャーを与えませんでした。そのことに、私は感謝しています。ですが、本当は、バッカス先生のように言いたかったのではないですか?」
その問に、マチスは微笑みを浮かべてウイリアムに答えた。
「それは、殿下が既に王の自覚を持ち、未来の王の椅子に相応しい成長を遂げていたからですよ。わざわざ私が言うまでもありません。」
ウイリアムは八年前に国王の座を継承した。
この国が平和であるのも、良い国王に恵まれているからだとマチスは思う。
「陛下はこの国と国民を愛していらっっしゃる。陛下のお陰でこの国が平和でいられるのです。私は素晴らしい王だと思っております。」
尊敬する師に褒められたウイリアムは、まるで少年のように、嬉しそうににっこりと微笑んだ。
「ありがとうございます。ところで、今日先生をお呼びしたのは、かつてのお約束を叶えたいと思ったからなのです。」
マチスも、おそらくその約束のことだろうと予想はしていた。
だが、今更約束を持ち出したところで、双方にとってはどうなのだろう・・・
マチスは一人、渋い顔をした。




