13話 外伝『フローラの心臓2』ドルトンの申し出
結局この日、フローラは返事をせずにレストランを出た。
「悪いようにしませんから、よく考えてくださいね。」
ドルトンは、別れ際に余裕の笑みを浮かべて去って行った。
貧乏なフローラにとって、この話は願ってもない話なのかもしれない。
母と弟の面倒も見てくれると言うのなら、ドルトンはとても優しい人なのかもしれない・・・。
でも、頭の中にはジルの顔が浮かび、ドルトンの世話になる決心がつかなかった。
まだ十五歳のフローラは、ドルトンが話す本当の意味を知らぬまま悩んだ。
その二日後、店に初めて見る客が来た。
その婦人は高そうで上品なドレスを身にまとい、アクセサリーの宝石も大きくて、いかにも金持ちだと言わんばかりの見た目であったが、顔は怒りの形相で、目を合わせようものなら、殺されかねないと思うほどだ。
その女性が、つかつかと店の前までやって来た。
「あなたがフローラさん?」
どうやら、その婦人の目的はフローラのようだ。
「は、はい・・、私ですが、なにか御用ですか?」
鋭い目つきに委縮して、フローラの答える声が小さくなる。
婦人はさらにきつい顔になって叫んだ。
「このドロボウ猫!よくもうちの主人をたぶらかせてくれたわね。」
「え? た、たぶらかす? いったい何を言ってるのか・・・」
まったく見ず知らずの婦人に罵倒されたフローラは、訳が分からず困惑する。
「まあ、しらを切る気ね。ドルトンのこと、知らないとは言わせないわよ。生意気な!」
夫人の右手が高く上がった。
殴られる!
フローラは恐怖で目を瞑ったが・・・、頬が殴られることはなかった。
恐る恐る目を開けると、ジルが夫人の腕を掴んで止めてくれている。
「まあ、あなた、何ですの? 私はこのドロボウ猫をしかりに来たのですよ。あなたには関係ないでしょ。」
夫人の怒りの矛先がジルに変わる。
「ご婦人、彼女はドロボウ猫ではありません。それに私は関係ある身です。」
「ふん、何が関係あるって言うのよ。」
ジルは落ち着いてゆっくりと、だが、はっきりと夫人に伝える。
「私はフローラの恋人で婚約者なのです。今日も私は婚約者に会いに来ました。その彼女があなたのご主人をたぶらかすなど有り得ません。」
「あら・・・、そうなの?」
さっきまで怒り全開だった夫人のトーンが急激に下がる。
フローラも、ここぞとばかりに同調する。
「は、はい、そうなんです。ジルは私の婚約者なんです。ドルトン様にお食事をご馳走してもらいましたが、ただ、それだけなんです。やましいことは何もございません。」
「ふーん、そうなのね。わかったわ、。お騒がせしてしまったようね。これはお詫びよ。とっておきなさい。」
夫人は最後に花二十本分のお金を置いて去って行った。
嵐が去った後に残された二人であったが、とっさについた嘘でなんだか気まずい。
「助けてくれてありがとう。ごめんね、変なことに巻き込んじゃって・・・。私、ドルトン様に奥様がいること、知らなかったの・・・。」
しょぼんと話すフローラの緑の瞳を、ジルは一つの決意を込めて見つめた。
「フローラ、俺は巻き込まれたんじゃない。自分から中に入ったんだ。俺の気持ちは嘘じゃない。ずっと前から君のことが好きだった。良かったら俺の恋人になってくれないか。」
しょぼんとしていたフローラの顔が、ぱあっと明るくなる。
「本当に? ジルは私のことが好きだったの?」
「ああ、ずっとフローラのことが好きだった。」
「嬉しい! 実は私もジルのことが好きだったの。」
フローラの声が明るく弾んだ。
「じゃあ、今日から俺たちは恋人同士だね。」
「うん。」
ドルトンの奥さんがやって来たお陰で、ひと騒動があったものの、二人は晴れて恋人同士になれた。
とは言っても、貧乏な二人だから、デートするにも金はなく、昼休みに一緒に近くの公園で、昼食をとる程度である。
だが、二人で見上げる青空はいつもより明るく、二人で座る芝はいつもより柔らかく、二人で握る手は、いつよりとても温かい。
「ねえ、ジル、私のこと、愛してる?」
「もちろん、誰よりも愛してる。フローラは?」
「もちろんよ。ジル、愛してるわ。」
公園の木の陰に隠れて、二人はそっとキスをした。
ある日、花屋の花が売り切れて、早めの閉店になったので、フローラはジルの職場を見に行った。
仕事の邪魔をしてはいけないと思い、鍛冶場の中に入るつもりはなく、ただ、もしかしたら顔ぐらい見れるかも・・・そんな他愛のない気持ちで行ったのだが・・・
ジルが店の外に立っていた。
だが、一人ではない。
フローラと歳が同じぐらいの艶のある金髪の美少女が、笑顔でジルと話をしているのだ。
ジルもまんざらでもなさそうで、フローラにはジルが鼻の下を伸ばして喜んでいるように見えた。
「ジル、なによ、デレデレしちゃって・・・もしかして浮気?」
隠れて二人を見ていると、少女はジルに小さな小箱を渡した。
ジルはそれを受け取って、何やら話しているのだが、話しの内容までフローラには聞こえない。
「酷い!ジル・・・私と言うものがありながら・・・」
フローラは隠れるのも忘れて、怒りの形相でジルを睨んだ。
ジルはそのときフローラに気付いたのだが、いつもの優しいフローラとは、雰囲気がまったく違っている。
「フローラ?」
ジルは走ってフローラのそばに来て、「フローラ、どうしたんだ?」と声をかけたのだが・・・
「ジル、酷いわ!」
フローラはジルの胸をドンと叩き、逃げるように走り去る。
「待って、フローラ!」
慌ててジルはフローラを追いかけたのだが、フローラの足が速くてなかなか追いつけない。
フローラは幼いときから駆けっこが早く、町の子どもたちの中では一番速いことが、自慢の一つでもある。
やっとのことで追いついて、ジルはフローラの腕を掴んだ。
ジルは、ハァハァと息が上がっている。
「フ、フローラ、もしかしたら、さっきのを誤解した?」
「誤解って何よ? ジルったら鼻の下を伸ばしてへらへら笑ってたじゃないの。おまけにプレゼントも受け取っちゃって・・・。二股かけてたとは知らなかったわ!」
フローラは、プンプン顔で怒りをぶつける。
「だから・・・、誤解だって。あのお嬢さんは親方の娘で、俺の先輩の恋人だよ。」
「先輩の恋人?」
「ああ、今、ちょうど手が離せない作業をしていたから、俺が代わりに出て、彼女の差し入れを受け取ったのさ。彼女は時々、皆のためにお菓子を持ってきてくれるんだ。」
「そ、そうだったの・・・。」
シュンとするフローラの腰に、ジルは両腕を回して抱き寄せた。
「俺にはお前だけだって、わかってくれた?」
「うん。ジル・・・疑ってごめんなさい。」
道端であるが、二人はお互いの温もりを確かめ合うように抱き合った。
仲直りができて、ほっとしたのもつかの間、新たな問題が二人の間に起きた。
花屋で仕事をしている最中、店主がフローラに話しかけた。
「ああ、フローラ、レストランからの注文があってね。今すぐこの花を届けておくれ。」
嫌な予感がしたものの、フローラは仕事を断ることができない。
花を届けるレストランは、以前ドルトンに連れて行ってもらったレストランなのだ。
ドルトン様がいませんように・・・
フローラは祈りながら花を届けた。
だが、祈りも虚しく、レストランのオーナーはフローラをテーブルまで案内し、有無を言わせず椅子に座らせた。
フローラは、言われるままに座ってしまったが、オーナーがいなくなったら黙って帰ろうと思っていたところに、ドルトンがやって来て、フローラの向かいに座った。
「あの、私帰ります。」
慌ててフローラは帰ろうとしたのだが、レストランのオーナーに止められてしまった。
「あなたの料理も作っているのです。食べてもらわないと困ります。」
「でも、私は仕事の途中なんですよ。」
そこにドルトンが割って入る。
「フローラさん、花屋の店主には、私から話しています。だから、仕事は気にせずに、せめて料理だけでも食べて帰りなさい。」
フローラは仕方なく、料理だけ食べて帰ることにした。
最後のデザートをほおばっている最中、ドルトンが話を切り出した。
「私の妻が、あなたに失礼な態度をとったそうですね。嫌な思いをさせて申し訳なかった。」
素直に謝ってくれるドルトンにフローラは戸惑ったが、辛かった気持ちはきちんと伝えた方が良いと思った。
「奥様にドロボウ猫と言われました。ですから、今もドルトン様に会っていること自体が怖いです。」
ドルトンは本当に申し訳なさそうに、だが、恐ろしいことを言い出した。
「そうですか・・・。辛い思いをさせてしまいましたね。妻を見てわかったと思いますが、彼女はとても恐ろしい女なのです。私は妻と別れるつもりです。 前にも言ったように、お母さんと弟の世話もしますから、フローラさん、私のそばにいてくれませんか?」
フローラは、真剣な眼差しで自分を求めるドルトンに困惑する。
奥さんと別れるってことは、私と結婚したいってこと?
ど、ど、どうしよう・・・




