107話 外伝『転生極悪令嬢メリッサの場合7』図書館の友
目を開けると、見知らぬ古ぼけた天井が見えた。
身体は薄い毛布ではなく、柔らかい布団がかけられ、固い石畳の上ではなくベッドで寝かされている。
身体の熱はおさまり、震えも止まり、息もできるようになっていた。
「ここは?」
フィオナが声を出すと、アデルの声が聞こえた。
「病院ですよ。フィオナ様が倒れたので、こちらに運びました。」
ああ、夢だったのね・・・。
ここが現実なのね・・・。
アデルのピンクブロンドの髪を見た瞬間、メリッサの記憶がよみがえって、一瞬だけど、その記憶に支配されてしまったんだわ・・・。
良かった・・・、この世界に戻って来れて、本当に良かった・・・。
ほっとすると同時に、フィオナの目に涙が溢れてきた。
そしてその涙は、はらはらと目尻からこぼれ落ち、枕を濡らした。
「フィオナ様?」
アデルが心配そうにフィオナに声をかけた。
ああ、私はあなたに言わなくては・・・、神様と約束したのよ。
フィオナはむくりと身体を起こし、アデルの手を両手で掴んだ。
「あなたはアデルさんですね。」
いきなり手を掴まれて、アデルは驚いた顔でフィオナを見た。
「は、はい。そうですが・・・、私のことを知っているのですか?」
「ええ。」
フィオナは、ピンクの瞳でしっかりとアデルを見つめた。
そして、ぎゅっとアデルの手を握り締めたまま、涙をこぼしながら言った。
「私は、あなたの幸せを願っています。」
「私の幸せ・・・?」
初めて会った侯爵令嬢に、いきなりこんなことを言われて戸惑うのも無理はないわね。
でも、私は満足よ。
私はアデルの幸せを、本人の前で願うことができたわ。
「フィオナ様、あの・・・」
アデルが何か言いかけたのだが、フィオナは、その言葉にはっとして、頬にこぼれていた涙を指で拭った。
ふふっ、涙を零しながら言う言葉ではなかったわね。
「私の涙は気にしないでください。悪夢から目覚めてほっとしただけですから・・・。」
アデルは納得していない様子であったが、フィオナはすぐに、帰ることにした。
もう用は済んだのだ。
これ以上、長居する必要なない。
「ルリア、ドレスを整えてくれる?」
「は、はい、お嬢様。」
ルリアが衣服を整え終わると、フィオナは笑顔で礼を言った。
「本当にお世話になりありがとうございました。もう歩けるようになりましたから、私、帰りますね。今日のお代は、後ほど使用人に届けさせますわ。」
そして、足早に病院を出ていった。
この一件の後、フィオナはますます領民の幸せを願い、金銭的援助や病人に対する配慮など、領民の幸せに繋がるような慈悲を施した。
ラードナー侯爵も娘の成長を喜び、領民を思うフィオナの行動を、目を細めて見守っていた。
フィオナはメリッサの記憶に襲われた後、もう二度と、あの惨めで恐ろしい牢獄になんて絶対に行きたくないと、強く思った。
欲に溺れず、他人の幸せを願えば、きっと幸せな最期が待っている・・・、そう信じていた。
そんなある日の夕方、ラードナー侯爵家の使用人が騒めき慌てだした。
侯爵家の使用人になるほどの人材が、そのような状態になることなど、めったにないことなのである。
「お嬢様、大変です。第二王子様がお嬢様に会いに来られました。」
私室でのんびりとお茶を飲んでいたフィオナは、使用人の言葉に驚いた。
「何故、第二王子様が?」
「それは私たちにもわかりません。ですが、大事な話があるから、お嬢様に直接会って話がしたいのだと仰っています。」
大事な話?
ああ、とうとうその時が来たのね。
きっと・・・、図書館の友だからという理由で、レオナルドがその役目を引き受けたのだわ。
フィオナは、卒業式の前日に花束を贈ってくれたレオナルドのことを、懐かしく思い出していた。
「そう。では、応接室にお通ししてちょうだい。少しお待ちいただくことになることも伝えるように。」
フィオナにとって、レオナルドは少し特別な存在だった。
二年間、ほぼ毎日、目の保養にと彼の顔をこっそりと盗み見ていた。
色めいた会話を一度もすることがなく、ただ、お互いに図書室での同じ空間を共有しただけの関係だったけれど、レオナルドは心のオアシスと言っても過言ではなかった。
そんな彼が、あのことを告げに来たのだ。
取り乱したように見られたくはない。
いつもの毅然とした態度で接したい。
「ルリア、服を着替えます。そうね。ドレスはこの前買った水色のドレスにしてちょうだい。宝石もそれに合わせて選んで。」
フィオナは、ゆったりとしたくつろいだ服装から、きちんとしたドレスに着替え、化粧も時間をかけて手直しした。
身支度を整える使用人たちはハラハラしていたが、フィオナはその間、平然としていた。
「ずいぶん待たせてしまったけれど、先ぶれもなく訪ねてくる第二王子が悪いのだもの、これは仕方がないことよ。」
私は誰よりも美しい自分を、レオナルドに見せたいの・・・。
「お待たせいたしました。」
フィオナが応接室にいるレオナルドに声をかけると、レオナルドはしばらく呆然と彼女を見つめていたが、我に返ったように椅子から立ち上がった。
「先ぶれもなく、お訪ねしてしまったことをお許しください。どうしてもあなたにお尋ねしたいことがあったのです。」
フィオナを見つめる瞳が重々しく真剣そのものだったので、フィオナは一瞬たじろいだが、すぐに平静を取り戻した。
応接室にいた使用人たちは、レオナルドにただならぬ雰囲気を感じていた。
「わかりましたわ。どうぞお座りくださいませ。」
フィオナに促されて、レオナルドは再び椅子に座った。
「それで、尋ねたいこととは、いったいどのようなことなのですか?」
「フィオナ嬢、僕はあなたと図書館で一緒に過ごしただけでしたが、あなたがこの国と国民のことを思い、未来の王妃になるべく、日々研鑽を続けていたことを知っています。僕はあなたこそ、王太子妃にふさわしい女性だと思っています。ですが、あなたはどうなのですか? あなたは王太子エドワードとの婚姻を望んでいるのですか? 誠に失礼なことだとは十分にわかっています。ですが、あなたの本心をお聞きしたくて、会いに来たのです。」
レオナルドの思いつめた眼差しで語る言葉を、黙って聞いていたフィオナであるが、レオナルドの語りが終ると、ふうと一つため息をついた。
やはり、そうね。
前置きがずいぶん長かったけれど、結局私が婚約破棄に応じるかどうかを確認しに来たのだわ。
「先ぶれもなく、護衛もつけずにやって来たと思ったら、そういうことでしたか・・・。」
フィオナは応接室にいた使用人たちに、呼ぶまで入って来ないように告げた後、レオナルドを正面から見据えた。
「あなたがわざわざ、そのようなことを聞きに来たということは、殿下が、私たちの婚姻を望まなくなったということですね。」




