103話 外伝『転生極悪令嬢メリッサの場合3』お茶会
フィオナが勢いよく書斎の前まで来て、ドアをノックしようとした瞬間、ふと別の思いが頭を過ぎり、彼女はその手を止めた。
政略結婚の契約は、お互いの家門にとって利益があるからこそ結ばれるもの。
この婚約にも、正式な契約書類が交わされているはず。
わずか八歳の少女の我儘が、通るはずがないのだ。
ただ、王太子妃になりたくないというだけでは、とうてい覆せるものではない。
フィオナは我儘を言うのは諦めた。
その代わり・・・
フィオナの頭に、あることが閃いた。
コンコン
「お父様、入ってもよろしいですか?」
愛しい娘の頼みごとを、侯爵は拒むことなく、喜んで中に入れた。
「どうしたのだ? 新しいドレスが欲しいのか?それとも宝石かな?」
娘のためには何だってしてあげたいという、父親の思いがあふれている。
「お父様、お願いがあって参りましたが、私が欲しいのはそんなものではありません。」
「おや、では何かな?」
「新しい家庭教師を願いしたいのです。」
メリッサには、淑女教育のための家庭教師が五人いる。
ダンス、作法、この国に必要な教養は全て網羅している。
いずれは王妃になるのだからと、侯爵は教育に金は惜しまなかった。
「今の教師では足りないのかい?」
「教養以外にも勉強したいことがあるのです。」
「ほう、それは何かな?」
「経済学です。」
「け、経済学? 本気で言ってるのか?」
八歳の娘が経済学などと言う言葉を発したものだから、侯爵はとても驚いていた。
「はい。私は昨年、領地の大災害による被害を目の当たりにしました。それまでにも、災害による被害はあったと聞いています。被害にあった領地を立て直すためにも、私は勉強したいのです。」
侯爵は、真剣な顔で勉強したいという娘の希望を叶えてやりたいと思った。
「よし、わかった。良い教師を探してやろう。」
「お父様、ありがとうございます。」
書斎を出たフィオナは、自分の未来を思い描くと嬉しくなって笑みがこぼれた。
欲に溺れず、他人の幸せを願うこと、それが自分の幸せにつながる・・・。
エドワードに執着せず、領民の幸せを願うことが、もっとも手っ取り早くて確実な方法のように思えたのだ。
「次は、エドワードとの初顔合わせね。」
フィオナは決めていた。
どうせ今から十年後には、エドワードはアデルに一目ぼれをするのだ。
もし、それまでに恋愛感情なんて持ってしまったら、嫉妬に狂ったメリッサの心が、フィオナの心を支配してしまうかもしれない。
だったら・・・、絶対に好きにならない、好きにさせない。
そう、これよ!
翌日、フィオナは美しく着飾り、王宮の庭園へと出向いた。
初めて会うエドワードであるが、小説の冒頭に彼の人物像が書かれていたので、だいたいの予想はついている。
サラサラの金髪と深い海のような碧眼の、目鼻立ちが整った美青年。
きりりとした表情で眼光は鋭くて、近寄りがたい雰囲気で、睨まれると、すごく怖い男・・・。
だが、お茶会のテーブルの前で、椅子にちょこんと座っているエドワードを見たら、違っていた。
か、可愛い!
小説に書かれていた描写は二十歳の年の様子で、まだ十歳のエドワードは子どもなのだということを忘れていた。
でも、初志貫徹よ。絶対に好きにならない、好きにさせない!
フィオナは笑顔を封印することにした。
こんなに可愛い私だもの。
笑顔を見せたら、エドワードが私に夢中になるかもしれないわ。
メリッサのときは、どの角度でどういう表情をしたら、自分が一番美しく見えるのかわかっていた。
でも今は、その正反対の思いでエドワードと向き合わなければならないのだ。
「初めまして、エドワード・ハウエルズです。これからよろしく。」
エドワードは、爽やかな王子スマイルで挨拶をした。
さすが王子だわ。可愛くて笑顔も抜群ね。でも・・・
「初めまして、フィオナ・ラードナーです。」
私は無表情を貫くわ。
無表情を貫くと決めたのに、フィオナを見つめるエドワードの青い瞳が美しく、吸い込まれてしまいそうだ。
ああ、ダメよ。心臓に悪いわ。
これ以上、目を合わせてはいけないわ。
フィオナが目を伏せ黙っていると、エドワードの方から声をかけてきた。
「あの、あなたの好きなものは何ですか?」
「私が好きなもの・・・」
いろいろあるわ。
ドレスに、宝石、可愛いぬいぐるみも好きよ。
美味しいスイーツも大好き・・・
あっ、これって、欲に溺れてるってことにならない?
私は欲に溺れないって決めたのよ。
あれこれと思いを巡らせてから、結局フィオナは、欲のない言葉を選んだ。
「特にございません。」
その答えがいけなかったのか、二人の間に何とも冷ややかな沈黙が流れた。
その沈黙は肌寒く、これでは良くないと思ったフィオナは、とりあえず会話を続ける方法として、同じ質問を返すことにした。
ただし、目は合わせず、無表情はそのままで・・・。
「あの・・・、殿下の好きなものは何ですか?」
エドワードの答えによっては、私もそれが好きだとでも答えておけば無難だし、少しは場が持つだろう。
だが、エドワードの答えは、フィオナには思いもよらない答えだった。
「僕は、剣術が好きです。それから、木登りなんかも得意ですよ。」
「・・・剣術・・・、木登り・・・そうですか・・・。」
そんなもの、私も好きだなんて言えないわ!
結局、フィオナは答えを失い、また沈黙が流れた。
冷え切った二人の沈黙に、ルリアが青くなっていた。
「お嬢様は、どうもお加減が優れぬようですわ。もうそろそろお開きにしてもよろしいでしょうか。」
この問いに、エドワードの侍従も賛成した。
「そ、そのようですね。無理なされるとお身体に響きます。では、今日はこれにて・・・」
わずか十五分ほどの冷え切ったお茶会が終了した。
淹れたお茶は、まだほんのり温かかったと言うのに・・・。
お茶会が終了し、フィオナは屋敷に戻ってほっと一息ついた。
今日のところは成功ね。
好きにならない、好きにさせない計画、上手く行ったと思うわ。
いくら可愛い令嬢でも、これだけ無愛想だったら、誰もときめかないもの・・・。
また、お茶会があったら、同じようにするわ。
そのうちに諦めて、お茶会を開こうなんてことすら思わなくなるわ。
お茶会が終わって数日たったころ、経済学の教師が見つかった。
子爵の爵位を持つアダムス・シブザー博士である。
白髪交じりの初老の男性で、数多くの本を世に送り出し、アカデミーにはその全集が置かれている有名な学者である。
若かったころ、祖父に金銭的援助を受けたことがあり、その恩に報いたいという思いで引き受けてくれたのだ。
八歳の少女には少し難しい内容であるのだが、前世の記憶を持っているフィオナは、心の年齢は大人である。
フィオナは、自分でも驚くほど、アダムスの話を理解できた。
そして、学習する喜びを知った。
メリッサの頃、自分を美しく見せることには熱心に勉強したのだが、歴史や地理や数学など、まったく興味が持てなかった。
しかし、フィオナである今は、領地を良くしたい、領民を幸せにしたいという夢を持ち、勉強がそれに生かされるのだと思うと、俄然やる気になってくる。
アダムスも、そんなフィオナの情熱に惹かれ、熱心に教えた。
アダムスの授業は経済学だけでなく、この国の成り立ちや、政治や税金の話など多岐にわたり、幅広い知識を身につけることに大いに役立った。
フィオナは良い教師に恵まれて、すくすくと成長していったのである。
だが、フィオナが十四歳になった年、一つの憂いが彼女の心に重くのしかかって来た。




