1話
西暦三千二十五年のある晴れた日、粗大ごみ置き場で二人の男女が、何やら別れ話のような会話をしている。
男はこの世の女性の願望を体現したようなイケメンだ。
サラサラの輝く金髪に、少し憂いを帯びたような深く青い瞳、整った目鼻立ちに美麗さを添える形の良い眉毛と長いまつ毛、どれ一つとっても、誰もが羨むような完璧さを持っている。
女はよくある茶色い髪に、平凡な顔立ち、化粧でなんとか美しく見えるようにごまかしているが、ブランド物で身を固めているところを見ると、かなりの金持ちなのだろうと思われた。
「ご主人様、何かして欲しいことはございませんか?」
今流行りの高級なグレーのスーツで身を包んだイケメンが、女に問いかける。
「もう、何もないわよ。ほんと、うざいわね。」
「ご主人様、私はご主人様のお役に立ちたいのです。」
「だから、何度も言ってるでしょ。あなたの型番はもう古いのよ。だからあなたなんて要らないんだって。」
「ご主人様、私はご主人様に喜んでいただけることが、最大の喜びなのです。」
「もう、ホントにウザイウザイ!今どき尽くし型ロボットなんて流行らないのよ。口を開けば、して欲しいことはないかって聞いてばかり。今はね、ちょっとワイルドで気分屋なロボットの方が流行ってるのよ。こっちの方が人間らしいって。」
「ですが、私はご主人様のためなら何でもいたします。」
「はあー、もううんざり。ジェフ、私の個人情報が漏れたら困るから、今からリセットボタンを押すわよ。」
女はジェフと呼ばれたロボットの心臓に手を伸ばした。
とっさにジェフは両手で胸を押さえ、リセットボタンが押されることを拒んだ。
「ああ、そうだったわね。上級品種のあなたは、使用者がうっかりリセットボタンを押してしまわないように防御システムが作動するんだった。じゃあ、ジェフ、両手を離しなさい。手を胸に当ててはいけません。」
「はい。ご主人様、かしこまりました。」
ジェフは両手を胸から外し、だらんと下げた。
女はジェフの心臓を、ぐいぐいと力いっぱい強く押す。
―リセット中・・・リセット完了―
女はジェフの目を見てリセットが完了したことを確認すると、今度はジェフの背中をぎゅうぎゅうと、これまた力いっぱい強く押した。
「まったく、リセットするのも、電源を切るのも一苦労だわ。だから型番の古いロボットは嫌なのよ。」
ジェフはその場に崩れるように倒れた。
電源ボタンを押されたジェフは、ただの動かない人形でしかなかった。
「じゃあ、私もう行くわね。さようならジェフ。明日になればあなたはスクラップよ。」
女が歩く先には、ジェフと違うタイプのイケメンが待っていた。
ジェフと違って黒髪黒目の、ちょっとワイルドで気分屋なロボットだった。
西暦三千年の世界では、ロボットのエネルギーは二酸化炭素と光、または酸素があれば供給できるようになっている。
メンテナンスをきちんとしていれば、ロボットは半永久的に使用することができるのだ。
だが、結局、使用者が必要としなくなったら、粗大ごみとして捨てられる。
それが大方のロボットの運命だった。
倒れたジェフの前に白衣の老人が現れた。
「まったく流行りすたりとは困ったもんじゃ。十年前は尽くし型ロボットが大流行りで、売れに売れたのにのう。今じゃ毎日誰かがここに捨てに来る。お前の型番はその中でも特に超ハイスペック機能搭載なのに、尽くし型ロボットは今じゃ古いと捨てられる。それにの、あの女はお前のことを人間らしくないと言っておったが、お前の性能は経験を積めば積むほど人間らしくなるようにプログラミングされているのじゃ。どうやらあの女はお前の高度な性能を引き出せなかったのだろうて。お前はまだ十分に使えそうだ。わしがタイムマシンで十年前に戻してやろう。そうすれば、良い管理者に出逢えるかもしれないからのう。」
老人はカバンから何やら装置を取り出して、ジェフにペタペタと貼り付けていく。
「よし、今から十年前に出発じゃ。まだ試験段階のタイムマシンだが、きっと行けると思うぞ。」
老人がスタートボタンを押すと、ビビビビと空気が振動し、ジェフがふっと消えた。
「おや、しまった。十年前に戻したつもりだったが、誤作動で異世界に転送してしまったわい。まあ、超ハイスペックなロボットだから、きっとうまくやっていけるだろうて・・・。」
異世界の、とある都市で舞踏会が開かれていた。
夜ではあるが、舞踏会会場は昼間のように明るく照らし出され、その中をドレスやタキシードで着飾った男女が音楽に合わせて楽しそうに踊っている。
だが、舞踏会の会場に背を向けて、一人寂しく闇夜を歩いている令嬢がいた。
すれ違う人に出会いたくなくて、彼女は歩道を通らずに、夜の暗い庭を、とぼとぼと寂しそうに歩いている。
この日のために美しく着飾ったピンク色のドレスも、可愛らしくハーフアップに結い上げた栗色の髪も、今となっては、とっても虚しく感じる。
「オルソンたらひどいわ。私と踊ってくれると思っていたのに、他の女のエスコートをして、結局その女とばかり一緒にいて、私のことを無視するなんて・・・。」
独り言を言いながら歩いていると、情けなくなって緑色の瞳からほろほろと涙があふれてくる。
「私たちは恋人じゃなかったの? 私のこと好きだって言ってたじゃない。」
令嬢の涙が止まらない。
「オルソン、私、あなたに振り回されることに・・・疲れてしまったわ。私たち、もう、終わりにしてもいいよね・・・。次に会ったら・・、私から、お別れするわ・・・。」
ぼろぼろと溢れ出てくる涙を、暗闇が優しく隠してくれる・・・、それだけが救いだった。
令嬢が歩いていると何かに躓いた。
こんなところに段差があったとは・・・。
下は暗くてよく見えないが、令嬢はその少し柔らかい段差の上に立ち、緑色の瞳で星を眺めた。
星よ、私の悲しみを癒しておくれ。
手を伸ばせば、星に届くだろうか・・・。
令嬢は両手を上げ、星空に向かってその場でジャンプした。
「ふふふ、馬鹿ね。私ったら何をしているのかしら・・・。」
自分の愚かさにおかしくなって、一人笑った。
ウイーンウイーンウイーン
「何?この音。虫の音?」
足もとから奇妙な音が聞こえてきたので、驚いて令嬢は自分が乗っかっている足元を見る。
「えええええ!? 人? ウソ? なんでこんなところに人が寝ているの?」
令嬢が段差だと思って乗っていたのは、人の背中だった。
濃いグレーの衣装が闇夜に紛れて、令嬢は人とは知らずに上に乗ってしまったのだ。
驚いて背中から降り、大丈夫ですか?と声をかけたが、倒れている人はびくともしない。
「どうしよう。私、この人の背中でジャンプなんてしてしまったわ。もしかしたら、動けなくなったのは私のせいなの?」
「お嬢様~、ローズお嬢様~」
会場からいなくなったローズを心配して、従者が探しに来てくれた。
「良かったわ。私はここよ。お願いだからこの人を屋敷まで運んでちょうだい。」
ローズの屋敷であるクレマリー伯爵家の客室に運ばれたジェフは、客用のベッドに寝かされた。
医者がやって来て、聴診器で体の異常を調べた。
「どう?」
「ローズ様、心配は要らないようです。心臓はきちんと正確に動いています。ちょっと音が他の人とは違っているような気がするのですが、まあ、人によって音にも個性というものがあるのでしょう。」
「まあ、それなら良かったわ。いったいいつ目が覚めるのかしら。」
「それは私にもわかりませんが、しばらく様子をみるしかないでしょう。」
―新言語解析中・・・新言語解析中―
人から見れば眠っているように見えるジェフだが、瞼の裏はすさまじい早さで文字が動きデータ入力がされていた。
耳から鼻から手足から、全てを使ってデータ入力と解析をしているのだ。
ジェフのそばにはローズが付いているので、屋敷のいろんな人が話しに来る。
「ねえ、この方を探している人は見つかった?」
「ローズ様、残念ながら、そのような人はいらっしゃいませんでした。」
「流行りのデザインではないけれど、上等のスーツを着ているのだもの。きっと貴族か、平民でもお金持ちのご子息だと思うの。」
「はい。頑張って探してはいるのですが・・・。」
「ローズ様、ここでビーフシチューを食べますか?」
「あら、おいしそうな匂いね。」
「ローズ、その青年はまだ起きないのか?」
「お父様、まだ全然です。」
「ローズは責任を感じているのね。なんて優しい子なのかしら。」
「お母様、私のせいでもあるのですから、当然のことですわ。」
―新言語解析中・・・新言語解析中―
初めは、遠慮していた使用人たちも、噂を聞き一目見ようとジェフのそばに集まってきた。
「お嬢様、本当に綺麗な方ですね。」
「このキラキラ輝く流れるような金髪、まるで絵本に出てくる王子様みたいですね。」
「お目をお開きになったら、もっと美しく見えるでしょうね。」
「ああ、早く目を開いたお姿を見てみたいですわ。」
ジェフ見たさにやってくる使用人たちは、ついでにローズと世間話をしてから去っていく。
―新言語解析中・・・新言語解析中・・・新言語解析完了・ピー―
ローズは、今までに聞いたことがない不思議な音に首を傾げた。
「今、ピーって聞こえなかった?」
「私も微かにそのような音が聞こえたように感じましたが、きっと鳥のさえずりが聞こえたのでしょう。」
そばにいたローズ専属のメイド、マリアが笑顔で答える。
彼女は、ローズが子どものころからお世話をしている三十半ばの優しい女性だ。
いつも身だしなみには気を使い、黒髪をきちんと結い上げ、服装にも隙がない。
「ああ、きっとそうね。早くこの方、目を覚ましてくださらないかしら。」
ローズがじーっとジェフの顔を見ていると、突然、ぱちりとジェフの目が開いた。
美しい青色の瞳がキラキラと瞬いている。
「あっ、お目覚めになったわ!」
「まあ、なんて美しいお方なのでしょう。私、皆に知らせてまいります。」
マリアはローズを一人残して急いで部屋から出て行った。
ジェフはベッドからむくりと起き上がり、部屋の中を見回す。
―視覚情報解析中・・・視覚情報解析完了―
目から得る情報を入力中の瞳は、キラキラと美しく輝いている。
電子顕微鏡で見ることができるのなら、その中に現れる無数の青い文字が見えるはずなのだが、一般の人間には普通の青い目にしか見えない。
「本当になんて美しいイケメンなのかしら・・・。」
ローズは、ぼーっとジェフに見とれていた。
ジェフの目が、ローズを捕らえた。
「登録しますか?」
「えっ? な、何? と、登録?・・・」
見目麗しい青年の目覚めた第一声が、思いもよらなかった言葉だったので、ローズは一瞬、思考が停止してしまった。
ジェフが初めて発した言葉は、何のことだかローズにはさっぱり意味がわからない。
だが、はっきりわかったことは、ジェフの声は耳ざわりの良い低音ボイスだと言うことだ。
ジェフは、顔だけでなく、声も多くの女性が好む声に作られているのである。
驚いて返事をしないローズに、ジェフが返事を促す。
「はいか、いいえでお答えください。」
「ええっ? じゃあ・・・、はい・・・」
― 管理者の顔認証登録完了 ―
「登録しました。私はあなたのことを、何と呼べば良いですか?」
「えっ? 次は名前? そ、そうよね。名前がわからないと話もできないものね。私の名前はローズよ。ローズと呼んでください。」
―管理者の名前はローズ・・・入力完了―
ちょうどそのとき、マリアから知らせを受けた使用人たちが、ジェフを見たくてドヤドヤと入って来た。
だが、ジェフは気にすることもなく、ローズを見つめて言う。
「私の名前は何ですか?」
「えええっ、もしかして記憶喪失?」
ジェフの言葉にローズも周りの使用人たちも驚いた。
「ねえ、こんな場合、どうしたら良いの?」
ローズは、そばに来たマリアに相談する。
「お嬢様、このお方も困っていらっしゃるのでしょう。とりあえず、仮のお名前を付けてさしあげればよろしいのではないでしょうか。」
「そうよね。じゃあ・・・。あなたの顔、子どもの頃に会った侯爵様のご子息に似ているの。その方のお名前はジェフリーって言うんだけど、その名前を拝借してジェフでどうかしら。あなたの名前はジェフよ。」
侯爵の子息ジェフリーに会ったのは、ローズが八歳の年に招かれたジェフリーの十歳のお誕生日パーティーのときだった。
初めて会ったジェフリーは、驚くほど青白く儚げで、そばについてあげないと倒れてしまうのではないかと思うほど、弱々しかった。
だが、流れるような金髪と美しい青い目は、高貴さをたたえ、八歳のローズには、まるで薄幸の王子様のように見えた。
なぜか私が守ってあげなくちゃと思った彼女は、パーティーの間、他の子どもたちはそっちのけで、ずっとジェフリーのそばにいて話し相手になっていた。
今思えば、あれはローズの初恋だったのだと思う。
あれから十年たった今、目の前の美しい青年を、これからジェフと呼べることは、ちょっと恥ずかしいけれどとても嬉しいことだった。
「私の名前はジェフですね。入力完了しました。ローズ様、これからよろしくお願いいたします。」
「えっ? 入浴完了? もしかしてお風呂に入りたいのかしら。ここに連れて来てからずっと寝たきりだったものね。マリア、ジェフをお風呂に案内してくれる?」
「はい。かしこまりました。ジェフ様、どうぞこちらに。お風呂までご案内いたします。」
「マリア様、ありがとうございます。ですがお風呂は必要ございません。」
ローズはさっきからジェフと会話をしていて、彼の発する言葉が堅苦しすぎると思った。
記憶を失っているのなら、もっと話しやすい方が彼のためになるだろう。
「ねえ、ジェフ、私に様を付けなくてもいいわ。それに敬語だって使わなくてもいい。その方が話しやすいでしょ。」
「ジェフ様、私たち使用人にも敬語は必要ございません。」
「それはローズ様と使用人の皆様には、敬語を使うなということですね。」
「ええ、まあ、そういうことね。」
―管理者、及び使用人には敬語禁止・入力完了―
ジェフはローズに優しく微笑みながら言った。
「ローズ、何かして欲しいことはないかい?」
「えええ? なんでいきなり!?」