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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

後味の悪い話:当主とその使用人達

作者: 結城暁

 お前が、好きだ。お前を、愛している。


「わたしのことを好き、だなんて。愛している、だなんて、よろしいのですか、あるじさま」


 身分など気にしない。お前がいない人生など考えられないのだ。


「本当の、本当に、わたしで、よろしいのですか」


 お前がいいのだ。お前でなくてはならないのだ。


「あるじさまがわたしをえらんでくだされば、とおもうことはあっても、ほんとうにそうなるなんて……」


 信じられないと思うのも無理はない。ここに来たばかりのお前に私は酷い仕打ちばかりをした。お前にだけではなく、他の使用人達にも私はいないほうがいい、というような酷い主人であった。

 だが、お前のお陰で私は変われたのだ。辛く、苦しい境遇にあってもけして笑みを絶やさぬお前の心持ちに、私は救われたのだ。醜く、捻じ曲がった性根も、ここにきてようやく真っ直ぐ、天を目指すようになれたと思う。

 私がどのような無茶を言っても、お前は口答えひとつせず、ただ笑って言う通りにしてくれたな。

 真夜中に手の込んだ料理を作れと言えば作ってくれたな。実に美味しかった。最初は嫌がらせで床にぶち撒けてやろう、と思っていたのに、それができないくらい美味しかった。

 お前が掃除したばかりの廊下に花瓶を落としたときも、私に怪我がないかを心配してくれたな。心配されたのは、思い出せないくらいの昔のことだったから正直、面食らった。あの時は手を振り払ってしまって、すまなかった。丁寧に指を検分され、まるで自分が子供扱いされたようで恥ずかしかったのだ。

 お前が手入れをしていた花壇を腹立ち紛れに踏み荒らした時も、お前は悲しむでもなく、怒るでもなく、私のことをやんちゃだ、元気だ、と言って笑っていたな。自分がなんと子どもじみたことをしていたのかと、初めて自覚したものだ。

 お前のお仕着せを切り裂いた時も、繕えば着られると言って、鼻歌まじりにすぐ直してしまったな。詫びのために贈った新しい服も、繕って着られるのだから必要ないと受け取ってもらえず、自分がなんと愚かなことをしたのかと、深く悔いた。

 お前を困らせないよう、態度を改めればそれまで遠巻きにしていた使用人達の態度が変わった。いつだって私を避け、目を合わせないようにしていた者達が、話しかけてきたり、笑いかけてきたりするようになった。

 私は、人間が嫌いだった。私を恐れ、遠巻きにし、慇懃に接してくる者達が嫌いだった。

 だが、それは私のせいだったのだ。誰だって、八つ当たりなどされたくないに決まっている。その日の気分で使用人を解雇する主人など慕われるはずもない。それを私は周囲のせいにしていたのだ。

 お前のお陰でそれに気付けた。どれだけ感謝しても、感謝しきれない。

 今まで私がお前にしてきたことは、許されるものではないだろう。償わせてほしい。お前の、一番近くで。


「それは……つまり、贖罪のために、わたしを好き、だと……?」


 それは違う。いや、違わないのだが、違う。贖罪の気持ちはある。だが、お前を誰よりも、何よりも愛しているのは間違いない。

 私に笑いかけて欲しい。お前を笑わせたい。お前をこの手で幸せにしたい。お前が望むならなんでも叶えよう。この気持ちに嘘はない。


「そう、なのですね。あるじさまは、わたしを、本当に、愛しているのですね」


 ああ。愛している。お前が、私をどう思っているのか、聞かせてくれないか?


「すこし、時間をください、あるじさま。心の準備が必要なのです。明日、わたしの思いをあるじさまにお伝えします。待ち合わせをいたしましょう。場所は──」


 感動に打ち震えながらも微笑みを絶やさず、瞳を潤ませた彼女は誰よりも何よりも美しかった。


 ごうごう、と風が唸りを上げるほど激しく燃えている。炎に照らされている場所は何もかもが熱かった。これ以上進めばただではすまない。だが彼は進もうともがいた。


「離せ! 離せ! 燃えてしまう、彼女が燃えてしまう! 助けなければ! 離せえええ!」


 彼を羽交締めにする男はびくとせず、平坦な声音で、呟くように彼に伝える。


「もう遅いよ。服には油をたっぷりと染み込ませたし、火力抜群の魔石を買いこんで着火したんだから。即死だったろうし、奮発して呪符も使ったんだ。呪符の効果で水をかけたって消えないし、灰も残らないよ」


 耳に吹き込まれた絶望に彼はずるずると座り込んだ。何も考えられない。何故、とどうして、がひたすらに頭の中を埋め尽くしていた。

 待ち合わせ場所は屋敷裏の林の中で、ときおり使用人達が待ち合わせ場所に使っていた。


「時間がないから渡しておく」


 彼の目の前にひらひらと白い物が映り込んだが、彼は身動きせず、呆然と火柱のあるほうを見つめている。動かない彼に痺れをきらしたのか、男が懐に白い封筒を押し込んだ。


「聞いた時は半信半疑だったけど、本当に彼女を愛したんだな。あんたがもっと前から人を愛せていたら俺達はこんなことをしなくてもすんだのに。でも、愛したから、俺達は復讐を果たせた」


 度を超えた熱さで痛む顔を男に向ける。男は薄らと笑っていた。彼女の笑顔が過ぎって、彼はあえいだ。


「俺も彼女もあんたが過去にいたぶった使用人の身内だよ。俺の兄さんはあんたに鞭で打たれた手足がうまく動かなくなって、解雇された。家に帰ってきてしばらくして首吊ったよ。俺たち家族に迷惑をかけたくなかったんだとさ。

 彼女は──」


 男が咳き込んだ。体を折って、しまいには膝を地面につく。手の隙間から溢れ出る赤に彼は眼をむいた。


「あんた、彼女のため、なら……なんでも……するんだって……?」


 咳と吐血の合間に男は言葉を吐いた。まるで呪いのようだった。


「なら……死ぬな、よ……。彼女の……あとを……追われたりしちゃ、迷惑……だ……」


 手紙読め、短くと言い残して男は事切れた。

 本当に死んでしまったのか、息を確かめようとして、男に近寄ろうとした彼の上着の内からわずかに音がして、ポケットを確かめた。

 入っていたのは白い封筒で、よれていた。彼の名前だけしか書かれていない。

 彼は震える指で封筒の中身をあらためた。

 中身はどこにでもある便箋だったが、書かれている内容は手紙ではなかった。事の顛末、と題字が大きめに書かれ、あとは箇条書きで文章が連ねてある。


・彼女の名前は偽名である。

・彼女の姉はかつて屋敷で使用人をしていたが癇癪で顔を傷付けられ解雇された。

・心を病んだ姉は崖から飛び降りて死んだ。

・復讐を決意した者同士、集まって計画を立てた。

・大切な人を奪われた我らと同じ気持ちを味わわせる。


 文字は彼女のものではなかった。おそらくは、男のものだろう。

 彼は泣いた。大声を上げて、蹲った。

 ぐしゃぐしゃになった便せんの最後に、一文だけ問いかけが書かれていた。


『彼女は姉とよく似た面差しだったそうだが、気付かなかったのかい、当主様』

彼女の遺品は何もありません。灰も残りません。彼女を死に追いやったのは自分なので、復讐もできません。屋敷に帰っても事故物件になってるかもしれません。でも彼女の願いを叶えると言ってしまったので、死を選ぶことも許されないのでした。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 長年こんな話が読みたかったので、作品を夜に出してくださってありがとうございます
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