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 月天が去ると紫苑の背後に控えていた黄金が音もなく紫苑のすぐ側にやってきた。


「紫苑様、あの者たちとは別室をご用意しておりますのでそちらで話されてはいかがでしょう?」


下げられたままの御簾越しに見える二人は今もまだ頭を下げたままだ。


手を伸ばせば届く距離なのになぜか遠く感じるこの距離が今の紫苑たちの関係を示しているようで紫苑は無意識のうちに表情を曇らせる。

 

この居心地の悪い空間から早く逃げ出したくて紫苑は黄金の提案に頷くと、頭を下げたままの二人を一瞥し部屋を出ていく。


先ほど見た二人の装いは遊女のそれとは違い、まるで商家の者のようなごくごく普通の装いだった。


もし月天があの俄の登楼の時の願いを本当に叶えてくれていたのなら……。


そんなことを考えているうちにいつの間にか目的の部屋に着いたようだ。


案内された先は懐かしい月光花の間だった。


「紫苑様、あの者たちをお連れしますので紫苑様は部屋の中でお待ちください」


黄金に色々と聞こうと呼び止めようとするが、振り向いた時にはすでに黄金の姿はなく月光花の間の戸も閉じられていた。


 仕方なく一人残された部屋の奥に進んでみると、紫苑がこの夢幻楼に閉じ込められたあの日と何も変わらず調度品も美しさを損なわずにそのまま置かれている。


いつも思うのだが、この夢幻楼にはいったいどれくらいの召使いたちがいるのだろう。


どこに座れと言われた訳ではないがなんとなく文机に向かって座わると、ちょうど廊下から黄金の声が聞こえた。


「紫苑様、雪江と白藤を連れて参りました。入室してもよろしいでしょうか?」


慌てて佇まいを正すと一つ呼吸を置いて黄金に返事をした。


黄金に連れられ入ってきた二人は幻灯楼で見慣れた豪華絢爛な着物ではなく、なんだか違和感を感じてしまう。


 二人が紫苑の前に座ると再び深く頭を下げて挨拶をする。


「此度の天神祭に同行させていただくこととなった雪江と白藤でございます」


頭を下げる二人を見て慌てて紫苑は頭を上げてほしいと身を乗り出すが、側に控えていた黄金に嗜められてしまう。


「紫苑様、ご自身のお立場をお忘れなきよう。……黄金はお茶の準備をして参りますのでしばらくの間席を外してもよろしいでしょうか?」


黄金の気遣いに感謝し、紫苑は黄金に頷いて返すと黄金は雪江と白藤に紫苑に対してくれぐれも失礼のないようにと言い残し出て行った。


 あれだけ会いたかったのに、いざこうして対面するとなんと声を掛けたらいいのか分からず口を開いては閉じるをくり返してしまう。


そんな紫苑の様子を見て白藤は笑いを堪えきれずに声を出す。


「観月姉さん、なんでありんすかその顔は。まるで鯉のようでありんす」


久々に聴いた声は以前と変わらず、心が締め付けられ涙が込み上げてくる。


「凛……小雪姉さん」


涙を流すまいと堪えてみるが自分を見つめ返す小雪の困ったような笑顔をみると、我慢できずにぽろぽろと涙が流れ落ちる。


「なんて顔してるんだい。妖狐の御当主の婚約者ともあろう方が人前で涙なんか流すもんじゃないよ」


そういって小雪は手ぬぐいで紫苑の涙を拭う。


「小雪姉さんに凛、二人とも無事だったんですね」


そう言って堪えきれずに二人に抱きつく。


「心配しました!この夢幻楼に来てから全く連絡が取れなかったから」


今までずっと心の奥に溜め込んでいた不安や思いが堰を切ったように次々と溢れてくる。


小さな子供のように泣きながら顔を埋める紫苑をようやく宥めると、紫苑と別れてから起きた出来事をまとめて話してくれた。


紫苑が夢幻楼に召し上げられた後、小雪たちは俄の終了を待ってから幻灯楼から身上げされた。


月天からは十分な量の支度金が送られ、この曼珠の園の外へ出て暮らすことも許された。


しかし、小雪と凛が選んだのは曼珠の園の中に残り暮らすことだった。


月天より下賜された金品を売って小雪は曼珠の園の裏路地に店を構え、今は凛と二人で店を切り盛りしている。


名も源氏名を捨て雪江と白藤として新たな生活を始めたのだ。


一通り話を聞いて、紅のことだけ抜けていることに気づく。


紫苑が見た最後の紅の姿はあまりにも凄惨で思い出すだけでも胸が締め付けられる。


「小雪姉さん、紅は……」


琥珀が嘘をついていると思えないが、もしかしたらと僅かな望みを抱いて問いかける。


「紅は妖猫の御当主の元へ連れて行かれた」


「……そうなんですね」


「だからこそ、こうやって私たちがやって来た訳さ」


俯いた顔をぱっと上げるとそこには幻灯楼で見慣れた自信に満ち溢れ、紫苑が憧れた小雪の姿があった。


「私の情報網は紫苑、あんたの役に立つ。それに天神祭に行くってことは大方、御当主同士の駆け引きの材料に使われたんだろう?理由はどうあれこの機会を逃す手はないと思ってね」


「姉さんはいったいどこまでご存知でしょうか?」


「私が掴んでるのは、天神が消えたってことと紅を餌に妖猫の御当主があんたをこの曼珠の園から引き出そうとしてるってことくらいだね」


 妖狐の一族内でも僅かな者たちしか知らないはずの情報をすらすらと答える小雪に目を見張りつつも、これほどの情報をすぐに得られる小雪たちの優秀さに心強く感じる。


「小雪姉さんの仰った通りです。私は天神祭のお役目よりも紅の安全を確認して、紅が望むなら妖猫の領地から連れ出そうと思っています」


「それを聞いて安心したよ、あんたは何も変わってないね。紅のことは追々話し合うとして、あんたは大丈夫なのかい?見たところ手荒に扱われているってことはないようだけど」


小雪の心配はもっともだ。


紫苑は半ば強引にこの夢幻楼に拉致されて来たのだから。


 紫苑は何から話すべきか迷うが、小雪と凛の顔を見て全てを包み隠さず話すことを決めた。



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