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階段を上がりきると二階は一階と違い仄暗く廊下に灯されている明かりだけがぽつぽつと等間隔に揺れている。
上りきった正面には九尺ほどはありそうな大きく重厚感のある両開きの戸が見える。
ついに御当主様のいる部屋の前まで来たかと唾を飲むが、白夜と極夜は目の前にある大きな扉を無視して左手に伸びる廊下をそのまま進む。
廊下は薄暗く人間である紫苑の目では自身の足元を確認するのがやっとだが、他の面々は暗い廊下でも先ほどと変わることなく歩いている。
紫苑がなんとか目を凝らして周りを見ているといつの間にか廊下の両端に朱色のしめ縄のように太い組紐と無数の鈴が等間隔で飾られていることに気づく。
(何かの結界でも張ってるのかしら?)
紫苑が物々しい雰囲気の廊下を気にしつつ歩いているとようやく目的の場所に着いたらしく白夜が歩みを止めた。
「お疲れ様でした。この先は曼珠沙華の間となっております。曼珠沙華の間に入りましたら姿見の鏡によって本性を暴かせて頂きます。これも安全のためですのでご了承を。では、参りましょうか」
そういうと白夜はいつの間に手に持っていたのか三番叟鈴を鳴らすと何もなかった空間に靄がかかり始め辺りを包み込む。
紫苑が何事かと不安になり辺りをきょろきょろと見回していると凛と紅がすぐに紫苑の手を引き自分たちの方へと引き寄せる。
靄が晴れると辺りは先ほどまでいた廊下ではなく目の前には先ほど見た扉よりも大きな両開きの扉が開いた状態で現れた。
白夜と極夜は躊躇うことなくその扉をくぐり中へと入っていく。
小雪に続き中にはいるとそこは四〇畳以上はゆうにあろう広い部屋で正面には一段高く作られた御簾がかかる上座が目に入る。
部屋の中は何かの香が焚かれているようで神社仏閣を思わせるような独特の香りが立ち込めている。
先を歩く白夜と極夜は上座の少し前で止まると振り返る。
「ではそれぞれ花魁の方はこちらに、その禿の方は花魁の後ろに控えるようお願いします」
白夜がそう言うといつの間にか現れた狐面を被った従者たちがふかふかの立派な座布団を用意し、それぞれそこに座るように促される。
上座から向かって右手に曙楼、中央に月紗楼、そして左手に幻灯楼の順で座る。
「では失礼ながらも姿見の鏡で最後の確認をさせて頂きます」
白夜がそう告げると、極夜は身の丈ほどもある鏡が載った台をゆっくりと押して曙楼の花魁達の前に置く。
「では、他の方々は失礼ながらも目隠しをさせて頂きます。今回登楼された方の中には本性を見ると厄介なことになる方もおられますので」
そういうと、いつの間にかそれぞれの側には目隠し用の布が置かれていた。
誰も異論を唱えずにその目隠しをすると、姿見の儀式が始まったらしく部屋の中に異様な妖気が入れ替わりで漂う。
一番最初に本性を暴かれたのはきっと曙楼の陽乃穢花魁だろう。一瞬にして部屋の中の空気が重くなったのがわかった。
いくつもの妖怪の気配を感じながらも必死に体の震えを抑えていると気づけば自分の番が回ってくる。
「では次の方前へどうぞ」
極夜の冷たい声色に導かれて姿見の前に立つと、目隠しを外される。
目を開けて視界に入ったのは古びた大きな姿見鏡だった。鏡に映る自分は人里で暮らしていた時の姿でどこをどう見てもただの人間だ。
宗介様や小雪姉さんから自分の身の中に鬼が封印されていると聞いていたので、もしかしたら鬼の姿が映ったらどうしようとずっと悩んでいたのだが杞憂のようだ。
ほっと胸を撫で下ろし鏡の前から立ち去ろうとすると、急に鏡の中の自分の姿が大きく歪む。
まるで水面に波が立つようにぐにゃりと歪んでゆき、今まで映っていた黒髪に黒い瞳の人間ではなく、白髪に薄紅色の瞳を持った美しい少女が現れる。
姿見の鏡に異変が起きるのと同時に部屋の中にいる花魁達や白夜と極夜にも緊張が走ったのがわかった。
紫苑が驚いてもう一度よく鏡を覗き込もうとするが、それより早く極夜によって布がかけられてしまい鏡を確認することはできない。
白夜と極夜は何事もなかったかのように姿見の鏡をしまうと、この後の手順について説明を始める。
「それでは謁見の際の手順でございますが、まずは代表して曙楼の陽乃穢さんより御当主へ言葉を贈りその後に御当主の許可がおりれば各花魁たちより御当主へと言葉を贈ることができます」
この夢幻楼へ登楼を許されたからといって必ずしも御当主と言葉が交わせるとは限らない。昨年は御当主の機嫌がすこぶる悪かったらしく代表の花魁が言葉を発して早々に下がるように言われたそうだ。
紫苑の願いを聞いてもらうにはまず御当主が上機嫌とまでいかなくても不機嫌であったら困るのだ。
「それぞれの花魁の挨拶がすみましたら献上品をお預かりします。今年は献上品の中に御当主がお気に召す物があればその献上品を贈った者の願いを一つ御当主が叶えてくれます。全ての儀が終われば謁見は終了となります。御当主が退席後再び私と極夜で皆様を夢幻楼の正面玄関までお送りいたしますのでその場でお待ちください。何か質問などございますか?」
紫苑がこっそり辺りを盗み見すると、曙楼と月紗楼は今まで何度も夢幻楼への登楼をこなしているだけあってすでに流れなどは知っているようだ。
小雪は大丈夫だろうかと少し心配になり後ろから様子を伺うがいつも通り澄ました表情をしており何を考えているかまではわからない。
(確か小雪姉さんは新造の時に夢幻楼へ付き人として登楼したことがあるって話していたから大丈夫よね……)
面々の前にたちこちらをこちらの様子を見ていた白夜は質問がないことがわかると極夜と何やら一言二言喋り部屋の壁際に控えている従者に目配せする。
「では、御当主が参ります。皆様はそのままお待ちください」
白夜はそういうと入ってきた扉の方へと姿を消す。残された極夜は上座の中央よりやや左手の角に正座して控えている。
しばらくすると気配もなく急に白夜が紫苑たちの背後に現れる。紫苑は驚いて振り返りそうになるが自分以外の誰も微動だにしないのを見てぐっと堪える。
白夜は極夜と反対側の上座の右下に正座して控えると、またいつの間に取り出したのか三番叟鈴を手に持ち二回鳴らす。
しゃんしゃんッと鈴の鳴る音が座敷の中に木霊すると、急に部屋の中に霧のような白い靄が漂い始める。
「皆様、御当主のお成りです。頭をお下げください」
白夜の声かけに合わせて花魁たちは最上級の礼をもって頭を深々と下げる。後ろに控える禿たちもそれに倣い両手をつき頭を下げる。
紫苑も小雪たちが頭を下げるのを見て慌てて自分も畳に額をつけるくらいに深々と頭を下げる。
そのままの状態で声がかかるのを待っていると部屋中に立ち込めていた霧がいつの間にか晴れていき変わりに部屋には曼珠沙華の香りが漂い出す。
曼珠沙華の香りがふわりと紫苑の鼻を掠めるのとほぼ同時に先ほどまで感じることのなかった禍々しくもどこか惹かれてしまうような強い妖気が御簾の向こうに現れたのを感じる。
視線はおろか頭すら下げたままだというのに紫苑の背には知らず知らずのちにじわりと冷や汗が流れる。
「皆様、どうぞ顔をお上げください」
どうやら御当主の許しが出たようで紫苑たちはゆっくりと失礼のないよう顔をあげる。
紫苑が顔を上げて正面を見ると御簾の向こうに先ほどまでいなかった人物が脇息にもたれかかりながら気だるそうな感じでこちらを見下ろしているのを感じる。
白夜が身を上座に向けて何やら確認すると、そこでようやく曙楼の花魁が言葉を発することを許された。




