表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/21

7. 知らない顔

 

「建国記念日、ですか」

「ええ、ちょうど一週間後がそうなのだけど、その日に式典とパーティがあるの。他国からも多くの賓客を招待するから、お父様も体調が悪い姿なんて見せるわけにもいかなくて、それで貴女のお師匠を急いで呼び出したらしいわ」

「そうだったんですね」

「お父様、実はかなり体調が悪かったのだけれど、薬師さんに来てもらってから目に見えて良くなっていると聞いているわ。さすがは奇跡の薬師と呼ばれるだけあるわね」


 キャロライン様は微笑みを浮かべ、カップを手に取った。

 喉を潤す彼女の姿を視界に入れながら、宰相もキャロライン様と同じように『奇跡の薬師』と口にしていたことを思い出す。

 これまで私が師匠と仕事を共にしてきた中で、師匠を奇跡の薬師と呼ぶ人がいただろうかと記憶を探ってみるが、心当たりはない。つまり、師匠がこの城に専属薬師としていた時の実績が、師匠にそのような異名を与えたのだと推測できる。


「でね、話は戻るのだけど、リオにはぜひそのパーティに参加してもらいたいと思ってるの」

「……私に参加する資格はないと思うのですが」

「わたくしが招待すると言えば問題ないわ」


 さすがは大国の姫と言うべきか。ハッキリと言い切るその姿に敬意を表したくなる。他国の、それも貴族ですらない人間を招待する難しさはあるはずなのに。


 こうしてお茶会に何度か誘われてみて気付いたのが、キャロライン様は身分によって態度を変えるような人ではないということだ。現に、私に対して名前呼びを許してくれるほど気さくに接してくれているのがその証拠だ。

 皇族という立場でありながら誰に対しても平等に接することができるのが、どれだけ凄いことなのかを身を持って知っているからこそ、私は複雑な気持ちになることを避けられなかった。


「お誘いいただきありがとうございます。ですが、やはり私はこの国の人間ではないですし、薬師としての立場で入城させていただいた経緯もありますから、参加は控えさせていただこうと思います」

「……そう、残念だわ」


 残念そうに眉尻を下げるキャロライン様だったが、すぐにパッと顔を明るくさせて「聞いてほしいことがあるの」と声を上げた。


「実はね、もうすぐわたくしのお兄様が留学を終えて帰って来るの!」

「キャロライン様のお兄様というと……皇太子殿下ですね」


 キャロライン様には四歳上の兄がいる。

 名前はジェローム・ジルベッタ。現在は他国に留学中だが、そこでは勉学に励むのは勿論のこと、皇太子としての地盤固めを着実に行なっている天才だと聞く。

 頭が良く顔も整っているため、帝国内外を問わず求婚者が後を絶たないというのは目の前のキャロライン様談だ。


「以前お会いできたのが半年ほど前のことで、その時もすぐにあちらへ戻ってしまわれたから、今回の記念日に合わせて帰って来られると聞いた時は嬉しくて仕方がなくてね。お兄様が帰って来られたらリオを紹介するわ」

「そ、れは……私ごときが皇太子殿下にお会いするのは畏れ多いです」

「畏れ多いなんて思う必要はないわ。わたくしの友人として紹介するだけなのだし。それにお兄様はとても優しい方だがら少しくらい粗相をしても大丈夫よ」

「……粗相はしないよう気をつけます」


 皇太子とまで関わり合いを持ちたくないというのが正直なところだ。とはいえ、私を本当の友人のように接してくれている彼女にそんな酷いことを言えるわけもない。

 内心苦笑しながらカップを持ち上げ、傾ける。鼻の奥に残る独特のいい香りを感じながら、私はふっと息を吐いた。

 キャロライン様はそんな私の姿をジッと見つめ、小さく疑問をこぼす。


「そう言えば、リオの出身ってどこなの?」

「……出身、ですか」

「ええ。リオは平民なのよね? お茶を飲んでる姿がすごく綺麗だから、貴族でなくともそういうことに厳しい国で育ったのかと思ったの」


 曇りなき瞳に、どう答えるべきか一瞬固まる。

 王族として身に付けたマナーなんて既に抜け落ちているものだと思っていたけれど、一度身に付いたものは案外忘れないものらしい。

 今さら作法が分からないふりをすることができるはずもなく、私は曖昧に誤魔化すことにした。


「キャロライン様のお耳に入れるのも申し訳ないほど小さな国ですよ」

「そうなの? それでもリオの生まれた国なのだから気になるわ。ここから遠いの? わたくしでも行ける距離かしら」

「すみません。私の母国はもう存在しないんです」

「っ! ……軽率だったわ。ごめんなさい」


 私が触れられたくない話題なのだと分かったのだろう。

 シュンと肩を落とすキャロライン様に、私は微笑んだ。


「いえ、お気になさらないでください。昔の話ですから。その代わりと言ってはなんですが、よかったら私が今まで旅して来た国についてお話を聞いていただけますか?」

「……お願いするわ」


 キャロライン様に笑みが戻ったのを見て、私は小さく安堵の息を吐くのであった。



 お茶会が終わり、私は鍛錬場に向かうために早歩きで庭園を突き進んでいた。

 キャロライン様とのお茶会は仕事の一部の時間を使って行っている。皇女からの呼び出しということで咎められることはないが、テオの無言の視線が私の罪悪感を助長させた。

 お土産のお菓子を持たせてもらうことでなんとか機嫌は取っているけれど、それでも早く帰るに越したことはないので、私はこうして急いでいる。

 しかし、背の高そうな薄い茶髪の男性が薔薇を見つめているのが視界に入った瞬間、私は足を止めた。彼の手の甲から血が流れているのが見えたのだ。

 私は急いでいることも忘れて彼のもとに走り寄った。


「あの、大丈夫ですか?」

「……え?」

「手から血が出ているようなので」


 男性は驚いたように顔を上げると、私の顔と自分の手に視線を行き来させて、「ああ」と納得したように頷いた。


「少し引っかけたみたいだね。すぐ治ると思うし大丈夫だよ」


 男性は私に向けてにこりと微笑んだ。

 親しみやすそうな印象を抱かせる美形の言葉に一瞬絆されそうになるも、薬師としてそのまま放置させておくのは忍びなかった私は首を横に振った。


「化膿してはいけませんし、私に手当をさせていただけませんか?」

「手当……?」


 自分が今この城にきている薬師である旨を告げると、男性はわずかに逡巡した後「ではお願いしようかな」と近くにあった噴水を指差した。

 そこに二人腰掛け、ローブから手当てに必要な道具を取り出す。私が着ているローブの内側にはポケットが複数あって、そこには最低限の応急グッズが入っているのだ。


「手、失礼しますね」


 節くれだった綺麗な手を取り、既に固まりかけていた血を丁寧に取っていく。塗り薬を塗ってガーゼで覆えば終わりだ。


「これで大丈夫だとは思いますが、変に痛むようならすぐに診てもらってくださいね」

「うん、ありがとう」


 手当前より柔らかい雰囲気になった男性は、道具を片付ける私を見つめながら楽しげに話しかけてきた。


「君、名前はなんて言うの?」

「リオです」

「リオか。いい名前だね」


 道具をしまい終え、今急いで戻ってもテオに叱られるのは間違いないなと別のことを考えていた私は、私に伸びる手に気付くのが遅れた。

 男性は私の頰にかかる髪を私の耳にかけると、そのままこちらを覗き込んでくる。

 突然の男性の行動に驚き固まっていると、男性は次に私の眼鏡を手をかけようとするものだから、私はサッと顔を青褪めさせてその手をかわした。


「眼鏡、ダメ? 君の顔がもっと良く見たいんだ」

「……ご期待に添えるようなものではないので」

「そんなことを言われると余計に見たくなるのが人間の(さが)と言うものだよ、リオ」


 深い緑色の瞳が細められたその時、「殿下」と聞こえてきた低い声が男性の動きをピタリと止めた。

 ゆっくりと顔を声の主のほうへ向ければ、そこには僅かに肩を上下させたグレイが立っていた。


「おや、我が国の英雄殿じゃないか」

「侍従が探されておりましたよ」

「そう。それじゃそろそろ戻らないとだね」


 男性は立ち上がると、「またね、リオ」と私の頭を撫でて去って行った。

 取り残された私たちの間には妙な沈黙が流れ、噴水の水の音だけが響く。


「……あの方となにをされていたんですか」

「え?」


 突然グレイが私の目の前に立ったかと思うと、私を囲うように噴水の縁に両手を置いた。

 そのせいでただでさえ距離が近くなったというのに、グレイはあろうことかさらに顔を近付けて来て、お互いの唇が触れるか触れないかというところで静止した。


「こんなに顔を近付けて、なにを」


 琥珀色の瞳の奥がゆらゆらと揺れている。そこにあるのは──怒りだ。

 どうしてグレイが怒っているのかその理由も分からなければ、グレイが怒る姿を生まれて初めて見ることになった私は、完全に思考が停止する。

 顔を強張らせ呼吸すら止めている私に気付いたグレイは、少し慌てたように剣呑な雰囲気を消すと私から離れていった。


「……すみません」


 グレイと離れた三年間で、私はグレイがなにを考えているのか全く分からなくなってしまった。今だって、なにに対して謝罪をしているのか推し量りかねている。

 それでも彼を理不尽に捨て別人として生きることにした私にとって、彼を理解したいという欲は持つことすら許されないものだから、私は「大丈夫ですよ」と返しておくことしかできないのだ。


「……リオさんは気付いておられなかったみたいなのでお伝えしておきますが、先ほどの男性はこの国の皇太子です」

「…………気付きませんでした」


 キャロライン様から皇太子の帰国を聞いていたとはいえ、誰が今日の今日で会うと思うだろうか。

 しかし、よくよく考えてみればこのあたりは皇族専用の庭園。皇族以外の人間が気軽に花を見ているわけがないのだ。

 皇太子に関わりたくないと思っていながら自ら関わりに行ってしまった自分の浅はかさに呆れていると、私はふとあることに気付いた。


「あの、グレイさんはどうしてここに……?」

「リオさんがなかなか帰って来られなかったので、なにかあったのかと思い参りました」

「そっ、それはすみません。ご心配をおかけしました……」

「ご無事でなによりです。では戻りましょうか。そろそろテオさんが限界を迎えているかもしれません」


 そうですね、と答えた私はグレイと横並びになって鍛錬場への道を歩き出した。

 世間話をする仲でもないので、なにを話そうかと少し気まずく思っていると、彼に伝えておかなければならないことがあることを思い出し、ちょうど良いとグレイに話しかける。


「グレイさん、一ついいですか?」

「なんでしょう」

「手当の際に必要な薬草が切れそうなので、街に買いに行こうと思っているんです」

「保管庫にあるものでは足りないということですか?」

「足りないというよりは、そもそも保管されていないみたいです。あまり一般的な薬草ではないので、私が直接見に行きたくて」


 鍛錬場での仕事を請け負うにあたり、城は十分な資金や環境を与えてくれているが、それでもどうしても足りない物は出てくる。

 良い気分転換になると思った私は、それを口実に城から、というよりグレイがいる場所から離れることにした。


「なるほど。ちなみにいつ買いに行かれる予定でしょうか」

「そうですね。仕事が終わったら行こうと思っているので、夕方以降でしょうか。明日にでも行こうと思っています」

「……その買い物、私も同行します」

「えっ」


 思わず横を見上げると、真剣な顔をしたグレイの視線とぶつかる。

 同行していいですか? ではなくて同行する、と言いきられた。


「そこまでしていただかなくても大丈夫ですよ。すぐに帰ってきますから」

「いいえ、行きます。ここ最近のネルゾンでは誘拐事件は珍しくありません。夕方以降の時間帯は特に危ないんです」

「ゆ、誘拐? ……それならテオを連れて行きます」

「失礼ながら、テオさんお一人でリオさんをお守りできるとは到底思えません」


 むしろリオさんと一緒に誘拐されそうだと言うグレイの言葉に押し黙る。テオには本当に失礼な話だが、彼に護衛の役割を頼んだとしても私は一切の期待をしなかっただろう。

 しかしグレイを連れて行くなんてことになれば本末転倒だ。テオがダメならば最悪でも別の騎士にしたい。

 そんな私の考えが伝わったのか、グレイは目を細めた。


「リオさんは、私を連れて歩くことが恥ずかしいですか?」

「え!? そんなことあるわけないじゃないですか……!」

「なら、私を連れて行くことを承知していただけますね」

「……分かりました」


 グレイの押しに負けた私は渋々ながら頷くのであった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ