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6. 捨てられない恋心

 

 私がグレイ・フィーディという男に恋をしたのはいつだったかは、はっきりと覚えていない。


「カトレア? どこ行くの?」

「ぐえい」

「またグレイ! カトレアー、少しはユッカ兄さまとも遊んでよ」

「やっ」

「ガーン! くそー!! 今日という今日はグレイに決闘を申し込んでやる!!」

「おやめなさい」

「母様……!」


 ただ、少なくとも私が物心つくようになった頃には、グレイのそばにいたがるようになっていたように思う。


「ぐえいー!」

「姫様! おはようございます。今日もお手伝いしに来てくださったんですか?」

「ん。ぐえいのおてちゅだいしゅゆ!」

「ぐっ、かわ、っごほん。ありがとうございます。ではまずはこちらの手袋を付けて下さいね」

「はあい」


 花の一族は自然を愛していたから、タレイアの城には瑞々しい草木が生い茂り、色鮮やかな花々が咲き誇っていた。

 そして花守り(フィーディ)もそんな主人が愛するものを愛していたから、城の美しい景観を保つことに殊更心血を注いでいたそうだ。


 そうした中、グレイは少年とカテゴライズされる年齢でありながらも、既に庭師という職務に従事していた。

 それがどれだけ異例なことか気付いていなかった当時の私は、とにかくグレイが草花に向ける愛情を少しでも私に向けて欲しくて、彼の後をついて回ったものだった。

 今思えば、侍女がそばに控えているとはいえ、よたよたとおぼつかない足取りで広大な庭を歩き回る幼児を気遣いながら仕事をするのはさぞかし大変だったことだろう。


 私はグレイのことが一人の男の人として好きだった。その気持ちは消えるどころか、成長するにつれ強くなる一方だった。

 それでも、私がグレイに告白することはついぞなかった。


「ねえ、グレイは好きな人っていないの?」

「好きな人ですか。タレイア王家の皆様も、花守り(フィーディ)たちも皆好きですよ」

「もうっ、そういうことじゃないって分かってるでしょ!」

「あはは、すみません。姫様もそういった話に興味を持つお年頃になられたんですね」

「……子ども扱いしないで」

「これは失礼しました」


 グレイはあくまで私を仕えるべき相手、よくて年の離れた妹のような存在としてしか見ていないことは明らかだったからだ。


 時が経ち、彼と二人きりで生活することになってからも、彼への恋心も、告白はしないと言う決意も変わることはなかった。


「カトレア様。そろそろ時間なのでいってきますね」

「うん、いってらっしゃい。怪我には気を付けてね」


 タレイアの悲劇から数ヶ月後、私たちは母国から少し離れた国に足を踏み入れ、人の出入りが激しく外部の人間に対しても寛容な町に生活基盤を置くことにした。

 グレイは住む家を決めたその日に近くの町工場に雇い入れてもらっていたが、一方の私はというと、ネルゾンから追われている身であるがゆえにおちおち外に出ることも叶わず、ただのお荷物と成り果てていた。王族時代に培った刺繍の技術で収入を得ることもあったが、金額は微々たるものだった。

 グレイに大きな負担をかけていることは火を見るより明らかで、申し訳なさに落ち込む私に対し、グレイは決まってこう言った。


「カトレア様の幸せが俺の幸せです。だから、どうか笑っていてください。貴女の素敵な笑顔がそばで見られるならば、俺は他になにもいりません」


 私に余計な心配をかけまいとするグレイの言葉は、私を多少なりとも慰めてくれたが、彼に対する負い目を解消する手立てとはならなかった。この言葉を言うまでにも、きっと彼なりの葛藤があったはずだからだ。


 燻る気持ちを胸に残したままの私に転機が訪れたのは、グレイと暮らし始めて三年になろうとする頃だった。


 その日は珍しくグレイから自分が夕食を作りたいからなにもせずに待っていてほしいと言われていたため、夕方になっても大人しく家で刺繍をしていた。

 しかし、使いたい刺繍糸がなくなりかけていることに気付いた私は、次第に外出を検討し始めていた。

 絶対に外に出てはいけないということでもないし、もとの派手な髪色もグレイと同じような色に染めている。すぐ帰ってくれば問題ないだろう、そう判断した私は久しぶりに外に出ることにした。


 お店に向かう途中、家からそこまで離れていないところで大好きな人の名前が聞こえてきた。反射的に物陰に隠れ、そのまま息を潜める私の耳に聞き捨てならない声が届く。


「聞いて奥様。あたし彼にお見合いを勧めてみたのよ」


 ドクリと心臓が大きく脈打った。

 その先を聞きたくないのに聞きたいという矛盾した気持ちが私の足を地面に縫い付ける。


「そしたら彼、なんて言ったと思う? 妹のそばにいたいので紹介は結構です、って」

「あの子もいい年頃なのにねえ」

「ええ、本当に残念だわ。でも仕方ないわよね、妹さん病弱だもの」


 そこからどうやって家に帰って来たのか正直覚えていない。それほど先ほどの会話が私にとって衝撃的だったのだ。

 いつのまにか私は自室のベッドに寝転んでいたらしい。そう認識したのがグレイが帰宅した音が聞こえてきた時だったから、私は慌てて起き上がって玄関に向かった。


「ただいま帰りました!」

「おかえりなさい。……なにか良いことでもあったの?」


 いつになく上機嫌なグレイが不思議で首を傾げた直後、視界いっぱいにピンク色の薔薇が映った。

 突然のことに驚いていると、目の前の彼は仕方のなさそうに笑う。


「今日はカトレア様の誕生日ですよ」

「あ」

「そして貴女と俺が出会って十三年目の記念日です!」


 グレイの言葉に私はようやく今日自分が一つ歳を取ったことを思い出した。

 家族が生きていれば『もう』十三歳になったのかと驚いてくれただろう。でも私にとっては『まだ』十三歳なのかと、落胆する気持ち強かった。あんな話を聞いた後では尚更だ。


「カトレア様、十三歳のお誕生日おめでとうございます。そして俺と出会ってくださってありがとうございます。こうして今年もお祝いできること、心から嬉しく思います」

「……ありがとう。すっかり忘れていたわ」

「去年も同じこと言ってましたよ。カトレア様はもう少し自分に頓着してください」


 タレイアを離れてからというもの、大なり小なり私自身に対する興味が薄れていたことは否定できなかった。

 しかし、食欲、物欲、自由欲、自尊欲など、私を構成する数ある欲が消えていく中で、唯一グレイに対する欲望だけは変わらずそこにあり続けた。

 だから、こうして自分を蔑ろにしがちな私の姿に心を痛めるグレイの姿を見て、私はようやく「ごめんなさい」と笑ってみせるのだ。


 夕食の席ではグレイお手製の料理がずらりと並んだ。私が作るよりもずっと綺麗で美味しくて、悔しい気持ちになりながらもグレイと共に過ごす時間を楽しんだ。

 お皿の中身が消えていくにつれ、お酒は入ってないにもかかわらずグレイは饒舌に語り始める。


「生まれたてのカトレア様を拝顔した時は、天使が誤って地上に落ちてきてしまったのかと思ったものです。あ、言うまでもなくカトレア様は今でも天使ですけど」

「なにを言ってるの」

「いや、違いますね。今のカトレア様はさながら女神のように美しさに磨きがかかり始めて……」

「もう! 恥ずかしいから冗談を言うのはやめて!」


 冗談ではないんですけど……と不服そうにしながらも、グレイは私を褒め称えるのをやめた。

 それでも嬉しそうに頰を緩ませながら他の話題に話を咲かせるグレイの姿を見て私は目を細める。


 九つも年上の彼は、今も昔も格好良くて、可愛くて、優しくて……こんなにも愛しい。


「来年も再来年も、その先もずっと、俺にお祝いさせてくださいね」


 幸せだと思った。

 そこに恋愛感情が挟まれていないとしても、大好きな人にこんなことを言ってもらえるだけで私は一人でも生きていける気がした。


「グレイ」

「はい」

「いつもありがとう、──大好きよ」


 グレイの目が大きく見開かれる。

 彼がなにかを言おうとして口がはくりと動くけれど、それは言葉にならず沈黙が流れた。

 愛の告白をしたつもりは全くなかったけれど、もしかしたらグレイはそう勘違いしてしまったのかもしれないことに気付いた私は、さらに言葉を続けた。


「だから、いつまでも元気でいてね」


 そう言うと、グレイは勢いよく顔を机に伏せた。そのせいで彼の表情が分からなくなる。


「…………ひめさまはずるい」


 その『ズルい』をどういう意味で言ったのか、私はあえて聞かなかった。彼を困らせるのは本意ではなかったからだ。





 その日の夜、私はグレイ宛に手紙を書いた。

 ──どうか自由に生きて、と記した短い手紙を。


 九本のピンクの薔薇が飾られた花瓶のそばに手紙を置き、私は私の花守り(フィーディ)に別れを告げた。



 ◇



 ネルゾンの城に滞在して早一週間。

 私とテオは鍛錬場の一角にある小部屋を借りて、連日やって来る患者の対応にあたっている。

 ネルゾンの騎士を相手にするということでパニックになったりしないか不安に思う気持ちもあったが、存外私は上手くやれていた。

 訪問者の多くは鍛錬中に負傷した人たちだったが、健康の相談をしに来る人や今目の前にいる騎士のように雑談を目的に来る人もいた。


「薬師さんって髪用の染め粉作れんだよね? リオちゃんも作れる? 髪色変えたいから作ってほしいんだけど」

「確かに作れますが、理由をお伺いしてもいいですか?」

「理由? 理由なんてオシャレしたいからに決まってるじゃん!」


 髪用の染め粉は、自分の髪色がコンプレックスであったり、私のように込み入った事情があって髪色を変えたい人が使うことが大半だ。

 だからお洒落をしたいからというプラスの理由で使いたい人がいるなんてつゆほども頭の中になかった私は純粋に驚いてしまう。


「あ、でも気軽に戻せなくても困るか。髪色ってすぐに戻せるもの?」

「そうですね、髪色を戻すには──」


 そこまで言いかけた時、ノック音が聞こえたかと思うと険しい顔をした男性が入ってきた。


「デリック」

「ゲッ、隊長」

「サボってないで早く戻れ」

「サボってないっすよ。ほら、こうしてちゃーんとリオちゃんに手当てしてもらってます〜」

「ランニング十周追加だ」

「なんで!?」


 横暴だとデリックさんは叫びながらも、グレイの威圧的なオーラに逆らえないと思ったのか渋々と部屋を出て行った。


「テオさんはどちらに?」

「テオなら休憩中です」

「そうですか。では、何かお手伝いすることはありますか?」

「今は大丈夫ですよ。いつもお気遣いいただきありがとうございます」

「いえ、いつでもお呼びください」


 グレイはそう言うと部屋を去っていった。

 私は自然と困り顔になりながら机の上の書類を整理する。


 鍛錬場での仕事が始まってからというもの、グレイはなぜかよく私の世話を焼いた。

 私が重い物を持っていればすぐに気付いて代わってくれるし、書類の整理も私が少し部屋を離れている間に済まされていることがある。

 休憩といって毎日のようにお菓子を差し入れてくれるし、テオがいない時を見計らってマッサージをしてくれることもある。

 困惑しながらも彼の善意を断ることもできず、ずるずると今日まで来てしまっているが、ここまでくると私がカトレアだと気付いているのではないかという疑念まで湧いてくる。


 しかしグレイの表情が無の状態から一切変わらない様子を見ても、私の正体に気付いているという確信を持つには至らなかった。

 おそらく上からの命令ということで、それなりの待遇をしなければならないと思ったのかもしれないし、テオより年上の私にはさらに気を遣わないといけないと考えたのだろう。

 それでも隊長という忙しい立場の人が私に時間を割いているという状況が申し訳なく思えるし、なによりこのことがキャロライン様の耳に入ったらと思うと、気持ちは晴れないままだった。



 鍛錬場からの帰り道、テオもいないということでゆっくりと歩いていると、誰かに踏まれたのか折れかけのナズナが目に止まった。なんとはなしに近くで見ようと思って膝を曲げかけた時、私の名前を呼ぶ男の人の声が聞こえた。

 顔を上げると無表情のままこちらに歩み寄ってくるグレイの姿が視界に入り、もう今日は会わないと思っていた分心臓が勝手に高鳴り始める。

 余計な感情を抱かないよう仕事の時以外の接触は避けたかった私は、手短にことを済まそうと口を開いた。


「どうされましたか?」

「忘れ物をされていたので、お届けに」


 グレイの手に乗っているのは仕事の合間に読んでいた私の本だった。


「す、すみません。わざわざ届けていただいてありがとうございます」

「いえ、間に合ってよかったです。それより、ここで立ち止まってなにをされていたんですか?」

「えっと、特には」

「先程しゃがみこまれようとされたように見受けられましたが」

「……あのナズナを近くで見ようと思っただけです」

「ナズナ、ですか」


 彼の視線が下に向いたのを見て「それでは」と口にしようとしたその時、グレイが徐に膝を折って私が指差したナズナを摘み取った。

 それに汚れがついていないかを確認するような仕草をした後、グレイは片膝を地面につけたまま琥珀色の瞳に私を映す。


「受け取ってください」


 グレイは私にナズナを差し出してきたので、戸惑いながらも受け取る。

 私の手に収まったナズナを見たグレイは──口元に弧を描いてみせた。


 花守り(フィーディ)だった頃とはまた違う大人びた美しい笑みに言葉を失う。

 呆然とする私を見てグレイはさらに笑みを深めると、別れの挨拶をして去って行った。


 グレイが去った五分後、ようやくなにが起きたのかを理解した私の頰は林檎のように赤くなっていた。

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