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5. 好きな人

 

 動揺していることに気付かれないよう、私は慎重に息を吐いた。

 本当の名前(ミドルネーム)を使っていたとしても、『リオ』という名前自体珍しいものではないし、元の赤毛は髪用の染め粉で凡庸な茶色になっている。重ための前髪、その上レンズが分厚い眼鏡をかけていれば、そう簡単に私がカトレアだと気付けるはずもない。

 現にグレイが訝む様子はなかった。


「リオにも紹介するわね。彼はグレイ。この国の英雄なのよ」

「キャロライン様、その紹介は少々気恥ずかしいです」

「あら、事実なのだから恥ずかしがることなんてないわ」


 さり気なくグレイの腕に触れながら会話するキャロライン様と、そんな彼女の姿を見て表情を和らげるグレイの姿。まるで一枚の絵のような美しい光景は、二人が特別な関係にあることを教えてくれた。

 ひとしきりキャロライン様と言葉を交わし合ったグレイは、表情を落として私を見据えた。


「第一帝国騎士団第二部隊で隊長を務めております、グレイと申します」


 彼の名乗り方に違和感を覚えたが、すぐに腑に落ちる。

 彼が花守り(フィーディ)の苗字である『フィーディ』の名を捨て、この国の平民として生きることにしたのならば、今の名乗り方はなんらおかしいものではないからだ。


「初めまして、リオと申します」


 白い手袋に包まれた大きな手をそっと握ると、グレイは強く握り返してきた。彼の胸の中に引き寄せられそうな錯覚に陥り、口角が引き攣りそうになる。

 しかも私を見つめるグレイの瞳に熱がこもっているようにも見えたものだから、私は謎の焦りを覚えて半ば無理矢理握手を解いた。


 私の無礼な態度を気にした様子もないグレイは「ところで、貴女はどうしてここに?」と問いかけてきた。

 早くなっている鼓動が気付かれていないか不安になりながら、先ほどキャロライン様にした説明と同様の話をしようとしたその時。


「リオ! なんでオレを置いて先に入ってるんだよ!」

「あ」

「その顔、さてはオレのこと忘れてたな」

「不可抗力だったので許してください」

「……そちらの少年は?」


 もの凄い勢いで私のもとへやって来た兄弟子の姿を認識したグレイは、なぜか目元を僅かに険しくさせた。

 テオもキャロライン様も平然としている様子を見るに、彼の小さな表情の変化に気付いたのはどうやら私だけのようだった。


「煩くしてすみません。兄弟子のテオです」

「あれ、あんたどこかで見た気がする……あ! パレードで見た英雄か!」

「……ご観覧いただいていたのですね。初めまして、グレイと申します」


 普通の表情に戻ったグレイを確認して、私は改めて口を開く。


「私たちはこの鍛錬場でしばらくお世話になる予定なんです」

「ここでお世話になる?」


 私の言葉が理解できなかったのか、グレイは私の言葉を反復した。

 鍛錬場に来た理由を説明をすると、グレイは「そうですか」と目を細めた。なにを考えているか分からない顔に内心困惑していると、タイミングよく私たちを案内してくれた侍従がやって来るのが見えた。


「リオ様、テオ様。ここにおられましたか」


 そばにいるキャロライン様の姿を見て、事情は大方察してくれたようだ。


「すみません、ご迷惑をおかけしました」

「いえ、ちょうど良かったです。騎士団の責任者と話をしまして、お二人の業務内容については第二部隊の隊長に一任するとのことでした」

「私、ですか」

「はい。ですので、この後打ち合わせをしたいとのことです。執務室に来るようにとのことでした」

「分かりました」


 突然の指示にもかかわらず、グレイは嫌な顔一つすることなく頷くと、私たちに向き直った。


「まだなにも把握できていませんが、確かにお二人にはこれからお世話になるようですね。どうぞよろしくお願いします」

「こちらこそよろしくお願いします」

「おう、よろしくな!」

「詳細はまた明日以降お話ししましょう」


 その言葉を終わりにして、私たちはグレイと別れた。

 今後はオレを置いてどこかに行くなよと言っていた兄弟子は、城を探検したいとかなんとか言い出して先に行ってしまっている。

 そのため城への帰り道は、護衛を除けば実質キャロライン様と二人きりだった。


 しばらくの間楽しげに私に話しかけてくるキャロライン様に相槌を打っていると、彼女はふと笑みを消した。


「もう気付いているかもしれないけれど、念のため伝えておくわね。わたくし、もうすぐグレイと婚約するの」


 突然の告白に私は一瞬頭が真っ白になった。


「彼は平民の出だけど、此度の戦争で活躍したことでとうとうお父様も認めてくれたわ。すぐにでも婚約を公表したいのだけど、お父様の体調もあってまだ先になりそうなの」

「そう、なんですね」


 私の返答にキャロライン様はにこりと微笑んだ。


「リオは明日からグレイのそばにいることになるのだろうから、彼がわたくしのことでなにか言っていたら、こっそり教えてちょうだいね。あの人とっても優しいから表立って不満を言ってくれたりしないの」

「……本当に不満はないんだと思いますよ。殿下は本当に美しいですし、お会いしたばかりの私が言うのもなんですが、聡明さと優しさも窺えるようなお方です。普通の殿方なら不満どころか自慢しか出てこないですよ」

「ふふ、ならいいのだけれど」


 出会ったばかりの私を牽制するほど、キャロライン様はグレイに惚れ込んでいるようだった。

 グレイは今まで男ばかりの環境にいたため不安になることは少なかったのだろうが、突然私という異性が現れてしまっため、釘を刺しておかないといけないと思ったのかもしれない。

 変に目をつけられて正体が露見するのはなんとしてでも避けたかった私は、これ以上キャロライン様を心配させないよう丁寧に言葉を紡いだ。



 ◇



 その日の夜、私とテオは師匠と話をするべく師匠に割り当てられた部屋を訪れた。


「師匠入るよー!」

「あっ、ノックを……」


 開いた扉の先に見えたのは、ベッドに腰掛け左目の下を押さえながら宙を見つめる師匠の姿。

 その虚ろな瞳にドキリとしていると、師匠は私たちが入って来たことに気付き、近くにあるソファへ座るよう促した。


「師匠、皇帝の様子はどうだった?」

「薬を飲ませてようやく落ち着いた。またすぐ戻る」


 皇帝の持病は心臓に関係するものらしく、いつ再び発作が起きるか分からない以上、師匠も部屋でゆっくりしているわけにもいかないようだ。


「ここにはどれぐらい滞在する予定ですか?」

「未定だ」

「長くなる可能性もあるということですね」

「お前たちは先に下城してもいい」

「……オレらがいても役に立たないってこと? オレだってやる時にはやるし!」

「テオ、師匠は別に私たちの能力を認めていないと言っているわけではないですよ」


 憤慨するテオを宥めていると、師匠が徐に立ち上がったのが視界に入った。

 もう皇帝のもとに戻るのだろうかと思っていると、師匠はこちらにやって来て──私たちの頭を一撫でした。


「「!?」」


 師匠の唐突な行動に私とテオは驚きに固まった。

 頭を撫でられたことなんて、師匠と出会ってから一度もなかった。それなのに、なぜ今。


普段どおり(・・・・・)を心がけろ」


 意味深な言葉を吐いた師匠は、それ以上なにも言わず部屋を出て行った。


「……師匠どうしちゃったんだ?」

「……分かりません」


 部屋に取り残された私たちは、しばらくの間頭を撫でられた衝撃から立ち直ることができなかった。


 師匠ショックから立ち直った後はテオと別れ、自分の部屋に戻ってきた。


「……」


 一人になると途端に息苦しさを感じてしまい、もう少しテオといれば良かったと思ってしまう。豪奢な作りの内装が、王族だった時の自分を思い出させるからだろうか。


 大きく息を吐いてベッドに寝転がる。師匠の意味深な言葉の意味を考えようとしてみたが、それより脳裏に浮かぶのは、キャロライン様に対するグレイの表情だ。


「……ッ」


 私は雑念を振り切るように自分の頰を叩いてみたが、ヒリヒリと痛む頰がこれが現実だと言うことを教えてくれる。


「婚約、か……そっか……」


 自業自得であることは嫌でも分かっていたから、意地でも涙は流さなかった。

 それでも情けない笑みは浮かんでしまう。


「ああ、もう。私のばか」


 二度と会えないと思っていた初恋の人との再会に、私はどうしたらいいのか分からなかった。

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