4. 新しい主人
「ジーヴル殿、此度の件引き受けていただき誠に感謝申し上げます」
「……」
皇帝の元専属薬師だったとはいえ、一国の宰相相手に愛想の一つどころか返事もしないのは大丈夫なのだろうか。……まあ、怪しさ満点の黒布で顔を隠していることについてなにも言及されないそもそもの時点で推して知るべしということなんだろうけど。
「お二人がジーヴル殿のお弟子のリオ殿とテオ殿でいらっしゃいますね。この度はお越しいただきありがとうございます」
「おう! 感謝しろ!」
「……ゴホン。ジーヴル殿より伺っているかとは思いますが、この件はどうかくれぐれも内密にお願いいたします」
「薬師が患者の情報を漏らすわけないだろ。お前はアホなの、ムグッ」
少しは敬語を、いや、常識というものを教えておくべきだったと後悔しながらテオの口を塞ぎ頭を下げさせると、宰相は苦笑してテオの無礼を許した。
喋らない大人に口が悪い子どもを相手にしているのだ。宰相もやりづらいに違いない。
「ジーヴル殿、では早速陛下の御部屋にご案内させていただきます。お弟子のお二人はいかがなされますか?」
「こいつらは置いていく」
「左様ですか。承知いたしました」
「え? オレら連れてってもらえないとか聞いてないんだけど!」
「テオ、師匠が決めたことなんですから」
本格的に駄々をこねる前に回収しようとテオの肩に手を置いた時、宰相が徐に窓の外を見遣ったかと思うと、一度頷いて私たちを見た。
「よろしければお二人には別の依頼をさせていただきたいのですが」
「なんだ?」
「あちらをご覧ください。あそこに見える赤い屋根の建物は騎士の鍛錬場です。隣に併設されているのは宿舎ですね」
連なった窓から見える横に広く伸びた建物は、至る所に宝石が埋め込まれた華美な皇城とは違い、余計な飾り付けが一切なく、随分と質素な印象を受ける。
「そういえばオレたちパレード見たぞ。あの赤い服を着た奴らがいるんだな」
「おや、ご観覧いただいていたのですね。それは光栄です。それで、お二人への依頼というのはですね、彼処にいる騎士たちの様子を見ていただきたいのです」
「それはどういうことでしょうか」
私がそう尋ねたその時、宰相の顔に影が差した。ドキリとして思わずテオの肩に置いていた手に力が入る。
「薬師の皆さまも肌で感じているとは思いますが、ここ数年ネルゾンに限らず世界中で病による死者が増加しています」
「知ってる。けど原因が流行病でもないから不思議なんだよな」
「はい。ただの偶然だった。それで終わればいいのですが……五、六年ほど前でしょうか。我が国はタレイアという小国を攻め落としたことがあるのです」
皆様はそのような小さな国のことなどご存知でないと思いますが、と当たり前の顔をして宰相は笑った。
暗い話を少しでも明るくしようとの気遣いだったのかもしれないが、全くもって笑えなかった。けれどなぜか怒りは湧いてこなかった。そのまま静かに宰相の話に耳を傾ける。
「思えばタレイアを滅ぼした翌年あたりからでした」
体調不良を訴える者が増え、もともと多くはない各国の病床を圧迫し、人々に不安と恐怖を覚えさせ始めた。
タレイアの滅亡と死亡者の増加の間に因果関係があるかどうかは未だに分かっていないが、宰相はこの事象を『タレイアの呪い』と、そう名付けたそうだ。
「騎士たちは我が帝国の宝で希望です。そんなくだらない呪いなどで彼らを無下に死なせたくはない」
「……」
「様子を見ていただいて、特に問題ないようでしたら滋養剤あたりを作っていただけるとありがたいです。奇跡の薬師と呼ばれるジーヴル殿のお弟子さんならば、その効果もお墨付きでしょう」
お墨付きかどうかは同意しかねるが、テオがやる気になっているようなので私は暗くなりがちな頭を切り替え、覚悟を決める。
「いかがでしょう、ジーヴル殿、お弟子殿」
「……かまわない」
「お引き受けいたします」
「ありがとうございます。それではお二人には別の者を案内に付けますのでよろしくお願いいたしますね」
宰相は近くに控えていた侍従に合図をすると、そのまま私たちと別れた。
侍従は窓から見えていた赤い屋根の近くまで案内すると、責任者と話をしてくると言って建物の中に消えていった。
当然その待ち時間さえも待てないのがテオというもので。
「リオ、オレちょっとあっちのほうを見てくる!」
「あまり遠くに行かないでくださいね」
「分かった!」
好奇心に目を輝かせ鍛錬場の中を柵越しに覗き込む小さくなった兄弟子の姿を眺めていると、風が甘ったるい香りを運んできたことに気付いた。
横を振り向くと、高貴なオーラを醸し出した美少女が立っている。物思いに耽っていたせいですぐに気付かず、驚きに目を瞬かせた。
「貴女もわたくしと同じ理由でここに来ているの?」
「……え?」
「あら、違うのかしら。誰かを求めているような瞳をしていたから」
ピンクブロンドの髪を綺麗にカールさせた美少女が親しげに話しかけてくるが、私と彼女は知り合いではない。
侍従や護衛を従えているあたり、かなり身分の高い人物のように思えるので話しかけることに躊躇するが、意を決して口を開く。
「あの、お名前をお伺いしてもよろしいでしょうか」
「わたくしはキャロラインよ」
「キャロライン様……皇女殿下でございましたか。ご無礼を、大変失礼いたしました」
城に参上することが決まったその日の夜、念の為にと、ネルゾンのことを勉強しておいたのが役に立った。
彼女はキャロライン・ジルベッタ。ネルゾン帝国皇帝の娘で、かつての私と同じ、この国唯一の姫だ。
「やだ、そんな畏まらなくていいわ。こちらこそ不躾に失礼したわね。貴女のお名前を伺ってもよろしくて?」
「申し遅れました。リオと申します。薬師ジーヴルに師事しております」
「ああ、お父様の。聞いているわ。それで、薬師のお弟子さんはどうしてこんなところにいるの?」
実は、と宰相から受けた依頼のことを呪い云々については避けて説明すれば、キャロライン様は納得したように頷いた。
「ねえリオ、貴女いつまでこの城にいるの?」
「滞在期間についてはまだ明確ではないのですが、今日明日で帰ることはないと思います」
「そうなのね! わたくし、同年代のお友達が欲しかったところなの。ここにいる間だけでもいいから仲良くしてくれないかしら?」
「……私でよろしければ」
「嬉しい! じゃあリオは今からわたくしのお友達ね。そうとなれば早速行くわよ!」
「えっ、ちょ、あの!?」
腕を掴まれ、無理やり入らされた鍛錬場内。侍従の許可も得ずに入ってしまったこともそうだし、なによりテオを置いてきてしまったことに焦りが募る。
せめて兄弟子がいることを伝えたくて、キャロライン様に制止の声をかけようしたその時、私の視線がある一点で止まった。そしてそれがなにかを理解した瞬間、冷や汗が背を伝ったのが分かった。
見間違いかと思ったが、ここはネルゾン帝国騎士のための鍛錬場。むしろなぜ今の今までこの考えに思い至らなかったのかと泣きたくなった。
「グレイー!」
せめて気付かれませんように、という私の願いは瞬く間に打ち砕かれ、顔が青ざめていく。
この場にそぐわない高い声が上がったことで、騎士たちの視線が私たちに集まった。威圧感のある視線に慄きそうになり、キャロライン様の後ろに隠れるように後ずさる。
名前を呼ばれた彼は、汗を拭いながらキャロライン様の前に現れた。
「なにか御用でしょうか」
「ふふ、わたくしが会いたかっただけ」
グレイが近くいる。そう考えただけで呼吸が上手くできなくなった気がした。
「そうですか。私もお会いしたかったですよ、キャロライン様」
「もう、キャロルって呼んでっていつも言ってるのに!」
パレードの時に見た表情とは違うグレイの甘やかな表情に顔が強張る。そして、ああ、そうか、と全てを悟ってしまった。
──彼は既に新しい『姫』を見つけていた。
本当にグレイとの関係は終わったのだと痛感した瞬間、心臓が痛みを覚えた。嫌だ、と思ってしまった。元気でいてくればそれでいいと思っていたのに、彼の幸せを厭う感情だけが私を支配する。
「……ところで、そちらのお方は?」
琥珀色の瞳と目が合う。ドクリと心臓が大きく跳ねた。
温度のない瞳、短くなった髪、引き締まった体つき。三年前とは別人のようなグレイの姿に、離れていた期間の長さを実感する。私だって成長したはずなのに、グレイとの距離は縮まるどころか広がっていたのだ。
一人取り残された感覚に陥り、顔が俯きかけたその時。
「この子は今城に来ている薬師のお弟子さんよ。リオって言うの」
しまったと思った時にはもう遅かった。
好意で私を紹介してくれたキャロライン様を責める筋合いはないのは分かっている。
目の前の男のかつての主人の名前が、『カトレア・リオ・アンベリール』だということを、キャロライン様が知らないのも無理はないのだから。