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3. 師匠と弟子

 

「やばい、課題の提出今日までなのに完成してない!」


 開口一番そう宣った兄弟子のせいで、なぜか私までテオの部屋に拘束されることになった。昨日のことがあったからさすがに今日くらいは自室で休もうと考えていたのに。

 しかし兄弟子とはいえ、テオは私の三歳年下であり弟同然の存在だ。末っ子だった私にとって、年下の存在は存外に可愛いもので、無意識に彼を甘やかしてしまうふしがあることは否めなかった。師匠からテオを甘やかすなと注意されることもしばしばだ。


 現在私が所持している薬草の種類と数を数えつつテオの作業を見守っていると、途中であることに気付いた。


「テオの課題って下痢止めでしたよね?」

「おう」

「下痢止めに使うのはニシキソウではなかったでしたっけ。エンビコンを使うと下剤に……」

「マジで? マジだ! なんで早く言ってくれなかったんだよ!?」


 ほぼ完成状態となっている粉末を見てテオは発狂している。教えてあげないほうがよかったのだろうか。けれどこのままなにも助言しなければ、テオはまた師匠に叱られただろうことを思うと、今からでもやり直すほうがマシだとは思う。

 しかし、自身の薬箱の中身を弄り始めたテオの表情が段々泣きそうなものに変化していることに気付いてしまい、目を瞑りたくなった。


「ニシキソウ切らしてた」

「それは残念でしたね。私も切らしてます」

「……リオ」


 上目遣いになるよう顔の角度を調整し、瞳をきゅるりと潤ませる兄弟子の姿に、内心で溜息を吐いた。彼と出会ってから度々見せられる表情だが、年々表情の作り方が上達してきている気がする。


「嫌ですよ」

「まだなんにも言ってないだろ!」

「万能草がほしいんですよね。ダメです」

「今日の片付けするから!」


 両手を合わせ頭を下げるテオの姿を尻目に、エンビコンの余りを片付ける。


「どうせ師匠にバレますよ」

「う、ううう、リオの馬鹿! じゃあもういい! 下剤(これ)を提出してやる! どこ行ってるか分からない師匠なんて、どうせなんの課題を出したかも覚えてないに決まってる!!」


 床に寝転んでテオがやけくそに叫んだ直後、静かに扉が開いた。入室してきた大柄の男性は目の下ギリギリまで黒い布で覆い、青い双眸だけを覗かせている。

 その姿を見たテオは瞬時に顔を引き攣らせ、体を起こしながら器用に下剤を背中に隠した。先ほどまであんなにも強気だった姿はもうどこにない。


「師匠、おかえりなさい」

「お、おかえりなさい。さ、さっきのは言葉の親? って言うの? 師匠の海耳? だと思うから気にしないで、」

「テオ、リオ」


 名を呼ばれただけだったが、師匠の重々しい空気を感じ取ったのか、テオは閉口した。私も体を師匠に向けて背筋を伸ばす。

 一瞬青い瞳から放たれた視線と私のそれが絡み合った。すぐに逸らされてしまったが、師匠の意図はすぐに分かった。


「皇城での仕事が決まった。明後日には皇帝に謁見する」

「皇城? 謁見? え、ネルゾン皇帝どこか悪いの?」

「完治していたはずの持病が再発したそうだ」

「へー。でもなんで師匠なの? 皇帝なんだからお抱えの医師だっていそうなのにな」


 テオは振り返って私に同意を求めるが、私は皇帝の名が出てきただけで息を止めてしまっていて、ぎこちなく頷くことしかできない。


「……かつて、私はネルゾン皇帝付きの薬師だった」

「え!?」


 驚いたのはテオだけではない。声こそ出さなかったが、私も驚きに全身を強張らせた。昔の話ではあるが、師匠とネルゾン皇族に繋がりがあった。その事実に心臓が軋む音を立てる。


「師匠って実はすげえ人だったんだな。ハッ、なるほど、分かったぞ! 前の国で仕事がなくなったからネルゾンに来たんだな!」


 師匠は得意げに笑うテオを一瞥した後、「リオ」と私の名を呼んだ。


「話がある」

「えー、オレは?」

「お前は胃腸薬を作っていなさい。追加課題だ」


 蛙を潰したような声に構ってあげる余裕もなく、師匠の後をついて行く。

 師匠の宿泊部屋は少し寂しい印象を受けた。物で溢れるテオの部屋と違って、師匠の部屋には薬箱一つしか置かれていないからなのかもしれない。


 二人で向かい合い、しばらくの沈黙した後、師匠は口を開いた。


「今回の件はお前に同行させないつもりだ」

「どうしてですか」

「……」


 師匠はもともと口数の多い方ではない。その代わり、目で、行動で語る。

 三年も一緒にいれば大抵のことは察することができた。だから今こそ自分の勘だけを頼りに答えを見つけ出さなければならない。


「もしかして、この国に来てから私の様子が関係してますか?」

「ああ」

「……確かに体調は悪いかもしれません。でも、もし皇帝の持病が師匠が治せないほど進行していた時、万能草が役に立つのでは」


 万能草──その名が表す通りあらゆる病に効く薬草だ。赤色をしたその植物は、昼に見れば生命力に満ちた燃え上がる炎のように美しく、夜に見ればあの世への誘惑を体現しているかのように毒々しく映る。

 薬草を摘みに行くと、時たまそれを見つけるのだ。他の誰でもない、私だけが。


万能草(それ)だけはなにがあっても使わない」


 言葉の師匠の確固たる決意を感じ取り、理由を問う言葉は音にはならず消えていく。

 万能草を使わない理由なんて、私のため、その一つしかない。薬師の誇りが傷つくからとか、そんなことを考える人ではないことを私は知っている。


 万能草は自然に生えているものではないと分かったのは、師匠に拾われてからそう日は経っていない頃だった。

 テオは今でも分かっていないだろうが、おそらく師匠は気付いている。気付いているのに、言及してきたことはない。


 普通の人なら目を輝かせて飛びつくだろうに。万病に効く薬草を生み出す人間がいる奇跡のような話なんて。


 師匠が私を気遣ってくれることは素直に嬉しかった。

 正直に言えば、ネルゾンに足を踏み入れた時から得体の知れない恐怖を感じていた。あれから五年以上の月日が流れたとはいえ、あの時の記憶が風化することはないのだから当然と言えば当然の話だった。


 それでもなぜ私の家族が殺されなければならなかったのか、その理由を知りたかった。過去と向き合う時が来たのだと思った。


「ありがとうございます、師匠。でも、私も一緒に行かせてください」


 私は大丈夫だと目で訴える。師匠に倣って言葉にはしない。

 真っ直ぐ、ただ真っ直ぐ、師匠を見つめる。


「……分かった。支度をしておけ」

「! はい!」

「無茶はするな」

「……ありがとうございます」


 師匠なりの声援に少し涙が出そうになったのは内緒だ。

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