21. 終わり始まり
目を覚ました私の視界に最初に映ったのは、安堵と少しの不安を滲ませたグレイの顔だった。
「体調はいかがですか?」
「大丈夫よ。……私はどれぐらい気を失っていたの?」
「一日も経っておりません」
今は建国記念日の翌日の正午だという。
安心して意識を失うだなんてなんて軟弱なの……と自分自身に呆れていると、グレイに手を握られた。
「目を覚まされて、良かったです」
微かに震える手の様子を見るに、どうやら想像以上に心配させてしまったらしい。
「大丈夫よ。私は生きてるわ」
体を起こしベッドサイドに座るグレイを抱きしめる。
広い背中を優しく撫でると、落ち着いていくのが分かった。
そのままグレイの温もりを享受して全てが終わったことを実感していると、不意に「姫様」と呼ばれた。
「ん?」
「キスしていいですか」
「ん!?」
唐突もいいところだった。
勢いよく体を離してグレイを見ても冗談を言っているようには見えなくて、私はひとまずベッドに腰掛けることにした。
「一応聞いておくけど、どうして?」
「……恋人とキスをするのに理由がいるんですか?」
私は思わず目を閉じた。
想いが通じ合ったこと自体は認めるが、恋人になった覚えはない。
出そうになる溜息を抑えつつちゃんと話をしようと目を開けると、目の前に迫るグレイの顔に目を見開くはめになった。
「なんで避けるんですか? 同意してくれたと思ったのに」
「同意したわけじゃない……!」
即座に否定するとグレイは悲しそうに眉尻を下げた。
「……俺のこと、やっぱり好きじゃないんですか?」
「そ、そうじゃないけど。……でも、グレイが私を好きってことに対してまだ少し疑ってるところがあるのが本音よ」
「なぜ」
本気で疑っているわけではないものの、このまま流されるのはなんか違う気がして──ようは改めてキスをするのが恥ずかしいのだ──私は思いつくままに言い訳のような言葉を並べる。
「歳の差だってあるし」
「関係ありません」
「まだちゃんと告白されてないし」
「愛してます。心から」
「ッ、い、いつから私を好きだったのかも分からないし」
「今度時間をかけてお話しします。というかいずれもお互い様じゃないですか?」
「う、そ、それもそうだけど、……そう、姫様って呼ぶのも気になってたの! 名前で呼んでって言ったのに結局そう呼んでるってことは、未だに主人として見ている気持ちの方が強いからなんじゃないの?」
グレイが私を姫様と呼んだことも、グレイの行動の意図を勘違いする一因だったのだ。
姫様と呼ばれるのが嫌なわけではないが、特別に想っている人には名前で呼ばれたいのが女心というもので──。
「カトレア」
聞こえてきた言葉に息を呑んだ。
二人きりで過ごした時とはまた違う、対等な呼び方。
呆然と顔を上げると、グレイは真剣な顔で私を見つめていた。
「愛してる。だから、花守りとしてだけではなく、一人の男として貴女を守る権利をくれないか?」
ぶわりと顔が赤くなるのが分かった。
従者の顔じゃないグレイの破壊力は尋常じゃなくて、心臓がドキドキと高鳴って、叫び出したい衝動に駆られる。
しかし私もいい大人なので、グッと我慢してグレイを見つめ返す。
ここまで来たらもう逃げるわけにはいかなかった。
「私も、グレイを愛してる。……だから、ずっと私のそばにいてください」
私の返答にグレイは心の底から幸せそうに微笑んだ。
「っ、ん」
唇が重なる。
頭の中は羞恥心よりもふわふわとした幸福感に包まれる。
振り向いてくれることはないと思っていた相手が私を愛してくれる。それはどれだけ奇跡なことだろう。
角度を変えて何度も触れ合うと、段々と唇が熱を持ち始める。
そろそろ止めなければ唇の厚さが変わってしまいそうだった。
「ね、もう」
「……もう少しだけ」
伏し目がちに強請られ、その甘い顔と声に陥落しそうになったその時。
「リオ!! 目が覚めたって聞いたぞ!!!!」
バアァアン!! と勢いよく扉が開かれた。
固まったまま扉の方を見れば、そこにはテオと師匠の姿があって……パタンと扉が閉まる。
どうやら師匠が空気を読んで閉めてくれたようだが、その気遣いは逆に辛い。
「なんで閉めるんだよ師匠!」
「出直す」
「なんで!」
扉の向こうから聞こえるやりとりに、私は苦笑した。
すぐそばで憮然としている人の名前を呼ぶと、彼は渋りつつも腰を上げて扉へ向かった。
そして再び扉が開かれるや否や、目を潤ませたテオが私に向かって突進してきた。
「無事で良かった!」
ギュウッと抱きしめられ、思わず私も抱きしめ返す。
「……テオも無事でよかったです」
「マジでなんの記憶もないけど全部解決したって師匠から聞いたぞ! 良かったな!!」
テオにもいろいろ迷惑をかけてしまったのに、こうして偽りない言葉を真っ直ぐにぶつけられると、胸がくすぐったくて仕方ない。
「私、テオに出会えて良かったです」
そう言うとテオはきょとんとして「オレも!」と太陽のような笑顔を浮かべた。
「……そうだ、テオ。髪色の件なんですけど」
「あー! その件は師匠にたっぷり怒られたからリオまで言わなくていい!」
別に叱ろうとしたわけじゃないけど、と思いつつテオの髪を眺める。
同じ色だけど同族というわけじゃないのかな、と疑問に思う私に気付いた師匠が口を開いた。
「テオは花の一族ではありません」
「どうして分かるんですか?」
「花守りであれば、己の主人かどうかは一目で感じ取ることができます」
そう言って師匠はテオを拾った経緯を簡潔に教えてくれた。
というのも、師匠が薬師として旅をしていた時に当時浮浪者で孤児だったテオに出会い、赤髪であるという理由から見捨てられず保護したのだとか。
赤髪は目立つ上に花の一族と誤認されて危害が及ぶ可能性も考慮して定期的に染めさせていたそうだ。
「そうだったんですね」
私はそこで何日か前に師匠が言っていた『普段どおりを心がけろ』という言葉を思い出す。
あれはこれまでどおり凡庸な髪色のリオとテオでいろということだったのだ。
まあその意図が汲めなかった愚かな弟子たちは、師匠の心配をよそに派手に世間にバラしてしまったわけだけれど。
私と師匠のやり取りを聞いていたテオは目をパチパチとさせた後、ニヤリと笑って私の耳元に顔を近づけてきた。
「聞いたぜ。師匠ってリオの手下だったんだろ?」
「……その言い方は語弊がありますが、まあそうですね」
とはいえ、師匠が私の師匠であることには変わりないので、今でもどう接するのが正解なのか悩んでいるところではあるが。
「てことはさ、今後オレが師匠に怒られたとしてもリオがいればもう怖くないってことだよな?」
そんなことはないと思うけど、と言い返そうとして、私はふと気付く。
私がこれから進むべき道の不透明さに。
「テオ」
恐ろしく低い声がテオの肩を揺らした。
声の主は師匠ではなく、今し方私の恋人になったばかりの男だ。
「もう少し離れてください」
「わ、分かった」
グレイの目が笑っていないことにさすがのテオも気付いたのか、青い顔をしながら私から距離を取る。
なんだよ別にいいじゃんか、と拗ねたように呟くテオを容赦なく睨んだ後、グレイは師匠のほうに顔を向けた。
「皇帝は何か?」
「今後の話がしたいから来てくれと」
「分かりました。では姫様、お手数ですが身支度をすまされましたら向かいましょうか」
「え、どこに?」
花守り同士だから短い言葉で通じ合えるのかもしれないが、私は全くついていけてない。
従者の顔に戻ったグレイは、察しの悪い私に優しく教えてくれた。
「ネルゾン皇帝──ジェローム・ジルベッタのもとへ」
◇
通された賓客室にはジェローム様と花守りたちがいた。
今この場にいる花守りの数はグレイと師匠を除いてちょうど十人。全員が私を視界に入れた瞬間「姫様……!」と感極まったように声を上げた。
中には泣いている者もいるが、今は慰めにいくわけには行かないので、後ろ髪を引かれつつジェローム様の前のソファーに腰を下ろす。
「わざわざこちらに来てもらってごめんね」
「気になさらないでください。それより、昨夜は本当にありがとうございました」
「こちらこそありがとう。想定外なところもあったけど、こうしてリオの元気な姿を見られただけで十分だよ」
ジェローム様の温かな言葉に申し訳なさを感じつつも、嬉しさと感謝の気持ちが勝る。
こうしてジェローム様が私の味方をしてくれるのも、全ては過去の家族の行いによるものだ。
「さて、今日ここに君を呼んだのは、今後のことについて話をしたかったからなんだ」
この言葉を皮切りに、部屋の空気が締まるのを感じた。
「タレイアの王女が生きていたことは既に世界中に知られたわけだけど……リオ、君はどうしたい?」
「……どう、とは」
「選択肢はいろいろあるだろうね。タレイア王国を復権させ女王として国を導く、この国に残って暮らす、先生たちと一緒に旅を続ける、とか。君がどんな選択をしても、僕は支援を惜しまないよ」
並べられた選択肢を前に固まる私を、ジェローム様は安心させるように笑う。
「勿論この場で判断してくれと言うつもりはないよ。君さえ良ければ決まるまでこの城に滞在してもらってもかまわないし」
とはいえいつかは決断しなければならない。
迷い子のような表情で師匠を見ると、師匠はこくりと頷いた。
「私はこれまでと同じように薬師として世界中を回るつもりです。──世界中の人々の健康に寄与すること、それが陛下の願いであり私が受け取った命でありますので」
「お父様、の」
「テオも連れて行きます。ですが、姫様はどうか心のままにお進みください」
次にテオを見る。
「……テオは、どう思いますか?」
「そりゃリオが付いて来ないってなると寂しいけどさ、別に一生会えなくなるわけじゃないんだろ? 師匠だってヒメサマのリオに会いたくなるだろうし、……オレだってきっとそうだしさ、会いに行くよ」
そして花守りたちを。
「姫様が我々の存在をご負担に思われるようであれば気にせず捨て置いていただいて構いません。ただ、許されるのであれば我々花守りは貴女のそばにありたい」
最後にグレイを見る。
「貴女のいる場所が、俺のいる場所です」
それぞれの意見を聞いて私は目を閉じる。
守り、守られ。
愛し、愛され。
花の名を背負う私たちはそうやって生きてきた。
ソファーから腰を上げ、私は口を開く。
「決めました。場所は問いませんが、従者である彼らと暮らします。そして彼らと共に薬草を作り、再び世界中の人々へ届けたいと思います」
「……とても良い考えだ」
ジェローム様を始め、部屋中の皆が私を慈愛の笑みを浮かべて見ていた。
自分の判断が間違っていなかったことに安堵していると、グレイや師匠を始め花守りたちが徐に傅き始める。
「「「花守りはいつでも我が花のそばに」」」
とめどなく注がれる愛を受け止めて生きていこう。
それが生き残った私に残された義務であり、権利でもあるから。
どうか、これからもよろしくね。
【完結】
投稿から3年ほど経ってしまいましたが、無事完結させることができてホッとしています。
ここまでお読みいただいた皆様ありがとうございました!
*赤いカトレアの花言葉「成熟した大人の魅力」




