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20. 敵わない人

キャロライン視点

 

 目の前の光景から目が離せなかった。


「なによ、それ」


 絶望の声が己の鼓膜を震わせる。


 お父様の変貌ぶりも、お兄様が皇位についたのも、リオがタレイアの王女だったことも、──グレイがわたくしのものではなかったことも、全部全部受け入れ難い現実だった。


「グレイ……」


 どうしてわたくしのほうを見てくれないの。

 どうしていつものように優しく微笑みかけてくれないの。

 どうして──リオをそんな目で見るの。


 グレイが意識を失ったリオを抱き上げたところでわたくしは会場から駆け出した。


 自室のベッドにうずくまってこれまでの記憶を何度も反芻していると、己の未熟さを痛感してしまい、とめどなく涙が溢れてくる。


 どれくらい時間が経ったのだろうか、涙が止まった時にはすっかり目は腫れ、喉はカラカラになっていた。

 そんな時に扉越しに聞こえた「キャロル」という声。

 その声の主がお兄様だということはすぐに分かった。

 わたくしを愛称で呼ぶ人はこの人しかいないから。


「……」


 結局グレイが自分を愛称で呼んでくれることはなかった。それが全てなのかもしれない。


「入るよ? キャロル、大丈夫……ではないよね」


 心配そうに部屋に入ってきたお兄様は、ベッドに静かに腰掛けた。

 しかし腰掛けただけで、お兄様はなんの言葉も発さない。

 それに焦れたわたくしは布団から顔を出して口を開く。


「いつから知ってたの?」

「リオの正体の話のことを言ってるなら、直近だね」

「ッ、分かってるでしょ!? ──グレイがわたくしのものじゃなかったことについてよッ!」


 ほとんど癇癪のような声だった。

 八つ当たりだということは分かっていた。

 それでも大声を出さないとこの行き場のない気持ちを消化できなかったから、わたくしは衝動のままに叫んでしまう。


 でも、お兄様はいつだって誠実で冷静だから、わたくしの言葉を静かに受け止めて「最初からかな」なんて、残酷な言葉を躊躇することなく口にする。


「彼がリオの従者だということは流石に知らなかったけど、キャロルのものになることはないと一目見ただけで分かったよ。別の誰かを想っている瞳をしていたから」

「……どうして、気付かせてくれなかったの」

「気付かせてほしかった?」

「……」


 お兄様は仕方なさそうに笑うと、わたくしの頭を優しく撫でた。


 自分だってリオのことが本気で好きだったくせに。お父様を追いやったことをなんとも思ってないわけないくせに。本当は自分だって泣きたいくらい辛いくせに。

 お兄様のこういうところが大嫌いで──大好きだ。


 もう枯れたと思っていた涙は再び頰を滑って落ちていく。

 静かに泣くわたくしに、お兄様は呆れたりせずただ黙ってそばにいてくれた。


 ようやく呼吸が落ち着いてきた頃に襲ってくる罪悪感。


「……お兄様、わたくしリオに酷いことをしたわ」

「……謝りたい?」


 こくりと頷くとお兄様は目尻を下げてわたくしの手を取った。


「リオなら許してくれるよ。彼女は優しいから」


 お兄様が言うならそうなのだろう。

 実際、お兄様がそう言わなくても、彼女がそういう人間であることは自身も理解していた。


「まあ……その周りがそうとは限らないけど」


 お兄様の不穏な言葉にわたくしは顔を強張らせた。



 ◇



 リオはお城の客室にいるということを聞き、お見舞いもかねて訪問することにした。

 花束を持ちながら扉をノックする。


「──ッ」


 扉から出てきたのは冷たい目でわたくしを見下ろすかつて恋人だった……恋人だと思っていた男。

 どうしてグレイがリオの部屋にいるのかなんて、問う必要もなかった。


「何か」

「リ、リオのお見舞いと、その……少しリオと話がしたくて」


 わたくしの答えにグレイはわずかに沈黙した後口を開いた。


「姫様はまだ寝ておられますので、明日にしてください」

「わ、分かったわ」


 見たこともない不遜な態度に動揺しつつ、寝ているのなら仕方ないと、ここから離れようと足の向きを変えた時、パタンと扉が閉まる音がした。


 グレイが部屋に戻ったのかと思いきや、なんとグレイが部屋の外に出てきていて、驚きに目を剥く。


「一応確認しておこうと思いまして。姫様になんのお話を?」

「……それは、その」


 貴方の大事な主人をロッカーに閉じ込めたことに関して謝罪をしたいなんて、目の前の男に言えるはずがない。

 まともに答えようとしないわたくしに、グレイは目を細めた。


「貴女が姫様を害そうとしたことを俺が知らないとでも?」


 恐ろしいまでの無表情に喉が引き攣るのが分かった。

 おそらく、いや、確実に、わたくしが皇女という立場でなければ、わたくしはこの男の手によって死んでいた。


「ご、ごめんなさい。本当にごめんなさい。つい、カッとなってしまって」


 グレイにも非があるとは思うものの、結局罪を犯したのはわたくし自身。

 咎められる立場であることに否はなかった。


「たとえ姫様が許そうと、この件に関して俺が溜飲を下げることはありません。それをゆめゆめお忘れなきよう」


 グレイにとっての"姫様"はこの世にただ一人。

 それはこれまでも、そしてこれからも変わることはない。


 グレイは話は済んだとばかりに扉の取手に手をかける。

 おそらくグレイと言葉を交わすのはこれが最後になるだろう。

 そんな予感をしつつも、これまで交わしてきた言葉と笑顔の数々を思い出してしまえば、愚かなわたくしは微かな希望を抱いてしまう。


「ッ、ねえ! グレイ!」


 思わず呼び止めると、グレイはわたくしに背を向けたまま足を止めた。わたくしの話を少しでも聞いてくれるつもりがあるのならそれでも良かった。


「少しでも、少しでも! わたくし想ってくれたことはなかった……ッ?」


 わたくしの問いにグレイは顔をこちらに向ける。

 その顔を見た瞬間、ゾクリと全身が凍る思いがした。


「あるわけない」


 扉は閉まり、廊下は愚かな女を一人残す。


「……は、あは……は」


 彼は最後までわたくしに笑いかけなかった。


 でもそれで良かったのだろう。

 皮肉なものであっても口角を上げた表情を見せられたら、わたくしはきっと筋違いな希望を抱いていただろうから。


 「……さようなら、グレイ」


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