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2. 姫が消えた日

 

 六年ほど前まで、私はタレイアという名の小国の姫だった。

 王家唯一の姫だと言うこともあって、王である父を始め、母、兄たち、そして王家に仕える者たちに甘やかされて育った世間知らずな娘でもあった。

 望まなくとも際限なく与えられる食事、衣服、従者、そして愛情。あることが当たり前だった。なくなることなんて想像したこともなかった。

 しかしそんな平和な日々は、唐突に終わりを迎えた。



 大理石の床を乱暴に叩く大量の軍靴の音。赤色の軍服に身を包んだ屈強な男たちが城を囲む。

 美しく整えられた城内は今や見る影もなく、此処彼処に硝子や土塊が散乱し、城の彩りを担っていた花々は全て踏み潰されてしまっていた。


 怒号が、悲鳴が、喧騒が耳の奥にこびり付いて仕方なかった。


「お兄、さま?」


 目の前で揺れていたタレイア王家特有の赤髪の動きが止まる。荒い息をどうにか整えながら私を抱きかかえ、自らの寝室へ足を踏み入れた一番上の兄シュロは、険しい顔をしてベッドのそばの床を触り始める。そして絨毯を捲り何度か場所を変えてノックし、大人一人なら身を隠せそうな狭い穴を出現させた。


「カトレア、お前はここに隠れていなさい」

「えっ、やだ! お兄さまどこに行くの!? ここは暗くて怖いわ。私を一人にしないで!」


 シュロ兄さまの服の裾を握りイヤイヤと頭を振る。いつもなら私の我儘を聞いてくれるのに、今日この時だけは困った顔をして私を抱き締めた。そして「大丈夫。少しの辛抱だ」そう言って私をその穴の中へ納めてしまう。


花守り(フィーディ)が迎えにくるまで決してここから出てはいけないよ。声を出してもダメだ」

「シュロ兄さまは来てくれないの……?」

「……さあ、口を塞いで。私はもう行かなくてはならない。──いいかい、カトレア。これから先なにがあろうとお前には沢山の味方がいる。それを忘れてはいけないよ」


 愛してる、私の愛しい妹。その言葉と共に額に降ってきた柔らかな感触は、視界が暗闇に包まれる直前に消えてしまった。

 扉を閉められたことに気付いたのは、足音一つ聞こえない無の空間にゾッとしてからのことだった。自分の呼吸音がやけに大きい気がして、敵に見つからないように慌てて口元を押さえる。


 お父さまは、お母さまは、お兄さまはどこに行ったのだろうか。どうか無事であってほしいと願うけれど、シュロ兄さまの最後の言葉を反芻してしまい、嫌な予感を拭い去ることができない。

 全身から嫌な汗が噴き出ては体を冷やしていく。キツく握りしめていたせいで手は真っ白になっていた。


 それからどれくらい時間が経っただろうか。体の節々が痛いし喉も乾いた。精神的にも追い詰められていっているのか、立っていることもできなくなって冷たい床に座り込む。


 迎えに来てくれるまではここを出ては行けない。そうお兄さまは言っていた。

 でももし誰も迎えに来てくれなかったら? 一人取り残されて存在を忘れ去られてしまっていたら? そうなれば、私の辿る道は一つしかない。


 正常に回らない頭で考えても得るものはなに一つない。諦めて目を閉じようとしたその時、突如光が差し込み、眩しさに目を瞑った。


「いた……! 姫様、ご無事ですか!?」


 こちらを覗き込む、見知った琥珀色の瞳。相変わらず綺麗だなあ、とそれに思考を奪われていると、彼は泣きそうな顔をして私を抱き上げた。


「……グレイ」

「はい、グレイです。シュロ様の命を受け、姫様をお迎えに参りました。ここもこれ以上は危険です。城を出ましょう」

「城を、出る? 皆は? シュロ兄さまはどうしたの?」


 表情を変えず問いかけるも、グレイは悲痛な面持ちでそっと私から視線を外した。その動きだけで全てを察してしまう。


「うそ。嘘よ」

「お守りすることができず、申し訳ございません。でも姫様、貴女だけでも俺が」

「いやだ! やだやだやだ! 私もここにいる! お兄さまたちと一緒にいる!!」

「っ、どうか、俺と共に来てくれませんか。必ず、必ず俺がお守りいたしますので……!!」


 私の拒絶を振り切るようにグレイは私を横抱きにすると、そのまま走り出した。静止の声を上げようとしたが、部屋を出た途端視界に入る凄惨な光景に、言葉どころか呼吸まで止まる。


「姫様、失礼します」


 グレイの低い声が聞こえた瞬間、私の目の前は再び暗転した。



 目を覚ましたのはあれから二日後のことだった。

 ここはタレイアと隣国を跨ぐ森の中で、丁度よくあった小屋を借りているとグレイは言った。そしてタレイア王家の生き残りとして私が追われる身になっているということも。


「……タレイアは、どうなったの」

「ネルゾンに吸収されるそうです」

「属国、というわけでもないのね」


 転がる赤い服に身を包んだ人間の体、むせ返るような血の匂いを今でも明確に思い出せる。その記憶の中に赤髪の人の姿が、赤い宝石を持つ者たちの姿がないことだけが、私の救いとなっていた。


「姫様」

「その呼び方はもうやめて。私はもう姫ではないわ」

「……分かりました。ではカトレア様と」

「別に様もいらないわよ」

「いえ、貴女様が俺の主人であることには変わりはありませんから」

「主人でもないったら」


 全てを突っぱねる私の態度にグレイは下唇を噛み、ゆっくりと首を横に振った。


「カトレア様、確かに俺は庭師であり、直接貴女方にお仕えしていたわけではありません。ですが間違いなく俺は花守り(フィーディ)であり、タレイア王家に仕えておりました」

「……」

「もちろん、今でもそれは変わりません。陛下方亡き今、俺の主人は姫様、貴女だけです」


 ぶわりと涙が溢れ、膝を濡らしていく。

 花の一族と呼ばれていたタレイア王家。それを主として建国以来仰いできたのが花守り(フィーディ)と呼ばれる一族だった。


 タレイアが亡くなった今、血筋とか主従とかそんな煩わしいものなんて全て忘れてしまえばいいのに。足手まといな私を捨ててしまえばいいのに、グレイがそうすることはない。今も。きっと、これからも。


「!! し、失礼いたしました。姫さ、カトレア様のお気持ちも考えず」

「……グレイは」

「はい!」

「グレイは、死なない?」

「へ」

「グレイはずっと、ずっとずっと、私のそばにいてくれる……?」


 ずるい言い方だと分かっていた。

 それでも家族も住む場所も失うことになった私に、その言葉を止める自制心は持ち合わせていなかったのだ。


「もちろんです。このグレイ・フィーディ、一生をかけてカトレア様をお守りいたします。ずっと、おそばにいさせてください」


 真っ直ぐな忠誠心を受け止めた私は、そこでようやく口角を上げることができたのだ。グレイは私の様子を凝視した後、誰もが認める美貌を破顔してみせた。


 しかしこの数年後、私は誇り高き従者の誓いを無下にし、彼のもとを去る決断を下すことになる。



 ◇



 グレイのもとを去って三年が経った。

 カトレアの名を捨てた私は十六歳となり、タレイア基準での成人を迎えた。グレイに再会しようと、彼に私を保護する義務感を感じさせない年齢になったのだ。

 けれど今さら顔を見せたところでなんになろうか。今の彼には彼の幸せがあって、それどころか身勝手にも姿を消した私が顔を出したところでグレイを困らせることは目に見えている。


 目の前を通り過ぎていく精悍な彼の横顔を見ながら私は薄らと微笑む。どうかこれからも私のことなどを忘れ、幸せになってほしいと傲慢にも思うのだ。


「帰りましょう、テオ。私はもう大丈夫です」

「お? おお、急に元気になったな」


 もう二度と会うことはないだろうが、彼の立派な姿が見れたことで私は満足しきっていた。


 そんな私の考えが甘かったと知るのに、そう時間はかからなかったけれど。

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