17. あなたの本音
グレイの瞳に灯る熱を見た瞬間、カッと頰が赤くなるのが分かった。
なのに、咄嗟に手で押さえたのは頰ではなく──己の唇だ。
「……貴女がいない三年間、他の男に手を出されていないか気が気じゃなかった。その不安は再会してからも変わりません」
むしろ増す一方です、と言いながら立ち上がり、グレイは私の目の前までやって来て跪いた。
「だからこそ気になって仕方ないんです。……貴女と皇太子の関係が」
張り詰める空気。
ここで答え方を間違えると何か危なそうだと察するも、どう説明するか決めきれないまま「ジェローム様とは……」と口を開く。
するとグレイがぐわりと目を見開いた。
「待ってください。名前で呼んでるんですか? え、は? 嘘だろ?」
大きな衝撃を受けたような顔をして私の言葉を止めたグレイは、ぶつぶつと独り言を呟き始めた。
そして頭の中で整理をつけるように一度大きな深呼吸をした後、意を決したように私の手を強く握った。
「単刀直入に聞きます。皇太子と恋人になったというのは本当ですか?」
「嘘よ」
私の答えに「そうですか」とグレイの緊張が解けたのが分かった。
「ならキスしていたという噂も全くのでたらめということですね」
キスという言葉が聞こえた瞬間、私の肩がギクリと跳ねる。
頰にキスした事実は、否定できない。
「それは……嘘じゃない、わ」
「──は?」
安堵の笑みが一瞬にして消える。
周囲の温度が一気に下がり、ゾクリと肌が粟立った。
「どういうことですか?」
「や、その」
鬼気迫る表情で距離を詰めるグレイから顔を逸らし、私はボソボソとこれまでのことを説明する。
ジェローム様から求婚されたこと、私の正体を見抜かれたこと、花守りと遺骨奪還のための協力者となったこと。そして流れで彼の頰にキスすることになったことを。
「あのクソガキ……」
苛立たしそうに顔を顰めるグレイを視界に映し、私は目を細めた。
こうして感情を剥き出しにする彼を再会してから何度か見る機会があった。
初めて見た時は恐怖を抱いたというのが正直なところではあるけれど、今では口の悪ささえ──可愛いと思ってしまっている自分がいる。
「皇太子が味方であったことは良かったです。ですが、それを差し置いても色々と物申したいことが……」
ジェローム様に嫉妬の感情を向けるグレイ。
私のそばにいたいと思っているグレイ。
私を自分のものにしたいと思っているグレイ。
それはつまり──。
「……なんて顔してるんですか」
グレイの瞳に私が映っている。
心の底から幸せそうに頰を染める私の姿が。
グレイは複雑そうな顔をして私の頰に手を伸ばした。
「そうやって無防備な顔をするから、男につけ込まれるんですよ」
そのままするりと私の頰に手を沿わせ、意図をもって戯れてくる。
その手に己の手を重ねて頰を擦り寄せると、「……あのですね」と呆れの色を滲ませた声が降ってきた。
「理解してますか? 俺がどういう意味で姫様に触れているのか」
「分かってるわよ」
「いや、分かってないですね。どうせ俺が花守りだからと──」
グレイは言葉を止めた。いや、止めざるを得なかったというのが正しいか。
それもそのはず。私がグレイの唇を塞いでしまっているのだから。
たっぷり三秒間くっつけて、ゆっくり離す。
「……え?」
呆然と私を見つめるグレイは何が起きたか理解できていないようだ。
その顔が面白くてくすりと笑う。
「ちゃんと理解してるわよ。いくつになったと思ってるの?」
十六歳。成人の年。
経験があるわけではないが、薬師の弟子として世界中を旅して、男女のあれこれは学んできた。見聞きした経験だけで言うならグレイよりも多いはずだ。
「……っ、ひ」
私の言葉にグレイが動いた。
「でもね、今はまだこの話はする時じゃないわ」
しかしグレイの唇に人差し指を当て、それ以上言葉を続けることを許さない。
私はソファーから立ち上がり、扉の方を見つめる。
「私たちにはまだやるべきことが残ってるから。時間だってない。そうでしょう?」
グレイは面食らったような顔をした後、眉尻を下げながら微笑んだ。
そして「それもそうです」と言いながら立ち上がったグレイは真面目な顔で私と向かい合った。
「ネルゾンの騎士になったのは、お話ししたとおり姫様の情報を掴むためというのが目的でした。なので姫様が捕まっていないと分かればすぐにネルゾンを去ることにしていましたが、情報を集めるうちに花の一族の皆様や花守りたちが皇帝の手中にあると知り、計画を変更することになりました」
彼らを救い出すまではネルゾンに居続けると。
「再会できてからも姫様と積極的に話をしようとしなかったのは、彼らを解放できていない状態で安易に姫様と接触するのは危険だと判断したからです」
「そう、だったの」
「……まぁ、姫様が俺のことに気付きながら他人のふりをしようとしてくることに怖気付いていたというのもありますが」
「ご、ごめんなさい」
気まずげな空気が流れる。
グレイは困ったように笑った。
「クロッカスたちのことは俺がどうにかしてみせます。ですから姫様は」
「あ、実はそのことなんだけど」
私が考えていた作戦を話すとグレイは顔色を変えた。
「──そんな危険な計画、俺が許すわけがないでしょう!? 花守りたちも姫様を犠牲に助かったところで誰一人として喜びません!!」
「でもこの作戦が一番効果的で手っ取り早いと思うの」
「ダメです! 姫様が自ら動かれずとも俺がやり遂げてみせます!」
この時、グレイが私に対して迷惑だと言ったことを思い出し、一人納得した。
私が余計な動きをすればグレイの解放計画に支障をきたしてしまうということだったのだろう。
確かにグレイ一人で行動したほうが時間はかかるが確実なのかもしれない。
──でも、私にはもう時間がない。
それに、救わなければならないのは家族や花守りだけじゃないから。
「私がやらないといけないの」
「……しかしっ」
「それに、危険な目に遭うとしても、グレイが守ってくれるんでしょ?」
私の言葉にグレイは目を見開く。
そしてじわじわと頰を赤く染め、顔を手で隠した。
「ほんと、そういうところずるいです」
狡い発言をした覚えはないが、いつか見たような表情に私は頰を緩ませる。
「私の我儘に付き合ってちょうだい。グレイ・フィーディ」
「──我が主人の仰せのままに」
私に向ける彼の表情は一人の従者としてのもの。
敬愛に満ちたそれに私は満足して、油断していた。
グレイに力強く抱き寄せられ、手を掬われる。
手首にキスを落とした男はギラついた目でこう言った。
「全てが終わった時には、覚悟しておいてくださいね」
「……ハイ」
私は思う。
私が彼の優位に立てるのはきっと今日までだと。




