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16. 変わらぬ愛

 

 訪れた眩しい光の中、視界に入ってきたのは会いたいと思っていたその人。


「……グレイ」


 今回もまた彼が私のことを見つけてくれた。

 あの時と、同じように。

 そう思った瞬間、大量の涙が頰を伝う。


 パタパタと落ちる涙を拭う余裕もなく、突き上げる衝動のままに暗闇の中から愛しい存在に向かって手を伸ばす。


「ひめ、ッ」


 彼に対する気まずさなんて都合よく忘れた。今はただグレイの温もりを感じたくてその体に腕を回す。

 小刻みに体を震わせながら抱きつく私に何を思ったのか、グレイもまた強く抱きしめ返してきた。


「良かった……ッ」


 安堵の熱い吐息が耳にかかる。

 物凄い勢いで脈を打っているグレイの心臓の音を聞いて、堰き止めていた感情が溢れ出す。


 好き。大好き。


 グレイの首元に自身の顔を擦り寄せると肩がピクリと揺れ、「姫様……」と熱のこもった声が返ってきた。

 そのままグレイが優しく私の髪の毛に触れようとして──そこではたと気付く。


 今自分が何をしているのか。

 そして、先ほどグレイはなんと言っていたのか。


「──!!」


 正気に戻った瞬間、私は勢いよくグレイから離れた。

 勢いがよすぎて床に尻餅をついてしまった私を、グレイは目を丸くして見ている。


 お尻は痛みを訴えていたが、そんなこと今はどうでもよかった。

 不躾であることを知りながらも、プルプルと震える指をグレイに向ける。


「さ、さっき、ひ、姫様って……!?」


 グレイはきょとんとして「そうですが」と答えた。

 それがどうしたと言わんばかりの顔に絶句する。

 これでは勘違いしようもないではないか。

 つまり、グレイが私に向けて『姫様』と言ったのは──。


「え……私のこと、気付いてたの……?」

「………………むしろ気付いていないと思ってたんですか」


 長い沈黙の後、グレイは心底呆れた顔を見せてくれた。


「……いや、そうなんだろうとは思ってたんですが、まさかここまで鈍いとは……。ああ、だから姫様は……」


 片手で顔を覆って何かを呟いているグレイと、はくはくと魚のように口を開閉する私。

 パニックにならないのが無理な話だった。


「い、いつから気付いてたの!?」

「鍛錬場で対面した時です」

「初め……から…………」


 グレイは膝をついて私と目線を合わせると、「少し変装したくらいで俺が姫様を判別できなくなるわけがありません」と言って私の眼鏡に手をかけた。

 眼鏡が自分の顔から離れていく様子を呆然と見送る。


「ようやく、直接貴女の瞳を見られた」


 明瞭に映るグレイの綺麗な顔。

 これまでの無表情はどこに行ってしまったのかと言いたくなるくらいに、嬉しそうに頰を緩ませる姿に私は頭を抱えるしかなかった。


 今までの苦労はなんだったのだろうか。

 一気に疲労がやってきて、全身から力が抜けていく。

 そんな私の様子を見てグレイは苦笑しつつ私に手を差し出した。


「お互いちゃんと話しあう必要があるようですね」

「おっしゃるとおり……」



 それからソファーに二人並んで座り、これまでの答え合わせをすることにした。

 そわそわと落ち着かない気持ちを隠せないまま、私は質問を投げかける。


「グレイはどうしてネルゾンの騎士になったの?」


 外せないのはこの質問。

 グレイがネルゾンの人間であったからこそ、私はここまで勘違いしてしまったのだ。

 果たしてどんな答えが返ってくるのかと緊張気味に構えていると、グレイは訝しげに眉根を寄せた。


「そんなの、姫様を探し出すために決まってるじゃないですか」

「……私?」

「突然姫様が消えて、俺が何も思わなかったとでも?」

「ッ」


 私がネルゾンに捕まったと思ったグレイは、一人ネルゾンの地に乗り込んだ。

 しかし、外国の人間で身分の証明すらできないグレイがネルゾンの中枢に潜り込み情報を得ることは容易いことではない。

 そこでグレイは、ネルゾンの人間として名を馳せれば情報も得やすくなると考え、騎士団に入団することにしたのだと言う。


 私の情報を掴むために、ただ一心に剣を振り続けたグレイ。

 そしてつい先日ようやく、皇帝に認められるほどの地位を手にした。

 これで私に一歩近付いた──そう思った矢先、私がグレイの前に現れた。


「で……でも私はちゃんと手紙を書いて……」

「……ちゃんと見つけましたよ。見つけましたが……信じたくなかったんです。姫様が自らの意思で俺のもとから離れていったなどと」


 沈鬱な面持ちで話すグレイに、ギュッと心臓が締め付けられる。


「再会した時は本当に驚きました。まさか、薬師の弟子になっているとは」

「……」

「そして同時に理解せざるを得ませんでした。姫様は……本当に俺を捨てたんだと」

「!? 捨ててなんかないわ!」

「捨てたじゃないですか!」


 私の言葉に被せるように大声を出され、体が固まる。

 悔しげに歪むグレイの顔が、私の過去の行動を責めていた。


「ずっと、そばに居させてくれと言ったのに、姫様は俺を置いて行った……ッ!」

「……」


 やはり私の考えは間違っていたのだ。

 私の短絡的な考えのせいで、誰よりも幸せになって欲しかった人を苦しませてしまった。


「俺が、不甲斐なかったからですか? 不自由な生活ばかりを強いたから、贅沢をさせてあげられなかったから、俺から離れたくなったんですか?」

「違う!」

「では、どうして」


 十三歳の誕生日を迎えたあの日のことを思い出す。

 そう、私がグレイから離れたのは──。


「私と一緒にいると、グレイが幸せになれないと思ったから」


 私の言葉にグレイは目を瞠った。


「なぜ、そのようなことを」

「……ネルゾンから逃げ続けなければならない人間である時点で、私がグレイにとって大きな荷物であることには変わりなかったでしょ。グレイはもう良い年齢だったし、私のことなんか忘れて自分の幸せを見つけてほしいと思ったの」


 過去を振り返りながらポツポツと話していると、視界の端に何かが落ちるのが見えた。

 え? と思った時には時すでに遅し。

 ──グレイが泣いていた。


「グ、グレイ? え、どう、え?」

「……俺が、姫様をそこまで追い詰めてしまっていたなんて」

「いや、別にグレイに追い詰められていたわけじゃ」


 グレイの泣き顔を初めて見た私は狼狽えるはがりで、ソファーから床に移る彼を止めることができなかった。


「あの時も姫様のお心が危うい状態であることは認識していました。にもかかわらず、状況を甘く見て改善しなかった俺に責任があります。申し訳、ございませんでした……ッ」


 床に頭を擦り付け謝罪するグレイに、私は目を剥く。


「や、やめて」

「貴女のお心をお守りできなかった俺が悪いのに、烏滸がましくも姫様を責めようなどと、本当にお詫びのしようもございません」

「違う、それはグレイのせいじゃない。お願いだから頭を上げて!」


 むしろグレイがいたからこそ、私はなんとか正常な精神を保てていたと言っても過言ではない。

 それを伝えたいのに、置いていかれる恐怖に呑まれたグレイによってそれは叶わなくなる。


「姫様が、俺をそばに置きたくない、気持ちは……分かりました。ッそ、それでも、俺は……姫様のそばにいたい。貴女が、俺の生きる意味だから」


 最早そこにはカッコいいグレイの姿はなかった。

 一人の女に捨てられまいと必死に縋りつく男の姿に、私は口を閉じることができない。


「……再会した時、運命だと思いました。だから決めました。姫様がどう思おうと、今度こそ付いて行くと。だから、俺を切り捨てようとする姫様につい失礼な態度を取ってしまいました。本当に、申し訳ございません。何度でも謝罪します。今度こそお役に立ってみせます。だから、だから……、俺を……他人にしないで……」


 ──俺は姫様のものです。それは貴女が何を考えようと変わらない事実だ。


 数日前のグレイの言葉を思い出す。

 あの時の言葉もキャロライン様ではなく、全ては私に向けられたものだった。


 そこでようやく私は理解した。

 私のそばにいること──それがグレイの『目的』だと。


「……キャロライン様は、どういうことなの?」

「ッ、あれは! ……姫様を探し出すための手段です。皇族に気に入られれば情報収集は格段にやりやすくなりますから。皇女には悪いですが、彼女に対してなんの気持ちもありません」


 さすがに悪いことをしている自覚はあったのか、説明しづらそうに顔を逸らすグレイに「そっか」と答える。


「グレイ」

「……はい」


 裁判の判決を待つ被告人のようにグレイは俯いている。


「ごめんなさい」

「……え」


 グレイの顔に絶望が広がった。

 どうやら私の謝罪をグレイに対する拒絶と捉えたようだ。

 私はゆるりと首を横に振る。


「そういう意味での謝罪じゃないわ。貴方の気持ちを蔑ろにしてごめんなさいという意味」


 私がいなければグレイはこんなにもダメになる。

 それを理解した私は、最低だと分かりつつも微かな喜びを得てしまった。


「グレイは、私がいなくなってから幸せだった?」

「……この三年間、幸福を感じたことは一度たりとてありません。姫様がいない人生に、意味なんてないですから」

「……そうよね、花守り(フィーディ)である貴方の気持ちを軽く見ていたわ。花守り(フィーディ)が主人に置いていかれるなんて、地獄に等しいわよね」


 私の言葉に何か思うところがあったのか、グレイは黙ってしまった。

 不思議に思ってグレイの名前を呼ぶと、グレイは「残念ながら」と涙を拭いながら皮肉げな笑みを浮かべる。


「俺は主人のそばにいるだけで満足できるようなできた花守り(フィーディ)ではありません」

「……え?」

「──貴女を自分のものにしたいと思ってる傲慢な人間なんですよ」


 グレイ・フィーディーという男は。


 涙に濡れた瞳には、いつのまにかほのかな熱が灯っていた。

 いつかの、キスの時と同じように。

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