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15. 我が光

 

 ネルゾンに捕らえられた花守り(フィーディ)は、普段は城のすぐそばにある塔に幽閉されている。一人一人に部屋を与えられ、食事の時以外人の出入りはない。見張りはいるが深夜帯は気を抜いていることが多く、その目を掻い潜ることは難しくない。

 そうデリックさんは言っていた。


 デリックさんの情報がどこまで正確なのかは分からない。

 たとえ正確だったとしても、なぜ彼がそこまでの情報を掴めたのかという新たな疑問が出てくるが、それでも彼らと話せる可能性が少しでもあるのならば、動かない理由はなかった。


 デリックさんと話をしたその日の深夜、私は部屋を抜け出し建物や草木の陰に身を潜めながら塔のそばまでやってきた。

 聞いていた通り油断している見張りの目を掻い潜り、足音を殺しながら長い階段を駆け上がっていく。


 ようやく目的の場所にたどり着いた時には体力を使い切ってしまっていたが、目の前に立ち並ぶ五つの扉を見た瞬間頭が冴えた。


 五つの扉のうち一番近くの扉に近付いて小窓から中を覗くと、部屋の奥に大きな何かが座り込んでいるのが見えた。

 それが鎖に繋がれた花守り(フィーディ)だと分かった瞬間、懐かしさと悔しさと悲しさの感情が一気に襲ってきて、私の顔は自然と歪んだ。


 叫び出しそうになる気持ちをなんとか抑え込んで、扉を開く。

 ギギギと鈍い音を立ててしまったが、部屋の主が動く様子はない。


 ゆっくりと彼に近付いていく。

 近付くにつれクリアになる変わり果てたその姿に心臓が痛む。


 黄色の髪と瞳。かつて幼い私とたくさん遊んでくれた花守り(フィーディ)のうちの一人。


「クロッカス」


 目は開いているのに、虚ろな瞳は私の姿を映さない。

 まるで夢の狭間に意識を捨ててきてしまったかのようになんの反応も見せないクロッカスに、私は冷や汗をかいた。


 眼鏡を外し、顔が見えやすいように前髪を分ける。

 クロッカス、と根気強く私が彼の名前を小さな声で呼びかけ続ける。

 何度も、何度も、何度も。


 それでも正気に戻ることのないクロッカスに、諦めの気持ちが出始める。

 その時、不意にお母様の言葉を思い出した。


 ──時には花守り(フィーディ)に主人としての器を見せてあげることも大事なのよ。


 主人としての器。それはこういうことだろうか。

 彼の肩に両手を置き、真っ直ぐに見つめる。


「クロッカス・フィーディ、目を覚ましなさい。貴方の主人はここにいるわ」


 その言葉を皮切りに、クロッカスの瞳の奥に光が宿った。

 瞳が揺れる。

 弛緩していた体に力が入る。

 そうしてわなわなと震えた唇が、ゆっくりと開かれた。


「……ひめ、さま?」


 祈るようなか細い声だった。

 私が頷くとその目を最大限まで見開き、ぶるぶると震え出す。


「ああ、ああ……ッ!」


 ボタボタと大粒の涙が床へ落ちていく。


「よく、よくぞ生きて……!」


 嗚咽で最後まで声にならなかったが、その言葉だけで私は十分だった。


「クロッカスも生きていてくれてありがとう。……遅くなってごめんね」


 床に崩れ落ちたクロッカスは無言で首を強く横に何度も振った。

 痩せ細ってはいるが、意識が現実に戻って来た今の様子を見るにもう大丈夫そうだと安堵する。


 優しく背中を撫でてあげると落ち着いてきたのか、クロッカスは頭を上げた。

 しかしすぐにハッとしたように周りを見回し始めた。


「どうしたの?」

「姫様はどうしてここに……? お一人、ですよね?」


 クロッカスの疑問はもっともなので、私はあの日グレイに助けられて生き延びたこと、その後は薬師に拾われて各地を旅してきたこと、ネルゾンに着いてからの出来事などを簡単に話した。

 説明中終始唖然としていたクロッカスだったが、私の話が終わるとキリッと顔を引き締めた。


「色々と突っ込みたいところはあるんですが──グレイ。そう、今グレイとおっしゃいましたか?」

「え、うん。グレイは今ネルゾンの騎士になってるわよ」

「ネルゾンの騎士!?」

「声が大きいわ」


 この階に見張りはいないとはいえ、万が一のことがあったら困る。


「も、申し訳ございません。ですが、グレイがこの国の騎士? なんで……」


 独り言を言いながら考え込むクロッカス。

 グレイと同い年で、よく一緒に行動していたクロッカスだからこそ、現状のグレイに対して何か思うところがあるようだ。


「もしかして、グレイは今騎士団の中でもそれなりの立場にいるのではないですか?」

「え? あ、そうね。この前あった戦争で英雄として名を上げていたわ」

「……なるほど、そういうことか」


 ポツリと何かを呟くクロッカスに、私は首を傾げた。


「クロッカスはグレイが騎士になっていたことを知らなかったの?」

「はい。ネルゾンに捕まった我々五人はずっとこの塔か、皇帝の部屋にいましたから。アレはあまり我々を外には出さがらなかったので、グレイと会う機会もなかったのだと思います」

「そう、だったの……」


 グレイとクロッカスたちがまともなコミュニケーションをとれていたのであれば、クロッカスたちがここまで精神的に追い詰められることもなかったのだろうか。

 しかし、グレイは既にネルゾンの人間だ。逆に出くわさないほうが正解だったのかもしれない。


「……正直、こんな国に姫様がおられると思うといてもたってもいられないんですが、グレイがいるなら一先ずは安心できそうです」

「どういうこと? グレイはもうネルゾンの人間だから、たとえ私の正体を明かしたところで私たちの味方になることはないんじゃ……」

「──花守り(フィーディ)が主人を裏切ることはありえません」


 私の言葉に重ねるようにクロッカスはキッパリと否定した。


「主人と離れていようが、花守り(フィーディ)の信念と矜持が揺らぐことはないです。花の一族の幸せが我々の幸せで生きる意味ですから」


 姫様も理解されているのではないですか? と問われ私は息を呑む。

 クロッカスの言葉に、今更になってグレイに対する私の言動の数々が間違いだったんじゃないかと思えてきてしまう。

 デリックさんが言っていた、『グレイの目的』というものを考えると余計に。


「グレイを信じてあげてください」


 真っ直ぐな瞳に私は何も言えなかった。

 不安な気持ちが顔に出ていたのだろうか、クロッカスが私の手を取って穏やかに微笑む。


「ここまで一人でよく頑張られましたね。貴女の全てを知り、心の底から頼ることができる相手がいないというのはとても心細かったことでしょう」

「……うん」


 優しげな声音が私の涙腺を刺激する。


「もう大丈夫です。たとえ、グレイのことが信じられないとしても、私がいます。私だけでなく、ピオニーも、クインスも、シランも、ナーシサスもいます。我々以外の花守り(フィーディ)たちもきっといます。……だから」


 もう一人で泣かないでください。

 そう言ってクロッカスは私を抱きしめた。


 心の底から信じられる相手がいるというのがこんなにも心強いことだったなんて思わなかった。

 無条件に与えられる愛が、私を子どもにする。


「クロッカス……」

「はい」


 グスグスと鼻を啜りながら体を離し、クロッカスを見上げる。


「私……信じてみる」


 私の言葉にクロッカスは嬉しそうにくしゃりと顔を歪めた。



「そうだ。一つ気になってたんですが……姫様、その、御髪の色は……?」

「ああ、これは染めてるのよ。……赤色は、人目につきやすいから」

「そうでしたか。では、早く元の色に戻せるよう我々もこうしてはいられですね。姫様、今日はもうお帰りください」

「え」

「他の者にも会いたい気持ちはあると思いますが、滞在時間が長引くほど人目につく危険が増します。他の四人には私から姫様のことを伝えておきますので、どうか御身の安全を一番にお考えください」

「……分かったわ。皆によろしく伝えておいて」


 クロッカスは足に繋がれた鎖をジャラリと鳴らし、立ち上がった。


「姫様が生きていると分かった今、我々はもう絶望しない。──今度こそ、お守りいたします」


 魂が込められた誓いを背に、私は塔を後にした。



 ◇



 建国記念日当日。

 式典が終わり国中がお祝いムードになる中、私は一人暗い顔で鏡の中の自分と向き合っていた。


 髪色は戻しカツラを被った。ドレスや必要な小物も用意できた。

 あとは夜のパーティーが始まり、人が少なくなった頃を見計らって着替えて会場まで向かうだけ。

 その予定だった。


 クロッカスと言葉を交わす前までは。


「……」


 グレイの真意が分からなければ、私も動くに動けない。

 しかし、タイミングが悪いのか、あれからグレイと会うことは一度もなくこの日を迎えてしまった。


 結局私はどうするべきなのだろうか。

 さすがにもうクロッカスたちに会いにいくことはできないし、私ができることは限られている。


「……もう一度だけ」


 最後の望みをかけて私は部屋の外へ出た。


 廊下を歩いていると使用人たちが忙しなく動き回っており、邪魔をしてはいけないと庭園のほうへ出ようとした時のことだった。

 目の前にキャロライン様が突如現れたと思うと、ドンッと肩を強く押された。


「ッ!?」


 予想していなかった行為に、私はなすすべもなく床に倒れ込んだ。

 何が起こったのか分からず困惑して顔を上げると、そこには氷のように冷たい表情を浮かべるキャロライン様の姿があった。


「リオを信じたわたくしが愚かだったわ」

「な、なんの話を」

「貴女とグレイがキスをしていたと聞いたの」

「!」

「お兄様を弄んだうえ、わたくしの物に手を出そうとするなんてとんだ悪女ね」

「ちがっ、それは……!」

「言い訳は無用よ。連れて行きなさい」


 キャロライン様の背後に控えていた護衛騎士が私の体を拘束する。

 振り払おうにも男の力に叶うはずもなく、私は近くの客室へと連れて行かれた。


「その中へ入れてしまいなさい」


 キャロライン様の命令通り、騎士はクローゼットの中へ押し込める。


「今宵のパーティーでグレイとの婚約を発表するの」

「──」

「余計な邪魔があると困るのよ。だから、今日一日そこで大人しくしていてちょうだい。後のことはまたその時考えるわ」


 キャロライン様の軽蔑するような瞳が見えた瞬間扉が閉まる。

 続いてガチャガチャと言う音の後バタンッ! という音がしたのを境に、私の耳にはなんの音も届かなくなってしまった。

 思いきり中から扉を叩いたり蹴ったりしてみるが、鎖でもかけられているのかビクともしない。


 動きを止めた瞬間訪れる重たい沈黙。


「……ッ」


 静かに心臓が逸りだす。

 早くここを出なければいけないという焦りだけが頭の中を駆け巡る。


『ここを出てはいけないよ。声を出してもダメだ』


 かつての記憶が頭を掠める。

 一度思い出してしまうと、もうダメだった。

 視界が黒く塗りつぶされ、自分の呼吸だけ鮮明に聞こえる空間。激しい動悸と浅くなる呼吸に、私の意識は薄れていく。


 体から力が抜けていく中、思い出すのは愛しいその人。


「たすけて……グレイ……」


 自分でさえ聞き取るのが難しい声だった。

 だから、奇跡は起きない。そう思っていたのに。


「──姫様!!」


 どうして貴方は来てくれるの。

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